閑話 コンビニに行こう
「あ、コーヒーがない」
気づいたのは、マンションに帰る途中だ。
朝食後に飲むインスタントコーヒーを切らしていたのだ。一昨日、ロアルドさんとミスティが来たときに使い切ってしまった。
スーパーに行ってもいいが、コンビニの方が近い。コンビニのは量が少なくて割高だけど、明日の分だけでいいからこの際、いいか。
「二人とも、ちょっとコンビニ寄って行っていい?」
「こんびに? 何それ」
「何かの呪文かい?」
「夜中も開いてる、食糧とか日用品を売ってる店。お菓子も置いてるよ」
「お菓子! チョコも!?」
「ちょこ? 何だいそりゃあ、魔物っぽい名前だねぇ」
首をかしげるシャクナさんに、ミスティが緊迫した面持ちで言う。
「シャクナ姉さん……チョコって言うのはね、夜中に食べると太れるしニキビもできるっていう、まさに私たちエルフのために、神が遣わしたもうた食べ物なのよ……っ!」
「何だって!? 馬鹿にするんじゃないよ、ミスティ。いくら違う世界だからって、食べるだけで綺麗になれるような、そんな都合のいいものがあるわけが……」
「あ、本当ですよ。だから、二人とも、あまり食べない方が……」
その肯定が、火に油を注ぐ行為だったと気づいたのは、口にしてからだ。
二人の目の色は完全に覚悟完了していた。
二人の決意は揺らぐ素振りを見せず、神の食べ物『ちょこれーと』をその手にせんと、煌々と燃え滾っていた。半ば本能と化した美への執念は、抑圧されてきたエルフたちにとって至上命題と言うべきものなのだろう。ぼくが止めても聞いてくれなかった。
ぼくは二人の勢いに押され、コンビニに案内することにした。
こうしてぼくは、現代社会の光と闇の象徴、日常での一番身近な魔境とも言える施設、コンビニエンスストアを異世界のエルフたちに紹介することになったのだった。
「いらっしゃいませ!」
やってきたのはマンションの近くのフリータイムス。元々は海外資本のチェーンだったが、日本法人の業績が伸びた結果、親会社を逆に買収するほどに成長したという国内最大チェーンのコンビニだ。
「ツナグの実家でも思ったけど、夜なのにまるで昼のように明るいねぇ。道を照らしてたのもそうだし、これが魔法じゃなくてデンキって奴の力なのかい?」
「そうです。朝も軽く説明しましたけど、電気・ガス・ガソリン、日本のエネルギーはそれらで動いてます。後はガソリンの代わりに水道を加えたものが基本的なインフラですね」
「あの森を燃やす大きな雷が、こんなに便利になるのね」
「原理は同じだけど、規模はまるで違うからね。日本の電気は一般家庭で使いやすいように調整されているよ。これを普及させるのは、魔術でも難しいかな」
カゴを手に取り、目的のものを探す。
二人も見よう見真似でカゴを手に取り、その柔らかさに首をかしげていた。
「あ、すごい。本がたくさんある!」
ミスティが、窓際に陳列されているファッション誌に目を留めた。
「シャシンのものもあるし、絵もあるね。でも、文字が読めないなぁ……」
「こっちに来る機会が増えたなら、勉強するのもいいかもしれないね。ぼくも、向こうの文字を覚える必要があるだろうし」
「ツナグ。こっちの棚の、開かない本は何だい? 魔道書かい?」
真面目に尋ねられて、噴き出しそうになった。
シャクナさんが指し示したのは、女性の半裸写真が表紙に載ったアダルト向けの風俗誌である。
「それは主に成人男性が性関係の情報を得るための、性的な本です……」
「へぇ。それにしちゃ、あたしみたいな体つきの女の絵が描かれてるけど……あ、そうか。こっちじゃ、こういうのが良いんだっけ」
シャクナさんは風俗誌を棚に戻し、にんまりと笑みを浮かべてこっちの顔を覗き込んでくる。胸の谷間をちらりと指で広げて見せながら、
