あなたに笑顔を持ってきた
その場は異様な雰囲気に包まれていた。
ぼくと社長、エルフたちは突然の出来事に言葉を失い、春村会長だけがふむ、と冷静に目を丸めていた。
最初に我に返ったのは、武田さんだった。
と言っても平静とは行かないようで、武田さんは顔を真っ赤にしながらロアルドさんから距離をとった。
「か――からかっているんですか!? 馬鹿にしないでください!」
「からかうなど、誓ってそんなつもりはありません。本心です、タケダ殿」
「ロアルド! 客人を前になんたる不躾な行いか! 控えんか!」
事態を飲み込んだ村長さんの叱責が飛ぶ。
しかしロアルドさんは臆することなく立ち上がり、村長さんに向き直った。
「父上、申し訳ありません。父上が我らエルフなど、と仰るなら私は身を引きましょう。ですが、もし我々エルフに一抹の感情が認められるのならば、この心は父上でも止められません。麗しい外見から滲み出る優しさ、温かさ。私が生涯を捧げるに足る方です」
「失礼ながら、ロアルドさん――でしたかしら?」
苦しそうな表情で、武田さんは続けた。
「私は、自分がそのようなお言葉を賜るような人間ではないことは、重々自覚しております。もし、私の立場や権力が目当てなのでしたら、残念ですが――」
その展開に既視感を覚え、ぼくと社長はお互い顔を見合わせた。
ぼくは、慌てて武田さんの服を引っ張り、彼女の言葉をさえぎる。
「武田さん、違うんです。ロアルドさんは、きっと本当にそう思ってるんです」
「この話は……って、えっ? どういうこと、繋句くん?」
「武田さん。春村会長。すみません、大事なことを話し忘れていました。この世界は、日本と美的感覚が逆になっているんです」
そうしてぼくは、この世界の価値観。
そしてその価値観からエルフが醜いと言われ孤立していること。
元の世界でコンプレックスに感じている武田さんの顔立ちは、この世界ではものすごい美人に見えること。などを二人に説明した。
説明を聞いた武田さんの表情が、面白いくらい間の抜けたものに変わる。
その反応を拒絶の可能性と受け止めたロアルドさんは、うなだれながら声をかけた。
「タケダ様が、私のようなエルフを、醜いと切り捨てられるのならば、私もこの思いを諦めるよりありませんが……」
「醜いだなんて、そんな! わ、私にとっては畏れ多いくらい、まばゆく見えますわ。先日いただいた銀細工よりも、もっともっと輝いてます。こんな私なんかが、そんなお付き合いだなんて……」
「……っ! ありがとうございます、タケダ様。ですが、私からすれば、タケダ様も同じように輝いて見えるのです。どうか、私の言葉をご一考いただけませんか?」
武田さんが頬を染めながら、気恥ずかしそうに視線をそらした。
まんざら、拒絶しようと思ってるわけでもなさそうだ。
ロアルドさんは武田さんに歩み寄り、その手を取る。武田さんはいよいよロアルドさんの顔を見ていられず、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「私の顔、こんなにがさがさで、ボロボロの肌ですよ……?」
「私にとっては、何より美しい肌です」
「化粧品で、飾り立てることもできません……」
「そのままの貴方で、充分です。私は今の貴方に見惚れているのですから」
「体型だって、太ってるし、顔は骨ばってるくせに、あごに肉もついてるんですよ……?」
「それが良いのですよ」
ロアルドさんは譲らない。心から褒め称えるように柔らかく微笑み、武田さんの心を包んでいく。
「タケダ様は、自分の容姿を気にされている様子。お気持ちはよくわかります。ですが、その容姿は自ら望んで作り変えたものですか? それとも体質など、生まれ持ってのものですか?」
「体質です。こんな容姿を望んで生まれたわけじゃ……」
「でしたら、私は貴方のその体質を天に感謝しなければなりません。そのままの貴方をすべて、私にどうか愛させてはいただけませんか?」
「こんな女と一緒にいたら、貴方が笑われるかもしれないんですよ……?」
「笑われません。ここに、貴方を笑う者はいません。もし笑う者がいるとすれば、私を気遣う貴方の優しさを守るため、私はその者に憤りましょう。貴方の心を、どうか私に守らせてください」
