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シュトラント王国異聞 〜雪解けの魔女と呪われし王〜 作者:山本 風碧
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16 王子として最後の夜

 部屋に辿り着いたティナは、そういえばと思い出してライムントに魔法薬の効果を尋ねた。けれど、その前に食事をどうぞ、湯浴みをどうぞなどと、のらりくらりと躱され結局は教えてもらえない。
 不穏なものを感じたティナは、ふと思いついて部屋の端に置いていた壷を覗き込んだ。薬が余ったので、ライムントに渡した蛙の他にもう何体か試していたのだ。今回は飲む人間がヴィルだから、ティナはできる限り慎重に実験を行おうとしたのだった。
 魔法薬の効果は出たと言っていた。ならば、こちらにもそろそろ変化が現れているのではないかと思った。
(あれ? これ、確か――)
 蛙の腹の下で卵がうねっているのを見て、ティナは呆然と立ち尽くした。
 長い間取り組んで来て、ようやく完成させた魔法薬のはずだった。しかしその達成感と満足感はあっという間に嫌悪感と絶望感に替わった。
(わ、私、とんでもないものを作っていたんだわ)
 ティナは今が真夜中だということも忘れ、思わず部屋を飛び出した。と、そこにまるで計ったようにライムントが現れ、ティナに紙切れを手渡した。
「ちょうど良かった。明日の手順書をお渡しするのを忘れていたのです。おや――どうかされましたか?」
 ティナは渡された紙をぐしゃりと握りしめる。
「私、今知ったのです。あの薬を使った蛙が卵を産みました」
 ライムントは青ざめた。
「どうして。蛙は私のところにあるはずで」
「予備実験です」
「…………」
 ライムントは焦った様子で辺りを見回して、ティナを部屋に押し込めた。
「なんて卑怯なの。――離して。私、ヴィルに教えてあげないとっ」
 抵抗して暴れるけれど、結局は力で敵わず無理矢理部屋に戻される。諦めきれずに部屋を抜け出そうとするティナに、ライムントは諭すように言った。
「ヴィルヘルミナ様は既にご存知でございます」
 思わず暴れるのを止めたティナに、ライムントは、
「騙すようなことになってしまい、申し訳ありません。国の為に仕方が無かったのでございます」
 と丁寧に謝った。
「国のため? 国の為って言っても……あんまりだわ」
 ティナが精魂込めて作った魔法薬、それは『性別を変える魔法薬』。蛙は"雄"だったはずなのに、今こうして卵を産んでしまった。
 そして、それを飲む人間は――ヴィルだ。
「つまり、ヴィルはやっぱり男の子ってことなの? でもどうして女王陛下はそのことを認めて下さらないの?」
 ティナが問うたけれど、ライムントは首を横に振って答えた。
「私の立場ではお答えできないのです。ただ、ご理解ください。陛下も殿下も大変なご覚悟をお持ちです」
 そう聞いてティナは思い出す。
 ――ヴィルヘルミナは了承済みだと女王が言っていた事を。そして、ヴィルが国の為に洪水を起こすわけにはいかないと言っていた事も。
 おとぎ話は実話だったのかもしれない。そして今、それは再び繰り返されようとする。ティナという魔女がやって来て、王子は消えて姫となる。ティナは彼が背負うものの重さと残酷さに叫びたくなった。
 ライムントはその後、ヒルデガルドの魔女たちにはこの事を内緒にしてくれと頼み込んだ。全て私利私欲の為ではなく、魔女達を含む国民の為に行っている事なのだからと。
 だけど、ティナは納得いかなかった。
「どうして、ヴィルだけがこんな想いをしなければならないの。第一、魔女は王子をさらったりしないわ。歴史を見れば馬鹿げたことだと分かるんじゃないの?」
「歴史は魔女と洪水を結びつけております。一番近いもので七十一年前になりますが、過去の洪水は、すべて〈魔女の来訪〉に合わせたかのように発生していて……ほぼ十割の確率です。偶然だとはとても思えないのです」
 ライムントはティナに歴史書を手渡す。しかし、そこにびっしりと書かれた小さな文字を見て、ティナは一気に頭が痛くなった。魔術書よりもさらに小さな文字だったのだ。
