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ぼくの小指は刺身未満

作者:黒崎伊音
流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
 カツオの刺身を作って、タタキ丼にするという、意味のわからない家庭科の授業、つまりは調理実習中だった。

「……あっ」

 いつの間にか、左の小指が無くなっていた。

 ぼくはそこにあるはずだった小指の先をじっと見つめた。傷口からはどくどく血が流れてくる。カツオは、ぼくが刺身にする筈だった。そして、切れた指先はというと、まな板の上にカツオと一緒に乗っている。

 ぼくの小指は、これからカツオと一緒に刺身になるんだろうか。

 それにしても調理室の刺身包丁の切れ味はすごい。もう業物と言っていいと思う。これならトマトの皮だってきれいに剥けそうだ。牛肉の骨だって、これ一本でスッパリだ。

 そうやってぼくが考えていたのは数秒だろうか、周りはすごい騒ぎになっていた。どうやらぼくがカツオの代わり小指を切ってしまったかららしい。そりゃ騒ぎになるよな。……しかし、小指をスッパリ切ってもれなく重傷(軽傷?)の僕よりも、周りが動揺しているというのは不思議なことだ。

「お、おま! お前、小指切れてんぞ!」

 こんなことをいいながら、僕の無くなった小指を見に、班の人が、いや、調理室中の生徒が集まってきた。中にはカツオと仲良くまな板に乗っている僕の小指を見て、悲鳴をあげる人だっていた。

「痛くないの?」

 騒ぎの中、ぼくに一人の女子生徒が聞いてきた。ぼくがあまりにも冷静なので、逆に心配になったのだろう。そりゃあ痛くないわけない。寧ろこんな激しい痛み、今まで感じたことがない。人生一七年のうち、ベスト・オブ・ベストにもなるだろう。とゆうか、もう、痛すぎて何がなんだかわかんないし、もはや笑う余裕だって出てきた。それとも血が流れすぎて頭がおかしくなってきたのかもしれない。人間って、三分の一血が無くなるとぶっ倒れて、二分の一無くなると死ぬんだよな? じゃあまだまだ大丈夫のはず。ぼくの頭は大丈夫。ぼくは女子生徒の質問に、首を横に振ることで答えた。

 先生がやってきた。先生は僕の血がどくどく流れている傷口と、刺身になるかもしれない指先を見ても、全然冷静だった。

先生の判断はとても速かった。ぼくは班の人に付き添われて保健室に行った。保健の先生は、まるで自分が激痛を感じたかのように顔を歪めながら包帯を巻いた。ぼくの左手はあっという間に包帯でぐるぐる巻きにされた。ちょうど痛みにも慣れた頃だった。

 指が一本無い、ということは非常に不思議な感覚がした。指先を動かそうとしてもないわけだし、何よりも十分ぐらい前までは当たり前のように手についていたのだ。一本無くなっただけでも、自分の手が不完全なものになってしまったようだ。残りの四本を動かしてみても、なんだかぎこちない。試しに保健の先生の机からシャープペンを拝借して握ってみたら、ちっとも力がはいらなかった。

 ぼくの爺ちゃんは、右手の親指と人差し指がなかった。太平洋戦争に駆り出されて、敵兵の銃に撃たれた、と言っていた。爺ちゃんは、幸い左利きだったし、また戦争から帰ってこれただけでもよかったと話していた。それでも三本の指では不自由したに違いない。と、ぼんやり考えていたら、調理室の先生が入ってきた。

 ぼくは保健の先生の車で近くの総合病院に行くことになった。カツオの調理実習はそのまま続けられるらしい。……ほかの生徒がぼくみたいに指を切ることがないことを祈るばかりだ。ぼくがだらだらと流した血は、調理室の先生の指示の元、きれいに片づけられたらしい。ぼくが刺身にするはずだったカツオは班の誰かがさばいてくれるらしい。残りは……

