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恋多き王子の悩み

作者: 桃園沙里

 昔、ある所に美しい王子がいました。

 父ゆずりの精悍さと母の優美さを兼ね備え、生まれながらの気品と優雅な立ち居振る舞いで、会う人全てを魅了するような、素敵な王子でした。少々軽率な所もありましたが、それすらも彼の若い魂を引き立て、人々の目には好ましく映っていました。


 皆に愛される王子でしたが、ただ一つ欠点がありました。

 魅力的な女性を見ると、すぐに恋に落ちてしまう癖があったのです。

 この美しい王子に甘い声で囁かれて拒む女性などいません。いつでも王子は難なく思いを遂げ、愛し合い、しかし幸福な時間もつかの間、王子はまた違う女性に目移りしてしまうのでした。


 そんな恋多き王子も、二十五歳になった時に今の妃と結婚しました。身分の高い人間にはよくあるような政略結婚です。

 結婚相手である隣国の姫とは、結婚式の一週間前に初めて会いました。とても美しい姫だったので、王子は一目で好きになりました。

 結婚前の期間が短かったことも幸いし、結婚後も王子の気が他へ向かうことなく二人は仲睦まじく暮らしました。やがて二人の間に跡取りとなる男の子が生まれると、周りの人々は、王子はなんて幸せなんだろうと言い合いました。

 しかし、実のところ、王子には人知れず悩みがあったのです。


 ある日、王子はこっそりお城仕えの魔法使いを訪ねました。

 王子が子供の頃から既に老婆だった魔法使いは、お城の庭のはずれ、木立に囲まれた古い館を与えられていました。

 王子はお供と馬を外に待たせ、出迎えた魔法使いと共に中へ入りました。


 部屋の中は薬草の不思議な甘い匂いがしました。

 広い部屋はいくつかの大きな衝立てで仕切られていました。時々こうしてお忍びで訪れる王族やお城の人を迎えるために、応接用の間を作ってあるのです。

 衝立ての向こう側は、魔法の研究部屋です。書物がぎっしりの本棚と、薬壷や薬草、綺麗な色の液体が入った瓶や魔法道具などが所狭しと置かれているのが、わずかな隙間から見えます。

 魔法使いは王子を部屋の中央にあるソファに座らせると、ガラスのポットからカモミールの香りのするお茶をティーカップに注ぎました。

「ここを訪ねて来られるのは何年ぶりですかの。それで、一体何の御用が」

 王子は、魔法使いが差し出したお茶に口も付けずに言いました。

「一度でいいから燃えるような恋がしたい」

 王子の言葉を聞いて、魔法使いは驚きもせず淡々と言いました。

「私は、妻子がいるからと言って恋をしてはならないなど無粋な事は言いませぬ。しかし王子は今までにも数えきれないくらい、情熱的な恋をしてきたではありませんか。まだ足りないのですか」

「確かに私はたくさんの女性を愛した。また、たくさんの女性に愛された。だが、この身が焼尽されるような恋を経験した事がないのだ。私が王子と言う身の上だからか、大抵の女性は難なく手に入る。私には、どんなに愛しても振り向いてくれない、そんな経験が一度もない。一度でいい。手に入らずに身悶えするような恋をしてみたいのだ」

「なんとまあ、贅沢な」

 魔法使いはあきれ顔で言いました。

「先だっての人魚姫との話は、魔法使いの間でも有名ですぞ。あんなに愛し合っていながら、人魚姫が自分の声を捨て人間になった途端、他の女性に目移りした、その結果、人魚姫は海の泡となって消えた、と」

「あれは彼女が悪いのだ。いくら愛し合っても相手は人魚、自分の思いを遂げられぬ。しかしそれが楽しくもあったのだ。それなのに、彼女はただの人間の女になって、しかも私が愛していた歌声さえも捨てたのだ。ただ美しいだけの人間の女だったらどこにだっている。私は美しい歌声の人魚姫を愛したのだ。仕方がないことだろう」