「でも、ヒルデガルドにはそんな伝承は一つもないわ」
「歴史はいくらでもねじ曲げられます。だれでも祖先を悪くは思いたくないですからね。――ヒルデガルドの歴史書を一つ始末、もしくは改編すればいい。それに……失礼ですが、あなたはまだお若くて、ヒルデガルドのしきたり全てに精通しているとはとても思えませぬが」
 ライムントの冷たい声に、ティナはぐっと詰まった。確かにティナは半人前だからとアエナから長の仕事の欠片も教えてもらっていない。長――〈シュメルツェの魔女〉を継ぐものだけが行う特別な仕事があるのかもしれない。だが、そこに本当に王子の誘拐が含まれているのだろうか。村の人間は皆温かい人間ばかりだ。とてもそうは思えない。
(話、聞かなくっちゃ)
 ティナは村に帰る必要性を強く感じていた。
 しかし、ライムントは先回りして言った。
「もしヒルデガルドの者にこの事を告げるのであれば……ここから出すわけには参りませぬ。それどころか、あなたがそのおつもりであれば、女王陛下は口を封じる事をお命じになるでしょう」
「どうしてもだめ? 私、ヴィルを助けたいだけなの」
「それは私も同様です」
「じゃあ協力してよ。私、どうしても納得いかないの。こんなの間違ってるとしか思えない。ヴィルだけが犠牲になるなんて」
 ティナは声に涙が混じるのを抑えきれなかった。
「王家の者も誰もこんなことを望んでおりません。長い間、殿下の妹君の誕生を皆が待ち望んでおりました。しかし、あの通り陛下がお年を召され、とうとう望みは断たれてしまいました」
 ティナは彼の言い訳に誤摩化されまいと首を振る。後ろを向いて、逃げるためにいくら努力しようとも、きっと何も生まれないのだ。
(そうよ、――努力は前を向いて行わなければいけないの!)
「もし妹がいたとしても同じよ。だって、王子としてのヴィルには一生日が当たらないのだもの。これは王家の怠慢だわ。根本的に解決できる方法を探さなかった」
 理不尽に対する怒りで焼かれた体が熱かった。憤慨して不満をぶつけると、ライムントは「その通りかもしれません」と殊勝に頷く。そして肩の力を抜いて、胸を張るのを止めると、ティナに優しく語りかけた。
「……あなたは、殿下の事を慕われているのですね」
「はい」
 ティナが戸惑いつつも素直に認めると、ライムントは微笑ましいといった様子で、にこりと笑った。
「私としても、殿下の為を想われるのであれば、助けていただきたい。しかし、同時に、洪水を起こすわけにもいかない事をご理解ください。女王陛下がおっしゃった通りに、王家は民を国の宝だと考えているのです。それは掛け値無しに本当の事でございます」
「わかってるわ。だから私一人で調べる。大丈夫、誰にも言わないから。――どうかお願い」
 ライムントはしばし口を閉じて考え込んだあと、そっとティナに問うた。
「信じる証は」
 流れ込んで来たやさしい風が背に触れる。後押しされるようにティナは口を開く。
「証なんか無い。でも、私……ヴィルが好きなの。だから、彼の不利益になるような事は決してしないわ。それでも……信じてもらえないかしら」
 ティナは胸の前で手を組むと、精一杯ライムントに訴えた。
「それは――友人としての想いでしょうか?」
 ティナは頬が赤くなりつつもしっかりと首を横に振る。
 ライムントは、じっと真意を問うようにティナを観察した後に頷いた。そして、少々申し訳なさそうに頭を掻く。
「先に私が聞いてはいけない言葉だったかも知れませんね……困りました。お叱りを受けますので、どうか、あとは直接殿下に伝えて下さいますか」
「え?」
「それでは私はこの辺で失礼いたします。明日は、手順通りによろしくお願いしますね」
「え、なに? 待って! 話、終わってない! ちょっと!」
 ティナは追いすがるけれど、ライムントは無視してそそくさと部屋を出て行った。
 どうしたのだろうと首をかしげていると、後ろでかたりと音がした。振り向くと、いつの間にか開かれたテラスへと続く窓の向こうに人影が一つ。月明かりに目を細めると、そこではヴィルが目を見開いて立ち尽くしていた。
「ヴィル?」
