社長、異世界です
「里の近くの遺跡で出土する、銀製品です。御社で販売していただくには充分な量がございます。我々の願いは――カドタ様に、これらを買い取っていただきたいのです」
エルフの里で出土する古美術品。
古代の遺跡は魔法文明のものだったのか、保存状態もよく、くすみやすい銀にしては汚れも無い。日常品にしては装飾も細かく施されており、これが地球産の年代物ならかなりの値打ちがつくだろうことは間違いなかった。
これだけの品々が、安い銀製品だという理由で価値がつかなかったのだから驚きだ。
たぶん、出元がエルフだからという偏見も加味されて、避けられてたんだろうな。
でも、この世界にはそんな余計な色眼鏡は存在しない。
「我々の故郷では、銀は銅に次いでもっとも一般的な、安価な金属です。ですが、このセカイでは貴金属として重用されていると聞きました。いかがでしょうか、この銀には価値がつきますか?」
「銀が安価な金属……いや、これは見事です。古美術品に重要な時代背景を客に提示できないことが痛手ですが、それを差し引いても欲しがる客はいますね」
角田社長は銀食器を手に取り、小さくうなった。
古物商として思わず見入っていた社長は我に返り、ぼくをじとりとにらみつけた。この商談はお前の差し金だな、と。ぼくは反射的に明後日の方向に顔をそらした。
最初に無茶なお願いを断ったら、後の商談は前向きに考えてくれるんじゃないかなー、と思ってこういうやり方を打ち合わせたんだけど、社長には全部まるっとお見通しだったらしい。ダメですか、やはり。
「まぁ、うちの社員の処分は後においておきましょう……ロアルドさん。この銀製品ですが、数は何客ほど出土しているのですか?」
「発掘と言っても、大規模な地下空間に都市が丸ごと保存されておりまして。各家の他に、銀製品を保管する倉庫があったので、併せて数万点はくだらないかと」
「数万ですか!? 参ったな……」
「どうしたんですか、社長?」
渋い顔をする社長に、ぼくは首をかしげた。
在庫は多いに越したことはないと思うけど。エルフの里の資金源という意味でも、会社の販売在庫数と言う意味でも。
「ばかやろう、繋句。数が多すぎるんだよ。希少価値の問題を差し引いても、俺の会社で数万点の食器なんて、誰にどうやって売るんだよ。うちの顧客名簿に一万人も名前が載ってるか?」
「……あ」
「複数買うお客さんがいるにしても限度があるだろ。アンティークを実用する上客はいるけど、消耗品じゃないからな。そう何十客も買い続ける人はいねぇよ」
そりゃそうだ。
迂闊だった、金属食器なんてそう簡単に買い換えるものじゃない。
中には揃えるのが趣味で買い集めてる人もいるけど、同じ意匠のものを何十客も買い揃える人は稀だろう。
「うちだけじゃそう大量にはさばき切れないぞ。ロアルドさんたちは、まとまった数を継続して販売したいんだろ? 下の店舗で安値で叩き売りするのはもったいないしな……」
「そうですね、社長。エルフの里はまだ、外交への将来的な見通しが立ってないんで、なるべく長く、あるいは大量に売って資金を稼ぐ必要があります」
どうしよう。ぼくの見落としだ。
ぼくらの不穏な空気に、ロアルドさんとミスティの表情も暗くなっている。
「カドタ様。買い取りはお願いできない、ということですか?」
「いえ……とりあえず、現物の確認が必要ですね。少量なら問題なく当社で引き取れます。それ以上の数になると、販売計画を立てる必要が出てくるので、この場で返答はできません。――繋句!」
「はい! 何でしょう、社長!」
「その異世界には、俺も行けるのか?」
行きたいんですね、社長?
