宴のとき
ぼくらは村長さんの家に招かれ、銀食器の在庫を見せてもらうことになった。
接待役は村長さんに引き継がれ、ロアルドさんは代理で、物資の分配や宴の準備など、村を取り仕切る仕事の方に回っているらしい。
村長さんと、その補佐としてミスティがぼくらに在庫の説明をしてくれることになった。
「昨日、ツナグ殿に言われてから、村の者と一緒に遺跡から在庫を運び出してきました。当面はこれだけあれば足りるでしょうか?」
村長さんの家の納屋には、布の上に置かれた銀食器が並べられていた。
並べられているだけで百客、箱の中に積まれているものを併せて千客と言ったところか。
並べられた一つ一つを、角田社長は仕入れ人の目で鋭く鑑定していた。
「品質は充分ですね。汚れや傷もほとんど無い。――エッケルトさん。気になったのですが、これらの商品は裸のままで保管されていたのですか?」
「木の箱や鉄の箱に入っていたものもありますが、どちらも長い年月で腐食していました。どうも、倉庫というだけあってセットではなく単品で保管される傾向が強かったらしく、ほとんどのものは裸で積まれておりましたな」
「カトラリーセットとして提示できる装飾の入った箱があれば、また値段は違ったでしょうね。社長」
「そうだな。場合によっては、種類を揃えてセット販売できるよう、ガワだけでも注文した方がいいかもしれないな。日本で注文すると、コストの問題があるが……」
「よろしければ、我が村で作ってみましょうか?」
村長さんの提示に、社長とぼくは顔を上げた。
「できるんですか?」
「それぞれ、鍛冶と木工を営んでいるものが村におります。ただ、金属は銀や銅しか扱ったことがないので、木材の箱を銀で装飾する形になりますが……」
「充分です。見本として二セット、商品としては合計で十セットほどお願いできますか」
社長の提案に、村長さんは、わかりました、とうなずいた。
「支払いですが、日本円ということでよろしいでしょうか? 鉄をこちらの貨幣の形に鋳造することも考えたんですが、貨幣の密造は危険が大きい。日本円でなら、繋句を介して日本の物資を買うこともできます」
「買い物は任せてください、村長さん。必要なときに必要な方を日本へご案内しますよ」
「ありがたい。よろしくお願いいたします」
とんとん拍子にまとまった。
元々、商品の質は高いし、社長も商談に乗り気でこちらに来ている。
エルフ側に否やはないし、元から成立する商談だ。
「販売価格は箱の出来にもよるが、一セット十五万から二十万ってとこか。十セットで百五十万として、買取は八十万ってとこか?」
「少なくないですか、社長?」
「売主の身元証明はともかく、税金の分があるからな。会社の売り上げじゃなく、売主の所得税だよ。うちで処理しなきゃならんだろ」
「あー……確かに、完全に無視するのはまずいですね。役所関係のお得意様もいますし」
「まぁ、その点はどうにかするんだが。場合によっては、売主の名義を繋句にした方がいいかもしれん。新しくエルフの村用の口座を繋句に作ってもらって、その中から税金を払うことになるかもな」
「なるほど。――村長さんとしては、それでもいいですか?」
「そちらの国の制度はわかりませんので、よしなにお願いできればと思っております」
ふむ。面倒な手続きはこちらで処理するとして。
会社としても余分な取り分を搾取するわけでなし、角田社長の性格なら、予想以上の値段で売れた場合は後日、別の名目で里に利益を還元してくれるだろう。
里にとって悪いことにはならなそうだ。
「現物があるので、前金として三十万をお支払いしようと思います。残りの後金としては商品との引き換えでよろしいでしょうか?」
目を瞬かせる村長さんに、三十万円という金額で日本で何が買えるのかを説明する。
塩を買える量だけだとインパクトがありすぎるので、鉄器の農具や衣類、食料品などの値段も簡単に伝えると、村長さんの顔色が明るく弾んだ。
「願っても無い話です! ぜひ、お願いしたい!」
大雑把ながら、商談はうまくまとまった。
後は、実際に商品を手にして、売ってみて細かいところを調整すればいい。
商談の成功に、横でたたずむミスティの顔も綻んでいた。
「我々にとっては価値の無かったものに、高値をつけていただけるとは。いや、本当にありがたいことです」
「はは。古物はそういうものですよ、物の価値は人それぞれです」
