私は宇宙人である。人間を試すために、一年半ほど前、人間の青年の姿に化けて、日本という列島国家にある公立の高等学校に入学した。私の容姿はがりがりに痩せて、眼鏡にはいつもフケを貼り付け、ぼさぼさの頭、家に風呂がないほど貧乏で、したがって悪臭を放ち……つまりいじめられっ子を演じていた。今日も学校の教室に入ると、女子たちはあからさまに白い目で私のほうを見、男子たちは今日も自分たちがいじめる標的が来たということを確認してにやりと笑った。
私は教室の一番後ろにある自分の席に向かった。机にはいつもどおり「臭い」「キモイ」「死ね」などの罵倒の言葉が書き込まれている。椅子に座ると、ネチョリとした感触がお尻に伝わってきた。あわてて席を立って触ってみると、制服の上にべっとりと白濁した液体がこびり付いていた。誰かが私の椅子に糊を塗っておいたのだ。私はトイレに行き、トイレットペーパーを一巻き持ってくると、制服と椅子についたそれをごしごし音を立ててふき取った。周りで自分のそうした行動をあざけるひそひそ声が聞こえていた。
いい加減、私は地球の上空に浮かぶ宇宙船に、「人間とは通商を開く必要なし、彼らはその心の根っこのところに他者への敵意がある」といった通信文を送ってしまってもよいのではないかな、と思いながら椅子に座ったのだけれど、まだ、人間の本質を知るには期間が短すぎる。もう少し、様子を見ることにした。
一時間目の授業は数学だった。人間より遥かに知性を持つ私にとって学校で習う数学などちょろいものだったが、どんな授業でもいじめられっ子を演じるには、馬鹿なふりをしなければならなかった。私は朝、あえて自分の鞄の中に数学の教科書を入れてこなかった。これも人間を試すためである。私は隣に座った女子に話しかけた。
「今日の最初の授業、教科書忘れちゃったから見せてもらえませんか?」
私は同じ同級生にも、ほとんどの場合敬語を使っている。これも卑屈なふりをするためだった。
その女子は、聞こえなかったのか返事を返さない。
「あの、ちょっと教科書を覗かせてもらうだけでいいんです。お願いします」
「キモイから話しかけんじゃねー!」
普段はけっこう優等生でとおっているその女子が、柄にもなく大きな声で怒鳴った。どうやら私のことがよほど嫌いらしい。仕方がない、どこか別のクラスに行って教科書を借りるしかない、確か一年生のときの同級生が隣のクラスにいたはずだから、彼に借りに行こう。
隣のクラスの扉を開けると、皆がものすごい目つきでこちらを見た。その一年生のときの同級生は、クラスの隅のほうで、立って友達二人と話をしていた。私が近づいてゆくと、その三人は、あからさまに鼻をつまんだ。もはや私がいじめられっ子ということは、学年全体に周知のことらしい。
「あの、数学の教科書を貸してくれませんか。忘れてしまったので……」
だが、彼は私が話しかけるのを無視して友達と話し続けた。
「あの……」
彼は私のほうを見ようともしなかった。私はあきらめて、今日は数学の時間教科書なしですごそう、と決心した。もう、人間には絶望しかけていた。
私は自分のクラスに帰って、着席しようとした。その時何か障害物が私の足にぶつかり、私は前につんのめって転んでしまった。男子生徒が私に足をかけたのだ。
私は起き上がって、その男子高校生にへらへらと笑顔を見せながら、自分の席に戻った。もう、地球人類とは関わらないほうがいいと、宇宙船に伝えてしまおう、そう決心したとき。
「あなた、数学の教科書忘れたんでしょ。私のを貸してあげるわ、私は隣の人から見せてもらうから」
一人の、確か演劇関係の仕事を目指している女子が、私にそういった。私の顔は、多分泣きそうになっていただろう。
「ありがとう、ございます」
私はやっとの思いでそう言った。心の中のどうしょうもない絶望感がスッと晴れるのが分かった。数学の教師が入ってきて、授業が始まった。
私は四十万キロ離れたところにいる同胞に、次のような通信文を送ることにした。
「みなさん。地球に暮らす人間の社会は矛盾に満ち溢れています。憎しみ、絶望、欺瞞、それが人間の持つ特徴です。彼らには乗り越えられるべきハードルが多すぎます。よって、彼らとのコンタクトは、当分の間とるべきではありません。しかし、それでも、彼らの中には希望がある。彼らは必ず自らが持つゆがみを乗り越えられる。それに多分かつては私たちもそうだったのです、そのことを、私はこの高校という、彼らの社会の一つの歯車の中で学びました」
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