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シュトラント王国異聞 〜雪解けの魔女と呪われし王〜 作者:山本 風碧
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9 古典的な変身魔法

「なにやっている。ほら、そこは、『冷やして』じゃないだろう、『温めて』だ」
「え、うそ!」
「どうしてそんな器用に間違うんだ。馬鹿か」
「ひっどーい」

 ティナの部屋の隅に置かれた広い机の上には、数々のものが散乱している。
 しかし、依頼された魔術に必要なプエラリアもウミナナフシもそこにはない。代わりにあるのはいくつかの黄色い果実、ユーレカと、瓶詰めにされたオオクゾクムシだ。
 ヴィルは、今のティナが依頼された実験を行うのは、いくら魔術書の通りに行うだけだとしても無謀と判断した。それで、初めの数頁に書かれていた入門にあたる魔法を最初に行う事になったのだ。そこに書かれた古い魔法は『蛙への変身魔法』。説明を読むと、比較的簡単で、数時間で効果も切れる安全な魔法だという理由で、初心者が最初に使う魔法としてはお決まりなのだそうだ。
 魔法薬の生成実験自体は今日で何回目だろうか。週に一度、何かと忙しいヴィルがティナの為に時間を取ってくれるのだけれど、ティナはヴィルの期待には未だ応える事ができていない。まず薬の形にならないのだ。分量は合っているのに、水分が飛びすぎて、焦げてしまう。液体の薬ができあがるはずなのに、固体の薬――いや薬とはとても呼べない代物になってしまうのだ。
 どうしてうまくいかないのだろうと悩みに悩んだ末、先週、ようやく材料自体を間違っている事に気が付いた。どうも一文字違いで全く別の材料を一生懸命煮詰めていたのだ。必要なのは果実の"ユーレカ"だったのに、ティナが入れていたのは"ユーカレ"という樹木の葉だった。失敗の連続を不審に思ったヴィルが解読を手伝ってくれ、指摘してくれたのだ。