話もひと段落し、ぼくらは村長さんの家でお茶に呼ばれていた。
森の若木の新芽を加工して入れたお茶で、薄荷のような清清しい香りがする。
里の経済が潤う話がまとまったおかげで、村長さんは上機嫌だった。
話には入っていけなかったが、ぼくとミスティも緩んだ顔を見合わせている。
「契約書を取り交わしたいのですが、お互いに文字が読めないのが難点ですね」
「私どもはカドタ様とツナグ殿を信頼しております。ツナグ殿への大恩もある。そちらの書式で作ってもらって構いませんとも。たとえ奴隷として売られようとも、恩を返す所存にございます!」
「はは、奴隷制なんて日本には無いのですが……では、お言葉に甘えて。書式はこちらで用意しておりますので、後で契約を取り交わしましょう」
「よろしくお願いします」
いい取引ができたので、角田社長も上機嫌だ。
しかも継続的に販売できる可能性も高い。会社にとっても、大事にしたい取引先だ。
「一度、遺跡にも行ってみたいですね。総量を確認したいし、異世界の過去の大遺跡をこの目で見てみたいという気持ちもあります」
「ぜひにと申し上げたいところですが、あまりお勧めはできません。遺跡は危険な魔物が多く住み着いているので、中には獰猛な種類のものもおります。もし行かれるというのでしたら、村の男手を集めて護衛を募りますが」
「わ、私もお役に立てます。狩りの腕には覚えがありますので!」
すかさず手を挙げるミスティ。村の役に立ちたいと思う気持ちが見て取れる。けど、そんなに危ない遺跡なら今社長が行くのは時期尚早じゃないかな。
「ぼくの魔術もありますけど、今日のところはよした方がいいと思います。銀器の売却益で鉄も用意できると思うんで、そのうち、頑丈な鉄器で武装できるようになってからの方がお互いに安全じゃないですか?」
ぼくがそう言うと、社長もすぐに同意した。
「そうだな。何も危ない橋を渡る必要はない。――魔物を見てみたい気もしますが、お互いの安全が優先です。遺跡への案内は、エルフの皆様が適切だと思った時期にお願いしましょう。地元の方の判断にお任せいたします」
社長の堅実な判断に、村長さんも安心したようににっこりとうなずいた。
「丈夫な鉄器に溢れ、物資も豊富。我らエルフも忌み嫌われない……ニホンという国は、楽園の国のようですな。我々の里で、御伽噺として伝わって行くかもしれません」
「はは。恐縮です」
社長が頬をかく。
文化水準が中世のこの大陸から見れば、現代の日本は技術の進んだ遠い未来の世界のようにも思えるだろう。
「そこで相談なのですが、カドタ様……我々エルフが、ニホンへ移住することは可能なのでしょうか?」
「移住……ですか」
「はい。先ほど、いただいた物資の説明を村の者にしたところ、若手を中心に、そういうことを望む声が出ておりまして」
「残念ながら、難しいと思います」
ぼくと社長は、揃って首を横に振った。
「――というのも、我々の国、日本では『戸籍』と言うものが非常に厳しく管理されております。要は、日本で生まれ育ったか、そうでないならどこの国で生まれ育ったか、その国は日本と国交を持っているのか。そういう証明が必要になるのです」
「ううむ。……我々の世界にもそういう制度はありますが、そこまでは厳しくありませんな」
「日本で自分の身元を証明できない場合、多くは働くことも難しくなります。また、医療、福祉などの社会的な保障も受けられません。大きな取引にも支障をきたします」
日本は現代社会だけど、それは管理社会ということも意味している。
先進国の多くがそうだ。身分証明が無いものが社会生活を行うには、持つものに比べて多くの障害がある。その分、納税や勤労の義務があるので、当然のことなのだけど。
「もちろん、身分証明を持たない外国人も日本には存在します。ですが、当然、法によって認められてはいないので公に発覚し次第、祖国に強制送還……要は国外退去、となることがほとんどですね」
「楽園に住まうには、それなりの資格がいる、ということですか。……わかりました、残念ですが、移住を望む者にはそのように説得しましょう」
「お力になれず、申し訳ありません」
「あの……」
横から、ミスティが、か細い声を出した。
「ニホンでは、結婚はどうなるのでしょうか?」
社長の目が、ぱちくりと瞬く。
「結婚、ですか?」
「……はい。ニホンの人とエルフは、結婚できるのでしょうか」
うむむ、と社長は腕を組んで考えた。
