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シュトラント王国異聞 〜雪解けの魔女と呪われし王〜 作者:山本 風碧
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2 シュメルツェの魔女

 ティナが街に下りて来るのは本当に久しぶりのことだった。国の中心を流れる大河シュプルングとウーア海に隣接した港町バウエン。大量の雪解け水の甘い匂いを含んだ風がそよぐ、この街の空気は彼女の肌に合っていた。水の香りは身に染み込み力となる。なぜそんな気分になるのかは知らないけれども、ティナは故郷ヒルデガルドの空気の次に、この街の空気が好きだと思った。
 籐で編んだ籠には木イチゴを甘く煮詰めたジャムが数瓶入れてある。森で採れたイチゴを使った、彼女の手作りのジャムだった。
 手みやげの一つくらい、と用意したものだけれど、馬車の上から眺める街にはあらゆる美味しそうな匂いが漂っていて、ティナは自分の手製のみやげが妙にみずぼらしく思え、いっその事自分で食べてしまおうかなどと考えてしまっていた。
 ちょうどいいことに、露店では、パンやビスケットも売っている。表で声を張り上げる店番たちと次々に目が合う。たっぷりのジャムを乗せたビスケットを想像したとたん、ティナのお腹がきゅうと少々不気味な音で返事をした。
(でも、これ食べちゃったら絶対太るから!)
 そうぐっと我慢するティナの目に、城壁がようやく大きく映りだす。最初に見えてから城門に辿り着くまで、半刻かかってしまった。もう海は遠のいて、潮の香りが微かに漂うだけ。
 海辺の街バウエンを抜けると、ここシュトラント王国の城下町、ディークに辿り着く。そびえ立つ城はヴィルヘルム城。氾濫する大河を操り、水害に荒れる大地を救い、耕し、この地に王国を築いた初代の大地の王の名を取ったと伝え聞いていた。
「この辺でいいのかね? わしは、この先の荷物用の城門まで行くが、城の人間に用事なら、この辺りの方が近いだろう」
「うん、ありがとう、おじさん!」
 ティナは元気良く馬車の主に礼を言うと木イチゴのジャムをひと瓶差し出した。川沿いの肥沃な大地で取れた小麦を城に納めに行く途中だという、その馬車を捕まえたのは今朝の事。のんびり歩いて夕方までに着けばいいと思っていたけれども、随分時間を節約できた。
「じゃあ、お嬢ちゃん、気をつけるんだよ! 暗くなる前に帰るんだよ!」
 親切なおじさんに、もう一度手を振ると、ぱんぱんと膝の藁くずを払って、簡単に身だしなみを整える。
 大きな鞄から手鏡を取り出すと、亜麻色の髪がきちんと纏められているかを確かめる。ふわふわのくせ毛は、気を抜くとすぐに膨らんで、まるで人参の葉のようになってしまうのだ。
 ついでに顔も覗き込むけれど、少々垂れたすみれ色の目、低い鼻、そばかすの浮いた頬が目に入り、その幼さにげんなりする。十の子供ほどしかない背丈も思い出して、溜息が出た。
「おじょうちゃん、かあ」
 背は低くともティナはもう十六歳。お嬢ちゃんと言われるのは正直恥ずかしい。村で最年少のティナはいつでも子供扱いされていたから、もう慣れっこと言えば慣れっこだったのだけれど、村を出ても子供扱いという事は、やはりこの容姿は幼いという事なのだろう。
 気を取り直して、ティナは門へと進む。途中大きな鞄から綺麗に折り畳んだ書簡を取り出す。子供に見えるという事ならば、この手形が必要となるに違いない。
 門に向かうまでの道の両脇には、樹木が大量の白い花をつけている。春風に乗って、ひらひらと花びらが舞い、ティナの亜麻色の髪に数枚絡まった。見とれてのんびり歩いているうちに門番がティナに気が付いて声をかける。
「ほらほら、ここは子供が来るような所じゃないよ?」
 思った通り、しっしと犬を追い払うように手を振られて、ティナは少しでも背が高く見えるようにと胸を張った。
 そうしてきっと顔を上げると、王家の紋章が入った書簡を堂々と掲げ、口を開く。