 ふむふむ、と魔法使いは子供のわがままを聞き流すようにただ頷くばかりです。

「それで、王子の願いは」

「私はただ一度でいい、叶わぬ恋というものを経験してみたい。簡単に手に入る女性ならいらぬ。どんなに私が愛しても振り向いてもらえぬ女性と恋がしたい」

「ならばいくらでもおりまする。例えば、氷の心を持った北の魔女、或いは美しい物が大嫌いな女神、はたまた男性に興味がない花売りの娘」

「いいや、全く私に関心がないというのもいやなのだ」

「と言うと」

「どんなに恋いこがれても振り向いてもらえぬのだが、最後には愛し合える、という」

「なんと、わがままなこと」

 ホッホッホッと魔法使いは声を出して笑いました。

「しかし、最後には振り向いてもらえる、というのがわかっていたなら、つまらないでしょう」

「うむ、確かにそうなのだが、全く叶わないというのは面白くない」

「ふうむ」

 魔法使いは少し考えてから言いました。

「少々難しい魔法になります。一晩、魔法書などを研究してみましょう。明日またいらっしゃい」

 王子は来た時と同様、こっそりとお城に戻っていきました。


 翌日、王子が再び魔法使いの部屋を訪ねると、老婆は明るい笑顔をして迎えました。

「王子の願いを叶えましょう」

「おお」

 王子はパッと瞳を輝かせました。

「但し、報酬は高いですぞ」

「わかっておる。金貨百枚か、それとも丘一面のぶどう畑。何でも言っておくれ」

「ふっ、魔法使いには金銭などいりませぬ。魔法の報酬はいつだって決まっているもの、王子の一番大切な物と引き換えです」

「一番大切な物」

「例えば一歳になったばかりの息子の命」

「それはならぬ。我が息子は私にとってもこの国にとっても大事な跡取りなのだ。他の物ならば、何でも望み通りの物をあげよう」

「ならば二番目に大切な物を」

「二番目、というと父か、母か」

「いいえ、王子のお妃様の命」

「なんとばかな」

「国同士で決めた政略結婚、元々愛なんぞない。現に王子は新しい恋を求めていらっしゃる」

「いいや、私が求めているのは一時の戯れ。確かに政略結婚ではあるが、彼女は生まれも容姿も我が妃にふさわしく、慈悲深い心も威厳のある気品もこの国の皇太子妃として何一つ申し分がない。私は妃を愛している」

