世界を超えた出会い
春村会長と商談を交わした翌日、ぼくらはもう一人の客の下へ営業に来ていた。
ぼくらの住んでいる市の市庁舎、その応接室だ。
五年前に立て替えたばかりの市庁舎は大型化し、瀟洒になっていた。商店街の衰退などの問題はあるが、大型デパートや各種スーパーの誘致によるマンションや住民の世帯数増加、それに伴う税収の向上など、この市の経営はかなり順調だ。
それというのも、市に勤める一人の人物の手腕によるものだ。
「お待たせしたわね、角田さん、繋句くん」
ソファで待たされていたぼくらは、入室してきた女性に向けて立ち上がり、一礼する。
「本日はお時間をいただいて、ありがとうございます、武田副市長」
「お久しぶりです、武田さん」
「久しぶりね、角田社長に――繋句くん! 会いたかったわぁ!」
そう言って武田夢子副市長はしなを作って、ぼくの手を握る。
武田副市長は代々、この土地の有権者の票を取りまとめる市長の家系の一人娘だ。老齢の先代に代わって若干二十代でその地盤を受け継ぎ、その手腕もあって三十代を迎えた今では県議会も掌握するほどの、この市の実質的な支配者と言っていい。
次々と選挙で代わる市長の選定は、この人が行っているともっぱらの噂だ。
人脈作りのために地元の高校大学に通っていたため、学生時代からの定食屋たかまちの常連だ。ぼくが小学生に上がる頃には、夢子ねーたんねーたんと呼んで甘えていた過去がある。
「ご無沙汰しちゃってすみません、武田さん。でも、その代わりに面白い話を持ってきましたから」
「あら、何かしら? 楽しみね。聞かせてちょうだい」
「でも、お仕事の方は良いんですか、武田さん? まだ就業時間中ですけど……」
そんな実力者が、なぜ自分で市長を勤めず副市長に甘んじているのか。それは市長選挙が面倒だからという理由ではない。本人にとっては、切実な理由があった。
「いいのよ。――私の顔を見れば表情をしかめてくるような連中と一緒に仕事するより、繋句くんの話を聞いていた方が楽しいわ。まったく、どいつもこいつも、女を顔でしか見ないんだから! 好きで不細工に生まれてるんじゃないってのよ!」
武田さんは、見た目があまり良くないのだ。
目が離れている、輪郭が骨ばっている上に、体質的に太っている。そして、先天的に肌が弱くアレルギー性の慢性的な肌荒れをわずらい、おかげで化粧品も身に付けられない。
正義感と使命感がある真面目な性格で、女性らしい繊細さも持つ優しい人なのに。
見栄えが悪いから、という理由で人前に立つ市長職は諦め、実務監督役である副市長を勤めている。
昔から知っていて姉のように甘えていたぼくとしては、いつか女性としての望む幸せをつかんで欲しい人だ。
「繋句くんは、私を見てもいつも笑顔でいてくれるから、嬉しいわ」
「ぼく、武田さん好きですよ。見かけなんて気にならないです」
「本当に。歳が離れてなければ、ぜひともお婿に来て欲しいってお願いするんだけどねぇ。なんで繋句くんが十年早く生まれてきてくれなかったのか、本当に残念だわ……」
名残惜しそうに頬を手で押さえる武田さん。
料理も上手いって話だし、お嫁さんとしても良い人なんだけど。
「あはは。じゃあ、お仕事の邪魔をしても良くないので手短に話しますね」
「本当に気にしなくても良いのよ、後の仕事はあのお飾りの市長でも決済できるものばかりだし。何なら半休取ればいいだけだから」
「じゃあ、ゆっくり。武田さん、こちらのカトラリーセット、いかがです?」
ぼくは持参したトランク大の装飾箱を机の上に差し出した。
見本として受け取ったのは二セット。片方は春村会長に譲り、これは残ったもう片方だ。
綺麗な美術品、特に実用品が好きな武田さんは、目を輝かせて中身を覗き込んだ。
「あら、素敵な食器セット。これは、角田社長が仕入れてきたの?」
「……とも言えますし、繋句が手に入れたものとも言えますね」
社長のはぐらかすような説明に、武田さんは首をかしげた。
社長はすかさず、春村会長と同じように武田さんを口説きにかかる。
「武田副市長は確か、ファンタジーもお好きですよね?」
「ええ、そうね。私は見た目がこんなだから、昔からファンタジーの綺麗な世界に憧れちゃってね。学生の頃は、エルフの出てくる少女漫画を読みふけっていたわねぇ……」
「実はそのファンタジーな世界が、実在しまして。この銀食器は地球上のものではなく、外側の装飾箱は副市長のお好きな、異世界の『エルフ』たちが作ったものなんです」
「あはは、面白い冗談ね、夢があっていいわ! それは是非とも買わないとね!」
武田さんは社長の作った夢物語だと捉え、愉快そうに笑った。
けれども、ぼくらは無言のままだ。
場の空気を感じ、武田さんは戸惑ったようにぼくらを交互に見る。
社長に視線で促され、ぼくは無言でうなずいた。
