ウェイトレスはエルフさん
ランチタイムの手伝いに来たぼくだけど、給仕の出番はなかった。
妹の夏久が春休みに入って手伝いに名乗り出たことに加え、ミスティとシャクナさんの二人が手伝いを申し出たからだ。
とは言っても、二人とも文字が読めない。注文伝票が書けないという問題があったので、ぼくが厨房と食堂の間で注文を聞いて橋渡しをし、合間に盛り付けなどの調理外作業を手伝うことになった。
「これ、四番テーブル。奥の壁側のテーブルね!」
「わかったわ、ツナグ。――お待たせしました、日替わり定食のお客様ー」
三人もホールスタッフがいるので、客回しには余裕がある。
もしお客さんに呼ばれても、二人ともエルフの文字は書けるので、メモに取ることは可能だ。後は、ぼくが聞き違えないようにして受け渡しをするだけだ。
「あいよ、ろーすかつ定食のお客様?」
「お待たせしました、えーと、えびふらい定食のお客様」
頭の回転が速いのか、慣れない仕事にも関わらず短い研修だけで、二人はそつなく給仕をこなしていた。着用した予備のエプロンも似合っている。
ミスティはその可憐さに、シャクナさんはその色気に、それぞれ客の目を引いていた。目を見張る美女が二人、流暢な日本語でウェイトレスをしているのだ。気のせいか、客足も多く、普段は見ない新規のお客様の姿もある。
妹は……残念ながら、空気だった。よく働くけど。
「兄ちゃん、ひどい!」
「何も言ってないよ?」
とは言え、二人には及ばないものの可愛い妹である。
ぼくの代わりにこれから三年間、看板娘として働くつもりのようなので、めげずにがんばってほしいところだ。
客の中には、ミスティとシャクナさんに声をかけるお客さんもいた。
「お姉さん、美人だねぇ」
「あら、ありがとう。お客さんも良い男よ? 妹の恋人には負けるけどね?」
「店員さん、女の私から見ても、すごく可愛いですね!」
「ありがとうございます。でも、お客様も素敵ですよ?」
二人とも上手く会話をさばいている。
お世辞というより、二人からすれば本心なんだろうな。おかげで嘘っぽさや嫌味がなく、自然な笑顔なので、魅了されている人が多いみたいだ。
特に商工会の、常連のおじさんたちはもうデレデレである。
「いやぁ、繋句ちゃん。良い子連れてきたねぇ! どこの子?」
「妹さんは留学生で、お姉さんはぼくの仕事の取引先の人です。中原さんたち、手を出しちゃダメですよ?」
「わかってるよ、そんなことしたら、相手にされない夏久ちゃんが可愛そうだ」
冗談めかして笑う常連さんに、仕方ないなぁと苦笑する。
その日は、ランチタイムの終わる時間まで客足が途絶えることはなかった。
夜に聞いた話によると、開店直後に近所中で外国人美女姉妹のウェイトレスが噂になり、近くの住人や会社員さんたちが押し寄せてきたとか。
そのことを聞いて、ミスティとシャクナさんは、何とも言えないほど嬉しそうな顔をしていた。
向こうの世界のエルフの扱いからすれば、考えられない評判なんだろうね。
*******
「美味しい!? これが海の魚かい!」
「ピンクの魚なんているのね。この中身も、ミルクの味がして舌の上を滑るみたい!」
ランチタイムを終え、ぼくらは賄いの昼食を食べていた。
今日の日替わりのメインは、サーモンのグラタンコロッケ。グリルした一口大のサーモンの塊をクリームコロッケのタネで包み、衣を着けて揚げた力作だ。
濃厚で食べ応えがあるけど、レモンをかけると酸味が油を和らげてさっぱり美味しい。
本当はサーモンのグリルの予定だったらしいけど、両親がぼくのささやかなお祝いも兼ねて、常設メニューのクリームコロッケと組み合わせた豪華なものにしてくれたとか。
二人が美味しそうに賄いを食べる姿を見て、作った父も満足そうにうなずいていた。
「二人とも、まだお代わりありますよ!」
夏久がコロッケをほおばりながら、自慢げに勧める。初めての味に感動する二人の美味しそうな姿を見て、我が家が誇らしくなったんだろう。
