右手に桜、左手に薔薇
夜が明けて、ぼくはまどろみの中で目を覚ました。
薄く目を開けるぼくの顔を、二人が幸せそうな笑顔で覗き込んでいた。
「――おはよう、ミスティ。シャクナさん」
「おはよう、ツナグ」
「ふふ。よく眠れたかい?」
ミスティは寝乱れた髪を頬にかからせ、シャクナさんは余裕げにベッドに頬杖をついている。当たり前だけど、毛布からはみ出た二人の身体は裸だった。
「ふ、服を着てください」
「う、うん……でも、ベッドから脱け出るのが何だか惜しくて」
「立派なものを元気いっぱいにしちゃって。あたしたちでそうなってるのかな?」
シャクナさんがにやにやと、毛布をはぐって中を見せる。
薄暗がりの狭い中に、二人のまばゆい裸身と、それに囲まれて、朝の生理現象で元気になったテントが見えた。
「不可抗力です、もう! 目を閉じてますから、二人とも早く服を着てよ!」
二人は渋々と苦笑しながら、ベッドから這い出た。
白く丸いお尻が見えそうになり、あわてて目を閉じる。やや置いて衣擦れの音が聞こえ、着替えを終えた二人が声をかけてきた。
「もういいよ、ツナグ」
「うん。あー、びっくりした……」
二人はいつもどおり、村の衣装を着込んでいた。
ぼくも二人に断り、ベッドから出て着替え始める。
「朝食を作ってると思うから、お父様たちのところに行こう?」
「うん。あ、ちょっと待って。――シャクナさん」
「なんだい?」
振り返るシャクナさんに駆け寄る。
彼女はぼくより少し背が高い。背伸びをするようにして、その唇に軽く口付けた。
「な……っ!」
シャクナさんは目を回し、白く綺麗な頬を赤く染めて、離した口元を押さえる。
「ミスティも望んでるし、責任は取りますから。色々、ゆっくり教えてくださいね、シャクナさん」
「う……うん。ま、まかせなよ……うん。うん」
動揺してそっぽを向くシャクナさん。
男性経験はまだだって言ってたものね。色っぽい仕草や蓮っ葉な言動はポーズで、本当は可愛い人なのかもしれない。ミスティの本当のお姉さんみたいだ。
照れたように先を行くシャクナさんの後ろで、ミスティがぼくを振り返る。
「ありがとうね、ツナグ」
彼女は嬉しそうに笑って、ぼくの口先に軽く触れるようなキスをしてきた。
本当に、シャクナさんのことが好きなんだな。
「おはようございます、ツナグ殿」
居間に行くと、ロアルドさんが先に起きていた。
ミスティの顔をちらりと見て、ミスティが首を振っていたので、たぶん昨夜何があったのかを確認したんだろう。首を振られて少し残念そうな顔をしていたが、ミスティの幸せそうな表情に相好を崩していた。
考えてみたら、この家で最後まで及んでいたらロアルドさんと村長さんに筒抜けだったんじゃないかな。疲れのピークで本当に良かった。
羞恥に口を結びながら無言でテーブルに着席すると、村長さんが鍋を持ってきた。
「おはようございます、ツナグ殿。さぁさ、朝食ができましたぞ。シャクナも一緒に座りなさい」
「あたしもお呼ばれしていいんですか、村長?」
「構わないよ。ミスティと共に、ツナグ殿と一緒になるんだろう? お前には、狭量な夫を紹介して済まなかったと思っているんだ。これからは、家族のようなものだよ」
「村長……」
涙ぐむシャクナさん。その手を、ミスティが取って席に座らせた。
「ツナグ殿からいただいた、ショウユというものを使ってみました。鳥の骨で味を出した麦粥です。代わり映えしないメニューですが、ご賞味ください」
「ご馳走になります。――食事は、村長さんが作ってらっしゃるんですか?」
「連れ合いを亡くしてからというもの、あれの仕事を覚えてみたくなりましてな。手慰みに真似事をやっております」
その微笑には、故人を偲ぶ陰があった。奥さんのことを今でも想ってるというのは、本当のことなんだろう。
「いただきます」
皿に盛られた麦粥を受け取り、手を合わせる。
鳥の骨から出た出汁が醤油の香りで引き立てられて、日本人好みのする味だった。
やがて一同揃っての食事を終え、ミスティとシャクナさんが片づけを始める。
ぼくは席に着いたままの村長さんに向かって居住まいを正し、頭を下げた。