社長もまだ未婚だ。販売の里中さんにも彼氏はいるらしいけど、結婚歴はないし、手続きをした経験は社内の誰にも無い。
まして、戸籍を証明できない外国人との結婚問題。
「おそらく、ですが日本での結婚はかなり面倒な手続きが必要になると思います。何かしらの方法で、日本の戸籍を取得できれば簡単に可能なのですが。そうでない場合は、我々も知識がありません」
「……私が、ツナグと結婚したい、と望むことは、許されるのでしょうか?」
そこでようやく、ミスティが何を不安に思っていたのかが、その場の全員にも理解できた。
「この村で結婚すればいいよ、ミスティ」
ぼくは、一言そう言った。
「――ぼくはこの世界にいる。この世界と日本を自由に行き来できるんだ。たとえ日本で籍を入れられなくても、この世界と日本を往復して一緒に暮らしていこう」
「ツナグ……うん。うんっ!」
「それは素晴らしい! ツナグ殿の新しい住居は、喜んで用意させていただきますぞ」
見詰め合うぼくとミスティに、村長さんが気色ばむ。
隣で、社長がコホンと咳払いをした。
「……まぁ、現実的な問題を話しますと、日本の法律の下に日本人と結婚が成立できますと日本国籍が取得できます。そうでなくても内縁の妻と言って、未婚の男女が生活を共にする例もあります。それに、役所に籍を入れなくても結婚式を挙げることは可能ですね」
「ぼくはどのみち、まだ十七歳なので結婚できませんね。この村だと問題ないんですけど、日本での結婚はまだ考えられる段階じゃないです」
「そうなのですか? この大陸での成人は十五歳からで、結婚や婚約はもっと早くに行われることもあるのですが」
「日本の成人年齢は二十歳ですよ。結婚は男性が十八歳、女性が十六歳からで、未成年の婚姻は保護者の同意が必要になります」
「――いいわよね、お父様!?」
「ニホンでの話だろう。それにお前はもう十六だ。お前がこの村でツナグ殿と結婚することに、私には何の異存も無いよ。むしろ、両手を挙げて歓迎したいくらいだとも。この後の宴で、盛大に発表しよう!」
「あ、それは待ってください」
先走る村長さんに、ぼくは待ったをかけた。
盛り上がりに水をさすようだけど、それを決めるのはまだ早い。
ぼくの気持ちの問題じゃなくて、ミスティの気持ちの問題だ。
「……ツナグ?」
待ったをかけてその先を告げないぼくを、ミスティが不思議そうな目で見つめていた。
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夜になり、村では盛大な宴が催されることになった。
広場にかがり火が焚かれ、周囲に置かれた机には、ところ狭しと大皿に盛られた料理が並べられる。使った調味料は、もちろんぼくが持ち込んだものだ。塩や香草を始め、酢や料理酒、コショウや醤油、味噌だけでなく、里特産の果実酒を使った料理もあるらしい。
後は村長の挨拶を待つだけだ。
居並ぶエルフの村人たちも、祭りの始まりを待ちきれないようでそわそわしていた。
「ツナグの世界の調味料、みんな驚いてたわよ。すごく美味しいって」
ぼくとミスティは、手を組んで宴の準備を見物していた。
手伝おうと思ったけど、客人だからと村の人たちに止められたのだ。
「それは良かった。発酵調味料も混ざってて慣れない味だと思うけど、加熱すれば香ばしくなるものが多いからね」
「お酒も少し強いけど、果実酒と違って甘みが押さえられてて、不思議な風味だったわ。何から作られてるの?」
「米って言う穀物だよ。ぼくの実家で、夕食に食べたでしょ。――一緒に持ち込んだ醤油や味噌は、大豆っていう豆から作られてる」
「私たちの村でも栽培できるかしら?」
「米は水源が近くにないと無理だね。大豆は、土に良いらしいから今度買いに行こうか。栄養は豊富だし、加工の仕方もたくさんあるよ」
「楽しみね。……あっ、楽士のトリンおじさんたちが準備してるわ」
ミスティが指し示すほうを見ると、かがり火の横で椅子の上に座って楽器の手入れをしている人がいた。
大きな木の板の上に弦を張った、膝の上に乗せる琴みたいなシンプルな弦楽器だ。
「カンテレね。綺麗な音が鳴るのよ」
隣には小さなバイオリンみたいなものを持っている人もいる。
あっちはわかる。
「アイリッシュフィドルだね。ぼく、あの音色が好きなんだ」
「あいりっしゅ? ツナグの世界にもフィドルがあるの?」
楽器の名称が同じなのは恩恵の翻訳かな?