「いやぁ、料理を運んでるとき、どの皿も本当に美味しそうに見えててねぇ! やっと食べられたと思ったら、こんなご馳走だったなんて! 感動しちゃうよ!」
「そう言ってくれると嬉しいな。どんどん食べてくれ。あんたらのために作ったようなもんだから」
シャクナさんの嬉しそうな声に、父も機嫌よく答える。
普段から麦粥を食べているせいか、二人は米に対する抵抗もなく、どんどん賄いを食べ進めていく。海外の人は炊き立ての米の匂いが苦手だって言う人もいるらしいけど、エルフには当てはまらないみたいだ。
これだけ気持ちよく食べてくれれば、作った方も甲斐があるというものだろう。
「そうだ。父さん、猟友会の浦上さんに連絡取れるかな」
「猟友会? 取れるが何の用だ?」
「うん。二人の故郷は山の中の小さな村なんだけど、そこで使うための日本の鉄器具を見てみたいらしいんだ。農具はホームセンターにあるけど、鉈とか手斧とか、山の中で使う丈夫な道具が欲しいらしくて」
「燃料はいるけど、チェーンソーじゃダメなのかよ。――それなら、俺が包丁を買った刃物店に連れてってやらぁ。あそこは確か、鉈も鍛造品を扱ってたはずだ」
「遠い?」
「俺が車を出してやるから、心配すんな」
「ありがとう」
父の好意をありがたく受け、午後はミスティたちの用事を済ませることにした。
父の車に乗り込み、二人は後部座席でがたがたと震えていた。
「う、馬もなしに走ってるよ……」
「そういうものなんだってば、シャクナ姉さん。気持ちは私も同じだけど」
「おいおい、馬って。二人とも、乗馬の経験か何かあんのかい?」
運転席で父が、不思議そうに二人の会話を聞いていた。
助手席で僕は、何とかボロが出ませんように、と祈るのみだ。
異世界なんて想像の範囲外だろうし、海外のよっぽど田舎から出てきたとでも父が納得してくれることに期待するしかない。
「ねぇ、ミスティ、シャクナさん。慣れないと悪酔いすると思うから、窓を開けようか?」
「うわっ、窓が勝手にっ!?」
「ね、姉さん、落ち着いて。ツナグの家の、えれべーたーみたいなものよ。きっと」
小声で忙しなくささやきあう二人。
マンションのエレベーターに乗ったときに、機械類の概要は説明してあるので、ある程度は受け入れてくれているようだ。魔法のある世界出身だからか、順応性は高そうである。
やがて十分ほどして車に慣れてくると、二人は車内に吹き込む風を浴びながら、流れる景色を楽しんでいた。
身は乗り出さないでね。危ないから。
「ここが刃物店か。大きいね、父さん」
「まぁ、歴史のある鍛冶師とも付き合いのある、有名どころだな。近所の料理人はみんなここで包丁買ってるみたいだぜ。俺もだがな」
車で三十分ほど飛ばしたところで、商業区の大型店舗にたどり着いた。
佐々木刃物店。近代的な店構えの、しっかりした店だ。店内は広く、小規模なホームセンターか、瀟洒なデパートの金物コーナーを広げたような印象を受ける。
「俺は包丁見てるから、適当に探してきな。ここは配達もやってっから」
「ありがとう、父さん」
ミスティたちを連れ、店内を見回ることにする。
「すごい、これ全部鉄器なの?」
「正確には鉄を鍛えた鋼だね。微量の炭素を含めて、硬くしてあるんだ」
「炭素って炭かい? 鉄は、混ぜものをしない方が強くなるって聞いたけどねぇ」
「混ぜ物じゃないんだ。炭の火を使って鍛えると、自然に含まれるんだよ」
鍛造は鉄を折り返して層を作る刀剣の製造過程が有名だけど、その前に金槌で叩いて不純物をたたき出す作業も基本作業として含まれる。よく灼鉄を金槌で叩いて飛び散っている火花は、鉄の中に含まれる不純物なのだそうだ。
目当ての鉈のコーナーを探しあて、現物を眺める。
和包丁と同じ直刃の上質な鉈だった。プレス品の包丁とは、鋼の質がまったく違う。
「綺麗……銀のような滑らかさはないけど、輝きは負けてないわ」
