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海談

作者:馬耳東風
「次の方、どうぞ」

 透き通った女性の声が待合室に響くと、ソファーに座っていた一人の男性が立ち上がり、女性の声がした部屋のカーテンを開けて入っていった。ポロシャツにジーンズと当たり障りのない格好だったが、真っ黒に陽に焼けた顔や、筋肉が発達してがっちりとした体格や太い腕を見れば、この男が肉体労働に従事していることは誰の目にも明らかだった。医者は、この様な屋外での肉体労働に携わる人間はあまり受診に来ないので珍しいと思いながらも、先入観を消し去り、患者とまっさらな気持ちで向き合うことに集中し、相手に緊張感を与えないように話しかけた。
「村上洋一さんですね。どんなことでお困りですか」

 村上と呼ばれた男は、目線を伏せがちにし、目の周りにくまを作ったその顔からは精気が感じられず、堅く閉じた口が一向に開かれない。女医の目から見れば、明らかに患者は十分な睡眠を得られず、精神的な休息を得られておらず、鬱状態に見られる特徴が目立っていた。このような状態では、話したいことを整理することも、それを声に出して伝えることもままならない十分に予想できる。女医は、相手に負担を与えず問診をするため、ある程度まで答えを限定してシンプルにまとめられるように語りかける。
「村上さん、だいぶお疲れの様ですね。今日はここまで来てくれただけでも、十分すぎるほどの頑張りですよ。お疲れの様ですけど、夜はちゃんと眠れますか」

 女医がそう語りかけると、男はほんの少しだけ心のこわばりがほぐれたのか、少し喋りづらそうながらも小さな声を発して、問いかけに答え始めた。まだ、喋る面でも普通にできないほど、精神に衰弱があるため、四苦八苦しながら必死に応えようとする。
「はい。あまり夜が眠れません。体が疲れているし、眠気もやって来るのですが、うまく眠れない日がずっと続いています。今は仕事がない時期なので、家にいて日中も転寝しながら休んでいますが、気持がふさぎこんで、家族と話すのも顔を合わせるのも気が進まず、食事も無理に食べる感じです」

「お仕事は今はお休みなんですね。どんな職業か訊いてもいいですか」

「漁師、やってます。海には長くに出るので、仕事が続くとその分だけ休みが続くんです」

「そうだったんですか。大変なお仕事ですよね、漁師さんは」

 女医は、相手に負担を与えないように話しかけ、患者の情報を引き出し、症状の度合い、病気の原因といえそうな事象、身辺状況を探っていく。それにしても、屋外での肉体作業と言う、肉体も精神も芯が太くなる条件が揃っている様な環境で育ったようなこの患者の精神に一体何が起こったのだろう、そう思いながら無意識の内に、いつもより患者に対する探求心が女医の心の中でほんの少しだけ強くなった。
「夜は全く眠れないですか」

「いや、眠れないとは違いますね。すみません、うまく話せなくて。眠れないというより、眠り続けられないんです」

「眠りが浅いということですか。それは困りますよね。どのくらいで目が覚めますか」

「せいぜい一時間です。寝不足の眠気と溜まった疲れで、やはり床に就くと眠りには入るんです。でも、すぐに目が覚めるです、夢にうなされて」

「夢、ですか。それは毎晩」

「はい。毎晩同じ内容です。すごく鮮明で、ずっと眼前にくっきりと広がって忘れないんです。そして、夜が来る度に同じように鮮明な夢を見るんです。本当にテレビで映画を再生するみたいにくっきりと」

 女医は、彼が話す内容を速記でカルテに書きこんでいきながら、同じ夢を何度も見るという点に食いついた。普通の夢は浅い眠りのレム睡眠時に見られ、情報を整理する際の削除される記憶が夢として認識されるとされている。しかし、何度も夢を見るということは、忘れることのない様に知覚して活動する際に夢として発現するパターンである。この現象はノンレム睡眠時に見られる。このパターンだと、見る夢はフラッシュバック性の悪夢が多い。男が悩んでいるいるのは、この状態だろう。問診で手掛かりを見つけた女医は、さらに悪夢の原因を探ろうと会話を続けてみる。
「毎日、悪い夢で眠れないのは、体にも良くありませんよね。村上さん、その夢の内容について何か心当たりはありませんか。職場や家庭であった嫌なことや悩んでいること、強く心に残っていることとか」