「どう、興奮するかい? 何なら、あの絵のような身体の出る格好をしてもいいんだよ?」
「しゃ、シャクナさん、人目がありますから。街中ではやめてください」
「あはは。わかったよ」
まったく、もう。
その後、羊皮紙がどうのと話す二人に、紙の原料がパルプ――木を細かく砕いた繊維質だと説明すると、樹木から本ができるのかと二人とも驚いていた。
現代日本人からすると、魔物の皮から紙を作る方が驚きなんだけど。
目当てのインスタントコーヒーをカゴに放り込み、日用品を見て回る。
うん、スーパーで買った方が安いな。来るたびに思うけど。
「ツナグ、この壁の中の筒は何だい? これも商品かい?」
「これは全部飲み物ですよ。ここから半分が普通の飲み物。向こうはお酒」
「へぇ、酒がこんな風に詰められて売ってるのかい。あたしも買ってみようかね。よく飲まれてるのはどれだい?」
さすが大人。ぼくは飲酒経験がないので、憶測で勧めるしかない。里の宴でも、お酒は断ってたしなぁ。
「ビールがよく飲まれてるんじゃないですかね? 麦から作られたお酒です。炭酸と言って、泡が出る中身を閉じ込めてあるので、持ち歩くときに振っちゃダメですよ」
「わ、私も飲めるかな?」
「飲酒は二十歳からだね。ミスティはこっちの甘いものにしたら? 炭酸もあるよ」
「うーん。泡が出るってよくわからないから……この間食べた、ミカンの絵が描かれてる奴にするね」
ミスティはペットボトルのオレンジジュースを手に取り、シャクナさんは金色に輝くビール缶を二本、カゴに入れた。
「ツナグ、ツナグ。この箱はなぁに? すごく軽いけど」
「カップラーメン。中に乾燥した麺と調味料が入ってて、お湯を注ぐだけで食べられる」
「ツナグ、この金属の丸いのは? 置物にしちゃ、美味そうな絵が描かれてるけど」
「缶詰ですね。料理を缶に詰めて、中の空気を抜いて日持ちするようにした奴です」
適当な奴を見繕って、カゴに入れていく。
明日の朝食はカップラーメンと缶詰かな。たまにはいいか。
「ここに並んでるのは、料理? ここ、食堂なの?」
「違うよ。弁当って言って、家に持ち帰って食べるんだ。ここじゃない場所で作って、運んできて並べてるんだよ」
「こんなにあると、売れ残ったら食べきれないんじゃない?」
「なるべく売れ残らないように並べてあるんだけどね。売れ残ったら、食べずに捨てちゃうんだ……」
「もったいないねぇ。食べられるものを捨てるなんて」
ミスティとシャクナさんの表情がかげる。
それまでたくさんの商品の珍しさと利便性にはしゃいでいた二人も、さすがにその行為には閉口したようだ。仕方ない。大量消費の陰にある食品の大量生産と大量破棄は、消費社会の闇の一つだ。
里の食生活も、餓えないだけで決して豊かというわけではない。なかなか受け入れられないものがあるだろう。
「うーん。里にもらって行けたりしないかな?」
と思ったら、単にもったいない精神の表れだったようだ。
「み、ミスティ。食べ物には賞味期限ってものがあってね。期限を過ぎた食べ物は、安全を考えて捨てるようになってるんだ。もったいないけど、関係者ももらえないんだよ」
バイトの賄い食は期限内のコンビニ弁当だって聞いたから、正規品はスタッフも口にはしているんだろうけど。
「ミスティ。あたしたちも狩りの獲物で、潰れて食べられなくなった部分や、内臓や頭なんかは森に埋めてるだろ? それと似たようなもんじゃないかい?」
森の狩人からのロハスな意見も飛び出してきた。
考えてみれば、無駄にせず食べられる獲物は豚なんかの一部の動物だけで、鹿なんかも寄生虫の関係で山に捨てる部分があるもんな。さすがです。
まして、食材の腐りやすい異世界の住人である。食べられないもの、とカテゴリ分けされた食べ物への感情はシビアなようだった。