「こりゃあ、使うのが惜しくなるね。美術品みたいだよ。こんなもの、あたしたちの里で使えるのかい?」
値段を見ると、一番長い三十センチのもので一万五千円ほどだった。
村の人口は百人だから、四十から六十世帯分かな。
「村人全員の分を買うのは無理だけど、遺跡に行く男手が装備するにはいいと思うよ。最初は五本か十本くらい買って、使い勝手を見てみるのがいいんじゃないかな」
三十センチ鉈の在庫が五本だったので、全部購入することにする。
店員さんに、山間部の林業関係で使える刃物を聞いてみると、手斧のコーナーに案内されたので、そちらも購入を検討した。
鍛造品じゃなく量産品だったけど、切れ味の鋭さより重さと威力を重視するものなので構わないだろう。値段は鉈より安かったが、こちらも五本だけ購入した。
手入れ用の砥石と油もカゴに入れ、ここでの買い物は終了。
「あとは、ホームセンターで農具を買えばいいね」
「うん、ありがとう。みんな喜ぶわ!」
「ここの鉄器があれば、森の中を歩くときに心強いねぇ」
会計を里のお金から済ませ、領収書をもらって、配達など諸手続きを済ませる。市内なだけあって、明日の午後までに問題なくマンションに配達してもらえることになった。
店内の父と合流すると、父は肉切り用の包丁を前に感嘆のため息を漏らしていた。
料理人だなぁ。
買出しを終えて休憩を挟んだ後、夜の営業が始まる。
夜の営業も昼の評判を聞いたお客さんが詰めかけて来て、大忙しだった。
仕事帰りに綺麗な外人美女たちを一目見ようと、勤め人のお客さんの姿が目立った。まだ早い夕方の時間から席はあらかた埋まり、九時を回るまで客の勢いが衰えず、店の外に客待ちしてもらうことすらあったほどだ。
その日の売り上げは当然ながら過去最高を記録したらしい、父はもとより母も上機嫌だった。ぼくだけでなく二人に金一封として日当を渡し、ミスティとシャクナさんは初めて自分で稼いだ日本のお金に、恐縮しながらも喜びをあらわにしていた。
また、仕事が終わると、学校から帰ってきていた下の妹二人が夕食に押しかけてきたという一幕もあった。
目当てはミスティとシャクナさんだ。
学校から帰ってきてみると、店は満席でにぎわっているわ、見慣れない外人美女は給仕をしているわ、しかも妹の方は兄の恋人だわで、興味が限界値を振り切っていたらしい。
質問をたたみかける妹たちを、二人の親友ぶった夏久が姉の威厳で押しとどめて事なきを得た。
夏久はミスティは元より、大人の色気たっぷりのシャクナさんにも懐いたらしく、仕事を終えてマンションに帰る、別れのときにも親しげに笑顔を向けていた。
「ぜったいまた来てくださいね、シャクナさん、ミスティさんっ!」
*******
「可愛かったねぇ、夏久ちゃん。子どもの頃のミスティを思い出すよ」
「え、私あんなかんじだったっけ?」
「姉さん、姉さんって懐いてくれてたっけねぇ」
ぼくの部屋で、思い出話に花を咲かせるシャクナさんとミスティ。
シャクナさんの手には、日当で買った缶ビールが握られている。炭酸が強くてびっくりしていたけど、のど越しが良くて切れも良いので気に入っているみたいだ。
「二人とも、お風呂沸いたよ」
「ミスティ、先に行きなよ」
うん、とうなずき、寝間着を手にとって浴室に向かうミスティ。もちろん、シャクナさんの寝間着も購入済みだ。
「ツナグ、ありがとうねぇ。春が来るどころか、あたしにとって夢の世界だ。会う人会う人、こんなに優しくしてくれるなんて経験、初めてだよ」
「日本人は親切だと言われてますからね。もちろん、地域によってはそうでもないし、国としての問題もたくさんあるんですけど。この町はいい町だと思います」
そこでふと、ぼくはシャクナさんに気になったことを尋ねてみた。
「シャクナさん。シャクナさんはぼくで良かったんですか? この国にはもっと大人の男性もいますよ。角田兄さんみたいに、エルフに好まれる顔の人もいる」