「村長さん。将来的な話なのですが、娘さんをぼくにください」
「はい。かしこまりました」
村長さんもぼくの空気から、承知していたのだろう。
短く一言うなずいて、笑って了承してくれた。
台所でミスティが歓喜に顔を覆い、その頭をシャクナさんが姉らしく抱きしめている。
村長さんとロアルドさんは、満ち足りた笑顔でぼくらを祝福してくれた。
*******
「社長、どこ行ってたんです?」
「皆まで言わせるな。朝食をご馳走になって、顔を合わせるのが遅れたことは謝る」
社長は皆が朝食を済ませた頃になって、ようやく姿を現した。
表情が綻んでいるので、どうやら村の美人と情熱的な夜を過ごしてきたらしい。ふと家の外に目をやると、二十代くらいの純朴そうなエルフの女性が外からお辞儀をしていた。
まぁ、ぼくも人のことは言えないし詳しくは聞くまい。
じぃ、と見やるぼくを無視して、社長は村長さんに向かって無言で一礼していた。一夜を過ごした彼女のことを、くれぐれもよろしく、という暗黙の了解なんだろうな。性格的に、遊んで済ませるようないい加減な人ではないから。
「お前は上手くいったのか、繋句?」
「ええ、今朝、村長さんにご挨拶したところです」
そうか、と角田兄さんは晴れやかに笑った。
「この村は良い村だな、繋句。……村での暮らしを愛してる人たちがいる」
「また、いつでも会いに来れますよ。兄さん」
ぼくが事情を察したことを悟ったのか、兄さんはにやりと、どこか寂しそうに笑って、ぼくの背中を大きく一度、叩いた。
「それでは、我々は社に戻ろうと思います。お世話になりました、エッケルトさん」
「箱の作成は任せておいてください。二日もあれば見本はできると思います。一度意匠が決まれば、その後は三日もあればご注文の数は揃うかと」
「それでは二日後に、確認させていただきに参ります。よろしくな、繋句」
「はい、社長。――あ、そうだ」
ぼくは思い出し、居間にたたずむ三人に目を向ける。
「三人はどうします? 一緒に来ますか?」
「私は無理ですね。父の補佐で、鍛冶職と木工職に注文を出さねばなりませんので。妹とシャクナを連れて行っていただければ嬉しいのですが」
「わかりました。ロアルドさんは無理、と。――どうする、ミスティ、シャクナさん?」
「え? えっと、行きたいけど……ツナグのお仕事の邪魔にならない?」
「――あ、あたしも行っていいのかい?」
ミスティは躊躇うように尋ね、シャクナさんは突然の申し出に戸惑っていた。
二人の背を押すように、ロアルドさんが咳払いする。
「無論、二人には遊びに行ってもらうというわけではない。――父上」
「うむ。二人とも、この金を持って、里の鉄器を向こうで購入してきてくれんかね?」
そう言って村長さんが懐から出した封筒は、昨日社長が前金として渡した三十万円だ。遺跡見学の準備や、農具の補充は必要だと考えたんだろう。村長さんは、その仕事を二人に依頼しようとしていた。
使命として充分な理由が与えられ、ミスティとシャクナさんは表情を引き締めて村長さんからお金を受け取る。
「わかりました。行って来ます」
「向こうに不慣れなあたしが役に立つかはわかんないけどね……ま、がんばってみるよ」
「頼んだぞ。シャクナの畑は、人手をやって世話させておくからの」
その後、ぼくに頭を下げる村長さんにぼくも答礼を返す。
「二人のことは心配しないでください、必要なものはぼくが買い揃えますから」
「……おい、繋句」
と、社長がぼくのわき腹をつついてくる。
何ですか、兄さん。くすぐったいですよ。
「……お前、貯金の方は大丈夫なのか?」
「うーん。……あまり裕福ではないですけど、何とかして見せます。ぼくと一緒になろうっていう二人の、向こうでの出費は、ぼくが出すのが筋じゃないですか」
「お前なぁ……」
社長は呆れたように大きく息を吐き、懐から封筒を取り出した。たぶん、買い付け費用だろう。予期せぬ掘り出し物のために、社長は買い取り用の現金を多めに持ち歩いている。
その中から一万円札を十枚ほど抜き取り、ぼくに手渡してくる。
