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ジュノー先生の初恋

 どうしてそういう話になったのだったか。見事なイチゴが手に入ったからそれを使おうとそういう話をしていたはずだったのに、気が付けば初恋について尋ねられていた。多分、大凡の作品が出来上がっていて、彼女達も俺も暇だったのだ、きっと。




          ☆ ★ ☆ 




 そうして思い返すと、亡き妻と初めて会ったのは、冒険者になって初心者から脱出できたかぐらいの頃、だったと思う。あの頃は髪を切る金も勿体なく感じて、首の後ろで一つに纏めていた。それでも薄く黄色を刷く頭部の片羽は隠しようがなく、周囲からは奇異の目で見られる事が多かったが、それは元々いた孤児院でもそうだったのでそれほど堪えた事はなかった。

 その孤児院だが15になると成人と見なされ、自動的に追い出される仕組みになっている。ただ自分は早くから自身の魔法特性に目覚めていたし、あの狭い世界の中でも十分奇異な姿として見られて孤立することが多く、「自分の居場所」を求めて独立したかったのもあって、二年早く飛び出した。

 最初から目を付けていたのは、身分が不確かでも成れる冒険者という仕事である。もちろん何の準備もしなかったわけではないのだが、子供の精一杯の知恵と常識では、あの荒れた場所を乗り切るのは難しく、早々に物乞いと同じような身分に陥った。裏路地で物取りもした。そして捕まって滅多打ちにされた後、監視役の名目で中堅冒険者に預けられ、そのあとは彼らパーティの雑用係となる。その事はある意味幸運で、寝る所があり、一日一食は必ず飯にありつけ、何より彼らから冒険者のノウハウを得ることが出来た。

 些か不本意だが自分は至って真面目らしく、素直にパーティに貢献した結果、彼らの仲間と認められ、以後の職業である盗賊や暗殺者のスキルを伸ばす事が出来た。それからはパーティの中でも盗賊としての役割を与えられ、数年すれば、冒険者として生活していくための知識に、仕事をしていくための体、そして自分で自分を養うための精神を身につけた。一人でやっていける自信がついた後は、惜しまれながらもパーティを離れ、その時集まったメンバーでクエストを行う、流れの一人となった。

 だが、暗殺者は一撃の火力が高かったり、クリティカルボーナスがあるとはいえ、紙装甲だし攻撃範囲も比較的狭く、唯一の防御法である回避を使うためにも集中力の持続が必要になる、ソロにはなかなか辛いジョブだ。だから、流れとはいえ、よくよくクエストで一緒になるメンバーに気の合う戦士が居たものだから、実質彼とパーティを組んでいる状態だった。








 日々の生活費としては心許無い小銭を見て嘆息し、時折風が動いて下水の臭いが混じる空気(それ)を吸う。空気と同じく清浄とは言い難い路地裏は、ギルドと拠点にしている宿屋を結ぶ通り道であった。そこを歩くジュノーの表情は憮然としたもので、その視線そのまま小銭を眺めて手の中に握りこむ。

 一昨日潜ったダンジョンは、初心者向けの、ジュノーらにとっては簡単な部類のクエストだった。ただ、装備も準備も通常通りで行うには、割かししょっぱい報酬しか貰えない、旨みがないクエストでもある。普段であれば、相方が持ってきたこのクエストにジュノーも反発する所だが、現状として、半年前に大規模討伐に参加したせいもあって資金は比較的潤沢だという余裕があった。日々の小銭を稼ぐための仕事と割り切れば良いのだ。

 それでも割に合わないお遊びクエストを受ける事になった理由は、パーティの相方が飲み比べに負けた、これに尽きた。まだまだ若輩の部類に当たる自分達の事、限界を見極める事は難しく、相方は、きっとからかわれたのだろうと、ジュノーは思っている。何より、嗜む程度のジュノーに付き合って程よく酔う相方には飲み比べなど荷が重い話だったろう。何故挑戦したのだと、今更ながらに繰り返した。

 何度思い返しても、ダンジョンに潜る準備のための出費とクエストの報酬の乖離が軽い頭痛となる。一度目頭を押さえて忸怩たる思いを呑み込み、ジュノーはため息を繰り返した。慣れた道だったので、半自動的に足が人を避けて表通りの方角へ向かい、剥がれたポスターのある角を曲がる。