「嫌なこと、ですか。あると言えば、心当たりはありますが」

「病気のことを詳しく知りたいので、お話できるようであれば聞かせてもらえますか。もしつらいようであれば、無理はしなくて構いませんから」

 村上は、うつむいたまま瞬きもせずにしばらく考え込んでいたが、重い口を開き、
「すみません。今日は勘弁してもらいませんか。あまりに下らなくて馬鹿げてますし、どう話したらいいかわかりませんので」

と、やっとの思いで答えた。彼の脳に巣食う恐怖の源である記憶は、それほど重く大きな代物の様だ。女医は、こういう場合は無理に詮索しても正しい情報は得られないことはわかっているので、一先ずは睡眠をとることで休息をとり、肉体の負担を減らすことを重視するべきだと思った。このままでは、体も参ってしまい、心の病になおさら悪い。
「いいですよ。話ができるようになったら改めて聞かせて下さいね。お薬は、少しでも眠って休めるように処方しますから」

 女医はそういって、カルテに処方すべき指示役を書きこんでいく。焦らずに、根気よく接するのが精神医療の基本だ。そう思いながら、次の診察予定をカレンダーを見て検討していると、村上が突然話しかけてきた。
「先生、やっぱり話を聞いてもらっていいですか」

「え」

「自分だけで抱え込んで、誰にも話さずにいるのはやっぱり限界です。ただ、あまりにも突拍子もなくて、馬鹿げている話だと思います。ですが、私にとってはそれが頭の中にこびりついて剥がすこともできず、毎晩出てくるような恐ろしいことなんです。どうか、笑わずに聞いてもらえますか」

 女医は、突然の申し出に驚いてはみたが、患者自ら話を聞いて欲しいという申し出を断る言われはない。有益な情報を引き出せるし、話すことで気分が落ち着くこともある。どちらかと言えば、いい傾向だ。
「わかりました、いいですよ。時間は気になさらずに。今日は、それほど混んではいないですから」

「わかりました。出来ればカーテンだけじゃなく、ドアも締めていいですか。人に聞かれるのはどうも嫌で」

「いいですよ。こちらのドアを閉めれば声は漏れませんから、プライバシーも守れます、どうぞ安心して話をしてください」

「ありがとうございます」

 女医がドアを閉めて、部屋のプライバシーを確保して席に着くと、男は少したどたどしい口調で話を始めた。とても奇妙で不思議な話を。


 私は、沖合漁業の漁労長をやってます。漁労長っていうのは、まあ、現場の作業から船の運航を取り仕切る権限を持ったリーダーです。家は、代々漁業に携わっていて、この仕事に就いたのも自然な成り行きです。自分で就いた仕事ですからつらいとかはありませんが、親父が漁船に投資した際にかかった分やや、家のローンもありますからそれはプレッシャーはあります。
 とにかくその日の漁獲量、これがストレートに自分の財布に入る分になりますから、わかりやすいものです。天候や潮の流れ、魚群を捉えるか否か。自然相手ですが、それを的確に捉えてこそ収入に結び付きます。体以上に頭を使います。
 あの日の早朝、船員を乗せた私の船は出港しました。沖合の漁は、1日か2日ほどかかります。それまでにどれだけ船倉に魚を満たせるかです。ハイテクの機材と、長年培ってきた勘、船員の体力、そして運が試される時です。いつもと変わらない出港でした。あまりに平凡な出港で記憶も定かではありませんが、曇り空で雨が降るわけでもなく黒い雲が立ち上っていたのは覚えています。
 私の船は、魚群探知機などローンが苦しい割には設備が整っています。借金を嫌って設備投資を怠れば水揚げは減る、導入すれば魚は獲れるが借金がついてまわってそれに追いまわされる。だから、追われるように私たちは獲り続けなきゃなりません。止まったら死んでしまうから泳ぎ続けるマグロみたいなもんです。因果なものです。
 妙な空模様だった以外は、その日は漁は順調でした。うまい具合に船倉に魚が詰め込まれていきます。これを一日数回、2、3日繰り返して、最も高値がつく市場に運び込みます。いつも通りどころか、いつも以上に順調な漁でした。変な黒い雲が追いかけてくるように頭上にある、それだけが妙な日でした。
 昼の漁がうまくいき、少し早めに夕食をとり、夜に備えて疲れを癒しながら談話などをして、リラックスしていました。船員も経験上その日の漁が順調で、かなりの水揚げが期待できそうだということ、市場でいい値がつけば今度の漁でかなりの金額が入ってくることが予想でき、自然と会話が弾み笑顔がこぼれました。
「今日は調子いいなあ。いやあ、こりゃ期待できるぞ」

