チョコレートフォンデュLOVE
今日はバレンタイン。
日本中がチョコレートであふれる日。
あたしはわくわくしながら、彼の部屋へ自転車で向かっている。もうすぐ日が沈むこの時間以後なら、きっと彼は部屋にいるはず。今夜は二人きりでチョコフォンデュをしたい。チーズフォンデュのチョコレート版。チョコにいろいろつけて楽しく食べるのだ。
必要道具一式を大きな布袋に詰めて、自転車の前かごに積んでいる。彼を驚かせたいから、今からあたしが押しかけることは連絡していない。
今夜は彼の部屋に泊るつもり。となると、彼と――なんてね、もしかして、そんなこともあるかもしれないと思って、今日はばっちり勝負パンツで。
もちろん、気を付けるのは下着だけじゃなくて、ちゃんと無駄毛も処理したし、お化粧も時間をかけ、超かわいいゴスロリ風のふりふりミニスカートで決めた。頭には大きな赤いリボンが揺れる。
鼻歌まじりに自転車をこぐ。自転車の車輪がちょっとした段差を通過するたび、リボンが落ちそうになる。この日のためにもっと髪の毛を伸ばしておけばよかった。ショートヘアはリボンがつけにくかった。
ふだんは、こんなはずかしい恰好、絶対にしない。今日はチョコの日だから特別。ゴスロリ系のアニメキャラが大好きな彼が喜んでくれるようにがんばった。
ふふふ。ふふふ。
はためく短いスカート。フリルにレースが豪華に付いてかわいい。自転車をこぐたびに、あたしのあんよが結構ひやぁっと見えて――はずかし! 横を通る車の運転手さんたちの視線を感じる。ちょっと挑発しちゃってるかも。でも顔が残念だから、ナンパはないと思う。
こんな赤面しっぱなしの恰好をしてでも、彼の笑顔が見たかった。
ほら、彼のアパートが見えてきた。二階にある彼の部屋を見上げれば、明かりがついている。
彼、こんな姿のあたしをみたらどう思うんだろう。いつもはTシャツとジーンズで、何のしゃれっ気もないジャケットで彼と会っているんだから。
かわいいねって、言ってくれるといいなあ。
ときめきをおさえ、深呼吸して、彼の部屋の呼び鈴を鳴らす。
「こんばんは、遊びに来たよ。入っていい?」
中から大好きな彼の声が。
「マサミ? なんだよ、来るなら先にメールぐらいしてくれればいいのに。ちょっと待って」
急な訪問で怒らせちゃったかな。彼は扉をなかなか開けてくれない。何をしてるんだろう。寒い。早く開けてよ。よほど散らかってる?
あれ、人の声がする。
誰か来てるの?
――と思ったら、ガチャっと扉が開き、中から、あたしの知らない女が気まずそうな顔で出てきた。三十歳前後のおんな? なんで? なにこの人。どうして彼の部屋に上がり込んでるの。
女は、あたしを見て、一瞬目を大きく開けて驚いた顔をしたが、すぐに涼しい顔に戻った。
「お邪魔しました。では、後日よろしくお願いします」
「森さん、急がせてすいません」
頭をかきつつ、苦笑いでごまかし、女に謝る彼。
女はあたしに会釈すると、逃げるようにアパートの階段を早足で下りて行った。
ようやく部屋に入れてもらえた。
だけど。
彼が女を部屋に!
あまりのショックに会えた喜びも吹っ飛ぶ。
あたしは、持ってきたチョコフォンデュ一式をこたつの上に置き、こたつへ足を突っ込んだ。
「ちょっとヒデ! 誰だよ、今の女。なんで、バレンタインの日に女を家に連れ込んでんの」
「森さんはそういう人じゃない」
「じゃあ、どういう仲の人?」
「マサミには関係ないだろ。それよりさ、急にそんな恰好で入ってくるなよ。馬鹿野郎が。森さん、ドン引きしてたじゃないか」
「ひどい。ヒデはさっきの女と付き合ってるんだね。そうならそうと、ちゃんと言ってほしかった」
「だから、そういう女性じゃないって言ってるだろ」
「え……さっきの人、女じゃないの? 男なの?」
「あほか、おまえは。なに失礼なことを言ってんだよ」
「あれで男?」
「んなわけないだろ。女性だよ」
だめだ、泣けてきそう。やっぱり彼は女をここへ。
気合を入れたゴスロリ。かわいいとか、似合うとかって言ってほしかったのに。他の女のことなんて聞きたくない。
「わかった、あたし、もう帰る。このチョコフォンデュの道具貸してやるから、さっきの女と楽しめば」
あたしは立ち上がろうとした。
「マサミ、座れって。落ち着けよ。そういうことじゃなくて、あの人は、この団地の自治会長さん。順番で役員が回ってくるんだけど、来年度は俺の番だから、その引き継ぎの説明に来ていただけだ」
「じゃあ、なんですぐに扉を開けてくれなかったの」
「引き継ぎ書類を入口に広げて見せてもらっていたから、扉を開ける場所もなかったんだよ。あれでも森さんが気を遣ってさっさと片付けてくれたんだからな」
「よく言うよ。あわてて逃げて行ったくせに」
「ちょうど説明が終わったところだった。やましいことはなにもない。寒い思いをさせたことは悪かった」
彼は謝ってくれた。もっともらしい理由。
ほんとうにあの女とはそれだけ?
