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シュトラント王国異聞 〜雪解けの魔女と呪われし王〜 作者:山本 風碧
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19/22

19 霊峰ノンデンベルクに降る雪

 ティナは走りに走った。ライムントが用意してくれた侍従用の服を纏って、城を抜け出した後は、無我夢中で走った。
 そうしてヒルデガルドに辿り着いたのは、出発しておよそ一日後。ようやく夜が明けた頃だった。靄の立ちこめる森の中、ティナの荒い息づかいだけが響いていた。
 こんなに必死で走ったのは生まれて初めてだった。呼吸の整え方さえ分からず、とにかくのどを潤したくて、泉を探しあてるとすぐに獣のように腹這いになって水を飲んだ。
 泉の底に生えた美しい水草がティナの鼻先を撫でる。息苦しさに顔を何度も上げつつも、ティナは身体に水を取り込んだ。
 ここまで来れば、もう追っ手の心配はないと思った。森は街の人間には厭われているし、慣れぬ者は迷いやすいのだ。
 全身から力が抜け、ティナはそのまま腹這いで沸き上がる水を眺めていた。
(ヴィル)
 やがてティナは力を振り絞って身を起こす。埃塗れの服は、水を吸って余計にみずぼらしかった。
 顔と手を洗うと、気を引き締める。そしてこれからどうするかを必死で考えた。
 事情を話せばアエナは協力してくれると思う。厳しいが優しい母だ。きっと、ヴィルの境遇を聞けば哀れんでくれるに違いない。
 だが、ライムントには口止めされているし、ティナ自身もシュメルツェの呪いがどうしても気になった。今まで魔女が王子をさらうという話が村に広がらなかったのは、王子の存在を隠匿されていたからかもしれないのだ。それが明らかになったとき、何か得体の知れないものが薮の中から飛び出して来るような気がして仕方なかった。
 じゃあ、どうすれば。――そう考えた時だった。
 がさっという音とともに、草むらが揺れ、人影が現れる。
「ひっ――」
 ティナは思わず飛び上がって、回れ右をすると全速力でその場を離れようとする。
「お? ティナじゃないか?」
 その声を聞き取れた瞬間、ティナの膝が緊張から解放されて、かくんと折れた。
 どさっと倒れ込むティナを大きな手が支える。顔を上げると、懐かしい伯父の顔がそこにはあった。
「イザークおじちゃん――」
 緊張が緩んで泣き出すティナを見て、伯父はおろおろする。
「ど、どーした? 追い出されたのか、とうとう」
「ち、ちが」
 涙声で否定するけれども、伯父は取り合わなかった。
「そうかそうか、やっぱり、お前じゃ力不足だったか……アエナが心配してたんだ。手紙に書いてある文字はへたくそすぎて読めないしよ。まぁ飛び出して来ないってことは元気にやってるんだろうって思ってたが」
「よ、よめなかったの? うそ」
 それで返事が届かなかったのかと愕然としていると、「あぁ。あれじゃあ検閲する気にもならねえだろうなぁ」とイザークは笑う。ティナが腐ると、彼はティナの頭をガシガシと撫でた。
「お前もあいつに似て頑固だからなあ……意地張らないで、これからは今まで以上に真面目にやりますって頭下げとけ。そうすれば、また村でのんびり過ごせるからな」