「ぼくの小指は刺身になるんですか?」

 気になるのはそれだった。
 二人の先生は、とても微妙な顔をした。ぼくは調理実習中指を切断して泣きもしなければ騒ぎもしないし、顔をゆがめたりもしなかった。二人の先生は、そんなぼくという存在だけでも珍しいのに、党の本人がそれどころか変な事を聞いてくるもんだから、きっと頭がおかしくなったと思うだろう。しかしぼくが最後に見た小指はカツオと一緒にみんなに食されるのを待っているかのような姿だった。小指が心配だ。

 ぼくの小指はこれからカツオと一緒に刺身になるのだろうか。

 しかし二人の先生は、そんなぼくに「あるわけない」と口をそろえて言った。小指は、今もまな板の上に乗っているのだろうか。いや、それはない。カツオの捌きは、今はもう誰かがやってるだろうし。じゃあどこに行ったんだ?

 ぼくは保健の先生の車に入れられた。行き際、保健の先生は調理室の先生に何かを渡されたようだけど……一体なんだったんだろう?

 保健の先生の運転は、すごい荒かった。公道なのに、軽の車なのに、ジェットコースターにでも乗っているような気分になる。もう二度と乗らないと心に誓った。いや、むしろ保健の先生の車に乗るようなことは起こすもんかと思った。

 その運転のおかげか、総合病院までは普通なら十分かかるところ、五分ほどでたどり着いた。

 病院に着いて、向かった先は外科だった。
 ぼくは保健の先生(いまさらだが以下保健医)の運転でへろへろになっていたので、調理実習中に切断したとしか説明しなかった。

「切断、ですか?」

 外科の先生(超美人)はそう言ってぼくの左手の包帯を解いて、傷口を見た。あーこれは綺麗に切っちゃいましたねーと、美人外科医は言った。

 保健医と美人外科医は、何か話していたようだけど、ぼくはその時、昔爺ちゃんから聞いた、凄腕の料理人なら魚をスパッと切っても切れ味が凄すぎて切ったことも気付かずにそのまま泳ぎだす、という話を思い出していた。

 原理が同じだったらぼくの小指もくっつくはずだ。傷口もきれいだったし。あーでも、無理かなぁ……と思っていたら。
 保健医が、鞄の中から何かを取り出した。

「これが切れた小指なんですけど」

 ぼくは、あっと声をあげた。
 鞄から出されたものは、ぼくの、刺身になるはずだった小指だった。しかも袋に入れて、氷漬けにしてあった。

 美人外科医は、やはり切れた部分をじっと観察した。そして、
「じゃあ今すぐ接合手術します」
 と言って、ぼくを手術室に連れて行った。
 どうやら氷漬けの小指は、くっついてくれるらしい。

 手術はあっという間に終わった。
「これで終わりですか?」
「ええ、終わりです。もう動きますよ」
 美人外科医によると傷口がきれいだったことがよかったらしい。傷口が汚いと接合できないし、対応が早かったのも功を奏した。時間が過ぎた後でも、やはりくっつかないらしいから。縫合の跡が気になるけど、神経はつながったみたいだし、小指はちゃんと動いてくれた。手をぶらぶらしてもとれる様子もない。

 小指切断から一時間も経ってないけど、戻ってきてくれた。美人外科医の手術技術……ではなく、現在の外科医学は本当に素晴らしいと思った。もちろん前者も素晴らしいのだけれど。

 しかし小指切断の今回の事件は、ぼくの人生の中でも大事件中の大事件、重傷中の重傷だ。それが小一時間程度で終わってしまったのは、なんだかあっさりしていたというか、拍子ぬけというか、という気分だ。戻ってきて、動いてくれたのはうれしいけど、え、これで終わり? って感じだ。まぁ別にいいけど。