彼の目は泳いでいない。
あたしの早とちりだったのかな……
信じていいんだよね?
しんとした部屋。彼は何も言わない。狭いこたつの中で足が触れ合っている。
でもそれ以上のことはない。
あたしが一方的に怒ってしまった手前、なんか気まずい。
かわいい服を着てルンルン気分でここへ来たのに、今は、しぼんだ風船みたいにしょぼん。
彼は黙ってあたしをみている。あわれみが入っているような。
こんなはずじゃなかった。
いやだ。いつまでも気まずい空気の中にいたくない。
あたしは気を取り直して、用意してきたチョコフォンデュの一式を袋から出した。
「ヒデ、勘違いしてごめん。二人だけのバレンタイン楽しもうよ。チョコフォンデュやろうと思って持ってきた。材料も」
「マサミ」
「ん?」
「おまえさあ……」
彼は突然ふきだして、ゲラゲラと笑い出した。
「大丈夫か? 前から時々おかしなことをやらかすやつだと思ってたけど……なんだよそのゴスロリ。俺、そういうアニメキャラは好きだけどさ、マサミにコスプレしてほしいとは思ってない」
「似合わない?」
「あはは、似合うと自分で思ってんのか? 笑っちゃ悪いと思ってがまんしてたけどさ、あははは」
「……似合うなんて思ってない。ここまで来るの、めちゃくちゃ恥ずかしかった。でもヒデに笑ってほしくて」
「気持ちはわかったから、やめろって。変だから脱げよ」
え。脱げって。
わわわ、いきなりそういう展開にっ! チョコは? チョコよりも――
「俺の服、貸してやるからさ」
ひ、ヒデの服が貸してもらえる!
うん、脱ぐよ。せっかくの服だけど。
彼は笑いながら、自分の服を出してくれた。
「ほら、これ、貸してやる。マサミはいつもどおりのマサミでいいんだよ」
「……ありがと」
「おまえ、自分で変だと思わない? こんな恰好してさ、『あたし』なんて女言葉を使ってたら、マサミだってわからないだろ? おまえ、一応男なんだからさ」
「そう? 僕って言った方がいい? この格好ならぜったい『あたし』って言う方が正しいだろうと思った。服装だけじゃなくて、心まで女になりきって」
「心まで女になる? 無理だろそれ」
「やっぱりそうか」
彼は、あたしが、いや、僕が、リボンを投げ捨て、服を脱いでいる姿を楽しそうに見ている。恥ずかしいけれど、これはこれでテンションがあがる。
ひらひらしたスカートを落とすと、彼は声を出して笑った。
「おまえ……そのブリーフ、ヤバイ」
白いレースがふんだんについた黒地のボクサーブリーフ。僕の勝負ブリーフ。今夜、彼とウフフ関係になることに備えて。
「もしかして、マサミはそういうことを期待してんの?」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
あたし……じゃなくて、僕は、自分の顔が真っ赤になっていることがわかった。
「まあ、女になりきってここへ来たってことは、覚悟はできてるんだろうな」
彼がにやりと笑う。
「ど、どういう覚悟だよ」
「へっ、冗談だよーん! 俺は男とはそういうことはしない。相手が女装して超かわいいマサミでも」
「そ、そうだよね」
僕もつられて笑い顔を作った。
――男だと駄目って知っていたから、僕は、女の恰好で押しかけたんだよ。
僕は余計なことは言わなかった。
その夜、僕たちは――
生涯忘れられないような甘く、苦しい夜だった……
腹が痛い。気持ち悪い。
部屋中にしみついている甘いチョコの香り。あの匂い、当分かぎたくない。
明らかに、チョコの食べ過ぎ。作りすぎ。
彼とは……もちろん。
何もなかった。
だって、彼はホモじゃないから。僕の親友だから。
でも僕は、やっぱり彼のことが大好きだ。
友達という感情を超えて、彼とどうなってもいいと思うほどに。
いつかは、彼と。
【了】