「…………」
 一方的に捲し立てられ、ティナは閉口する。相変わらずの子供扱い。どれだけ自分が期待されていないかを知って、ティナはがっくりと肩を落とす。しかし、以前村にいた時のティナではそれも当然だろう。
 実際、ティナは城に上がっても失敗ばかりで何もできなかったのだから。伯父が言った『基礎が大事』という言葉が身に染みる。根本も根本、作っている魔法が何なのかを確認さえしなかったのだ。
 いろいろ言葉にならずに、ティナは項垂れる。
「お? お前転んだのか? ほら、びしょぬれじゃないか。とにかく戻ろう」
「でも、母さまが許してくれないわ」
「アエナは今、長の仕事で忙しいんだ。お前に構ってる暇はないだろう。ほとぼりが冷めた頃に謝りに行けばいいさ」
「忙しいの?」
 伯父は頷く。
「お前が戻って来たかと思えば、あいつが城に行かなければならないとはな」
「え? 母さまが城に? なんで?」
「昨日山で大雪が降った。だから森の様子を見て、来年の春に備えなければならないだろう。今調査しに行ってるところだ」
「大雪って――こんな時期に?」
「村に残った記録によると、この時期の降雪は七十年ぶりだそうだ」
 ティナは森の北を見る。この山の窪みにあるヒルデガルドに雪があまり積もらないのは、ひとえにその巨大な山に北風が遮られるからだった。雪雲は山にぶつかりそこで降雪する。
 今見上げた霊峰ノルデンベルクは、確かに白く染まっていて、頂上は灰色の雪雲に覆われて見えない。その重苦しい色が森に不穏な空気を運んでいた。
「え、でもなんでそれがお城に行く事と関係があるの――春に備えるって?」
「春から夏にかけて、あの雪が一気に溶ければ、下流がどうなるか分かるか?」
「下流って、城下町のこと?」
「そうだ――この山の雪解け水は小川に流れ込み、そしてシュプルングという大河に集まるんだ」
「へえ」
「だから、大雪が降った翌年の春から夏にかけて洪水が起こりやすい。特に今年のように気温が上がれば大災害だ」
「"洪水"?」
 ティナは突然出て来たその言葉にびくりと身体を震わせる。嫌な予感に、そんなはずはないと思いつつ、ティナは伯父に問う。
「まさか――洪水を本当に起こすの? 母さまは、長の仕事ってまさか」
 伯父は不思議そうな顔をした。
「洪水を起こす? まさか。ああ、お前は向こうで水の魔女の話を聞いて来たのか」
 ティナは頷く。
「城では魔女が王子をさらうって。そして、さらえないと逆恨みをして洪水を起こすって――」
「相変わらず、ひどい話になってるな。逆恨みは一体どっちだろうなあ」
 伯父は苦笑いを浮かべる。
「魔女シュメルツェが、なぜ水の魔女だと言われているか知っているか?」
 ティナは首を振る。
 伯父は「ティナに分かるわけはないか」と諦め顔だ。
「じゃあ、もう少し簡単な問題にしようか。シュメルツェというのにどういう意味があるのか知っているか?」
 ティナは少し考えて、荷物の中からライムントに借りっ放しの古語の辞書を取り出した。伯父はおやという顔をしたけれど、ティナが辞書を引くのを黙って待っていてくれた。シュメルツェで調べても出て来ない。ティナは諦めかけたけれど、ふと思いつく。こういう時は言葉を分解すればいいとヴィルが言っていた事を思い出したのだ。
(シュメルツェ……シュ、メルツェ?)