期待を隠しきれていないその視線に、がく、と肩がコケそうになった。
「行けますよ。簡単な準備が必要ですが、今日、これからでも大丈夫です」
「……というわけで、ロアルドさん。もしそちらがよろしければ、近々、現物の確認のために、そちらの里へお伺いさせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです! 近々と言わず、今日にでもお越しいただいて構いません!」
「きょ、今日ですか!? それはさすがに、そちらにもご都合が……」
「里長である父には私から説明いたします! 準備にお時間はいただきますが、夜には里を上げて歓待させていただきますとも!」
商談の手ごたえのある感触に、ロアルドさんも興奮を抑えきれず、ぐいぐい押し込んできている。
そう言えば、こういう強引な性格の人だった。
まぁ、確かに。日を置いて心変わりをするかもしれない不安は消せないから、当然と言えば当然だよね。わからないでもない。でも、その強引さにぼくとミスティはこっそり顔を見合わせて苦笑する。
ところが、社長も本日の異世界行きに満更でもない雰囲気だった。
そーっと顔色を伺い、横から小声でささやく。
「社長。実は、ぼくの家にエルフの里に届ける荷物があるんです。勤務時間中ですけど、昼間のうちに届けると喜ばれるんじゃないかな、と」
「何!? そりゃ大変だ! エルフの里の皆さんが待ってらっしゃるかもしれないな!」
社長、台詞が棒読みです。
「わかりました、ロアルドさん! ロアルドさんがよろしければ、今日にでもお邪魔したいと思います! ――待ってろ、繋句! 俺とお前の二人分、出張扱いにするよう里中に伝えてくるからな!」
二人に一礼し、社長は部屋を飛び出していった。
この辺りの判断と行動の速さは、さすがにこの会社を興した起業家なだけはある。
この分だと、商談はうまくまとまるだろう。
最終的には金額次第だろうけど、エルフの里にとって本当に必要な金額は月々ごくわずかだ。障害はないものと思って良い。
社長のいない間にそのことを短く伝えると、二人は肩の力を抜いて歓喜の表情を浮かべた。
「これで、私の里にも未来が見えました。――ありがとうございます、ツナグ殿!」
「まぁ、まだこれからなんですけどね。でも、期待しましょう」
「そうね。こんな……御伽噺みたいな話が、本当にあるのね」
そう言って涙ぐみながら微笑むミスティを見て、何だか、ぼくの肩からも気負いが抜けた気がした。
*******
社長は強行軍で出張の手続きを済ませた後、一度自宅へ帰り泊まりの用意をすることになった。
社に一人で残される里中さんを、大口の仕入れに行くからと強引に説得したらしい。
ぼくらは社長が準備をする間に昼食を済ませ、午後からぼくの部屋に集合することになった。
なお、社長は車で来る際に台車を持ってきてくれるそうだ。これで塩の運搬が楽になる。
「来たぞ、繋句!」
チャイムが鳴るや否や、山歩きのようなアウトドアルックの社長がぼくの部屋に上がってきた。
この部屋は社長の家より会社に近く、近所に激安の駐車場があるため、社長は普段から自宅に帰るのが面倒になるとこの部屋に泊まりに来ている。勝手知ったる第二の我が家のようなものだ。
「来ましたね、社長。じゃあ、行きましょうか」
「おう! ――ロアルドさん、ミステリカさん、本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、カドタ様。異世界の身分ある方をお招きできて、感激の至りです」
「どうぞミスティとお呼びください、カドタ様」
ロアルドさんとミスティに握手を求める社長。二人も朗らかに答え、挨拶は済んだ。
ぼくはその間に異世界行きの門を作成し、社長に向き直る。
「じゃあ、社長。準備をしますから、ちょっと動かないでください」
検索し、魔術を起動する。
写すのはおなじみ、言語の恩恵と健康の恩恵。
言語は言うに及ばず、防疫はしっかりしておかなくちゃお互いのためにならない。
