和田という人物が、一夜の職場で見かけたあの若い男のことだということは、源二も嫌でも知っている。一夜が何度も親しげにその名を呼ぶので、覚えてしまった。
今年の夏に二人で買い物をしている時に出くわし、更には旅行先でバッティングまでしてしまい、その男がそつなくフォローしてきたことも源二の記憶にまざまざとある。
独占欲の強い源二にとって、和田は「いけすかない奴」リストの中に既に放り込まれている。確かに頭は切れそうな男なので、一夜を助け、それで彼女が仕事をしやすくなるならば、気に食わないが許してやらないこともない。
しかし一夜のことを「仕事で助けてやれる」ということは、源二には絶対に手を出せない部分で彼女の力になっているということだ。彼女が同僚に慕われるのはよいことであり、仕方ないと分かっているが、つまらない対抗意識を抱いてしまう。一夜の前では口にしないが、いざ、その男と同席しろと言われると、何で俺が、とあまり面白い気持ちはしない。
だがそれを知らない一夜は後輩と言えども、彼に世話になっているからか、その提案に応じたいらしい。彼女に甘い源二は、最終的には大人しく従ってしまうのであった。
本当は、誰であっても一夜の傍で、自分以外の者が彼女を助け、救うなどということを、源二は昔から許せない。
確かに二人だけの「聖域」の外で、互いが成長するのは大切なことだろう。しかし源二は、一夜が聖域を必要としなくなる日がくるなど考えたくもなかった。それは彼女に誰とも結婚して欲しくないと願った、中学高校の頃と変わらない。
――やはり互いに互いしかいないのだと、最後には自分の元に戻って来て欲しい。自分だけしか居ないのだと縋って欲しい。
歪んでいるかもしれないが、源二は本気でそう思っていたのだった。
全てが壊れた彼の世界に一夜が現れた。だから彼もまた、一夜にも同じように思って欲しかった。
両親を一度に失った過去からそこまで思いつめるようになった源二だが、何か黒い闇が己の心に潜んでいるのは彼自身以前から感じていた。
しかし悪循環。その黒い影から己を救い出せるのもまた一夜だけだと、彼は思いこんでいた。
逆に一夜を傍に置くためには、彼女よりも強くならねばならない、彼女を守ることで、彼女に必要とされなくてはいけない。だから、その闇に負けるわけにはいかない。その感情と一緒に一夜を抱き締めて、そのうえで自力で立ってなければいけない。
幸いにも一夜に依存しながらも、源二はそれだけの強さを持ち合わせていた。だから無表情を作って、その感情に易々と飲み込まれないようにしているのだ。
そして一夜に心配掛けないよう、彼女の真似をして日々を穏やかに過ごしているうちに、いつの間にか彼の望む状況へと全てはゆっくりと向かっていき、その負の感情も滅多に表れなくなった。
そうしたことから一夜に和田と一緒に飲もうと言われたことは、源二にとっては少々複雑な感情を起こさせることでもあったのだった。
しかし今は忘年会シーズン。これからクリスマスも訪れる。源二ですら、大学の方で様々なイベントに誘われている。一夜曰く交友範囲の広い和田はこの時期忙しいらしく、三人で飲むのは年明けにしようという話だ。
よって源二も、しばらくあの腹の立つ男のことは忘れることにした。
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そして数週間が過ぎ、大学も冬休みに入らんとする頃。クリスマスイブの夕方、今年最後の授業を終えた源二は、聖夜にも関わらず、いつもどおりアルバイトに勤しんでいた。
高校生の時から勤め、もう三年にもなるこの配送業。大学生なので深夜のシフトも入れられるようになり、元々時給もよい仕事であるので稼ぎも飛躍的に増えた。
経験年数から年上の新人――同じ大学生から四十代の男性まで――を源二が教育することもある。しかし彼は如何せん口下手だ。部活で後輩に教えていたサッカーと同様、遣り方を見せて覚えさせたいところだが、親子ほど年上の男性にそのような失礼は出来ずに、気を遣って言葉を選ぶ。
やはり気の合った仲間とのペアの方が、楽しく仕事が出来るというものだ。今日のシフトは、未だにフリーター生活を続ける、三つ年上の青年、奥原と一緒であった。
彼とは高校一年の時からの付き合いで、正反対のタイプであるのに何故か気が合い、長く世話になっている。ただし奥原の場合、人の性生活のことにまで突っ込みを入れてくるような余計なお節介を焼いてくるので、そこが玉に傷であるが。
「って、水倉くんよー。今夜はクリスマスイブだぜー。早く帰らなくていいのー?」
周りに人の居ない冷える倉庫で荷物を仕分けている最中、奥原が早速声を掛けてきた。時刻は午後七時半になるところ。
「これが終われば、帰りますから」
源二の仕事はこの山を片付ければ最後であったので、淡々と答えると作業を続けた。今日の時給はいつもより高い。深夜勤にはプレゼントとしていつもの倍近く出してもいいぞ、と専務は笑っていたが、流石に聖夜だ。家で待っている一夜が居るので、深夜まで居るつもりはない。
と言っても、生活費や貯金のために少しでも稼ぎたい。一夜にいつまでも養われたくないという意地もある。よってわざわざ自給のよいクリスマスイブに、仕事を入れたのであった。
それに一夜は、メディアで取り上げられるような、「恋人同士のクリスマス」を男とどうしても一緒に過ごしたいようなタイプでもない。人混みも嫌だし何より、踊らされていることが恥ずかしい、家でのんびり食事でもしたい――こんな主張は源二も何度か聞かされたし、彼も同感である。
そのうえ一夜は面倒くさがりで、甲斐甲斐しくケーキなどを作って待っているようなタイプでもない。ただし昔からイベント好きなのもあり、子供らしくない源二を喜ばせようと、彼女が食べるための豪華なケーキを買ったり、サンタ帽を被ったり被らされたり、プレゼント交換などはしてきていた。
しかし互いに大人になり、必要なものもそれぞれ好きな時に買っている。別に欲しいものもないし、とそれこそ干物女だ、無欲な一夜は一緒に過ごすこと以外、特に何も望んでいないだろう。ストイックな源二はそう捉えているのであった。
だから急いで帰宅はするが、気を遣ったクリスマスデートなどは計画していない。
「カノジョ、怒っちまわないの? どっか連れてってやれよー」
そんな源二に、一応仕事の手を動かしながら奥原がせっついてくる。彼は源二の想いを以前から知っている。一夜が「カノジョ」であることも、気が付けば断定形となっていた。
「何年付き合ってても、いくつになっても、そんなことないよーに見えても、普通、女はそういうモンだぞー。俺だってこれから出かけるもん」
今は決まった女がいるのか、見掛ける時はいつも違う女を連れている気がする奥原は、クリスマスイブを一人で過ごすなど考えられないらしい。彼もまた相当の寂しがり屋なのかもしれないな、と源二は大人びた感想を抱く。
「大丈夫です、……多分」
トラック運転手が入ってきて、こんな話題を聞かれるのも嫌だ。源二は早々に話を切り上げようと、奥原に真面目に答えた。
「ホントかよー」と彼は言うと黙って仕事を再開したので、この話は終わったのか、と源二はほっとした。しかし、
「ところでお前らって、ケッコンしねえの? あのねーちゃん、もーいい年だろー」
その短い金髪を星のように倉庫の光にきらめかせる奥原の唐突な質問に、源二も古典的にずさささーっと前のめりに荷物を倒してしまった。
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