 ヴィルはそのままそこから動かない。ティナは今のライムントとの会話を思い出して、聞かれていたのかもとかっと赤くなる。
 やがてヴィルはティナの方へと一歩足を進めた。
 薄いカーテンの影から、ヴィルの全身が現れる。
 夜の闇が彼の色を濃くしているせいか、この世の者と思えないほどに美しい。その髪が、その瞳が闇から溶け出したかのよう。だけど、ティナの胸が跳ねるのはその美しさのせいではない。
「ど、どうしたの、こんな遅くに。そ、それにその恰好――」
 まずヴィルの姿が気になった。彼女、と言えないような恰好なのだ。今夜のヴィルの姿は。
 髪は項で一つに纏めてあり、形良い耳がすっきりと現れていた。いつも着ている身体の線を隠す長いドレスではなく、先日のお忍び未遂の時と同じように男物の服、侍従が着ているような濃紺のお仕着せを纏っている。丈はぴったりだけれど、肩や腰の辺りで多少布が余って見えるのは、以前と同様に借り物だからなのかもしれない。それでも、広い肩幅や長い足が強調されたその姿が、ドレスよりも似合っているのは確かで――ティナの目には、酷く魅惑的に映った。
 ティナがまじまじと見つめているのを知ったのか、ヴィルは多少照れくさそうに自らを見下ろした。
「いつもの恰好では動きにくくて」
 そういえばとティナは思い当たる。ヴィルの部屋は三階にあり、ティナの部屋は二階にあった。そして今ヴィルはテラスから現れたのだ。
「そういえば、どうやってここまで来たの?」
「木を伝って来た。見張りが付いていたから。ライムントはもしかしたら見逃してくれたのかもな。助かった」
 なんでもないように言うけれど、普段のヴィルに木登りはあまりにも似合わない。しかし、今目の前にいる"男の子"のヴィルにはできそうな気もした。
 テラスから冷たい風が吹き込みカーテンを舞い上がらせる。秋の夜の風は冬の冷気をすでに含んでいるかのよう。薄着のヴィルが小さく震えたのを見て、ティナははっとした。
「あ、お茶入れるわね! カモマイルでいい?」
 慌てるティナの手首をヴィルが掴む。昨日感じたのと同じ、大きな硬い手に思わずティナは身を震わせた。
「時間が無い。それより、さっきの続きが聞きたい」
「つ、続きって……って、いつからいたのよ?」
「多分、最初から」
 もどかしげにヴィルはティナを引き寄せる。そしてティナの癖毛の中にその頬を埋めた。
(な、な、な、)
 何してるの! と叫びだしたい気分で、ティナはもがくけれど、ヴィルはティナを囲った腕を解こうとはしなかった。
「早く」
「だ、だから、何を……」
「とぼけるのか? じゃあ俺から言おうかな。元々そのつもりでここに来たのだから」
 俺、という言葉にティナが顔を上げると、美しい漆黒の瞳がティナの目の前にあった。
(うわああ)
 このままでは心臓が持たない――そう思ってティナは俯くと、ヴィルの胸を手のひらで押した。そして、やはりふくらみの無い硬い胸に余計に動揺する。
「ヴィル、離して」
 ヴィルはティナを離すどころか、腕に力を込める。そしてティナの髪の中に手を差し込むと、少し髪を引いて上向かせた。
 まともにその漆黒の瞳に覗き込まれる形になったティナは、息を呑む。直後耳元に低い声が届く。

「――好きだ」

 心臓がどくんと音を立てた。今までずっと聞いていたはずの声なのに、どうしてこんなに胸が暴れるのだろうか。胸の音が全身に広がって、体全体が脈打っているように感じた。
「お前は? ティナ」
 ティナは怯んだ。ライムントに向かって気持ちを認めるのと、本人に言うのはまた別の覚悟が必要だった。
「し、知ってるくせに!」
「ちゃんと聞きたい」
 鼻の先が触れるほど近くで囁かれ、ティナは目を回しそうだった。言ったら自分は、そしてヴィルはどうなってしまうのだろう。そう不安に思いつつも、どうしてもその瞳に捕われて抗えなかった。
「私だって、ヴィルの事……」
 好き――そう言おうとしたティナは、ある考えに一度口をつぐんだ。念のために確認する。人生初の告白が、万が一にも同性に向けてであっては、なんだか色々残念過ぎる。
「あ、あのね、確認させて。ヴィルは本当の本当に男の子なのよね?」