「ではその愛しているお妃が、明くる朝になっても目覚める事がなかったら、あなたはどうなされましょう」

「言うな」

「召使いの気が狂ったような声に呼ばれて部屋へ駆けつけると、眠ったように死んでいる美しいお妃」

「まさか」

「あなたがどんなに呼んでも、どんなに泣き叫んでも目を覚まさない。窓の外からは、母の死を知らずに幼子が笑う声がする」

「おお」

 王子の目が潤んできました。

「若いお妃を亡くされた王子の姿に、国民が皆、涙するのです」

「ああ、なんと魅惑的」

 王子は悲しい想像に酔いしれました。

「私が頬を撫でてもバラ色に染まる事はない。色を失った唇に口づけても、その口は永久に開く事はないのだ。おお」

「幼子が母親を求めても、その子を抱きしめる腕はもう動かない」

「ああ、私は妃を心から愛していた」

 王子の頬が紅潮しました。

「すばらしい。想像しただけでこんなにも甘美な思いに浸れるとは。戯れの恋などよりずっとすばらしい」

「ではお妃様のお命をば」

「うむ。そして、皆が涙に暮れているその時、私が心を込めてキスをする。すると彼女のまつげが揺れ、そっと目を開く」

「いいえ、それはありませぬ」

「なぜだ。簡単に人の命を奪う事が出来るのだから、生き返らせることなどわけないだろう」

「魔法使いにもできぬことはあります。一度死んだ人間を生き返らせることは、私にもできませぬ」

「どうしてもできぬのか」

「できませぬ」

 王子の心に迷いが生じたようでした。

「貴方に捨てられた人魚姫は、海の泡になって消えました。あの時の王子は残酷だった」

「人魚姫と我が妃は違う」

「でも今、お妃様の死を想像して甘美な思いを感じています」

「そうだ。私はどうしたらいいのだ」

「毎日、お妃様に訪れる死を想像して暮らしなさい。ならば害がない」

「害がない。害がない物にどうして心奪われよう。現実には訪れることのない妃の死を想像することの、何が楽しい」

「しょうがないお方」

 ふっと、魔法使いは薄笑いを含めたため息をつきました。

「王子はいつだって矛盾を抱えておられる」

「お前ならその矛盾を解決してくれると思っていたが」

「簡単にございます。王子が決心なさればそれだけで済むこと」

「決心とは」

「そもそも王子がここへいらっしゃった理由を考えてごらんなさい」

「私は燃えるような恋がしたかった」

「ええ、その願いを叶える代わりに、お妃様の命をちょうだいするというもの」

「だがそれは」

「王子は燃えるような恋を手に入れ、さらにお妃様の死と言う貴重な体験もできまする」

 王子ははっとした。

「確かにそうだ」

「お妃様は亡き人となり、貴方は悲劇の王子、その悲しみに飽いた頃、身を焼尽すような新しい恋に出会う。あとはそれを王子が望むかどうか、イエスと頷けば全て思い通り。簡単なことにございます」

「しかし、私は」

「一度しか申しません。王子の願い、聞き入れましょうか」

「……う、うむ」

 王子は微かに首を縦に振りました。

「わかりました。では全て王子の願い通りに」

「待ってくれ」

「大丈夫、このことは他言いたしません」

「ひと月後にしてくれないか」

「何をです」

「その、……妃の命を奪うのを。ひと月、想像して楽しみたいのだ」

「ほほほ、本当に王子、貴方という御人は。ようございます。存分にお楽しみくださいませ」

 こうして王子と魔法使いの契約は成立しました。


 王子が部屋を出た後、魔法使いは衝立ての奥に向かって声をかけました。

「これでよろしかったのですね」

 衝立ての後ろから、王子の妃が現れました。

「ごくろうであった。礼を言います」

「これで当分の間、王子は良き夫であることは間違いありません。ああ、でも、そんなに時間はありませんね。お約束通り、明日の朝には王子は」

 王子妃の美しい顔が青白く透けました。

「後悔しても遅うございますよ。王子のお命、確かにいただきます。貴方は賭けに負けたのです。もし王子が、お子の命、或いはお妃様の命を惜しんでばかばかしい願いを諦めたなら、私は二度と王子が浮気しない魔法をかける。万が一、そうでなかった時には」

 王子妃は首を振りました。

「そなたが昨日私に知らせてくれた時はまだ、私は王子を信じていました。いくら王子が不誠実な男性でも、私を裏切りはしないと」

「お妃様を愛しているとはおっしゃっていました」

「でも、私の命より自分の快楽を選びました」

「私は忠告いたしましたよ。私が子供の頃から見てきた王子なら、ありえぬことではないと。無謀な賭けでした」

「私は王子を信じていたのです」

「人間とは不思議な生き物。貴方も人魚姫も、王子の自分への愛が永遠であると信じて、やすやすと命を賭けてしまわれる。尤も貴方の場合は自身のお命でなく、愛する王子のお命でしたが」

「いいえ。私は、愚かな人魚の娘とは違います」

 魔法使いは、王子妃の自尊心を傷つけぬよう、柔らかな口調で言いました。

「ええ、確かに、王子もおっしゃられました。人魚姫とは違うと。貴方は人魚姫よりも賢明でいらっしゃる。ご自分の命を賭けたりしません」

 その時、王子妃の青い瞳に、一瞬冷酷な光が灯ったように見えました。

「当然です。恋のために命を捨てるなんてばからしい。私はいずれ国母となる身ですもの」

 魔法使いは、その瞳に気づかなかったふりをしました。(了)

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― 新着の感想 ―
[一言] 追伸:魔法使いは王子に恨みがあったんでしょうか?明らかにこの結末へ誘導してますが
[一言] 王子ざまぁ と思いました。
[一言] 王子の気持ちはかなりの男が理解出来るでしょう。 キープしたまま身を焦がす。 ズルい男 王妃はリアリスト 男女共にこんな人、いますよね
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