「メルツェが、溶ける。そしてシュは雪――雪解け?」
「正解だ。すごいな」
 イザークはティナの成長に目を見張るけれど、ティナは構わず真剣な目で彼に説明を求める。伯父は驚きつつも、できの良い弟子にするような丁寧な説明をしてくれた。
「雪解け――それがいつの間にか名になったという謂れがあるが……そもそもなぜ"水"の魔女なのか。ここヒルデガルドは森だろう?」
 確かに、とティナは首をひねる。水の魔女にしては水とはあまり縁の無い土地に住んでいるような。ティナは少ない情報から必死で考える。しかし、おとぎ話がどうしてもティナの思考を邪魔した。
「魔女が洪水を起こすからじゃないの?」
「違う、逆だ。洪水を防ぐからだ――元々はな。今は違うみたいだが」
「防ぐって――どうやって?」
「この国の始祖ヴィルヘルム王の話は聞いたか?」
「うーん……概要しか分からないけど……」
 ティナは、荷物を再び漁ると、ヴィルに貰ったおとぎ話の本を取り出した。ティナが気に入ったのを知って、彼はそのままくれたのだ。宝物のように大事に開くと、該当する頁を探し出した。この話はティナにとってあまり愉快な話ではないと思っていたので、序盤を読んだだけだった。ティナが読み終わるのを、伯父は黙って待つ。
「これには、シュメルツェと協力して水害に荒れる国を救ったって」
「そうだ。水害の原因を雪解け水と最初に結びつけたのがシュメルツェだと言われているんだ。彼女は、毎年山に登り積雪の状況を調査し、ヴィルヘルムに知らせた。それが王家の言う〈魔女の来訪〉だ」
 ティナはそこで首を傾げる。その話からは、どうして諍いが起こるのかが分からなかったのだ。
「え、じゃあ魔女はなんで王子をさらったの?」
「さあてなあ。書いていないのか?」
「ええと……」
 ティナはもう一枚頁をめくる。終わったと思っていた話にはまだ続きがあった。
「あ」
「どうした? ――なになに?」
 伯父とティナはそこにある内容を見て呆然とした。そこにはシュメルツェとヴィルヘルム王の恋と、王の裏切りが書かれていたのだ。
「つまりは、自分たちが裏切った魔女の恨みを……何百年って恐れてるってこと?」
 ティナが呆然と呟くと、
「大層な被害妄想だな。それで、俺たちを隔離か。馬鹿じゃないか、こいつらは」
 伯父はそう言って呆れたようにため息をついた。大した事ではないという態度に、ティナはひどく苛立った。
「ねえ、この村の人は、誤解を解こうとしなかったの? 王子をさらったりしないし、ましてや洪水を起こす力もないって」
 伯父は鼻で笑った。
「あいつらは俺たちの言う事など聞きはしない。洪水を起こす魔女という敵を、勝手に作って戦ってる。目が曇ってしまっているんだ。こっちの言い分を聞かないなら、勝手に恐れていればいい。――だが、洪水だけは見逃せない。馬鹿な王家がどうなろうと知らないが、民には罪はないからな。魔女が街に下りる事で、あいつらは洪水を警戒するだろう。治水工事にも熱が入るだろう。――それが俺たちの村に昔から伝わる大事な仕事だ」
 撥ね付けるような固い口調だった。
 ティナは激しく混乱する。
 王家では魔女が王子をさらうからと魔女を排除し、ヒルデガルドでは排除される嫌悪感から――いや疎外感からか。誤解を解くのを諦めてしまっている。王家は嫌いだが民に恨みはないと、水害の兆しだけを持ち込み、そして――誤解は解かれる事はない。
 古いおとぎ話は、誤解を孕んだまま、このまま受け継がれて行く。子供たちは強大な力を持つ恐ろしい魔女を恐れて人生を歪ませて行く――
「――なんてことなの」
 真相のあまりの馬鹿馬鹿しさに、ティナは呆然とする。そして直後、とある事に気が付いて、腹の底から激しい怒りが沸き上がった。
「じゃあ、じゃあ、ヴィルはこんな馬鹿馬鹿しい誤解のせいで、人生を棒に振ろうとしてるっての⁉」
「ヴィル?」
「この国の王子よ!」
 腹立ちまぎれにティナが叫ぶと、伯父は目を丸めた。
「おいおい、どうした? 王家の肩を持つのか? お前だって王家に行くのを嫌がってただろう。あいつらを嫌ってたんじゃないのか?」
「嫌えるほど知らないわよっ」
「まあ、それもそうか」
 そこで伯父はふと妙な顔をした。
「――あれ?」
「何よ」
 憤慨したティナは自らの失言には気が付かない。
「王子って――言わなかったか? 今さっき」
 はっとしたけれどもう遅い。伯父は今まで見た事のないくらいに真剣な表情でティナを見つめていた。
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