第22話 ぼくの仕事はブラックです。
長文で読み辛かった可能性があるので、この話から試しに3~4000文字に縮めました。ご了承ください。
あの宴の夜から一ヶ月が過ぎ、ぼくは忙しい日々を過ごしている。
何しろ角田古物商の従業員は三人きり。
そのうち二人が、異世界の新ブランド『Elvish』という別の事業所を掛け持ちしているのだ。現在のところ、主な取引先が春村物産の経営するデパートに絞られているとは言え、仕事の内容は倍増している。
武田さんたちが合流するまでは角田古物商の仕入れ業は半ば停止し、多大な事務処理と在庫管理を主に行っていた。
「あの、カドタ社長かサトナカさん今、空いてます? 買取のお客さんが来ましたよ」
「おう、悪いな、ミスティちゃん。――今、里中をやるよ」
事務所に人を呼びに来たのは、角田古物商のロゴ入りエプロンを着けたミスティだった。
月光色の金髪を分けて束ね、耳先が人目に触れないよう肩口から垂らしている。日本で新たに購入した春物のニットセーターにジーンズという出で立ちに、ワンポイントのエプロンが良く似合っていた。
「ごめんね、ミスティさん。今行くわ。……お客さんは?」
「はい、サトナカさん。今はシャクナ姉さんが応対してます」
ミスティが楽しそうな笑顔で里中さんを促す。
日本で働けるのが嬉しくて仕方ないようだ。
新規事業で倍増した仕事を処理するため、角田古物商の運営は一時的に販売の里中さんが主力を任されている。そうなると、店頭販売にまで手が回らないと言うことで、エルフの里と話し合って、ミスティとシャクナさんに臨時でバイト店員をお願いしているのだ。
一階の直営アンティークショップは、二人が店員を始めてからお客さんが倍増したらしい。西洋古美術の似合う幻想的な容姿のエルフ美人が、二人も店頭に立っているんだから、当然の成り行きとも言える。
二人は現在、寝具を増やしたぼくの部屋に寝泊りしている。
空いた時間には、武田さんのマンションに泊まっているロアルドさんと一緒に日本語の読み書きを勉強していて、将来的に日本で暮らしても問題の無いよう準備しているらしい。まだまだ、先は長いけどね。
「なぁ、繋句。エルフの銀食器の売り上げが好調なのはいいけどよ、たぶんもうすぐ春村物産に卸した在庫が無くなるぞ」
「ああ、また里に取りに行かないといけないですね。外装の箱は仕上がってるかな?」
「単品の追加注文が大半だから、現物があれば外側がなくても何とかなるだろ」
「そうですね。午後から、村長さんに相談しに行ってみます」
エルフの遺跡の銀食器を販売した物産展は、好評を博した。
中流から富裕層を中心として、一点物に比べて手ごろな価格の美術品ということで、新しい趣味の入門代わりに購入していく人が多かったらしい。贈答品としても人気だったとか。
セットで購入する人は稀だったけど、一客からの販売だったので数は結構な量がはけたようだ。企画の大成功に、春村会長が直にお礼を言いに来てくれた。
普段から古美術を実用する武田さんなんかは、そうでしょう、と納得顔だったしね。
「社長。ぼく、見積もり終わらせたら午後から外回りに出ますね。里に行ってきます」
「おう、頼む。ミスティちゃんかシャクナさんも、どっちか半休取って上がってもらっていいぞ」
角田社長が書類に埋もれながら、ぼくに手を振る。
うん、ミスティを誘おうかな。シャクナさんは、お客さんの相手が楽しくなってきたって言ってたし。村長さんも娘の顔を見たいんじゃないかな。
ぼくは気を取り直して、目の前の納品書の束を片付けにかかった。
「里に戻るのは一週間ぶりね、ツナグ」
「そうだね、最近はずっと日本にいたから。帰ってきたって感じがする?」
「うん」
ぼくの質問に、ミスティは笑顔でうなずいた。
彼女にとって、馴染みこそしてきたが、日本はまだまだ出先なのだろう。故郷の安心感はやはり、感慨深いようだ。