武田さんは顔を上げ、ロアルドさんの顔を見た。
目のふちが滲んでいた。
ロアルドさんは武田さんのすがるような視線を、何憂うことも無く優しく受け止めていた。
「嬉しいです……でも、気持ちを整理するお時間をいただけますか……?」
「それは、私との交際を考えていただけるということですか?」
「……はい……前向きに……考えさせて、いただきます」
返事こそ事務的だったけど、その表情は熱に浮かされていた。
恋に頬を染め、嬉しさに涙を濡らし、恥じらいにうつむいたその表情は、武田さんが一人の女性であることを示していた。
武田さんは今、同僚に顔をしかめられる見栄えの悪い副市長じゃない。
美しいエルフに真摯に求愛される、一人の乙女だった。
「ありがとうございます、タケダ様!」
色よい返事をもらったロアルドさんは、喜びを爆発させたようにはしゃいで、周囲のエルフから羨ましがられていた。
まだ夢見心地のままでぼぉっとした武田さんに歩み寄り、お祝いの言葉をかける。
「おめでとうございます、武田さん」
「つ、繋句くん! もう、大人をからかうんじゃありません!」
「ロアルドさん、良い人ですよ。優しいし、仕事は出来るし、日本のことも大好きだし。性格はちょっと強引だけど……」
「……そ、そうね。あんなに強引に迫られたら……私も、断りきれないかなぁ……」
照れたように微かに身をよじらせる武田さん。
仕方ない風を装っているけど、心の中ではロアルドさんの告白に穏やかな未来を夢想しているのか、喜びが顔にあふれ出ていた。
「とうとう武田くんにも良い相手が出来たか、良かった、良かった」
「春村会長も、老後としてこちらに居を構えられてはいかがです? スローライフは流行でしょう」
「わしは仕事があるでな、まだまだ現役だよ。まぁ、角田の仕事や武田くんの様子を見に、茶をいただきに来るくらいはしようかな。いずれ子どもも生まれるだろうしの」
「そういや、人間とエルフで子どもはできるのか、繋句?」
なにやら二人で話している春村会長と社長の質問に、ぼくは指で丸を作って返した。
治療魔術と制御魔術の解析の結果、日本人とエルフの間の子孫は問題なく作ることができる。デック様々だ。
社長や武田さんの子どもがこの村に生まれるのも、そう遠い日のことじゃないだろう。
*******
在庫の確認を終え、村に戻ると、村長さんの家では日本製のエプロンをつけた二人が出迎えてくれた。
「ツナグ、おかえりっ!」
「おかえり、ツナグ」
ミスティとシャクナさんだ。
ミスティはぼくの姿を見るや否や、ぼくに抱きついてきた。シャクナさんはその様子を見守るように微笑んでいるだけだ。
話し合いの準備で二日ほど会わなかっただけなのに、何だか長い間離れていた気がする。ミスティも同じ気持ちだったんだろう。ぼくの両肩に手を回して抱きついたまま、甘えるようにぼくに頬を摺り寄せてきた。
周囲の視線があるけど、ぼくも彼女を抱きしめて、シャクナさんの方を向いた。
「ただいま、ミスティ。シャクナさん。二人は、料理の準備をしてたの?」
「そうだよ。その前に、お茶の準備かねぇ。お客さんを放ったらかしてミスティが飛びつくもんだから、村長も頭を抱えてるよ」
振り返ると、村長さんを始めロアルドさんと社長も頭を抱えていた。
春村会長と武田さんは、突然美少女に抱きつかれているぼくを見て目を点にしている。
「えへへー。ツナグのにおいだーっ、安心するー」
「ミスティ、落ち着いて。日本からのお客さんを紹介するから、ね?」
「あ――ご、ごめんなさい! ツナグが日本に帰ってから寂しくて、つい……」
身体から離れるミスティに軽いキスを交わし、手をつないだまま会長たちに向き直る。
「春村会長、武田さん。村長さんの娘さんのミスティと、この村に住んでるシャクナさんです」
「ミステリカ・サルンです。みっともないところをお見せして、申し訳ありません」
「シャクナ・カラムだよ。いらっしゃい、お客人方」
ぺこりと頭を下げる二人。シャクナさんの手も取り、ぼくは二人を紹介した。
「彼女たち二人とは、結婚を前提にお付き合いさせていただいてます。日本で籍は入れられないんですが、この世界では二人ともぼくの婚約者ということになってます」