「やめとけやめとけ。お前はどうせ儲けのほとんどをパチンコ屋に寄付するだけなんだから」

「寄付じゃねえ、投資だ。もうすぐリターンが来るんだ。俺の勘に狂いはない」

「お前は独身だからいいよなあ。好きなだけ玉打ちに金を使えるんだ。結婚して、家建てて、子供もいてみろ。住宅や教育ローンが追いかけてきて、母ちゃんから鞭を入れられる馬車馬の様な扱いの毎日の俺は一体何なんだ」

「浮気するからっすよ。港港に女がいるを現実にやるんだから」

 船員もそんな軽口を叩きながら、気持ちが乗った状態で仕事出来ました。疲労で体が重くなることもなく、さらに夜もこの船に魚を積みこんでやる、張り切りましたねえ、あの夜は。そりゃ、あんなことが起こると知らなきゃ当然ですが。
 にやにやしながら魚群を探して、探知機やソナーを頼りに航行を続けました。昼間の調子から、次もすぐに見つかるだろうという、まるで初心者の様な浅はかな考えが頭に浮かびましたが、現実は厳しいです。あれだけいた魚がごっそりと海からいなくなったかのようにまるで当たりが来ないんです。まあこんなもんだと思いましたが、順調だっただけにイライラしました。貧乏ゆすりが止まりませんし、船内は禁煙と自分で言っておきながら、つい煙草を吸いながら舵を握ってました。今回の漁がいい稼ぎという皮算用が次第に崩れていき、それが焦りといら立ちを呼んで、真っ暗な海をしゃかりきになって魚を探し回りました。
 二時間ほど経って、夜に備えて少し仮眠を取ろうと操舵の代わりを呼ぼうと思いついた時、魚群探知機に変化があり、画像に赤い表示が進出し始め、魚群が近くにいることを示していました。深度もそこまで深くはないので、漁には手頃でしめしめと思いながら、船員に指示を出すため放送を流しました。各自、自由に過ごしていた船員は、すぐに仕事の状態に切り替わり、甲板に出て網を海に投入していきました。 船を前進させて網を投入して行きます。暗い夜の海に網が投入され、次々とそこに魚が入り込んでいく姿が想像できました。網を引き揚げ、魚の姿を見るまではあまり期待はもたないように普段はしています。不発だったりすると気持ちが萎えますしその後の漁の士気に影響しますからね、下手に期待せず寡黙に働くのは海の男の習性です。船員も、昼に感じた手ごたえをまだ忘れていないらしくいつもの寡黙な仕事ぶりに、獲物を見つけた動物のように、眼の色が爛々と輝いていました。魚が波間から自分の懐に飛び込んでくる銭に見える感じです。
 網の投入が終わり、海から網を巻き上げ機で引き上げて行きます。私は、機械操作のために操作盤の所にいました。魚の姿は見えませんが、長年の経験と勘で見ていなくとも船員の放つ空気で漁獲量がいいか悪いかはわかります。それだけで十分なので、後は安全のために機械からは離れていませんでした。ああ、あの時、普通の漁で終ってさえいれば。
 単調な機械の音が退屈感と眠気を誘いましたが、一番大事な安全確保の姿なのでしっかり集中していたところ、ふと胸の中がざわざわとします。こういう感触は普段ないことなので、何か事故かと思い、船員たちの方を見やりました。よくは見えませんでしたが、彼らの作業の手は止まっています。ただごとじゃありません。
「船長、機械止めてっ」

 船員の声に、私は瞬間的に非常停止ボタンを押して機関を停止させると、その場からはじかれる様に船員達の場所へ走りました。事故だとしたらどうしよう。もし死亡事故なら直ちに港に船を戻し、警察や保険会社の状況説明、さらに考えるだけでも気が重くなる遺族への謝罪や村で浴びせられる視線。命懸けの仕事とはいえ、自分の船での事故の責任は重いものです。そんなことが頭をよぎる中、船員が輪になってたかっている所に駆けつけると、
「誰だ、怪我した奴はっ」