 直後、慣れない色とりどりの花束が差し出され、ぼうっとなっていたジュノーは流石にびくっと硬直した。普段から人の気配に敏感な自分が気づかなかったとは、どれだけ気が弛んでいただろう。そういうショックと単純に驚いた事でそれまでの憂鬱が吹っ飛んだジュノーは、バクバクする心臓を抑えるように片手で胸元を握りしめ、小さな花束を差し出す、いや、突き出してきた人物を見た。身長は少年であるジュノーより少し小さい。下げた頭は亜麻色で柔らかそうな長髪で、花束のせいか、微かに良い匂いがした。花束を握る手の指に桜色の綺麗な爪が見えて、それがつるりと光ったのが印象に残る。こんな路地裏にはまず用事などないだろう、まともな格好をした少女だ。目を丸くしたジュノーが動き出す前に、彼に花束を差し出す彼女は、息を吸って大声を上げた。

「わ、私と、恋してくださいっ」

「―――…っ」

 緊張を振り払うような強めた声は、ジュノーには少し甲高く聞こえた。言われた言葉を耳に入れた瞬間、ひゅっと息を吸ってしまう。それからかっと顔に血が集まったのを自覚した。出会い頭のショックからまだ立ち直っていないジュノーは、見知らぬ少女から花を差し出されている自分の姿にさらに驚く。

 見た所、町の一般的な娘といった所だが、馴染みの宿屋や道具屋、武器屋、食堂で見た記憶はない。何処で会ったか思いも出せない意外な人物か、本当に初対面の人間のはずだ。そんな人物が、自分に対して何と言ったか。恋してください、とは、やはり「そういう」意味だろうか。

 不思議と気味が悪いだとか、迷惑だという気持ちが湧かず、むしろ、戸惑いだとか、ちょっと…いや、かなり嬉しいような気持ちがした。何しろ幼少の頃は、腹が膨らむ一方、肋が浮き出るような醜い栄養失調児の姿をしていたし、今だって身綺麗を心掛けているとはいえ、頭の羽以外は人並み。過去の環境のせいもあって、男らしさや艶っぽさとは無縁だとわかっているのだ。むしろ、相方の方が整った顔立ちに雄々しい容姿で、さらに顔に合った気障ったらしい仕草が似合う奴なのだ。奴の恋愛ゲームに巻き込まれて尻拭いする事は多くとも、この様な、自分に好意が向かう状況になったのは初めてのことである。

 浮かれていた。周りを見る余裕はなかった。ただ、かっと頭に血が昇った状態で、何か言わなければという使命感のようなものが沸き起こり、ようやっとジュノーは口を開いた。

「あ、あの、君は?」

 もっと気の利いたセリフを言えないものか。ジュノーは、自分で自分にがっかりしたが、それによりこちらの声を受けてだろう、彼女が、ばっと、顔を上げた事の方が重要だ。赤くなった顔のまま、目が合う。彼女は息を詰めて、こぼれんばかりに目を見開いて、こちらを見ていた。

 正直、物凄く可愛いというわけではなかったが、その時は舞い上がっていたのもあって、普通に可愛いんじゃないかという気持ちになった。そんな彼女は、しばしこちらを凝視し、それから状況を把握していったか、次第に顔を歪ませた。その変化に、えっと、ジュノーが疑問を持った時には、赤くなったり青くなったりする彼女が、再び頭を下げる。

「ごめんなさいっ、間違えました!!」

 頭を下げた勢いで、彼女の髪がふわっと浮く。あんまりなセリフに再び固まるジュノーの背後からは、珍妙な場面に出くわして足を止めた野次馬の誰かが、ぶはっと噴出した声が聞こえた。それに再びビクリとした所、同じように耐え切れなくなったらしい彼女は、こちらを押しのけて「ごめんなさいっ」と逃げ出す。

「……」

 逃げる彼女につられて視線で追いかければ、今まで意識の外にあった、笑いを堪える野次馬や「元気出せよ」とこちらを励ます野次馬、遠慮なく指さしで笑ってくる野次馬と化した知り合いの冒険者の顔がずらりと並んでいるのが確認できる。そうして道化と化した状況に置かれているのを自覚した瞬間、ジュノーは顔を覆ってその場から逃げ出した。

