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ナタリア姫と忠実な騎士 作者:ナツ

本編

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幕間~フィンとマアサの攻防~

 「今、なんとおっしゃったの? マアサ・リカルドって……。リカルド男爵家のご令嬢というのは、貴女のことでしたの?」

 目の前のヘンリー・フィッツラルドなど最早目に入らない、と言わんばかりに、フランチェスカは血相を変えてマアサに詰め寄った。

 彼女が何故そんなに興奮しているのかは分からないが、今さら発言を撤回するわけにもいかない。
 堅物で知られるあの父が、まさかとは思うが、社交界中の噂になるような何か不都合なことをしでかしたのだろうか。

 さあっと血の気が引く思いで、マアサは頷いた。

 「えっ。ええ。父は確かにリカルド男爵ですけれど」


 「ああ、神様。感謝します!! こうしてはいられないわ。マークを探さなくては! 私達急用を思い出しましたの。失礼いたしますわ、フィッツラルド様」

 マアサには何が起こっているのか分からない。
 混乱しているうちに、フランチェスカにまたしても攫われる羽目になったのである。


 頃合いを見計らって、フィンとエドワルドは煙草くさいカードルームを抜け出した。二人とも煙草を嗜まない。慣れない強い匂いと目に染みる煙のせいで、あれ以上居座ることが出来なくなってしまったのだ。

 「それで、どうするんだ? 私は隊長に一言挨拶してから、宿舎に戻るつもりだが」

 宴は半ばを過ぎている。退出しても失礼にはあたらないだろう、とエドワルドが言えば、フィンは酒が回ったのか僅かに上気した顔で首を振った。

 「母上がいらしているはずだからな。挨拶しておかなくては。父に見つからないように、祈っててくれよ。あの話をここでも蒸し返されたら、たまらない」

 「レディ・パッシモがいらしてるのか? では、私も一言ご挨拶を申し上げるとするか」

 幼い時分に産みの母を亡くしたエドワルドに、幼友達のフィンの母であるフランチェスカはとても親切にしてくれた。
 十歳になるまで誕生日には必ず手編みのセーターを贈ってくれたし、遊びに行くと焼き立ての菓子を振る舞ってくれた。騎士学校の宿舎にも、二人宛てに多くの差し入れを送ってくれたものだ。
 伯爵夫人という身分にしては随分くだけた人柄で、家庭の暖かさ、というものをエドワルドに味わわせてくれた恩人でもある。

 「そうしてくれると、母も喜ぶよ。――ああ、噂をすれば、ほら」

 「フィン! もう、あなたったら。随分探したのよ!」

 雌牛のような勢いで自分の元にやってきた母の瞳は、苛立ちと奇妙な興奮をたたえている。その手は、濃いピンクのシフォンドレスを着た艶やかな妙齢の女性の腕を、しっかりと握りしめていた。

 「すみません、母上。……っと。そちらの女性は?」

 どこかで見た顔なのだが、すぐには思い出せない。
 後ろでエドワルドが身じろぎするのが分かったが、フィンはたちまちその女性から目が離せなくなった。
 ほっそりと優美な体に沿ったドレスは、一目で高価だと分かるものだった。名高い貴族のご令嬢なのだろうか。それにしては、今までパーティで一度も見かけたことがない。
 一体、誰なんだ。
 こんなに美しく色っぽいご令嬢を今まで見落としていたなんて、自分が信じられない。

 「マークも見つからないし、どうしようかと思っていたんだから!」

 大勢の招待客でごった返すホールを無理やり突っ切ってきたのか、フランチェスカは軽く息を切らしている。
 母を宥めようとフィンは、その肩に優しく手を乗せた。

 「母上、落ち着いて。一体どうされたんです? 父上なら、トレモア侯爵と一緒にいるのをだいぶ前に見かけましたよ。仕事絡みの話をされていたようなので、声をかけるのは控えましたが。……さあ、まずその手を放して差し上げて下さい。彼女の手袋の下には、母上の指の痣が残ってるに違いない」

 「ああ、本当にごめんなさい、マアサ。こんなにあちこち連れまわすつもりはなかったのよ。どうか、気を悪くなさらないで」

 今気が付いた、というように慌ててフランチェスカは手を放し、うっすら額に汗を浮かべているマアサを振り返った。
 彼女のゆるやかに結い上げた豊かな髪から、一筋のこぼれた束がくるりとうなじにかかっている。フィンは、魅入られたようにその白い首筋を眺めた。

 無理やりうなじから視線をはがして、母の連れであるその女性の顔に再び目を向けると、燃えるような光を帯びた青い瞳にぶつかった。

 「母が不躾なことをしたようですね。代わりにお詫びいたします、可愛い方」

 「リカルド嬢よ、フィン。こちらがリカルド男爵のご令嬢なの」

 「…………え」

 普段は滑らかによくまわる口が、ピタリと閉ざされる。
 いきなり頭から冷水が浴びせられたとしても、ここまでは驚かないだろう。
 唖然としたままのフィンの背中を、エドワルドが軽く小突いた。

