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シュトラント王国異聞 〜雪解けの魔女と呪われし王〜 作者:山本 風碧
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21 シュプルングの河の泡に

「ギラ・スロカ・ロプロシヴァ、ギラ・スロカ・ロプロシヴァ‼」
 人払いのされた広間には、二つの人影がある。女王の放つ、叫び声のような呪文が充満していた。その声の向かう先には黒髪の少年が立ち尽くす。しかし、いくら呪文を浴びせようとも、その体には何の変化も訪れない。
 やがて、がちゃんと痛々しい音と共に、石の床にガラスの器が粉々に砕け散った。
「――どうしてうまくいかないの!」
 続けて女王の金切り声が広場に響き渡る。
「諦めて下さい、きっとあの魔術書が間違っていたのです」
 ヴィルは静かに諭す。
「そんな訳無いわ。百年も前に書かれた由緒正しい書なのよ? しかも手に入れた際に書かれていた魔術をしっかり試したと記録があります。第一、こんな古い魔術書が偽物なんて。間違った知識であったら廃れるはず。今の今まで伝わる訳が無いでしょう?」
 この際古さは関係ないのではないかとヴィルは思った。そうだ、今重要なのは――
「その記録には、人で成功したと書かれているのですか?」
「…………」
 女王は黙り込む。彼女にしては詰めが甘く、珍しいとヴィルは意外に思う。
「きっとそれは、蛙での実験結果でしょう。人での成功事例はおそらくありません」
 ヴィルは、円卓に置かれている破りとられた魔術書の切れ端をじっと見つめた。効能が書かれた紙。そこには確かに『性転換の術』と書かれている。しかし、注意書きにて飲ませる対象が限定されていた。『※蛙や、海老などの甲殻類に使うとうまくいきやすい』と書かれていたのだ。魔術書は全体的にひどい悪筆で書かれていたから、解読が難しい部分は読み飛ばされていたのかもしれないとヴィルは思った。
「でも、私はこれにすべてを賭けていたのに。もう、これしか方法が無かったのに――」
 途方に暮れたような声だった。しかし、方法はもう一つある。こんな手間がかかって不確実な方法より、もっと簡単で確実な方法が。国を想うのならば、女王として今、母はそう命ずるべきだった。
「母上。私の為に今までありがとうございました」
 ヴィルは膝を折り、手を床につく。そして頭を下げてかしこまる。
「――何をしているの」
 女王の声はとたんにひどく震えた。ヴィルは頭を下げたままに感謝の言葉を続けた。
「私を王女として育てて下さらなければ……、そうやって情けをかけていただけなければ、私の命はありませんでした」
 もし、ヴィルが女として育っていなかったら、早いうちにヴィルは国の為に生きるか死ぬかの選択を迫られていただろう。母が本当に非情なら、そうした方が手っ取り早いのだ。だが彼女はそうしなかった。ヴィルが被る犠牲を最小限にしてくれたのだ。
「何を言っているの」
「分かっていらっしゃるのでしょう。もう道は一つしかない。男と知られてしまいましたから」
「知られていないわ。あの魔女のティナを始末すればいい話」
 ライムントには上手く逃げたと報告を貰っていた。だから、ヒルデガルドにこのことが伝わるのは時間の問題。いくらティナが口をつぐもうと、魔女が皆彼女のように鈍い訳が無いのだ。
 もうあまりヴィルには時間が残されていない。国民の為に、彼はしなければならないことがあった。
「いいえ。そんなことをする必要はありません。それだけでは足りないのですから。まず、私の結婚の問題がございます」
「事情を話して、相手側の口を塞ぐわ」
「そう上手くはいかないでしょう。ご存知のはずです。姫を娶ったはずが男であれば、誰だって怒るに決まっています。縁談は周辺国や国内の有力貴族からのもの。縁者も多くいるでしょうし、とても誤摩化すことはできないでしょう」
 女王は余裕のない声で否定した。
「それか、もういっそ結婚しなければいい」
 支離滅裂な言葉から、計画がすでに破綻してしまったことが窺えた。聡明な彼女は既に先の先まで見越しているはず。その上で一つの答えを避けているとしか思えなかった。
「いえ、そんなことをすれば、逆に魔女達に勘ぐられるに決まっています。ならば――いっそ私は魔女にいけにえとしてさらわれます。喜んでシュプルングの泡となりましょう」
「馬鹿を言わないで」
 彼女はその答をずっと心で否定していたのだろうか。反射のような反応にヴィルはそう思った。
「それで洪水が防げるのですから。最初からそうすれば良かった。そうすれば母上にこんな手間をかけさせることもなかった」
「許しません。そんなこと。残された国民はどうするのです」
「私がいなくとも、どうとでもなります。まだ母上はご健勝ですし、そのうち跡を継げる人間を養女に迎えて下さい。遠縁を探れば、王家の血筋は残っているはずです。私の代わりなど、どこにでもおります」
 言っていて空しさがヴィルの胸を突いた。運命から逃れられなかった――しかし、同時に清々しい気分でもあった。自らを偽り続けて生きる生よりも、自らのまま、自分らしく死を迎えた方がどれほど幸せだろう。
 だが、女王はひどく動揺した。震える足元を不思議に思って顔を上げると、女王が――いや、母がそこでは涙を流していた。
「あなたの代わりなど――いるわけがないでしょう!」
 その言葉にヴィルは驚く。
「どうなさったのです、国の為に犠牲が必要です。私は、国民の為にいけにえとなって死にたい、そう申しているだけです。母上のお教え通りに」
「私の教えですって?」
「"国民の為に"と常日頃、母上はおっしゃっておりました」
「国民のため? ――違うわ。全部あなたの為だったのよ。私はあなたを取り上げられるのが耐えられなかった。それだけの為に私は――」
「……え?」
 ヴィルは耳を疑う。そして、目の前で涙する母に、目も疑った。
「命さえあれば、それで良かった。どんな形でも良いから、何を犠牲にしても良いから、とにかく生きて欲しいと願うのは、親として当たり前でしょう? 女王として、そう言い訳をして国民を欺いてきました。けれど、あなたの命の為ならば――私は洪水が起こっても良いと思っているのです」
「母上……」
(なんだ)
 ヴィルは、唇に笑みが浮かぶのを堪えきれなかった。
(もしも最初からそう言ってくだされば、俺はあんなに反抗しなかったのに)
 母のそんな気持ちを聞いてしまえば、逆にヴィルの覚悟は決まってしまう。だからこそ、母は今の今まで語らなかったのだろうか。
 思えば十二の時から、母の前で笑ったことなどなかったかもしれない。今、ヴィルは心からの笑みを母王に向けていた。
「その言葉を頂けて、私は幸せです。ですが、そんなことをおっしゃらないで下さい。女王としての母上を私は尊敬して来たのですから。――どうか、母上の治める国の為に、私がいけにえになることを、許していただきたい」
 晴れやかな気分でヴィルがそう胸を張った、その時だった。
「――陛下、それから殿下!」
 ライムントが慌てた様子で広間に駆け込んで来る。
「どうしたの」
「あ、ああああのっ」
「どうしたんだ?」
 彼に似合わないあまりの慌てように、まさかティナのことだろうか――不安になって、ヴィルも問う。ライムントは数回大きく深呼吸をした後、ようやく話せる状態になった。
「ひ、ヒルデガルドから、魔女シュメルツェの末裔が〈洪水の兆し〉を持って現れました!」
 ヴィルと女王は顔を見あわせて息を呑む。直後、女王が「終わりだわ」と呟いて、肘掛け椅子へとふらふらと倒れ込んだ。
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