「……ちょっと、二人とも。何を言ってるのよ?」
「武田さん。――実はぼく、魔法使いになっちゃったんです」
ぼくの作った門をくぐり、エルフの村の入り口に立った武田さんは、唖然と口を開いていた。
「ゆ、夢……? いつの間に……?」
戸惑う武田さんの手を引き、もう一度門をくぐって応接室に戻る。
これが夢ではないということを実感してもらって、改めてぼくらはエルフの里の入り口に移動した。
狐につままれたような顔をしていたけど、今度こそ武田さんも信じてくれたようだ。
ちなみに、春村会長と同じくこの時点で言語と健康の恩恵はこっそり渡している。門の発動と同時だったので、半信半疑の状態で流してもらえた。
お世話になってる二人だったし、健康の恩恵は渡しておきたかったからね。
「じゃ、じゃあ、繋句くん……? こ、ここが、本当に『エルフ』の村なの?」
「はい。ぼくと社長は一週間前からここでお世話になっていて、継続的な取引を結んでるんです」
「じゃ、じゃあ、私もエルフに会えるってこと!?」
「ええと。実は、会うだけでなく、企画の相談に乗って欲しいんですよ。だから、武田さんにまとまったお時間を作っていただけると嬉しいんですけど」
「そ、そうなの。……なるほど、じゃあ、詳しい話をしないといけないわね」
武田さんは突然の非日常に、どぎまぎと落ち着かない様子だ。
気持ちはわかる。物語でしか有り得ない魔法をいざ実際に目の前にしたら、きっと誰でもこんな感じになると思う。
昨日同じようにここに連れてきた春村会長からは、あまり老人を驚かすな、と怒られた。笑顔だったけど。ごめんなさい。
「武田さん、エルフの人たちに会って行かれますか? 紹介しますよ?」
「ううん、とても心惹かれるけど、今度にしましょう。前向きな話を持っていった方が仲良くなりやすいと思うし。それも二人の企画次第だけどね?」
「副市長。我々の企画、と言うよりは春村物産の企画なんですよ。春村会長からはもう快い返事をいただいていて、明日にでもエルフの皆さんにご紹介するため、ここに訪れることになっています」
「……角田社長の言うとおりなら、私の仕事はあまり無さそうね。広報か協賛か、会場の紹介くらいかしら?」
「そうなります。本心を言うと、我々がこれから行うことの実情を、地方自治体の内部の信頼できる人にも知っていてもらおうということになりまして。主に繋句のこの力を悪用されないために、内密ながら公権力に相談させていただきたいということですね」
社長の真意に、武田さんは深くうなずいた。
ぼくの魔法は人知を超えた力だが、副市長である武田さんに対して開示することで悪用する意思が無いことを示し、と同時に公共の福祉のために便宜を図って欲しいという意図がある。
社長がぼくに言った、外部に信頼できる仲間を作れ、というのはこういうことだ。
「なるほど。よくわかったわ、私に打ち明けてくれたのは正解ね。となれば、私も繋句くんのために一肌脱がなくちゃならないわね」
「ありがとうございます。お願いします、武田さん」
「いいのよ。こんな素敵なことに、私も巻き込んでくれて嬉しいわ。公権力は私の全力でどうにでもしてあげるわ、安心なさい。――とりあえずは、私も明日の同席のために準備したほうが良いかしらね」
「じゃあ、一度戻りましょうか。応接室を長く留守にして、他の人にバレても困りますし」
「そうね。明日が楽しみだわ!」
意気揚々と門をくぐる武田さんの表情は、活き活きとしていた。
その顔は大きな秘密と出会って夢に思いを馳せる、子どものようにも輝いていた。
*******
「おお、これがエルフの村の営みか!」
「中世的でのどかな村ね。魔法がある世界にしては、奇抜さも無くて馴染みやすいわ」
翌日、ぼくらは準備を整えて万端の備えで村を訪れた。
村の入り口ではなく広場に降り立った二人は、ファンタジーな異世界の清純な空気を肺いっぱいに吸い込み、感嘆の吐息を漏らした。
広場の周囲にはいつものことながら、村のエルフたちが遠巻きに集まっている。その顔ぶれを見て、綺麗なものが好きな武田さんはうっとりと表情をほころばせていた。
「さすがはエルフね。耳は思ったほど長くないけど、整った顔ばかりだわぁ。羨ましいを通り越して、ここまでくると物語の中の世界ね」
「はは、武田くんは相変わらずだな。美男美女なだけでなく、人柄も素朴で付き合いやすいらしいぞ。そら、手を振ると、みんな笑顔で返してくれる」
二人は遠巻きに見守るギャラリーに手を振る。
村人たちも笑顔で答え、最初のコミュニケーションが成立していた。エルフたちが近寄ってこないのは、避けているのではなく、単に村長が出迎える前に自分たちが挨拶しては悪いと遠慮しているのだろう。
角田社長が近くのエルフに声をかけると、村長はもう向かっていると教えてくれた。