「とにかく、最後の材料を入れるわよ。ええい、今度こそ!」
 ティナは腕まくりをすると、最後の仕上げに灰色をしたオオクゾクムシのすり身を硝子製の器に投入する。殻が固い海老の仲間だけれど、多重の節と多くの足、それから泥のような色を見ると、どちらかというとダンゴムシに似ていると思った。
 ガラスの器の中ですり身が拡散する。すると、直前まで透明で美しい黄緑色をしていた液体が一瞬で汚泥のような色と香りになった。
「あ、魔術書の通り――!」
 ティナは興奮しつつ、仕上げに『ギラ・デルマ・スコラトバ』と仰々しく呪文を唱える。呪文と言っていいのかは分からない。これは魔法薬を完成させる時に成功を祈って言う、おまじない。古くから村に伝わる言葉で『かわいい蛙の姿に変われ』だった。村の皆がやっているのを試しに真似てみたのだった。
「……こ、これでできあがりのはずなんだけど……うえ」
 臭いに吐き気を誘われると、ヴィルも鼻をハンカチで覆いながら硝子の器を覗き込む。
「すごい色だな、これ。しかもドロドロしてるし青臭くて生臭い。成功だとしても飲む人間がいないのではないか? 私は、これなら絶対飲まない」
 ティナは肩を落とす。実験台になってくれる人間を探すのは一苦労だろう。近従というティナの立場では、ただでさえ人にものは頼みにくい。かといって自分が飲むのはさすがに無理だった。
「まず何か別の生き物で試してみたいんだけど」
「別の? 蛙くらいなら庭を探せば手に入るだろうが……」
「蛙を蛙に変えても意味がないわよね。うーん、オオクゾクムシが入っていなければ……せめてユーレカの皮とかで香り付けすれば、まだ飲めそうなんだけど」
「ユーレカは香りはいいけれど、皮を食べるのか? 味はかなり苦いが?」
「輪切りにして蜂蜜漬けにしたら美味しいのよ。村ではよくやってたもの」
「ふうん。城ではそんな食べ方はしないが。果汁で料理に酸味を付けるくらいだ。――そうか、ユーレカは北部高地が原産だったか。涼しくないと育たないものも多そうだな」
「そうなの。ほら、例の課題の魔法はプエラリアっていう豆が必要なんだけど、どうもあれも北部じゃないと採れないみたいなのよ」
 そう言いながら、ティナは野草図鑑を開く。数々の文字と野草の絵が書かれた頁をそっとめくると、何となく読めるようになった文字が浮かび上がる。
 ヴィルは優秀な教師だった。元々賢いのもあるのだろうけれど、よくよく考えると彼女は国で一番の教育を受けて来ているのだから、習得方法がティナが村で学ぶ方法と異なるのも当たり前の事だった。
 ティナはヴィルから、まず一文字一文字をしっかり覚えるようにと言われて、しぶしぶ毎日書き取りを行った。すると辞書の見返しを見ずとも読み書きができるようになった。
 それ以降、ティナの読む能力は以前と比べると格段に上がった。ティナは読み書きができないけれど、言葉自体は耳で知っている。文字の形を覚えれば知っている言葉と文字の並びを繋げるだけの話だと教わると、それからは意外に早かった。並べられた文字が意味を持ちだしたのは最近だったけれど、分かるという事がこれほど楽しい事だとは思わなかった。
「とにかく実験台が必要だな。個体差も調べた方がいいだろうし、十人は最低欲しい」
「でも誰もやってくれないと思うの。材料を見る限りは毒性もないし、命の危険は無いはずだけど、色と臭いがこれだから……」
「まあ、確かに。仕方ない。今回は害が無いかだけでも確かめられればいいか。誰か適当に捕まえよう。私も妙なものを飲まされるのはごめんだからな」
 ヴィルがそう言って溜息をついたときだった。扉が叩かれ、中年の男が入室し、いつものように胸を張った。
「――ヴィルヘルミナ様! 昼食の時間でございます!」
「あぁ、いいカモがやって来た」
 にやりと笑うヴィルの顔が妙に輝いていて、ティナは胸が一瞬音を立てるのに自分で驚く。
「ちょうどいいところに来たな、ライムント」
「は? ちょうどいいところというのは」
 ヴィルはライムントの問いをあっさり無視した。
「お前の忠誠心には常々感心している」
「は、――有り難き幸せにございます!」
 直立不動したライムントは、軽く目を見開く。見る見るうちに頬が紅潮し、目に涙が溜まるのを見て、ティナは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「そこで、頼みがある」
「は、この勤続三十年、王宮執事ライムントに、なんでもお任せくださいませ!」
 今にも泣き出しそうなライムントに、ヴィルは瓶に入った汚泥に似た液体を差し出した。
「この薬を飲んでみて欲しいのだ」
「――⁉ こ、これを⁉」
 ライムントの顔があっという間に真っ青になる。
「私が作ったのだ。お前をねぎらってやろうと思ってな。これを飲めばお前の自慢の体がより若々しく瑞々しく変わるそうだぞ?」
「――で、殿下が私の為に!」
 ひどい嘘にティナはハラハラする。ヴィルは逆に不敵な笑みを浮かべてライムントをしっかり見つめている。ライムントは蛇に睨まれた蛙のように固まっていたけれど、ヴィルの言葉に少しだけ心動かされた様子で、鼻をつまむと手元の液体を一気に飲み干した。
 その忠誠心にティナは心の中で拍手喝采を送りつつ、彼の体の変化をじっと見守る。
「…………何も起こらないが」
 ヴィルがティナを振り向いて低く囁く。
「失敗したか? さっきの温度の間違いが致命的だったのか……?」
 ライムントは青い顔で、しばし「ううう」と呻きながらも、吐く事は辛うじて堪えた様子だ。見上げた忠誠心だった。
 ティナは、ライムントの変化をしばらく待ったけれど、その身体が縮むことは無く、色も変わることが無く、がっくりと肩を落とす。
「ゔゔゔ……変わったお味ですな。ですが、これで勤続四十年――新たな十年へと良いスタートが切れそうです」
 しゃきんと、半ば反り返るようにしてライムントは胸を張ると、ヴィルを彼女の部屋へと案内する。ティナはライムントの変身を諦めきれずに付いて行ったが、ヴィルの部屋に着いても結局彼に変化は訪れなかった。部屋には既に食事が運び込まれていて、空腹を感じたティナは思わず食事を観察した。王族の食事に興味があったのだ。
 だけど、そこにあったのは、多少豪華ではあったけれど、ティナが食べるのと同様に冷えきっている食事だった。広いテーブルには一人分の食事だけが並べてある。ウーア海で採れた貝やシュプルングの川魚のソテーに、色とりどりの野菜が添えられている。柔らかそうなパンだけど、傍にあるのは冷たく固そうなバター。微かに湯気を立てているのはスープだけ。その光景をじっと見つめた後、ティナは自分の部屋に食事をしに戻った。
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