「弦楽器はぼくの世界と変わらないね。持ち込まれたのか、同じ起源をたどったのかも」
「世界が違っても、似たような文化があって安心したわ」
ミスティが柔らかく笑う。
異文化ということで、今まで地球を遠く感じていた部分があったんだろう。共通する点を見つけて、親しみを感じたようだ。……どちらも、日本の楽器ではないのだけど。
「お、いたいた。やぁ、お二人さん」
居並ぶぼくらに声をかけてきたのは、シャクナおばさんだった。
相変わらずすごい胸だ。思わず下を向いてしまう。
「聞いたよ、ミスティちゃん。あんたの旦那が、あの無茶ばかり言う商人の代わりに全部用意してくれたんだって?」
「だ、旦那だなんて、まだそんな……」
「ダメだよ、胸張ってないと。エルフの里に好意的な外の人族だなんて、狙ってる娘っ子は多いんだ。しっかり掴まえとかなくちゃ!」
「う、うん!」
胸の前でこぶしを握り締めるミスティに、ぼくは思わず苦笑してしまう。
おばさんはその豊かな胸を張りながら、けらけらと豪快に笑った。
「あたしももう少し若かったら、こんなこと言ってないで自分で狙いに行ったろうねぇ」
「おばさんは、充分に若いですよ」
思わず、口にする。
見た目の綺麗さだけじゃなく、気持ちとか、積極性とか。言動はおばちゃんだけど。
すると、シャクナおばさんはあら、と目を丸めた。
「いいのかい? 本気にしちゃうよ?」
「だ、ダメよおばさん」
ミスティの制止も聞き流し、おばさんはぼくにずい、と顔を寄せてくる。
おばさん、とは言うもののその顔立ちは整っていて瑞々しさと妖艶さとを感じさせる。エルフにしては厚い唇が、かがり火の明かりで艶かしく輝き、吐息を吹きかけるように微かに窄められると、彼女の持つ熟した女性の色香がぼくの目をくらくらさせてしまう。
シャクナさんは、ぼくの耳にキスするようにささやいた。
「第二夫人でもいいんだ。あたしは拒まないよ、丁寧に尽くしてあげる。――宴の夜は、誰でも熱くなっていいんだよ、ツナグ?」
その妖しい声音に、ぼくの胸は気まずく高鳴った。
慌ててミスティの方を振り向くと、ミスティは怒るでも止めるでもなく、悩ましげな表情を見せている。
「だ、第二夫人で良いのなら……シャクナおばさんには、お世話になってるし……」
「ま、待ってミスティ。この村は、一夫一妻制じゃないの?」
二人は、きょとりと目を瞬かせた。
「え? ……人族でもエルフでも、奥さんが二人以上いることは珍しくないわよ?」
「この村はなるべく血が重ならないように、みんな一人としか結婚してないだけだよ。外から来たあんたなら、二人以上どころか、もう少し結婚して欲しいと村長も思ってるんじゃないかい?」
衝撃の事実。
中東辺りではよく聞くけど、この世界もそうだとは思わなかった。
「ぼくの故郷は、一夫一妻が義務付けられてます……」
「ありゃ、残念」
「でも、ツナグ。故郷の法律だと、結婚自体がまだできないって言ってたわよね? この村で結婚するなら、こっちのしきたりに則るんだから、問題は無いと思うよ?」
それはそうなんだけど。
ぼく自身の気持ちの問題としては、そう簡単に受け入れられる常識じゃない。
「け、結婚自体、ぼくにはまだ早いと思ってるんです。シャクナさんの気持ちは嬉しいんですけど、今はまだそんなこと考えてませんから」
二人の反応は、対極だった。
結婚を否定することにむくれるミスティと、完全な拒否ではないことに楽観的に口笛を吹くシャクナさん。
ミスティには腕をつかまれ、シャクナさんには肩を叩かれた。
「ま、期待してるよ! こうなったら、あたしも本気出さなくっちゃね。――ミスティ! これからは『おばさん』じゃなく、『お姉さん』と呼びな! 少し前まではそう呼んでたろ?」
「う、うん! 二人きりじゃなくなっちゃうのは寂しいけど、優しいシャクナおばさ――じゃなくて、シャクナ姉さんなら、大歓迎よ!」
シャクナさんは嬉しそうに、宴の準備があるからと手を振って去っていった。
とんでもないことになったな。
シャクナさんは美人だし、大人の色香に満ちた魅力的な女性だけど。
この歳で二人から結婚を言い寄られるだなんて、思っても見なかった。すごいなぁ、異世界。
「シャクナ姉さんをね、『おばさん』って呼び始めたのは……私のお母様が、いなくなってからなの」
不意に、ぽつりとミスティがそんなことをこぼした。
「母がいなくなってから、泣いてた私を抱きしめてね……『私をおばさんだと思って甘えろ』って。私の、お母様の代わりになってくれた人なのよ」
「ミスティのお母さんは……?」
「数年前に、病気で……」
口ごもるミスティに、ごめん、と謝る。言い辛いことを口にさせたな。
ミスティは頭を振り、そしてぼくに優しく微笑んだ。
「お父様はお母様のことを今でも想ってる。お兄様と一緒になって、家族になってくれたらいいなと思ってたけど……同じ人を好きになって、一緒に暮らしていく未来も、きっと幸せだと思うの」
「ミスティ……」
告げなきゃならない。
ぼくはミスティが好きだ。
だから、ミスティに、聞かなきゃならない。
でも、それを聞くには途方も無い勇気が必要だった。
口に出せないでいるぼくをよそに、村長さんの声が広場に響き渡った。
村人たちに広場に集うよう呼んでいる。宴の開始の合図だ。
エルフの里の宴が、始まった。