「――ハイデマリー女王陛下にお目にかかりたいのです」



 事の発端は、初春に届いた一通の書簡だった。

 ティナの住む村ヒルデガルドはシュトラント王国の北にある。魔女だけが住むことができる特別な土地と言われて、実際住んでいるのは確かに偉大な水の魔女〈シュメルツェ〉の血を引いている人間だった。
 しかし、魔女の末裔だとしても、ティナたち村の住民は細々と伝え聞いた魔術を使えるだけ。魔術といっても丁寧に手を入れた森で薬草を摘み、調合して薬を作るくらいのもので、いっそ薬師と呼ぶ方がふさわしいくらいなのだ。それなのに、彼女たちは街の人間に疎まれ、森の中に隔離されている。
 それもこれも古いおとぎ話のせい。魔女が王子をさらう為、王家に男児が生まれなくなったという胡散臭いあれだ。
 いい迷惑だと村の者は文句を言う。けれども、隔離されているはずのヒルデガルドの村は国の北部にあるにも関わらず、西の海流に暖められた風が局所的に吹き込むおかげで、比較的温暖で過ごしやすい。美しい泉が滾々と湧き、肥えた土地を潤す。季節ごとに花が咲き果物が実る。そのため食べ物に困る事もない。そんな素晴らしい土地が与えられているのは、魔女の持つ魔力を恐れての事だとか、王子をさらわないで欲しいとの願いが込められているとか、無責任な噂話は飛び交っているけれども、何しろ百年以上前の話だ。真相はよく分からない。
「おい、ティナ。これ、火をつける時に使ったらいいぞー」
「あ、おじちゃん」
 薄く積もった雪をかき分けて野草を摘んでいたティナが振り向くと、そこには変わり者の伯父、イザークが突っ立っていた。痩せぎすの体にいつものようにぼろぼろの服を纏って、白髪まじりの亜麻色の髪もぼさぼさ。古ぼけたメガネの奥の穏やかな光をたたえたすみれ色の瞳は、髪と合わせてティナとお揃いだった。
 この村の男性は普通、成人すると村を出て街へ出稼ぎに行く。女達が作った薬を売りさばくのだ。街では村の女性は魔女だと厭われるけれども、男性にはそこまで嫌悪感が湧かないらしい。そうして、彼らの存在が村と街を細く繋いでいる。
 だが、この伯父は村に残って"カガクシャ"を目指すと言い、村の外れの小屋に籠って怪しげな研究をずっと続けていた。彼が言うには、世の中の不思議は全て"カガク"で説明できるそうなのだ。"カガク"が何たるかなど理解しない村人の大半――もちろんティナも含む――は彼を変人扱いしている。しかし本人は『俺は生まれて来る時代と場所を間違ったんだよな』などと言って、全く気にしていない。その変人ぶりには年々拍車がかかり、ティナの母であり村長むらおさでもあるアエナの兄でなければ、村八分にされていてもおかしくなかった。
「それなに?」
 ティナが彼の手の中の朽ちかけた紙の正体を問うと、伯父は、それをひょいと持ち上げた。
「あ? 原稿をしくじったやつだ」
「またボツになったの?」
「まあな」
 ペラペラとめくると、古ぼけた紙には大量の文字と数式のようなものが細かに書き込まれている。伯父は実験の合間に"カガク"の学術書も執筆しているらしい。昔書いた本は大量に売れたと彼は言うけれど、ティナは彼の書いた本を見たことはなかったし、きっと嘘だと思っている。
 本にならなかった紙の束は薪置き場へと積まれていく。ティナはふとひらめいて、無邪気な笑顔を伯父に向けた。
「ねえ、気晴らしにセリ摘みを手伝ってくれないかしら。おじちゃん、どうせ暇でしょ?」
「なんで忙しい俺に頼むんだ? あ、ちびティナ、まためんどくさがってるんだろ」
「ちびって言うな!」
 気にしている背丈のこと言われて思わず叫んだけれど、頼み事をしている事を思い出して喉まで上がった悪態をぐっと堪える。
「違うの。めんどくさがってなんかない。セリとオオゼリの違い分からないだけよ」
「そこにあるのは野草図鑑じゃないのかよ」
 伯父はフンと笑って、切り株の上に置いてあるティナの図鑑を指差した。
「分かってるくせにー! 私がこれ読めないこと」
「"読まない"の間違いだろ」
「"見て"はいるわよ! 挿絵は完璧に覚えてるもの! でも、セリとオオゼリは分かりにくいの」