と叫びながら彼らをかき分けてけが人を探し輪の中心に行くと、そこで信じがたいものを目にしました。
 そこにいたのは、けが人ではありませんでした。何と言うか、魚に混じった網に迷い込んだんでしょうが、すごく不思議な生き物でした。大きさも小さな人の子供ぐらいで、一際目立ちます。何より変わってるのは、普通の魚とは違うその形です。妙に大きな頭、大ききな窪みになっている目の部分、大きな口とそこから見える不揃いの歯、鱗の様にも見えるし小さな甲殻がびっしりついているようにも見える不可思議な皮膚、初めて見る生き物でした。たまに、網に迷い込んで深海魚が入ることがありますが、あれに近いグロテスクな印象です。それだけの特徴なら商品価値のない珍しい深海魚が獲れた、それで話が終わるんですが、もっと気味の悪い特徴があったんです。実は、なんとなく人の形をしてるんですよ、それは。
 先生、今、疑ったでしょう。普通はそうですよ。自分だって、あれを見るまでは海に人型の生き物がいるなんて全然思いませんでした。そんなのいるわけがないって。でも、そんなのいるわけがないって言う自信はどこから来ていたのか。今じゃ、とてもこの手の話を笑い飛ばせません。いるわけがないって言えるだけの根拠のなさに、正直自信をなくしました。話を戻しますね。
「何だよ、こいつ、人みたいな形をしていねえか」

「馬鹿、海に人が住んでるわけないだろ」

 船員たちは、周りでそのようなことを言い出し始め、それを聞くと、自分もそのように思い始め、しばらくするとそうとしか思えなくなりました。
 胸の部分から胸びれが伸びていましたが、妙に長く大きく発達していて、手の平を一杯に開いている長い腕の様に見えて仕方ないんです。バカバカしいと思われるでしょうが、もうあの状況になると胸びれが手だ、そうとしか思えなくなるんです。
 尾びれの部分もそうです。ひれに大きく切れ込みが走っていて、二股に分かれているんですけど、これがまたどう見ても二本の足にひれが生えている、こんな風に見えてしまう始末です。あの時の私には、これは人の形をした未知の生物をみているとしか思えませんでした。
 先生、UMAを知ってますか。未確認生物ですよ、ビッグフットとかネッシーとかそういう噂の類いのものから、今は存在が確定されているマウンテンゴリラなどもかつてUMA扱いだったそうです。すみませんね、この手の話が嫌いじゃないもので。要するに存在が確認されていない生物のことですけど、私はあの時自分が目のあたりにしているのはそれではないかと思ったんです。UMAは、話のネタになるインチキ話のように思われていますが、よく考えてみたら、存在が確認出来なかったらみんなUMAなんですよ。UMAは存在しないインチキ話と言うより、大勢の人の目に触れられていないだけの実在の生き物の方がかなりいるんじゃないか。そう考えた瞬間、なぜか恐ろしさが沸々とわき上がってきました。
 こんな奇妙な形の生物は本でも見たことがないですし、これがもし船員の言う言葉ですが『半漁人』だとしたらと思うと、途端に恐ろしくておぞましいものに思えてきました。いるはずのないものが存在した、もし幽霊を見たらみんなぞっとすると思いますが、あれに近い感覚です。ただこれは幽霊を見た人間しか共有できないのがつらいところです。気味悪さは船にいる人間全員に伝わっていました。
「気味悪いぜ、さっさと海に投げちまおう」

 誰からともなく、そんな声が上がり始めました。小さな魚が上がったなら掃いて捨てることもできます。それに、暗い夜の沖合の船の上と言う逃げ場のない場所が、いっそう不安にさせます。でも、人間の子供くらいの大きさと言う生々しさが非常に気味悪さと怖さを刺激し、海に放り投げると言う行為に後ろめたさを引き立たせるんです。こんな感情を持つ時点で、私たちは無意識にあれをやっぱり人らしいと認識していました。何ともすることができない我々は、どういうわけか次第に恐怖とともに好奇心がどこからとも湧いていました。いつの間にか皆が、あの生き物の姿に魅入られていたようです。
 一番若い船員が、大胆にも棒で生き物の頭を小突き始めました。皆その行為にひやりとしましたが、何も起こらないので、私も思い切って棒きれで頭の部分を突いてみました。思いのほか柔らかい感触は、以前触れた深海魚と同じような感触でした。骨っぽさはあるけれど、体はぶよぶよしている。そんな感じです。目の部分がくぼんでて、眼球が小さいのは、恐らく光の届かないところで生活しているんだと思えました。普通の魚と同じ感触が得られると、その生物が自分の世界にいるものだと思って俄然勇気が出ます。行動が大胆になって生き物の体をひっくり返しました。背中には、魚らしく薄く大きな背びれがありました。次第に冷静さを取り戻してくると、先程までグロテスクに見えた鱗も、落ち着いてみればオコゼの様なものに見えてきました。そんな風に、簡単ながらもこの生物を調べてみると、ちょっと変わった生物に過ぎないという安ど感が次第に広まっていきました。私は思わず、
「誰だ、人みたいな形しているなんて言った奴は」