「ちょっと、―――待てっ」

 この状況で「置いて行かないでくれ」と言うつもりなのか、「馬鹿にするな」と怒鳴るためか、自然と逃げた彼女の後を追っていた。「しつけぇ男は嫌われるぞぉ」との野次は黙殺して、普段以上に早く駆けた。相手はただの一般人で、自分は曲がりなりにも冒険者の男。すぐに揺れる亜麻色の頭に追いつく。手先が彼女の腕をかすめた。すると、怒鳴るように「ごめんなさぁいっ」と大声がかえってきた。自分でも何が嫌だったのかわからないが、それにぐっと眉根が寄って、「待てって!」と強引に腕を捕まえた。

「きゃあぁぁぁぁっ!!」

 遠慮もない力で引っ張ったので、彼女が悲鳴を上げてよろめいた。もしかすると足を挫く勢いだったかもしれないけれど、その時のジュノーは混乱していて、普段の癖が出てしまう。咄嗟に体を捻って彼女を近くの壁に押し付けると同時に片手で口を押さえ、流れるようにもう片方の手を細い首に構えていた。よく腰の刃物を抜かなかったと思う。完全に捕物をするときの動作だった。

「騒ぐな。―――良いな」

 じっと彼女の怯える目を睨み付ける事数秒。状況を理解して恐怖に硬直した彼女を睨んでそう言い、彼女が頷いたのを見て、そっと口の手を離した。瞬間、すっと息を吸う彼女。はっとして「聞きたいことがあるだけだっ」と小さく声を荒げながら、悲鳴を上げようとする彼女の口を再び塞ぐ。

「本当に、聞きたいことがあるだけだ。それが終わったら、表通りで解放するから。だから、話を聞いてくれ」

 脱力するように頭を下げながら言って、再び顔を上げると真っ青の涙目ではあったが、こくこくと彼女は頷く。先ほどの例があるので、やや疑いの眼差しで眺めつつも、そろっと手を離せば、彼女は落ち着いてきたのか、気まずいのか少し視線を逸らした。

 とはいえ、なぜ彼女を追いかけたのか、ジュノーも今一わかっていなかった。逃げるモノを追う本能的な何かだと思うが、正直に話す気にはならず、小賢しく頭を使い、また似たような状況があったなと思い出して取り繕った。

「まず、俺はジュノーと言う。冒険者だ。君は街の人みたいだが、こんな裏通りで何をしていたんだ?」

 そう、俺は冒険者ギルドの裏にある素材取引所からの帰りだった。ギルド裏とはいえ、ギルド自体が結構な路地裏にあって、通り一本分を大回りしないといけない不便な裏側の引取所など、さらに治安が悪い。そんな所に場違いな人物が待ち構えていたら、驚くに決まっている。

「それについては、本当に、申し訳なく…」

 走って、強く握って、彼女の手の中の小さな花束はぼろぼろになっていた。今もそれをぎゅっと握って下を向いている姿を見れば、ジュノーが彼女に因縁つけているようにしか見えないだろう。先ほど彼女は「間違いだった」と言った所を思い返すに、多分、狙いは――。

「アリエスか?」

 彼女から返事はなくとも、それが正解だと顔を見てわかる。相手が目の前にいるわけでもあるまいに、途端に赤くなる彼女を、どこか冷めていく感情で見下ろしながら、ジュノーは天を仰いだ。

 アリエス=アースオン。生まれは庶民の癖に金髪碧眼の見事な王子顔であり、甘いマスクながら、体つきは精悍な青年のそれ。駆け出し冒険者ではあるものの腕は確かで頼もしい半面、男女交遊には非常に優柔不断で泥沼になる事も多い。ジュノーが現在パーティを組んでいる戦士で、相方。そして、クエストの処理をジュノーに押しつけて、三股を誤魔化す為に町を奔走しているだろう人物の名前である。

 ------勘弁してくれ。

 ただでさえ、先程の高揚が嘘のように凪いで底辺まで落ちたというのに、さらに面倒事の匂いしかしない。苦虫を三匹ぐらい纏めて噛み潰した顔をしながら、ジュノーは、純粋な恋心で表情を柔らかくする彼女に、誠実に現状を話すべきか、夢を見させたままさり気なく遠ざけるべきかを真剣に悩んだ。


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