 「気付かないのか。彼女は、ナタリア姫の侍女じゃないか」

 小声でそう言われ、もう一度マアサの姿をまじまじと見つめる。
 お仕着せの紺色の襟のつまったワンピースを着せ、赤褐色の鮮やかな髪をひっつめて一つに結べば――。

 「ああ。そうだ、貴女は」

 「ようやく思い出して頂けて光栄ですわ、パッシモ様」

 マアサの声に込められた鋭い皮肉に一瞬怯んだフィンだったが、すぐさま体勢を立て直して「少年のよう」と令嬢方に受けのいいはにかんだ笑みを浮かべ、うやうやしく一礼を取った。

 「すぐに気づかなくて、申し訳ない。4年前には出会っていたというのに、貴女がこんなに美しいことを今知るなんて、自分の愚かさに呆れてしまう。わたしがナタリア王女殿下付きの近衛騎士であったなら、もっと早くに気づいていたでしょうに」

 自分の結婚相手として思い浮かべていたのは、強情な顎と気かん気な瞳を持つ厳めしいオールドミスだった。いつまでも嫁にいこうとしない娘をなんとか未来の伯爵夫人に仕立てようと、頑迷な男爵が策を弄しているのだと思っていたのに。

 ありていにいえば、マアサは非常にフィン好みの外見をしている。
 ――性格はきつそうだが、じゃじゃ馬娘を自分好みに調教するのも楽しそうじゃないか。
 先ほどまで感じていた陰鬱な気分など吹き飛んでしまった。
 どうやって目の前の令嬢を口説き落そうか、とフィンは目まぐるしく思案し始めた。

 「今日は殿下の侍女ではなく男爵令嬢として、このパーティに? そうと知っていれば、エスコートに名乗りを上げましたよ。お父上からは何も聞いていらっしゃらないのでしょうか。あなたの哀れな崇拝者について」

 豊かに響く声で甘く囁けば、たいていの令嬢はうっとりとフィンを見上げてくるのだが。マアサは見られた者が氷つきそうな程、冷ややかな表情で彼を見据え、ばっさりと言い切った。

 「パッシモ様のことは、もっと昔より存じ上げておりますわ。不実であだな方だと、心に刻んでおりますもの。エスコートなんて、とんでもない! 私の事を本当に思い出して下さるまで、声をかけるのも控えて頂きたいわ。爵位が上の方に無礼な物言いかもしれませんが、もう私にはかまわないで」

 フランチェスカはあっけに取られ、マアサと息子を交互に見比べていたのだが、すぐに結論が出たのかきつい眼差しでフィンを咎めた。

 「フィン・パッシモ。あなたという人は、どんな酷い仕打ちをこの女性にしてしまったの? リカルド嬢がこんなに怒っているなんて、よっぽどのことがあったんでしょうね……。本当に、あなたという人は!」

 自分の実の息子と出会ったばかりの男爵令嬢を天秤にかけて、すぐにフィンを叱責するあたり、王都から離れたパッシモ伯の領地にまで、彼の派手な交友関係の噂は届いているらしい。

 「誤解ですよ、母上。彼女がなんの話をしているのか、私にはさっぱり……」

 「ご子息には会えたようですので、私はこれで失礼いたしますわ。レディ・パッシモ。ご親切は忘れません。ありがとうございました」

 フィンのことは綺麗さっぱり無視し、マアサは輝くような笑みをフランチェスカにだけ向け、軽くお辞儀をすると素早く身を翻した。自分の名を呼び止めるフィンの声に耳を塞ぎ、ホールを抜けて華の宮への外廊を目指す。

 なんて人なの。
 覚えてすら、いないなんて。


 『大きくなったら、フィンのお嫁さんにしてくれる?』
 『しょうがないな。いいよ』
 『約束よ? マーシャ以外の女の子と、仲よくしちゃダメなんだから』
 『はいはい。分かったよ』

 純真だった10歳のマアサは、軽く交わされたままごとのような約束を心から信じて育った。
 年頃になればその派手な外見なせいで、領地の男の子たちに粉をかけられることも少なくなかったが、マアサはフィンを思い浮かべそっけなく彼らを追い払った。男爵でしかない父に無理を言って16歳になってすぐ王宮に奉公に上げてもらったのも、彼に会う為。
 フィンが騎士としてそこにいる、と知ったからこそ、ここまで追いかけてきた。

 それなのに。

 6年ぶりに目にした彼は、図書室の隅に既婚の侍女を押し付け、長身をかがめて、口づけを落としていたのだ。

 肩越しにマアサと目が合ったその侍女は「秘密よ」と言わんばかりににんまりと微笑んだ。そこで悲鳴をあげなかった己の自制心にいっそ感心してしまう。
 心臓が止まりそうなほどの胸の痛みに襲われたのは、慌てて図書室を飛び出して、しばらく走った後だった。

 あの時流した涙の味を、マアサは一生忘れないだろう。

 私だけが、彼をずっと想ってきたのだ。
 ――馬鹿みたいに一途に。


 怒りで目の前が眩む。
 マアサはきつく唇を噛み締め、早く姫様に会いたい、と思った。
 滑稽な初恋の顛末は、あまりにみじめだった。

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