「勘違いするなよ、臨時賞与の前渡しだ。お前には、この後重要な仕事を任せるからな」
「重要な仕事? ……構いませんけど、何でしょう?」
ぼくの手に札を握らせ、社長はぼくの目を見据えて言った。
「営業だ。――外部の人間を、この異世界に巻き込むぞ」
*******
シャクナさんに必要な恩恵を渡し、門をくぐる。
目を輝かせるシャクナさんをさておいて、社長は早々に自宅へ帰る準備をした。
「繋句。出勤は午後から……と言いたいが、今日は休みだったな」
「そうですね。今日は実家の手伝いをする日ですから」
「週の半分は親っさんとこの食堂手伝ってるんだったな。これからはもう少し、こっちの出勤日数を増やしてもらうかもしれん。頼めるか?」
「実家に相談してみます。もう、一番上の妹の受験が終わってるはずですから」
今のところ週の半分は、人件費の節約のため格安で実家の食堂を手伝っているが、上の妹が手伝えるようになればぼくの出る幕はなくなるかもしれない。
そのときは、学業と会社に専念しようと思っている。
「社長。さっき言ってた営業の話は、打ち合わせなくていいんですか?」
「見本ができてからの方が話を進めやすい。少なくとも三日は準備段階だ。一応、営業の電話をかけて先方の予約だけは取っておいてくれ」
社長が連絡先を耳打ちする。
なるほど、社長の狙いが少しだけ読めてきた。
確かに、それは話を打ち明けて力を借りた方がいい気がする。
「繋句。外部に魔法のことを話すな、とは言ったが、味方は作るべきだ。信頼できる人間には異世界のことを打ち明けて、お前自身を守ってくれる仲間を外にも作ったほうが良い」
「そうですね。なるべく、多くの人にエルフの里と交流を持ってもらいたいです」
「その相手は、お前の知り合いの中から俺が選ぶが、守ってやれるのは日本でだけだ。異世界では別だぞ、もし何か危険や理不尽があれば、躊躇いなく魔法を使う心構えを持っておけ。中世の世界の平民なぞ、実力で権力から身を守るしかないんだからな」
社長の言葉に、ごくりとのどを鳴らす。
異世界でエルフを襲った人族の不条理。それがぼくや、ぼくの連れてくる人たちにも降りかからないとは限らない。
振り払うのは、魔術という実力行使のできるぼくの役目だ。
「はい、わかりました」
その返事を聞くと、社長はにっこりとうなずいて、部屋を後にした。
やがて、社長が出社のために自宅に帰ると、ぼくはシャクナさんを振り返った。
シャクナさんは初めて見る部屋の内外の光景を、すでに経験のあるミスティから教えてもらっていた。
まるで子どものように目を輝かせてガラスにへばりつくシャクナさんの姿に、思わずクスリと微笑みが漏れる。
「シャクナさん。お待たせしました。――まだ、昼にはだいぶ早いので、シャクナさんのこっちでの服を買いに行きましょうか」
おなじみオカムラさんで洋服を購入。
朝からまた美人さんを連れて行ったので目を剥かれたが、ミスティの姉だといって誤魔化しておいた。
何度も向こうの服装を着ていくと怪しまれるかなと思ったけど、アラブ系の留学生などはもっと目立つ服装をして来店することもあるらしいので、気にされなかった。
ターバンしてるインド人とか見かけたことあるもんな。
おばちゃんの勧めで、下着のほかに、タイトジーンズに薄手のシャツ、襟付きのカットソーなどを購入した。足元は低めの赤いヒール。ミスティとは意匠が違って、スタイルを強調した大人の女性といういでたちだ。
「身体の線が出て恥ずかしいねぇ。変じゃないかい、ツナグ?」
「それがいいんですよ、シャクナさん」
最初は身体の線を隠すように両手で押さえていたが、店の前を行く男性が鼻の下を伸ばしていることに気づくと、照れながらも慣れてくれた。
全体的に細いのに、出るところはすごく出てる、海外のスーパーモデルみたいな体型してるもんなぁ。背も高めだし。
「ありがとうね、ツナグ。男に服を買ってもらうだなんて、初めてだよ」
「あっ、シャクナ姉さんずるい!」
シャクナさんがぼくの腕を取り、ぴたりと身を寄せてくる。
対抗するようにミスティが反対の手を取り、ぼくは美女二人に挟まれる形になった。
