霧雨の中で
お前、幽霊というのを見たことがあるか? いや、答えなくたって良い。多分、見たことないとか、言葉だけなら知ってるなんて答えが返ってくるだけだからな。もっと酷い時には、頭の心配をされたことさえある。
ただ、こうやって問い掛けることだけは止める気が無いんだよ。なんでかって? 俺にはそれが見えるからだ。
おいおい。距離を置かないでくれ。傷つくだろうに。嘘とかじゃあないんだよ。本当に見えるんだ。頭がおかしいんじゃないかって? そうかもしれないが、話を聞いてくれるだけでも良いじゃないか。
何から話せば良いのか………古墳は知ってるか? そう。まあ、昔の人のお墓だよ。ピラミッドなんかもそういうもんだろ?
俺にとって身近なのは、前方後円墳って奴さ。あの鍵穴みたいな形のやつだな。四角い方が前なんだぜ? 知った時は驚きだよな。まあ、小学校で習う様な話だから、今さらか。
そこでだな。俺は初めてそれを見たんだ。だから幽霊をだよ。ああいう場所は立ち入り禁止だろって? 知ってるよ。けど、いちいち監視員なんて居やしないんだ。柵を越えて、堀でブラックバスなんか釣ってる奴なんて良く見るだろ。
俺が子どもの時分なんて、もっと酷かったんだぜ? あそこは小学生の遊び場だったんだ。
木が沢山生えててな、地面を掘れば土器って言えば良いのか? そういうのが出てきて、これは伝説の道具だとかなんとか。罰当たりなことをしたもんさ。
そうだな。罰が当たったんだよ。ああ。
ありゃあ、今日みたいな雨の日だ。こんな霧雨みたいにじめじめするばっかで嫌な天気。俺だけかもしれないが、こういう日って、別に外に出るのが億劫になったりはしないんだよな。
傘もささなくて良いかってくらいでさ。けど、その時の友達は、こんな天気の日にインドアで遊ぶタイプばっかりだったわけ。天気はこんなだけど、外で遊びたいなんて思うのは、俺くらいなもんさ。
そうだよ。良く分かってるじゃないか。古墳へ遊びに行ったんだよ。何考えてるのかって? その時の俺に聞いてくれよ。今の俺に聞かれても、馬鹿なことをしたとしか答えられねえよ。
古墳ってのは堀に囲まれてるが、良く遊ぶ場所だったそこには、コンクリートで固めた橋みたいなのがあったんだな。泳げない距離じゃあないが、誰だってあんな汚い堀には入りたがらないよな。だから、その橋が古墳へ行ける唯一の道だったわけだ。
こんな天気の日だ。碌に清掃もされてないコンクリ橋を渡るのはひやひやもんさ。ぬめぬめして、ちょっと滑れば汚い堀に落ちるかもなんだよ。だけど、まあ、そういうのが楽しかった時期があったんだ。俺にはな。
幸運にも橋を落ちなかった俺は、目当ての古墳に辿り着いた。何がしたかったのかって? 多分だけどな、非日常ってのを見たかったんだと思う。雨の日っていうのは、人の往来が少なくなるだろ? 降り始めた時なんか、埃の匂いがしてな。それが、なんというか、何時もとは違う世界を見せてくれる様な、そんな感じがするんだよなあ………。
その時の俺もそうだったんだ。思い出したよ。来年には中学生になるって頃だった。どうにも不安で、現実から逃げ出したいって衝動が強くなってたんだ。
だからさ、そういう思いに向こうも答えたのかもな。何がって………わかるだろ? その幽霊がだ。
コンクリ橋を渡って、湿って不快な地面を歩きながらさ、木々の間を抜けるんだ。何があるなんて期待しちゃあいないよ。ただ、冒険じみたことをしたかったんだ。その向こうに何かあるなんて、本気で思っちゃいなかったんだ。
けどな、その時はあったんだ。あっちまったんだ。それが。影みたいな奴だった。沢山生えてる木のせいで、はっきりと見えなかったけど、影なんだよ。霧雨の中、ぶれる様に影が動いてやがった。
おい、話を逸らすなって。雨が強くなってきた? 窓の外を見て見ろよ。霧雨のまんまだ。雨の勢いなんて変わってねえよ。