やや置いて、村人の先導に従って村長さんがやってくる。
「これは皆様方、遠い異世界からのお越し、村を挙げて歓迎させていただきます!」
「エッケルトさん、お世話になります。春村会長、武田副市長。こちらがこの村の村長の、エッケルト・サルン氏です」
社長の紹介に、村長さんが頭を下げる。
「ご紹介に預かりました、この村の村長を務めますエッケルト・サルンです。どうか、エッケルトとお呼びください」
「聞き及んでいたとおり、日本語が通じるのですな。春村物産会長、春村俊彦です。丁寧な歓待、ありがとうございます」
「子どもの頃に夢見た世界に来れるなんて、感激ですわ。藤巻市副市長、武田夢子です。エルフの皆様の歓迎、心よりお礼申し上げます」
村長さんと春村会長、武田さんが順に握手をする。
ふと、その場にロアルドさんの姿が無いことに気づいた。
「村長さん。ロアルドさんは今日は一緒じゃないんですか?」
「長男は、先に遺跡の倉庫に行って銀器の在庫の磨き具合を確認しております。お二方が視察にいらっしゃると言うことで、村の者たちも張り切っておりましたので。その最終確認をしております」
「あの美術品は素晴らしかったですな、エッケルトさん。特に、あの外側の箱の装飾は見目麗しい。幻想文学のエルフ族が作ったものとなると、感慨もひとしおです」
「お褒めいただき、ありがとうございます、ハルムラ様。外の方々と交流を持つための商品と言うことで、村の職人が精魂こめて仕上げさせていただきました」
「私も購入させていただきましたわ。眺めるだけで時間が経つのを忘れるほどの逸品です。使わせていただくのが楽しみですわ」
「お喜びいただけたなら幸いです、タケダ様。お聞き及びかもしれませんが、将来的には、この村で各種の銀細工を製作して販売したいと思っておりますのでご期待ください」
お互いに紹介を終えたところで、遺跡の倉庫に行こうということになった。
遺跡の存在は銀器の出自と言うことで二人にはあらかじめ説明してある。この世界に来たときと同じ、ぼくの魔法で移動できることを伝えたが、注意点として森の魔物が入り込んでいるかもしれないので、決して不用意に倉庫の外に出ないよう念を押した。
危険はないのかと尋ねられたので、エルフの護衛が先に倉庫に入っていること、そしてこの世界ではぼくが魔術を使えるということを簡単な魔術を実践して説明した。
ぼくが魔術を見せると、二人には驚かれ、武田さんには感激のあまり抱きつかれた。
昔から知っている、孫のような弟のようなぼくが、ファンタジーな魔法使いになったのだ。危険を感じるより、創作物の感動と出会った気分だったそうな。
村長さんの先導に従い、倉庫のそばにある遺跡行きの門に赴く。
先に村長さんがくぐって危険が無いことを確かめると、ぼくらも後に続く。
くぐった先は、天井から魔術の淡い光に照らされ、まばゆく銀器がきらめく、輝きに満ちた部屋だった。
「ほぉ……これは……!」
「わぁ……綺麗ね……!」
その幻想的な光景に、春村会長も武田さんも思わず、息を呑む。
周囲一面を囲む輝きに見とれ、立ち尽くす二人に、歓待の声がかかった。
「遺跡の倉庫にようこそ、異世界のお客人方よ!」
先に遺跡に入っていた、ロアルドさんだった。
一緒に銀器を磨いていたらしき、他のエルフたちも笑顔で後ろに並んでいる。
ロアルドさんは折り目も正しく、深々と頭を下げた。
「お二方。長男のロアルドにございます」
「エッケルト・サルンが長子、ロアルド・サルンと申します。村では父の補佐を行っております。お二方にはお目にかかれて光栄に存じます。銀器の用意は万端ですので、どうぞごゆっくりご覧ください!」
「これはこれは。春村物産会長、春村俊彦と申します。本日はお世話になります」
「藤巻市副市長、武田夢子と申します。よろしくお願いいたします」
お互いに頭を下げあい、挨拶を交わして顔を上げる。
その瞬間、ロアルドさんの表情が驚愕に見開かれた。時間が止まったように固まり、呆然と武田さんの顔を見つめている。
どうしたんだろう? と戸惑ったのはぼくだけではないようだ。その場の全員が、熱に浮かされたような顔のロアルドさんを見つめている。
やがて、ロアルドさんは武田さんに歩み寄り、ゆっくりとその手を取った。
「……タケダ様、と仰りましたか」
「は、はい。それが何か?」
「非礼を承知で申し上げます。――貴方のような美しい女性と出会ったのは、初めてです。あなたもツナグ殿と同じようにこの身を厭わないのでしたら、どうか! どうか、この私めから愛を捧げさせていただきたい!」
ロアルドさんはその場に片ひざをつき、唖然とする武田さんの手に口付けして――
告白した。
「一目惚れなのです、タケダ様。どうか、私とお付き合い願えませんでしょうか?」