店のおばちゃんの顔がニヤニヤしている。きっと、美人姉妹二人の間で取り合いになっている男子高校生と、また一つ商店街の噂が新しく増えそうだ。
*******
「問題は、二人のことをなんて紹介するかなんだよなぁ……」
実家の前で、ぼくは頭を悩ませていた。
ランチタイムはまだ始まっておらず、店は開いていない。就業時間中、二人を放っておくわけにもいかず、昼食を取る必要もあるため、ぼくは職場になる実家の『定食屋たかまち』に二人を連れてきたのだ。
「二人とも恋人じゃだめなの?」
「この国は一夫一妻制だって言ってたね、それで複数人と付き合うのは不貞になりそうだ。確かに難しいね」
「そうなんですよね。二人とも、ぼくの大事な人だから紹介したいんですが……」
ぼくが眉間に指を当てて考え込んでいると、不意にシャクナさんが、ふっ、と笑った。
「ミスティを恋人だと紹介しなよ、ツナグ。あたしはその姉でいいさ」
「シャクナ姉さんは、それでいいの?」
「第二夫人で良いって言ったろ。何なら妾でもいいんだ。あたしは、ツナグが向こうの世界であたしを愛してくれるなら、他には何もいらないよ」
気負いなくそう言って、ぎゅっと抱きついてくるシャクナさん。
やっぱり、できた女性だなぁ。背後から抱きついて顔をすり寄せてくるシャクナさんの頬に、軽いキスをする。シャクナさんは嬉しそうに甘い声を出した。
「なら、シャクナさんの言葉に甘えようか」
「う、うん。……ありがとうっ、シャクナ姉さん!」
三人で実家の戸を叩き、準備中の店の食堂に入る。
出迎えたのは、今年高校に上がる長女の夏久だった。
ぼくと、ぼくの両脇にはべる美女に目を留め、すっとんきょうな声を上げる。
「おかえり、兄ちゃん。あれ、ミスティさんと……兄ちゃん、誰、その美人さん!?」
「夏久はこの間ミスティと会ってたっけ、こちらはシャクナさん。ミスティのお姉さんだよ。二人とも、ミスティは知ってると思うけど、こっちは上の妹の夏久」
「シャクナだよ。始めまして、夏久ちゃん。お兄さんとは、お仕事でお世話になってるんだ」
外国美人に朗らかに手を差し出され、どぎまぎと手を差し出す夏久。
はろー、となぜか無用なカタコト英語を喋ろうとしている。
やがて挨拶を済ませると、夏久は店の奥に駆け出していった。
「父ちゃん、母ちゃん、大変だ! 兄ちゃんが二人も外人美女を連れてきた!」
「またか! この間、ご兄妹でいらしたばかりだろう!」
「今度はお姉さんだって! すんごい身体してる、ばいんばいん!」
「何だと!」
そんなやり取りが食堂の方にも漏れ聞こえ、ぼくは頭を抱えた。
「ごめんね、ミスティ、シャクナさん。騒がしい家族で」
「あはは。にぎやかで私は好きよ、ツナグ」
「そうだよ。それに、本当にあたしなんかの身体で騒いでくれるんだねぇ、いい世界だ」
シャクナさんは心なしか、自信をつけた表情で髪をかき上げる。豊かな胸が張られているように見えたのは、気のせいじゃないだろう。
この世界で自信を持ってくれたなら良かった。
両親が出てきたので、改めて二人を紹介する。
シャクナさんのプロポーションに父の鼻の下が伸び、横から無言で母にはたかれるという一幕があったが、おおむね好意的に受け入れられた。
夏久がぽけーっとシャクナさんの肢体に見入っていたのに気づいて、シャクナさんが恥ずかしそうに胸に手をやっていたが、ぼくは一計を案じてシャクナさんに耳打ちした。
「よろしくね、夏久ちゃん?」
目に入るよう間近でその大きな胸を寄せながらかがみ、谷間を強調しながら夏久を覗き込む。シャクナさんの色香にやられた夏久は、妹ながら顔を真っ赤にして必死に頭を縦に振っていた。あの視線は、きっと憧れの視線だ。
ミスティと付き合うことを両親に告げると、家族は驚いていたが、それでもおめでとうと祝福してくれた。
「頼りねぇ息子だが、人の良いのが取り柄だ。よろしくな、ミスティさん」
「いいえ、ツナグは誰よりも頼りになる理想の男性ですよ。こちらこそ、よろしくお願いしますね、お父様、お母様」
この世界でのエルフ一番の美姫に様付けで呼ばれた両親は、有頂天になって舞い上がったとか上がらなかったとか。