エルフの里は、ここ一月で大きく様変わりした。
一番大きな変更点は、鉄製品の普及だ。春村会長の伝手で入手した鉄を、ぼくの魔術を使った里の炉で溶かし、炭の高炉で再精錬している。
精錬用の反射炉と転炉は、日本の冶金学の史料書を参考にして作成した。詳しく図解が書かれている本があったので、それを見ながら本文を読み上げたものを里のエルフが書きとめ、翻訳して印刷し直したのだ。
現在、鉄は刃物類や釘などの中小品に加え、台車やリヤカーのタイヤ部分など、様々な生活用品に形を変えて里の各所に見られる。
鉄製品の需要が急増したので、鍛冶師のクダンさんは新たに三人の弟子を雇ったそうだ。
ちなみにゴム部分は日本産ではなく、里の大森林の樹液と埋蔵硫黄から作られているので、ファンタジー謹製のリヤカーということになる。
弓矢の鏃も鉄製に変わり、狩猟が楽になったと喜ばれている。
他には、食生活もずいぶん変わった。
まだ少量ながら、一日二食から三食へと移り変わり、栄養状態が改善された。食糧は主に春村物産経由の小麦粉等を問屋から輸入しているけど、日本の農産物の育成も進んでいる。数ヵ月後には里の食卓はさらに豊かになるだろう。
今、里で流行している食事は、小麦と卵を使ったパスタらしい。トマトがない代わりに香草の類が豊富なので、ジェノベーゼのような一品も開発されている。
それもこれも、銀食器の売り上げによるものだ。
日本円を稼ぐ手段を得たエルフの里は、日本社会の流通の恩恵を受けて発展している。……その分、橋渡しをするぼくや社長が忙殺されているけど、エルフの里のたくさんの笑顔を考えれば、微々たる苦労だ。
「おお、ツナグ殿。お元気でしたか」
「村長さんもお変わりないようで、何よりです」
「いやぁ、繋句くん。忙しそうだな、何よりだ」
村長さんの家に行くと、本人に加えて春村会長が出迎えてくれた。
ロアルドさんとミスティが日本に滞在しているので、一人暮らしになった村長さんの家によくお茶を飲みに来ているらしい。
今日は二人だけだけど、日本から囲碁やチェス、リバーシなどを持ち込んでいて、最近は村の高年齢層を巻き込んだ集会場と化しているのだとか。現在は日本語の壁を越えて、将棋を普及させようと目論んでいるらしい。
ちなみに、会長用の門は会長宅と、この家の間に設置済みだ。
最初は防犯の懸念があるので止めたけど、自宅の一室を改装して里側から出入りできないよう厳重な警備強化を施す念の入れようだったので、やむなく押し切られた。
昔憧れたファンタジーの世界に、自由に出入りできるようになりたかったんだとか。
春村会長も、意気軒昂そうで何よりです。
「ご無沙汰してしまってすみません、村長さん。春村会長も」
「はは、そうですな。カドタ様のお顔は時々見かけるのですが。ツナグ殿も、お暇があればどうぞ里へお立ち寄りください」
「時々見かけるって、社長、この里に来てるんですか?」
「何だ、知らんかったのか、繋句くん。角田の奴は、夜は頻繁にこっちに来ているらしいぞ。村の娘さんの家に訪れた近所の方が、何度も角田を見かけたとか」
ラナさんか。社長がお付き合いしてるエルフの娘さんだな。
以前、社長の自宅と繋げておいたもんな。よくこっちに来てるんなら、一言教えてくれてもいいのに。……と思うのも野暮かな?
ぼくも、もう少し頻繁に顔を出すようにしよう。結婚相手の実家なんだし。
「ミスティも、勉学ははかどっているかね?」
「う、うーん。少しずつ覚えてるわ、お父様。日本の文字って、何種類もあって複雑なんだもの」
村長さんの問いかけに、歯切れ悪く答えるミスティ。
日本語はまず表音文字にひらがなとカタカナの二種類があって、さらには漢字も二千字くらい覚えなきゃいけないからなぁ。意味の重複する外来語も多いし、読み分けは面倒だろうと思う。
世界でも有数の難しさを誇るとも言われる言語だから、ゆっくりがんばって欲しい。