「――婚約者!? 繋句くんの!?」
「いやはや。繋句くんの嫁を見るのは、もっと先のことだと思っとったが。長生きはするもんだな、めでたいことだ」
武田さんと春村会長は、恋人を通り越した婚約者と言う単語に度肝を抜かれ、口々に驚きの声を出していた。
その後、改めて二人も自己紹介をする。
「ふわぁ……タケダ様は、すごく素敵なお方なんですね……」
「本当だね。なかなかここまでの方は、お目にかかれないよ。同じ女として羨ましいね」
「何だか、照れるわ……そんな風に褒められたこと、人生で初めてだから」
ミスティとシャクナさんの賞賛の言葉に、武田さんは頬を赤らめてうつむく。
何だかぼくの胸に悪戯心が沸き起こり、周りに聞こえるようにミスティに耳打ちしてみた。
「ミスティ。武田さんはね、ロアルドさんとお付き合いすることになるかもしれない人だよ」
「つ、繋句くん! まだ決まったわけじゃ――」
「本当ですか!?」
飛び出すように、表情を輝かせたミスティが武田さんの手を取る。
「嬉しいです! お兄様に、こんなに美人のお相手ができるなんて!」
「う、美しいだなんて。私なんて、ミステリカさんやシャクナさんの美貌に比べたら、みじめな気持ちになってしまうわ……」
気後れする武田さんに、ミスティが、ううん、と首を振る。
「タケダ様も、向こうの世界では私たちと同じ気持ちを持たれてたんですね。タケダ様が今感じている気持ちを、今、私たちも感じています。でも、嫉妬よりも、大きな気持ちがあるんです」
「……大きな気持ち?」
「はい。私たちエルフと同じ気持ちを知っている方が、いつか私の義姉になってくれるかもしれない。そんな期待です。こんなに綺麗な方なのに、私たちエルフと同じ目線で話してくれる、そんな優しい方とお近づきになれて、私、今とても幸せなんです」
きらきらと、悪意の無い純粋な瞳でミスティは武田さんを見つめる。
その誠意が伝わってるんだろう。武田さんは感極まったように、ミスティの華奢な身体を抱きしめた。
「なんでだろ……貴方たちと話していると、まるで私までが貴方たちエルフみたいな、素敵な存在になれた気がするわ……こんな、こんな私が……」
「……タケダ様は、とても素敵な女性ですよ。本当です」
涙を流す武田さんの背に、ミスティがそっと手を添える。
同じ苦しみを知っている。その気持ちが、二人を通じ合わせたのかもしれない。見た目で損をしてきた武田さんと、里の中で一番醜いと素顔を隠していたミスティは、ゆっくりと抱き締め合っていた。
二つの世界で、一番醜いもの同士が抱き合っているんじゃない。
お互いに美しいと思っているんだ。二つの世界で一番美しいもの同士が、抱き締め合っている。ぼくの目には、そう見えた。
自分と同じ境遇の、けれども自分の認める存在に、自分を認められて。
武田さんは、ようやく自分の外見という呪縛から解き放たれたのかもしれない。
いつか子どもの頃に夢想して憧れた、幻想の世界の中に、彼女は今、立っている。
ミスティから身体を離し、武田さんは様子を見守っていたロアルドさんの下へ歩み寄り、彼女は慎ましく会釈した。
「ロアルドさん。先ほどのお話なのですけれど……」
「は、はい。何でしょう」
緊張するロアルドさんに、武田さんは柔らかく微笑みかけた。
「まだこの世界のことを何も知らない私ですけど……こんな私で良ければ、先ほどのお話、お受けさせていただこうと思います」
言葉にならない、そんな感情がロアルドさんからは見て取れた。
喜び取り乱す自分をいさめるようにロアルドさんは奥歯を噛み締め、そして武田さんの手を取った。
「お互いのことは、これから知っていきましょう、タケダ様。私が貴女のことをどれほど想っているか、ゆっくりとお伝えします。私のことを想っていただけるよう、貴女の伝えたいことを、受け止めていきます。……ありがとうございます、タケダ様」
ぼくも、ミスティも、シャクナさんも、村長さんも、角田社長も、春村会長も。
みんなが見守る中――
ロアルドさんに手を取られ、武田さんは幸せそうに笑っていた。
その日、想いを通わせた人とエルフの恋人が一組、新しくここに誕生した。