だからさ、見たんだよ俺は。最初は、俺みたいに奇特な奴がもう一人いたのかって思ったよ。けど、違うんだ。人間ってのはちゃんとバランスの取れた形をしてる。肩から腕が繋がって、手があるんだ。腰の根本から足が二本生えてるもんなんだよ。
けど、その影は違う。自分の形を見失っちまってるんじゃあないかって俺は思うよ。そいつは多分、古い幽霊なんだ。古墳に現れるんだからそういうもんだって、俺が勝手に考えてるだけだけどな。
そいつの腕はな、肩から伸びたと思えば脇腹に落ちたり、足の根本が急に腹に移動したりさ。そう、ちゃんとしてないんだ。ずっと四肢が……頭に至るまで、まるで位置が定まらない。こう言っちゃあなんだけどさ、踊ってる様に見えたよ。体全体がぐねぐね踊ってるんだ。
ちゃんと立とうとしているのに、体の形が分からないから立てない。そんな感じさ。
俺? 俺がそれを見てどうしたって? 逃げようとしたさ。当たり前だろ? 非日常を見たいなんて言っても、本当にそんな世界を目の当たりにしたら、逃げ出すのが普通だ。
ただ、物音を立てたのがまずかったんだろうな。気付かれたんだよ。首だけがな……まあ、その首だってぐにゃぐにゃしていて、胸から生えてる時だってあったけどさ。それが、ぐるりって、こっちを向いたんだ。
目がな、ちゃあんと二つあった。口はどうだったかな………駄目だ、思い出せねえや。ただ、笑ってたって記憶だけが残ってる。
そいつに見つけられたって気付いた後はさ、すぐに振り返って、必死に逃げたよ。足場も悪いし、木だって邪魔だ。
けど向こうだってまともに動けやしないんだろうな。あのぬめりけのあるコンクリ橋を慎重に渡った時も、追い付かれることは無かったよ。
どうだ? これが俺が始めて幽霊を見た時の話さ。信じるかい? はは。やっぱり半信半疑かよ。ま、仕方ないわな。
ただ、実はこの話には続きがあるんだ。聞きたいかい? そうだよな。続きは気になるよな。ありゃあ、幽霊を見て暫く経った日のことさ。その日もやっぱり天気は霧雨。まるで靄がかかっている様な日で、俺は幽霊を見た日のことを思い出して怯えていたんだよ。
さすがに外を出る気分にはならなかったな。家の中でガタガタ震えてさ。それでも退屈だから、偶に窓の外を見るんだ。
そうしたらさ、気が付いちまったんだよ。向こうの方の………何軒か先の家の屋根に、影があったんだ。
すぐに分かった。あの古墳で遭った影だって。丁度、古墳とこの家の間にある民家だったっていうのもあるが、あの、踊る様に不定形なあの影は、忘れようたって忘れられないのさ。
そいつが霧雨の中、屋根の上で踊ってるんだ。俺はすぐに窓から目を離した。だけど、やっぱり目が合っちまったんだと思う。今日みたいな雨の日になると、そいつがいるんだ。もっとこっちに近い屋根の上でさ、踊ってるんだよ。雨の日の度に近づいてる。
おい、だから雨は強くなってないって言ってるだろ! …………わ、悪い。だけどさ。なんでいちいち、お前は窓の外を覗くんだ? え? 今日も雨だから、もし本当の話なら見えるはずだって? はっ………はは。お前、俺の話をちゃんと聞いてたか? もう随分と昔なんだぜ? 今もその窓から見えるわけないだろ………。
なら嘘の話だろって? ああ、かもな。俺がお前を怖がらせるための嘘を吐いてるかもしれない。ただな、ちょっと質問をさせてくれよ。簡単な質問だ。
なんで、雨の勢いが強くなったと思ったんだ? 窓の外を見て見ろよ。相も変わらず霧雨だ。それだって、そろそろ晴れる頃合いだろうさ。
なあ、そう怯えるなって。もう気が付いてるんじゃあないか? 雨音が止まないよな? 随分と変な雨音だと思ってるんだろう?
大粒で、そのくせ音の鳴る回数が少ない。なあ、気が付いてるんだろう? おい、どこへ行く気だ。話はまだ終わってないぞ。俺を一人にするな。あの影はすぐそばまで来てるんだ!