「まあなあ、読まないと分かんないだろうなあ、あれは」
 ティナは含みのある言葉に眉を上げて立ち上がり、長時間中腰という姿勢でいたために強ばった腰を伸ばす。雪と冷気に晒していた指先は既に真っ赤だった。しかも、ひび割れた爪の間に泥と草の汁が入り込んで真っ黒になっている。
 皆が皆、村で一番歳若いティナに魔女修行の課題だと称して"雑用"を押し付ける。その度に自分が半人前の子供だと実感するので嫌なのだ。ティナはもっと魔術に長けたいと願っていたしやる気はあるつもりだった。……ただ、ほんのちょっと文字の読み書きが苦手なだけ。なのに、皆が『お前にはまだ早い』と言ってさせるのは、こういった下働きや準備ばかり。しかも、押し付けられるそれらは、たいてい辛いものが多かった。それでも頑張っているのに、未だ一歩も前に進めない気がしている。ひたすらもどかしかった。ティナがやりたいのはもっと魔女らしく、そして、華々しい仕事だというのに。
「せめて違いを教えてよ」
「だめだ。甘やかすとアエナに怒られるし」
「じゃあ、手伝って!」
「やだよ。寒いし」
 そのまま逃げ帰ろうとする伯父の服の裾を引っ張った。
「お願いったらお願い! 夕食までに時間が無いの。早めに終わったら、ベルダが簡単な薬の作り方を教えてくれるって! だからお願い!」
「じゃあ、余計にちゃんとやれよ。野草摘みも薬作りの基礎だろう。そういった土台ができてないヤツが上辺だけの理解で作った薬なんて、恐ろしくて売れないからな。下手すりゃ村の信用に関わるぞ」
 しつこいティナにも伯父は折れずに、ヘラリと笑って躱す。
 いつからだろう、優しいはずの伯父がティナの願いを聞いてくれなくなったのは。
 ティナは意地悪な伯父に苛立った。
「もちろんちゃんとやってるわよ! こうして毎日課題をこなしてるじゃない。でも――私だって、もっと本格的な修行をすれば、きっと立派で偉大な魔女になれるはずなのに。だって母さまの血を引いているのよ? 〈シュメルツェの魔女〉の素質はあるんだもの!」
「修行、ねえ? アエナの血、ねえ? 〈シュメルツェの魔女〉、ねえ? ぶぶっ」
 伯父はニヤニヤ笑い、終いには吹き出すと、一通の手紙を胸元から出した。滑らかで見るからに高級そうな紙を使っている。持つとひんやり冷たくて、ティナはなぜか胸が騒いだ。
「ほら、じゃあその〈シュメルツェの魔女〉候補ティナよ、これ読んでみな」
「なにこれ……字がびっしり」
 さっそく開いてみるものの、文字が苦手なティナはあっさり読むのを諦める。嫌な予感通りに、手にした手紙は細かな文字で埋められていたのだ。
「――無理」
 丁重に手紙を突き返すと、伯父は呆れ返った。
「勉強不足だなあ。口ほどでもないなあ。文字でも魔術でも、最初はなんでも地道にやるしかないんだぞ? 字を読めなければ〈シュメルツェの魔女〉にはほど遠いんだ。セリとオオゼリの違いだって、図鑑を読めばすぐに分かるだろう?」
「でもどうしても苦手なんだもの。やたら難しい言葉で書かれてるし。それより口でさっさと教えてくれればいいじゃない。そしたらいくらでも覚えるわ」
「そうもいかない。お前の為にならないからな。まず、文字というのは人類最大の発明だと思うよ。書が残れば、血脈が途絶えてもきっと知識は引き継がれて行く。だから俺たちも文字を紡いで、子孫に何かを残して行かなければならない。俺もお前達に何かを残そうと毎日頑張ってるんだ。お前の傍にいつでも誰か助けてくれる人間がいるとは限らないだろう? いつかお前が一人立ちしたとき頼れるのが書物だ。俺はそう思ってる」
 伯父は小難しくも熱を持った言葉をつらつらと吐くと、ピンと来なくてきょとんとしたティナを見て肩をすくめた。そして一冊の本を差し出す。
「ほら、これやるから、勉強しておけ」
「なあに、この小汚い本」
「失礼な。辞書だよ」
「じしょ?」
「言葉の意味が載っている。ほら、草花の絵の代わりに言葉が載っている図鑑みたいなものだ。ふはは、俺が書いたんだぞ!」
「え、すごい!」
(もしかして昔書いた本ってこれ?)