手の中に光が現れ、ぼくの持つ治療系統の術式とともに社長に光が移っていく。この恩恵はどうやら、おじいさんが得意とした制御魔術と治療魔術をベースとしているようで、ミスティたちエルフの精霊術式では再現できないようだ。
「何をしたんだ、繋句?」
「言語が通じる、病気を持ち込まない、病気にかからない、という魔法をかけました」
「なぁ。それって、この世界の言語や病気にも効果があるか?」
「……あると思います。元は、異世界からこちらに来るための術ですから」
「今後、その説明は誰にもするなよ。おまじないの一言で誤魔化しとけ。……病気にかからない身体なんて、異世界に行かなくてもみんな欲しがる」
気をつけよう。忠告を心に留め置く。
「これがエルフの里に持ち込む荷物か。大荷物だな?」
「うん。角田兄さんが台車持ってきてくれて助かったよ」
「一応仕事中だからな。社長と呼べ、繋句。まぁ、台車使って俺も抱えていけば、一度で運べるだろう」
さすが力持ち。その格闘家のような筋肉は伊達じゃない。
兄さんいわく、学生の頃から現場仕事を巡っていたら鍛えられたらしいけど。
「領収書は取ってあるか?」
「はい、量が量だったので。会社の名前、借りちゃいました。すみません」
「取引が成立したら経費で落としてやるから、捨てるなよ」
「ありがとうございます、社長!」
調味料代を会社が出してくれると家計が楽になる。
服代は自腹だけど……お世話になった二人への、プレゼントだと思っておこう。
それぞれ荷物を手に持ち、『門』をくぐる。
景色が一瞬で切り替わり、周りを見渡せばそこはもう、エルフの村の広場だ。
「ここが異世界か! 牧歌的で、いいところだな!」
「我々エルフの里へようこそ、カドタ様」
はしゃぐ社長に、ぼくが二人にしたように、ロアルドさんが歓迎の言葉を向ける。
「父を呼んで参りますね。後は里の者に倉庫まで運ばせますので、二人とも荷物を下ろされてお待ちください」
一礼して、ロアルドさんが自宅の方に向かっていく。
社長は目を輝かせて周囲の光景を眺めていた。
「社長は、こういう見知らぬ土地に抵抗とかは無いんですか?」
「おう。アンティークの仕入れで、海外はよく行くからな。ついでにこういう農村を旅行したことも何度もあるぞ。ドラゴンとかワイバーンが飛んでりゃ、また別だろうがな」
商品の仕入れは社長の担当だ。
世界中を巡って、値打ち物や掘り出し物を探してくる。そのために長期間会社を空けることもままあるので、こういう旅行は慣れてるんだろう。
角田古物商は、社長が仕入れ、ぼくが営業、里中さんが販売。という形で主に回している。事務は全員で、時々で手が空いている人間が分担して処理する。
もちろん主に、というだけで、小さな会社なので全員が別の業務を担当することもあるけど。
周りを眺めているうちに、周囲の村人たちもぼくらのことに気づいたようだ。
見慣れない人間が里の広場に前触れ無く現れたため、興味を示して遠巻きに集まり始めている。
村人たちの視線が集まり、ミスティは顔を隠しこそしなかったが、それでも隠れるようにぼくにそっと身を寄せてきた。
その距離感に、社長が目ざとく気づく。
「ん? ミスティさんは……もしかして、繋句。そうなのか?」
「あ、ええと……はい、社長。その、親しくさせていただいてます」
ぼくの言葉に、ミスティがぽっと顔を赤らめて下を向く。
その手は、ぼくの腕に回されていた。
「手が早いなぁ、繋句。――しかし、将来的なことは大丈夫か? 人間と一緒になるには、エルフは人間よりずっと寿命が長いって聞くぞ」
「そうなの、ミスティ?」
「そうですね。エルフは概ね、人族より寿命が長く、八十年から長くて百年ほど生きます。見かけの若い時間も長いんですけど、ツナグなら喜んでくれるかなって……」
もじもじと話すミスティの言葉に、ぼくと社長は揃って首をかしげた。
「……ぼくらの寿命もだいたい八十年から、長くて百年くらいだけど?」