というと、どっと笑いまで起こりました。私も笑いながら、その生き物を見ていましたが、一点だけ気になるとすれば、魚だと思えばそうなのですが、どこかそのフォルムがやはり人に見えるように思えます。奇妙な具合に二股に分かれた大きな尾びれは足に見えるし、がっちりとした骨から広がる胸ひれは、いびつながらも腕にも見えてしまう。新種の魚なのだと言う思いと、もしかしたら本当に半漁人の様な怪物なのかという小さな思いが心の中でせめぎ合いました。
 人と思うから発想が飛躍しすぎますが、知性がないたまたま人型の姿の普通の魚と思えば、目の前の生き物の納得がいきます。ただ、人の形に偶然になっただけだと。そんな方向に魚がなるわけないと思いますし、学者でもない私の頭ではそれぐらいのことしか思いつきません。水の中で人型になっても、泳ぐには無駄がありますし、生きる上で有利なことはないように思えます。人が猿から人の形になったのも、何か生存に優位な方向に進んで人型になったのですから、この生物も人に驚くほど似た体形をしているのも何か理由があるはずだと言うのは考えられます。ただ、この海中でそんな必要があるのだろうかと言う思いが、頭の中でぐるぐる回りましたが、やはり答えは出ませんでした。まあ、それは偉い先生方がが考えればいいんです。それにしても、魚に違いないのに人の形をしているだけで、どうしてあの生き物がおぞましいものになるのか、本当に不思議です。人の形さえしていなければ、全く怖くないんですけどね。
 ひっくり返したり、あちこちつつきまわったりして、調べられるだけ調べると、少し気持ち悪いけれど、魚に変わりはないという意見で一致しました。そうなると、問題になるのはこの魚をどうするのかということです。当然ですが、そんな魚は市場で値がつくはずがないので投げるに越したことはありません。しかし、大学などの研究機関だとしたら、いい値で売れることも考えられます。金になるなら、倉庫の端において運べばいいだけです。その事を提案すると、船員は渋った表情を見せました。
「あれを船に積み込むんですか」

「やめときましょうよ。倉庫の邪魔になるし、運んだだけの金にはならないと思いますけど」

「船長、なんかあの魚を載せとくの気味が悪いですよ。なんだかよくないことが起きる気がします」

「あれは捨てましょう今度の漁は調子がいいですし、あんなのを大学に売り飛ばすよりももっとでかい稼ぎができますよ。あんな半漁人みたいなのが船にあったら、せっかくの運が落ちます」

 皆の意見はもっともです。漁はまだまだ続きます。いつまでも、この一匹の魚に構っている暇はありません。とりあえず、作業の邪魔にならない場所にずらそうと手を触れた瞬間、驚く様なことが置きました。
 急に魚が暴れ出したんです。恐らく高い水圧から引き揚げたせいか、腹部がすごい勢いで膨らみ始めたんです。もがき苦しんで泡も吹き始め、デッキは大騒ぎになりました。すると突然は魚は、なぜか私めがけて船のデッキを這いまわってきたんです。発達した胸びれの力で濡れたデッキをすいすいと近寄ってくるんです。もうその姿は魚じゃないんです、地面を這いまわる様にして近づくまさしく半魚人にしか見えません。私は、腰を抜かしてカラーコンテナの山に突っ込み、必死で這って逃げました。半魚人は、そのコンテナの山を目も見えないはずなのに、その体の構造を利用してよじ登ってくると、私のそばにべちゃんと嫌な音を立てて追いつきました。もうホラー映画の登場人物の心境でした、化け物に追い詰められる心境と言うのはここまで恐ろしいのかと。しかし、それだけでは終わりませんでした。あれはわたしの足にしがみついてきたんです。
 大の大人が恥ずかしいですが、すごい悲鳴をあげましたよ。涙や鼻水も出てたかもしれません。それほど、想像もできない感触が足に密着してくるのです。手の様にしがみついてくるひれ、ぶよぶよした腹部、冷たい体温、あの人型を思わせる胸ひれや二股の尾が、私の足にまとわりついてきました。あまりの恐怖に目を開けられませんでしたが、足に痛みが走り思わず目を開けて痛みの出所を見てしまいました。そこには、あの魚の様でいて、しかし口元のラインが思わず人に見えるあの顔があったのです。もう私はパニックになりました。雨合羽越しに噛まれているとはいえ、歯の感触はしっかり足に食い込んでいます。必死で逃れようと足を動かし、助けになる様なものがないかと手を探りました。その手に、タモが触れました。角材でできたその柄の部分で、私はこの化け物を必死で殴りつけました。もう食い殺されるんじゃないかという恐怖ですから、死に物狂いでしたよ。船員も棒きれを持ってこの化け物を振りほどこうとしました。度胸のあるものなどは、素手でつかみかかって顎をこじ開け、私を解放してくれました。
「船長、大丈夫っすか」