時間が流れる。
シャクナさんはぐびり、とビールを飲んで、ふっと表情を緩めた。
「そうだね、カドタの旦那は確かに色男だと思ったけどねぇ。でも、心はときめかなかったよ。あんたに先に会ってたからね」
「ぼくに会ってたから、ですか?」
「うん。あんたは、放っておけないほど柔らかいのに、触れればあたしを包み込んでくれる。昨日、あんたの隣で眠ったときは心地よかったよ。この男に柔らかく抱かれたら、きっと身も心も優しく蕩けちゃうんだろうなって、十代の娘みたいにどきどきしたね」
「ぼくはそんなに大した男じゃないですよ」
「そうだね。男としてなら、カドタの旦那の方が匂い立つような男だよ。――でもね、人として、夫として、あんたはとても魅力的なのさ。何もかも捧げて尽くして、この人に百年寄り添い続けたくなるくらいにはね」
シャクナさんは、ずいっとぼくに迫ってきた。
酒に酔った頬と、わずかに微笑む潤んだ目がとても蠱惑的だ。その濡れたように輝く薄紅色の唇に、目を奪われる。
「激しい恋じゃない。穏やかな愛があるんだよ、あんたには。――自信を持ちな、ツナグ。あたしとミスティの、だ・ん・な・さ・ま」
「あー、さっぱりした! あれ、何の話?」
タイミングよく風呂から上がってきたミスティが、首をかしげる。
シャクナさんはそ知らぬ顔でぼくから離れ、けらけらと笑った。
「なんでもないよ。カドタの旦那は男前だねって話をしてたのさ」
「ああ! そうね、昨日の夜はすごかったらしいわよ。うちに来て欲しいって、何人も未婚の女性がお父様に詰めかけてたみたい。母親が熱っぽい目で直訴しに来た家もあったんだって」
「ふふ。カドタの旦那の子なら、きっと可愛い子が生まれるだろうからねぇ」
そう言って、シャクナさんはじっと思わせぶりにぼくに視線を送る。
言外の意味に気づいて、ミスティも顔を茹で上がらせていた。
「だ、ダメですよ! 少なくともぼくは、十八になる来年まで子どもを作るようなことはナシです! この国じゃ本当は結婚もできない年齢なんですから!」
「そりゃ残念だ。さて、あたしも風呂をいただいて来ようかねぇ?」
シャクナさんはからかうような笑みを浮かべ、あっさりと立ち上がった。
でも、たぶん諦めてないだろうな。シャクナさんにはそのうち食べられてしまいそうな気がする。夫婦になるんだから、何も悪いことではないとは言え。
就寝という時間になって、以前のごとくコタツに寝ようとしたぼくを二人が引きとどめた。
「このフトンって、重ねて並べれば三人で寝られるんじゃないかな?」
「子どもは作らないにしても、褥を共にするくらいはいいよねぇ?」
「え、その……」
問答無用で、ぼくは二人の間に引きずりこまれた。
「ま、枕はどうするんです? 二つしかありませんよ」
「それは大丈夫!」
「こうすればいいのさ、旦那様」
ぼくの腕を広げ、二人はぼくの腕枕に頭を預ける。いたずらっぽくはしゃぐ二人に何も言えず、ぼくは磔のような形で二人の間で寝ることになった。
「「おやすみ、ツナグ」」
そう言って二人は電気を消し、目を閉じるが、ぼくはそうもいかない。
湯上りの二人の甘い匂いがぼくの胸元から漂い、身体には寝間着の布越しに二人の感触が伝わってくる。
ぼくはなかなか寝付けないまま、悶々と暗い中で素数を数えていた。
やがて、そうしてどれくらいの時間が経ったのか……
ようやくぼくもウトウトとしかけた頃、腕ではなく胸元に、寝入ったミスティが乗り上げてきた。さらさらとした柔らかい髪が、花のような香りを漂わせてぼくの鼻先をくすぐる。
かと思えば、今度は逆側から、首に腕が回されてきた。シャクナさんだ。
「うぅん……ツナグぅ……やんっ、ぁ……っ」
「はぁ……ん、ぁ……ツナグ……もっとぉ……っ」
眠りの中で、悩ましげな吐息を吐きながら身体を摺り寄せてくる二人。
ど、どんな夢を見てるんだろう?
二人の寝息に挟まれて、ぼくは一人、眠れない夜を過ごすのだった。