 一瞬ティナは感動しかけたけれど、伯父はすぐにそれをぶち壊した。
「あっはっは、嘘だけどな! 昔城下町で買ったんだよ。この間新しいのを買ったから、もう要らないし、お前にやろう」
 ティナはぷうと頬を膨らませるも、それを受け取った。しかし、すぐ重みにうんざりしてしまい、物置に放り込んでしまいたくなった。
「この手紙にはなんて書いてあるの?」
 ティナが辞書を開く事もなく無邪気に内容を尋ねると、伯父は苦い顔をしつつも答えてくれる。
「ああ、魔女を一名派遣しろとさ。今からアエナの所に行って皆で相談するよ。――ああ、厄介なもの持ち込みやがって、王家の奴ら」
「ふうん」
 また始まった、とティナはげんなりする。大人達は王家の話になると一様に渋い顔をする。伯父も母も、祖母や祖父に王家から受けた仕打ちを聞かされ続けたそうだ。だからどうしても悪感情を抱かずにいられないと言っていた。特に伯父はひどく、ことあるごとにティナに昔話をしたがるのだ。
 正直ティナはその感情が理解できない。村の中にずっといて、差別の一つもされたことがないからかもしれない。それに根っから悪い人間はいないと思っていたし、もし祖先が悪い人間だとしても子孫が悪い人間だとは限らない。まず見たことも無いものを嫌えと言われても不器用なティナにはうまくいかなかった。伯父のことは好きだけど、この昔話だけはどうしても嫌いだった。
 ティナに聞く気がないと見て取ると、伯父は肩をすくめてその場を去る。その大きな背中を見送るとティナは渋々セリ摘みを続けた。
「あーあ。セリとオオゼリ? どっちでもいいじゃない」
 どっちにしろ、セリなどの大人の食べ物はティナは口にしないのだ。幼い頃一度食べたら苦かったから、それ以来の食わず嫌い。
 図鑑に描かれた絵をじっと見つめる。隣にはミミズのような字が這っていて、じっと見ていると本当にミミズに見えて来た。中央で折れ曲がったミミズ、ぐるりととぐろを巻いたミミズ……そんな絵を想像して鳥肌が立つ。
 慌てて見なかったことにして、挿絵に似た葉をわしづかみにし、ちぎりとると籠に投げこんでいく。これだけ似ているのだから多少間違っても誰も分からないはずだと開き直った。
「せめて花が咲いてれば楽しいのになー」
 今の季節は花をつける野草はほとんど採れないけれども、春になれば白く可愛らしいカモマイルに、紫色で可憐なセージが次々に咲くだろう。それらを乾燥させてお茶として飲むのがティナは好きだった。たまに浴槽に浮かべるのもまた気分が安らいでいい。そう考えるだけで春が来たかのように気分が浮き立った。おかげでセリ摘みも随分と捗ってくる。
「そうだ、冷えちゃったし、今日はカモマイルのお風呂にしよう!」
 確か去年の春に乾燥させておいたものがまだ残っているはずだった。ささやかな楽しみを励みに野草を摘むうちに、日が暮れて赤い光が村全体を包む。漂って来る夕食の匂いに誘われてティナが家路につく頃には、彼女は伯父との手紙のやり取りをすっかり忘れてしまっていた。
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