 小指を鼻に近付けて、匂いを嗅いでみた。

「……なにしてるの?」保健医が聞いてきた。

「いや、カツオを捌いているときスッパリ切って、しかも切った後しばらくまな板の上にあったから、小指がカツオ臭くなっているんじゃないかと思って……」

 保健医と美人外科医はそんなぼくに苦笑を返した。

 小指からカツオの生臭い匂いは、しなかった。そのかわりに手術するとき左手を消毒したので、消毒液臭くなっている。……生臭いよりはいいか。

 美人外科医に「お大事に」と言われて、病院を出た。もう帰っていいらしい。

 ぼくはこれからまた学校に戻る。そして、まだ終わってないだろう調理実習に、再参加する。


 行きと違って帰りの運転は実に安全だった。
「あの運転? あれは急いでたからよ。早く指くっつけなきゃいけないでしょ」
 ということらしい。しかしいくら急いでいたといっても、あんなジェットコースターばりの運転は御免蒙りたいものだ。
「それにしても君、よく騒がなかったわね。その上刺身になるかとか聞いて、こっちがびっくりしたぐらいよ。前こうなった子はすんごい大騒ぎしてたのに」

 ぼくはそれを聞いてぎょっとした。前って、前もそんなことがあったのかよ。しかしそうなると、調理の先生が妙に冷静だったのも納得がいく。前にあったからだ。それでも、なんとなく聞いてみた。

「前もあったんですか?」

「ええ、あったわ。その時の調理実習はの内容はなんだったか、よく覚えていないんだけどね、その子が人差し指を切っちゃったのよ。君みたいにスッパリ切断したわけじゃなくって、くっついてたんだけど、傷が深くてね。女の子で、切った時も手術中も号泣いてて、すごい大変だったわぁ。それと比べると男の子はやっぱり違うのかしら」

 いや、そうゆうことでもないと思う。確かにこれまで感じたことがないほど痛かったけど、きれいに切れちゃったなぁとぼーっと見ていたら、泣くことも騒ぐことも忘れていただけだ。別に痛みに鈍感だとかいうことでもないし。つまりは騒ぐタイミングを逃してしまっただけのことだ。

 車の時計を見た。時刻は十一時だった。調理実習は三時限かけて行われる。今は三時間目だった。

「今は試食時間でしょうかね」

「スムーズに進んでればそうでしょうけど、……君、これから参加するつもり?」

「そうですけど」

「君は変わってるねぇ……おや」
 保健医は前方を見て、声をあげた。ぼくはなんだろうとおもって、同じように前を見てみた。

「あらっ」「うわっ」

 前にいたのは、猫の死骸だった。車に撥ねられたらしく、道路の隅に転がっていた。毛皮は赤く染まっていて、周りには蠅が群がっていた。

 保健医の車は、そのまま猫の横を通りすぎる。飛び散ったらしい、猫の内臓が見えた。

「……かわいそうに」

 ぼくはそんな保健医のつぶやきに何も返さなかった。
 猫はあれじゃあもう助からないという状態だった。
 猫を見たぼくの顔は、自分が思った以上にひきつっていたようだ。
 保健医は運転の横眼でそんなぼくを見て、

「……君は自分の指がとれた時はまるで冷静だったのに、猫の死骸を見ると、そんな悲しそうな顔をするんだね」

 やっぱり変わっているね、と付け足した。
 ぼくはくっついている小指を見つめた。
 こうして指はぼくのもとに帰ってきてくれたけど、あの猫の命はもう戻ってこないのだ。処置が早かったからぼくの小指はくっついたけど、あの猫は死後もだいぶ放置されていたようだった。
ぼくの指は不注意でとれたものだけど、猫は事故だった。

 自分の指から流れた血の色より、猫の毛皮に飛びついていた血の赤い色のほうが、ずっと痛々しく感じられた。

「……調理実習、出る?」

 保健医が再度聞いてきた。

 ぼくは、出ますよ、と答えた。
 ぼくの小指は、とれたけれど戻ってきてくれた。爺ちゃんの指みたいに吹っ飛んだり、猫の内臓のようにほったらかしにされたものでもない、幸運者なのだ。だったら、これからも最大限活用しなければならない。

 そんなことを考えながら、猫の冥福を祈った。

                    (おしまい)


初めて書き上げた小説がコレでした。

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