 今更なんなのだ、というような不満げな視線で睨まれる。そして直後何を思ったかヴィルは問う。
「――キスしていい?」
 ぎょっと目を剥いてティナが戸惑っている間に、ヴィルは頬を傾ける。ティナが気が付いた時には、唇を柔らかいもので塞がれていた。
 そして、それは触れるだけの優しいもので終わらない。
「ん――――⁉」
 想像もしていなかった強引さにティナが思わず身を固めると、ヴィルは名残惜しげに唇を浮かせた。
「い、いきなりこんなのって――」
 初めてのキス、それはきっと砂糖菓子のように甘いのだろうと想像し憧れていたティナは、色んな意味で裏切られる。甘くとも、熱く、火傷のような痛みさえ残る。真っ赤になってわなわなと震えるティナをヴィルはようやく解放する。慌てて腕の中から抜け出す彼女に向かって僅かに笑った。苦しげな笑みにティナが胸を突かれて言葉を失っていると、
「俺が男だって、まだ分からない?」
 そう言いながら、ヴィルはお仕着せの襟元に手をやる。そして一番上のボタンを躊躇いも無く外した。
「お前は鈍いから。これでも分からないなら脱ぐしかないかな」
 その瞳が甘く熱く輝いた瞬間、ティナは跳ねるように後ずさり、胸の前で大げさなくらいに手を振る。
「じゅじゅじゅ十分分かりました!」
 それでも二つ目のボタンに手をやるヴィルの手に慌てて飛びつきながらティナは叫んだ。
「ば、ばか! 分かったって言ってるでしょ! 止めて‼」
「……残念」
 と言いつつ、くつくつと肩を震わせるヴィルに、ようやく自分がからかわれたと知って、ティナは憤慨した。
「ヴィルのばかばかばか!」
 悪態が止まらないティナに、ヴィルは困ったように頭を掻く。
「さっきのは俺が悪かった。予想外のことで抑えが効か――いや、予定が狂ったんだ。――そう怒るなよ。今夜はここに喧嘩しに来たんじゃない。男として最後の夜くらい、好きな女と楽しく過ごしたかったから来たんだ。お前と過ごした半年は楽しかったから。ただそれだけだ。誰かに、いや……お前に今の俺を覚えていて欲しかった。きっと明日になれば、俺はこの気持ちを失うだろうから」
「勝手よ、そんなの!」
「ごめん。だけど、お前の気持ちを知って嬉しかった。――まぁ、悔いは残るけれど、お前の幸せを考えると、これで良かった」
「悔い?」
 ヴィルは眉を上げると軽く笑う。
「さっきの続きができないってこと」
 当たり前のように言われて、ティナはまた顔に血が集まるのを止められない。
(つ、続き――)
 キス一つでいっぱいいっぱいだったティナは、それ以上想像もつかなくて目を回しそうだった。ヴィルはそんなティナを見て、急に真面目な顔をした。
「俺のわがままでお前に傷を付けるわけにはいかない。お前には、これからいい男がきっと見つかる。そいつと幸せになれ。俺は、これからも友人として、見守って行く」
 ティナは熱くなってひりひりと痛む喉から、言葉を絞り出す。
「いやよ。そんな風に終わらせないで。そんな風に諦めてしまわないで! ――私、きっとあなたを救う道を見つけてみせるから」
「ティナ。俺はもう十分なものを貰っている。前にお前は言っただろう? なんでも心の持ちようだと。それまで俺は、どうして俺だけこんな目に遭うんだってずっと思っていた。何もかもが憎くてたまらなかった。だけど今、俺は国の為に犠牲になれる事を誇りに思う――俺にしかできない方法で、お前を守れるのが本当に嬉しいんだ」
 ヴィルは頑に首を振る。胸にしがみつくティナの背を撫でると、再び髪の中に顔を埋めた。
「そんな顔をするな。笑えよ。命まで取られるわけじゃない。お前は何も知らなかった頃に戻るだけだ。それで皆幸せになれる、きっと」
(忘れられるわけ、ないじゃない)
 それはヴィルだって同じはず。そう思って顔を上げようとするけれど、ヴィルはティナの顔を見ることを拒み、ティナの体に回した腕に力を込めた。
 やがて、ヴィルはティナの肩をそっと掴むと、自らの身体から離す。そして、今までに見た事も無いような綺麗な笑顔で笑った。
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