「なんとか、な」

 一番若手で血気盛んな船員が、どうやらあの化け物を引き離してくれたようでした。彼の肩を借りて、魚の姿を見下ろしました。魚は腹を上にしてひれを投げ出し、大の字になって絶命していました。死体の下から、血がたらりと流れてきます。魚だと断定したはずなのに、その死体は撲殺されてしまった人間の遺体の様に見えて仕方ありませんでした。自分を襲うために船の中を器用に這い回ってきたあの姿、人の姿にしか見ませんでしたし、おそらく海底の岩場を器用に動き回るためにあの姿になっていったのではないか、今ならそう考えられます。一体、自分たちが殺したのは何なのか、あまりにも人の形をしすぎることが、そこにいた全員に恐怖を与えたのは間違いないです。
「海に投げろ」

 ただそれだけ、私は言いました。暗い夜の海、船の上しか安全な場所はない、その心細さが恐怖を煽り、そう決断させました。私の命令に船員はだれ一人反対せず、奇怪な半漁人のような魚は海に投棄されました。私は部屋に戻り服を脱ぐと、先程噛まれた傷口を消毒し、抗生剤入りの軟膏をたっぷり刷り込みました。痛みはありませんが、かみ傷はくっきり残り、当分消えそうにないことが、今度の事件のことを否応なく思い出させるんだと思うと、気が滅入りました。


 その夜は、何とかかなりの漁獲を揚げたので、少し早いですが、近くの市場がある港へ早めに向かうことにしました。一刻も早く陸に上がりたかったせいもあります。あんなことがあったばかりにしては運が残っていたのか、予想以上の高値で魚が売れました。しかし、私も含めて船員の顔は浮きません。やはり、あの晩の記憶が生々しく残っているようです。この後の漁に差し支えると思い、ポケットマネーを出して、
「これで少し気晴らしに行って来い」

と言ったところ、少しばかり顔に生気が戻り、夜の街に繰り出していきました。私も、少し気晴らしに知り合いの船長と呑もうと思ったのですが、足の痛みがあの日の出来事を鮮明に思い出させ、酒の力ぐらいじゃ気分転換はできないなと思いました。
 港近辺の飲み屋の暖簾をくぐると、知り合いの年配の船長がいました。私の相談相手によくなってくれるい人です。私は、自分の中だけでこの恐怖を持ち続けるのがつらかったので、この船長にあの日の出来事を話してみました。その人は、あらかた話を聞いてくれました。ただ、なぜかあの生物を殺してしまったことについては、なぜか言葉が出せませんでした。
「村上、なかなかおっかねえ目にあったな。けど、網に変な深海魚が紛れ込むのは良くあることだ。その変な形の魚もそういう魚の一種なんだろうし、意外と新種だったのかもしれねえな。そしたら、魚にお前の名前がついたかもしれねえな」

「船長は、そういう魚はみんな港にもってくるんですか」

「みんなはねえな。売り物になるのは大してないし、そういうのはさっさと海に放り投げる。新種かどうかななんて、俺達の頭じゃわかりっこねえし、第一これは稼業だからな、金にならないものはすぐに捨てておかないと、作業に差し支える。学者じゃねえから興味もわかねえし。お前も、船員とその家族の面倒をみる身だ、そこはわかるだろ」

