第二十話
商人は行商が終わり帰路に着く途中だった。
塩の販売が上手くいき、出た利益に顔が綻んでしまう。
この金を何に使おうかと期待に胸を膨らませていた。
青い絵の具をぶちまけたように雲ひとつない青い空。
天候も自分を祝福してくれているように思えた。
意気揚々と馬車を進めていると、突如突風が吹き辺りが暗くなる。
みると自分の周りだけが暗くなっており、一定のラインを越えると変わらず陽の光が差し込んでいる。
雨雲でも上に来たのかと思い少し憂鬱になりながら上を見上げた。
そこには――
巨大な緑色のドラゴンが圧倒的な存在感を持って通り過ぎて行った。
「身体が痛いのに王都に戻らないと行けないなんて大変だなぁ・・・。」
黒い外套に身を包み青い空とは裏腹にどんよりとした調子のクロノ。
「いや、お主は今なんもしとらんじゃろ。」
とても低く重い声が青い空に響く。
「分かってないなぁ、結構ドラの背中に座りながら移動するのって難しいんだよ?」
今クロノが居るのはドラゴンの状態になったドラの背中。
早送りのように景色が流れていく程のスピードで空を駆けるドラの背中の上は常人であれば耐えきれないであろう暴風が吹きつけている。
「全然難しそうに見えんがの。」
平然と背中の上に座るクロノ。全く苦しそうな素振りなど見えない。
「あっ、人らしきものが見えるけど大丈夫?」
不意に指を指し声を上げた。
「むっ、どこじゃ?村などがある道は避けて通ってる筈じゃが。」
基本的にドラゴンになって移動する時は人の居る所を避けて移動する。
それはドラの姿を見られて余計な噂が立たないようにするためである。
かなり上空を飛んでいるため見られても一瞬だが、念には念を入れてだ。
「言ってる間に通り過ぎちゃったよ。多分行商人かな?馬車も見えたし。」
視力はかなり良い方だとクロノは自負している。無属性の身体強化が無意識に発動しているからである。
「あっちから見えたとしても一瞬じゃろう。そこまで気にする事でもないかの。それより、あの事をどうクライスに伝えるつもりじゃ?」
「とりあえずはそのまま伝えるさ。」
今現在クロノ達はエテジアの村をでて王都へと向かっていた。
ソフィアから伝え聞いた少年たちの話をクライス王に伝えるためだ。
少年たちはソフィアたちが暫く面倒を見るとの事。ザイウスとかいう男の怪訝な表情が気になったが。
今クロノの脳内を占めるのは一つの事。
レオンハルト王国の勇者が軍を率いて国を攻めに来たというにわかには信じがたい話。
聞いた時は内心動揺したが、ソフィアたちの前でそんな顔は出来なかった。
クロノも2年前の勇者召喚は知っている。あの日、入れ替わるようにやってきたとされる勇者。
しかしこの2年全く音沙汰がなく居なかったとされた勇者。
大多数の見解どおり嘘だったと思っていた。今になって何故?それとも今回も偽物?
近年のレオンハルト王国の情勢を知らないクロノには判断が下せない。
情勢をしらないどころか、八年間あの国に踏み入れた事すらもなかった。
別にあの国を恨んでいる訳ではない。自分を捨てたあの判断は今でも正しかったのだろうと理解できるし、あんな事がなければ今の自分は居ない。だからといって特別思い入れがあるわけでもないが。
今まで色んな依頼を見てきて、あの国でする仕事もあった。しかし、なぜかその依頼を受ける気にならなかった。他に金払いの良い依頼はいくらでもあったし、同じ金額の依頼でも近場の依頼の方が効率が良い。今まであの国に行かなかったのは行く機会がなかっただけだとクロノは思っている。
しかし、クロノは気付かない自分が無意識の内に理由をつけてあの国に行くのを避けていた事を。
「問題は伝えたあとじゃな。事実だとしたら主はどうする?」
「どうって・・どうもしないさ。成り行きを見守るだけだよ。」
国に仕えている訳でもないクロノにはわざわざ王に報告する必要はない。
それでも伝えるのは、情報を売って報酬を貰うという考えもあるが比較的懇意にしているクライス王に警告しておこうという思いからだ。昔巡った国の大半はカゲウラの名だけで過剰な程に自分を恐れているのがありありと見てとれた。それに対してこの国の王は自分を恐れる事はしない。試合を見た下級兵の中には未だに恐れる者もいるが、多少は薄れてきているように感じる。
クロノはそんなこの国に対して好意を持っていた。一番の理由は昔母に貰った指輪の思いでがあるからだが。
「そうじゃの質問を変えよう。もし戦争になったらどうする?」
「雇われたら戦うけど、自分から戦うことはないね。」
即答だった。以前の子供たちの時のように迷うことはなかった。
あくまで自分は冒険者であって、この国の兵士などではないのだ。
そのスタンスは崩さない。
「そうか。それを聞いて安心したぞ。」
安堵したようなドラ。
「あれ、ドラは俺がどこかの国の味方をするとでも思ってたの?」
からかうように聞いてみる。
「最近この国でばかり活動しておったからの。主も案外この国が嫌いではないようじゃったしな。」
言い返せない、確かに半年程この国に拠点を置いて活動していたし国も嫌いではないのだ。
「ほれ、もう着くぞ。」
話している間に王都の近くまできたようだ。
王都から少し離れた所に降り立ちドラは少年の姿に変わる。
ここからは歩いて王都まで向かう。
空は相変わらず快晴だったが、南のシュヴァイツ帝国の方には暗雲が立ち込めていた――
痛いほどの雨が降っていた。
降りしきる雨は止む事を知らないかのように勢いを増している。
土砂降りの中で人々は怒声や怒号を上げており、悲鳴のような女子供の声も聞こえる。
そんな雑音を聞きながら敷かれた陣の中で男は佇んでいた。
外とは別世界のように人の声すらもしない。
「申し上げます。ようやく王城が陥落致しました。」
静寂を打ち破って入って来たのは騎士風の若い金髪の男。ところどころ泥が付いている。
「そうか、御苦労。」
佇んでいた男は威厳のある声でそれだけ告げると再び黙り込んでしまった。
「つきましてはまず王への報告を行おうと思うのですが・・・」
遠慮がちに聞いてくる騎士風の男。
「いや、王は今病に伏せっておられる。御身体に障ってしまうかもしれん。」
それを手で制す男。
「はっ、ではこれから勝鬨を上げてもらいたのですがよろしいですか?今日は体調が悪いとお聞きしておりますが。」
「ああ、大丈夫だ。だがやることがあるからな、先に行っていてくれ。」
そういって男は部下を送り出す。
一礼をして出て行った部下の姿を見送ってから、男は簡素な椅子に腰かけ全く別の口調で喋り始めた。
「あ゛ーくっそ雨のせいで出られなかったな。誰も殺せないとかつまんねぇー。」
先ほどとは全く違う口調。獰猛な獣のような声。
「っつーか、体調が悪いわけねぇーじゃん。ただ泥に塗れるのが嫌いだっただけだっつーの。」
高らかに笑う男。完全に先ほどの面影はない。
「それにしても王様ねぇ……。」
首に手を当てニィッと歪んだ笑みを浮かべる男が何を思ったのか知るものはいない。
男以外には……