若干、勘違いされてる気もしないでもないけど、まぁ、これはこれでいいか。
そして、いよいよ待望のお菓子コーナーにやってきた。
「これが、ちょこれーと……どれを食べればいいんだい?」
「色々種類があるのね? ツナグ、どういう違いがあるの?」
「味が違ったりするよ。こっちはホワイトチョコ。こっちは穀物のパフが入ってサクサクした奴。こっちは……」
「どうしようー、目移りしちゃう!」
ミスティは嬉しい悲鳴を上げていた。
シャクナさんは数多ある商品の種類に、困ったようにパッケージを見比べている。
ぼくは、ため息を吐きながら言った。
「カロリー高いものならどれでも太りやすいから、好きなものを選べばいいんじゃないかな。向こうに別のスイーツもあるし」
「ツナグ、選んで!」
「そうだね。任せたよ、ツナグ」
何でぼくが二人の容姿を損なう手伝いをしなくちゃいけないんだろう。
悲しい気持ちになったが、これも二人の乙女心のためだ。評判のいいメーカーのものを選んで、カゴに入れた。
ここは割り切って、日本のコンビニスイーツを色々味わってもらうとしますか。
「――このプリンって美味しい! 卵の味が、舌の上でとろけるみたいぃ……」
「この、けーきって奴も美味しいねぇ。乳の豊かな味が口の中に満たされてくよ。小麦の土台もふわふわとして良い食感だし、これは贅沢な味だねぇ……」
部屋に帰り、深夜のスイーツパーティが開かれた。
コタツの上はコンビニの品でいっぱいだ。
なお、会計はぼくじゃなく二人が払った。食堂の給仕で手に入れた日当を使って、自分たちで買い物がしてみたかったんだそうだ。一万円札から払ったので、受け渡されたお釣りの紙幣と硬貨を指してそれぞれ価値を教えた。
レシートと照らし合わせてそれぞれの物価を教えると、単品の値段がそれほどでもないことに驚いていた。
昼夜を問わず、料理の手間も要らず、気軽に安値で食料品が買えるなんて、現代社会ならではの便利さということだろう。商品の枯渇もほとんど無い。
よく考えてみればコンビニは、流通の発達の恩恵を象徴した歴史的にも異様な施設だ。もし異世界にコンビニ一つの機能を丸ごと再現すれば、食糧事情を始め様々な技術革命が起こるだろう。
二人は初めての甘味にうっとりと表情を蕩けさせ、夢中でスイーツを食べていた。
「こんなに甘くて素敵なものが、二人で一日働いただけのお金でこんなにたくさん買えて、お釣りまで来るなんて! うぅ、あそこに並んでたもの、全部食べたいよぉ……」
「酒も美味いねぇ。一口目はびっくりしたけど、この苦味が甘いものを食べた口にはちょうどいいよ。のど越しも心地良いし、こんなものがいつでも手に入るんじゃ、飲んだくれちゃいそうだね。酒を飲む女は嫌いかい、ツナグ……?」
「まぁ、気に入ってくれたなら良かったよ。歯磨きはちゃんとしましょうね?」
ぼくは、二人にご馳走になったインスタントコーヒーをすすりながら、苦笑する。
ちょこー、ぷりんー、けーきー、と鳴き声みたいに連呼する可愛い生き物と化した二人は、もうそっとしておくしかなさそうだ。
女の子は甘いものが好きだって言うけど、エルフも甘党なのかもね。
綺麗なものには、可愛いものも似合ってるからいいか。
幸せそうだし。
「さて、ぼくはお風呂を沸かしてきますね。二人とも、ほどほどにしときなよ?」
「これだけ食べたら、明日は太ってるかな!?」
「楽しみだねぇ、あたしの身体も少しは人並みになるかもね」
それぞれ願望を口にする二人。結果はなんとなく予想できるけど。
その後、一悶着あって眠れない夜を過ごしたのは、また、別の話。
そして、結果はと言うと。
翌朝、体型を官能的な部分だけ育たせて見事なプロポーションにさらに磨きをかけた、哀しみに沈む食いしん坊エルフが二人いたことを記しておく。
「――エルフだって、太りたいっ!」