「そう、ですよね」

「ま、奇妙な魚に出会うのは、この仕事じゃよくあることだ。嫌なことなら、酒飲んで忘れてしまえ、ほれ」

 といって船長は、私のグラスに何度も焼酎を注いで色々と話を聞いてくれました。でも、全く酔えませんでした。話せるだけ話して、少しは気が楽になるのが普通でしょうが、私の足には傷口がうずいていて、あの日の光景が鮮明に映るんです。自分に迫りくる半魚人、人にしか見えない流血した死体。酒の力じゃ、追い払えませんでした。
 船長の話では、自分が水揚げしたような奇怪な生物は見たことがないという。船長はこの辺りを主に漁場とし、自分が漁を行った場所もよく行くらしいです。でも、長年の漁師経験でもあんな半魚人のような魚は獲ったことがない。そばで飲んでいた漁師仲間に、酒の肴にとその話をして、そういうことが今まであった聞いてくれましたが、みんな、口をそろえて、そこまで変な魚は見たことがないと口を添えました。
 恐ろしい目に遭い、足にくっきり傷が残るえらい目に遭いましたが、運が悪かっただけだ、そう思うことに努めました。店を出て、一人で波止場を歩いている間も、こういう経験は事故に遭ったものようなものだと、言い聞かせようとしました。みんな見たことがない奇妙な魚を自分は揚げてしまった、それだけのことだと。運が悪かったと諦めればいいじゃないか。そう結論がでかけたその瞬間、ふと恐ろしい考えが頭に浮かびました。
 40年近いキャリアの親父さんが、しょっちゅう同じ場所で漁をしているのにあの奇妙な魚に出会ったことはないと言っている。同じように、近辺で漁をしている何人もの漁師も、出会ったことがないと言っている。みんな酒を飲んで酔ってますから、ホラを吹くことはあっても隠し事できるような雰囲気でもないし、そんな様子がなかった。大勢の漁師が無数の魚を水揚げしてきたのに、あの半魚人のような魚に出会った人間はいない。そして、自分だけがそれを偶然、一匹だけ釣りあげて、殺してしまった。何故、どうして……。次第に、頭の中でおぼろげながらも、結論が浮かび上がりました。
「俺は、新種を見つけたと同時に、その最後の一匹を殺して捨ててしまったのか」
 先生。私は漁師ですから、生き物相手の仕事です。ですから、絶対に殺生に関わります。魚の命で金を稼ぎ、その引き換えに魚を食卓に運ぶわけです。でも、命に感謝しながらどこか鈍感になる。例えば、イワシやサンマは、余りにも多すぎると稼ぎにならない安い魚です。そういうのには、申し訳ないという気持ちと、どこか軽んじる気持ちが両方あります。けど、あの時の私は、それとは違う気持ちで頭がいっぱいでした。この世にいる種の最後の一匹を殺してしまった、その恐ろしさが膨れ上がってきました。
 先生は、海の上の船で起こった突発的なこと、知らなかったことだと言ってくれるかもしれません。確かにそうでしょう。でも、私は、「直接手にかけて殺して、海に捨てた」当事者です。話を聞くだけの先生とそこは違います。この心境は、なかなかわかってはもらえないです。
 一つ結論が出ると、色々なことが頭のん中でわいてきます。UMAとか新種発見とか、たまに新聞や雑誌でみかけます。ホラ話の類いから、真面目な生物的発見を含めて色々見てきました。平凡なものからこんな生物いるのかと思う形の生き物まで色々なものを見ました。ですが、彼らはみんなカエルならカエル、トカゲならトカゲ、蝶なら蝶とそれ相応の形をしています。だから、興味を持ってもらえるし存在も受け入れられやすいんだと思うんです。ですが、私の様にまるで人の形をした奇怪な生き物をみたらどうでしょう。驚いて目の錯覚だと思って見逃す人もいるかもしれません。写真だけでは、誰も本物とは認めてもらえないかもしれません。実物があればなんとか認めてもらえるかもしれませんが、それでも眉唾ものだと思われるでしょう。あんまり奇妙すぎると、普通の人は珍しいと思うより気味悪がって、存在を認めたくないと思って、ああいう半魚人みたいな生物は、実物がない以上は頭からでたらめと決めつけられて無視されてきたのかもしれません。それに実際に出くわした、頭の私ですら認めたくないんですから。
 そんな貴重な生物を私は殺したんです。しかも、もしかしたらそれが最後の一匹かもしれないんです。地球で最後の一匹の生き物を殺す、この気持ちわかりますか。自分の手で、生き物を絶滅に追い込む。絶滅動物を知ってましたが、自分がそれに加担したとなると、こんなに恐ろしいものだとは。私は学校の成績は大したことはありませんが、ニホンオオカミのことを知っています。昔、絶滅したんですよね。その最後のニホンオオカミを殺した人って、どんな気持ちだったんでしょうね。まだ他にもいるさ、と思ったのか、自分の様にそれが最後の一匹と知って罪悪感に苛まれたのか。本当に、最後の一匹を殺したっていう人は、それを知ってどんな思いを持ったんでしょう。どんな一生を過ごしたんでしょう。
 私のやったことは、誰も知りません。船員も気味悪いことでしたから誰も口外したがらないでしょうし、忘れてしまうかも知れません。もしかしたら、
「前にこんな怖い話があってさあ……」