「ミスティさん。この世界の人間の寿命は、どのくらいなんですか?」
「そうなの!? ――人族の寿命は、だいたい短くて五十年、ほとんどは六十年から七十年足らずだと言われています。優れた魔術士は力量によって長く生きる場合がありますが、それは特殊な例です」
「平均寿命が中世だな……魔法のある世界は、回復魔法があるから地球より医療関係は発達してそうなもんだが」
「食糧事情の問題じゃないですか、社長? 寿命とか長期的な健康は、食生活が基本だって聞いたことありますし。栄養学が周知されてないと、そうなるのかも」
「かもしれんな。――でもまぁ、物語と違って何千年も生きるわけじゃないなら、エルフも人間とそう変わらないな」
エルフの寿命が長寿だと言う設定は、森の精霊という説に由来するんだろう、と社長は語った。樹齢の長い森の木々の精霊であるエルフも、同じように寿命が長くなると考えられたんだろう、と。
でも、この里のエルフは肉も食べるし、生活自体は人間と変わらない。精霊魔術は使うようだけど、一方的に力を借りる間柄であって共生関係ではないようだし。
生物学的にも、精霊じゃなくて霊長類だろうしね。
話しているうちに、村長さんがロアルドさんに連れられてやってきた。
「お待たせいたしました、お二方。私はこの村の村長をしております、エッケルト・サルンと申します。本日ははるばる、ようこそおいでくださいました、カドタ様」
村長さん、そんな名前だったんだ。
でも村長さんでいいかな。
「角田古物商代表取締役、角田邦昭です。本日はご無理を聞いていただき、感謝いたします」
「いえ、無理を申したのはこちらが先と聞いております。事情は息子より聞きました、我が里と取引を検討していただけるとのことで、ありがとうございます」
そして、村長さんは地面に置いてある荷物に目を留めると、ぼくに向き直って深々と頭を下げた。
「ツナグ殿。異世界の塩を始め、エルフの里のための物資をツナグ殿が用意してくださったとのこと。里を代表してこのエッケルト、感謝の念に堪えません。このご恩は、何年かかろうとも必ずお返しいたします。どんなことでもお申し付けください!」
「気にしないでください、村長さん。お世話になったお礼をお返ししただけですから。今日の取引の如何に関わらず、里の物資のことは心配しないでください」
「お父様。ツナグの世界には、たくさんの素敵なものが溢れていたのよ!」
思わず興奮するミスティに、村長さんがたしなめる声を出す。
「これ、ミスティ。お客様の前だ、まずはお二人をご案内せねば。はしゃぐのは、家に帰ってからにしなさい」
「ご、ごめんなさい……」
「構いませんよ。明るい、元気な娘さんじゃないですか」
「娘がお恥ずかしいところをお見せしました、カドタ様。――娘が元気になったのは、ツナグ殿と出会ってからなのです。ツナグ殿は、塞ぎがちだった娘の心を晴れさせてくれました」
「へぇ。……まぁ、異世界でも繋句は相変わらずってことか」
社長がぼくを見て、にやりとくすぐったそうに笑った。
何の話だろう?
「さっそくですが、里の者を集めてこの荷物を倉庫へ運ばせていただこうと思います。そうかかりませんので、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
社長と顔を見合わせ、うなずく。
「私どもは構いません。お気遣い無く」
「ありがとうございます。それは、失礼いたします」
村長さんは大声で村人を呼び集めた。
エルフたちが互いに声を掛け合い、村中からエルフが集まったところで、村長さんは物資の心配が無くなったことを伝えるとともに客人を迎える用意をするための演説を行っていた。
自分のやったことをもてはやされるのは何だか面映いけど、里の問題が解決したことにエルフたちは一様に喜び、自分たちを忌避しない、新たな外部とのつながりができるかもしれないことに大いに期待を表し、盛り上がった。
それまで閉塞的な環境に置かれていたエルフの村は、その日、大きな活気に包まれた。