などと、こんな風に軽い気持ちで怪談話をする豪胆な人間もいるでしょう。あるいはそうやって、人に話すことで軽い冗談に変えてしまいたい、それもあるでしょう。でも、私の足にはくっきりとあの生き物の噛み傷が残り、あの夜の出来事を忘れさせてくれません。そして、私が貴重な生物を、しかも最後の一匹を撲殺したことを思い出させます。実際、今も傷は残り続けてます。
 数回の漁を繰り返しながら、自宅に帰る日が来ました。漁の間、船員達はあの日のことを口にしませんでしたが、無理にと言うより次第に吹っ切れている様子でした。しかし、私は漁に出る度に傷を見る羽目になり、どうしても忘れようがありませんでした。家に帰り、なるべく海を見ないように努めました。もう、海が怖くて仕方ないんですね、漁師のくせに。家の庭をボーっと見る日が続きましたが、段々それも落ち着かなくなりました。
 庭にも色々な生き物がいるんですよね。それに気付くと、自分の歩いた後に虫は踏みつぶされた奴はいないか、珍しい生き物を殺してしまっていないか、害虫駆除の薬でどれだけの命を奪って、中には人知れず生きていた新種がいたのではないか、最後の一匹が死んでいるんじゃないか、もうきりがないほどそういうことを考えつくんです。見えてないだけでありえないと言えない、そんなに考えになってるんです。
 安住の場所のはずの布団の中も、今じゃ拷問が行われる様な所です。決まってみる夢は、あの夜の夢です。網にかかった半漁人の様な生き物が、大きな胸びれを器用に腕の様にして甲板を這ってきて、私の脚に器用にがっちりとしがみつき、気持ち悪い笑顔のような顔つきで噛みつくんです。必死でそれを振り払い海に沈んでいくその顔と目が合う所で目が覚める、すると脚の傷跡がかゆい様な感じでうずくんです。そして、湧きあがってくる最後の一匹を殺して絶滅させたかもしれないという罪悪感、知らないうちに貴重な生物を殺してしまっているかもしれない恐怖。またどこかで、あの半魚人を捕まえて楽になりたい、もう二度とあの悪夢には出会いたくない。こんな毎日です。わかっていただけましたか、先生。



 長い話を終え、村上はようやく一息をついた。体験した恐怖と、つきまとう罪悪感。それを洗いざらい話したのは初めてなのだろう。少しだけ、目元に安どの表情が見えたのを、女医は感じ取った。
「村上さん、今話した事はプライバシーですから、誰にも話しませんよ。話してみて、気持ちはどうですか」

 村上は、一息つきながら、ほんの少しだけ張りの声で
「ありがとうございました。全部話せたのは先生が初めてです」

と、言った。張りつめた糸が緩んだのか、少し声が涙ぐんで震えている。しかし、彼の心にのしかかる重しはまだ取り払われていないことがわかる言葉を彼は呟いた。
「生物を絶滅させた罪はあるんでしょうか。そんな罪があるなら、今すぐにでも罪を償いたい。絶滅したって認められるまで何日も何年も待たされるのではなく、今すぐ罪に問われて償いを始めたい。間違いであれば一番ですが、罪にも問われない以上は償いもできない。償えるかもわからない。それがつらいです」

 そう言うと、村上はポケットをまさぐり、何かを取り出すとデスクの上に置いた。それは、鱗の様でいて、また甲殻の様でもあり、醜悪でもありながら艶かしい輝きを放った小さな欠片だった。女医はそれに目を奪われていたが、それが何であるかに気がつき、はっとして彼の顔を見た。
「そうです。あれの鱗です。服の中に紛れ込んでました。これだけが証です、私だけの。もう、信じてくれますよね」

 女医は彼の顔からその鱗に目を移した。醜悪でありながらどこか美しさも感じる小さな欠片に、視線は否応なく釘づけになっていた。真っ白な診察室で、醜くも魅惑的な輝きを小さな欠片だけが放っていた。
空想科学祭2011

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