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初めてをくれたひと

騒ぎの後、レイドにエスコートされ、痛む足をかばいながら控え室に戻る。

「あの、お手を煩わせてしまって、本当にすみません。助かりました。ありがとうございました」

扉の前でレイドに頭を下げるエルサーナの手は、大きな手に捕まえられたままだ。

「痛むのだろう。無理はするな」

「ええ、もう大丈夫ですから」

と、エルサーナはやんわりと笑いつつ、拒絶する。するりと自分の手を取り返し、レイドに背を向けて、控え室に入った。


ここまで付き添ってくれた上に、気遣ってくれたレイドへ、そっけない態度をとったことにちくりと胸が痛んだ。けれど、今何よりも優先するべきはシェルミラへ手袋を届けることだと言い聞かせながら、唇をかむ。


「まぁ、エルサーナ、遅かったのね」

「申し訳ありません、お待たせいたしました」

恐縮して頭を下げるエルサーナに、シェルミラは鷹揚に笑って首を振る。

「大丈夫よ。ゆっくり休めて、かえってよかったわ。何かあったの?」

「城内で迷っていた方がいらっしゃったので、ご案内差し上げていたために遅くなりました」

「そうなの。そういう方を無碍にはできないものねぇ」

シェルミラは特に疑いもなく、エルサーナのうそを信じてくれたようだ。詫びる彼女に、侍女長がすばやく歩み寄る。

「助かったわ、エルサーナ。…陛下にこれを」

エルサーナの手から受け取ったそれを、傍らの侍女に任せると、侍女長は声を潜める。

「陛下には伝えていないから安心なさい。騎士団の方が知らせてくれたのよ。酔客に絡まれたのですって? 大事はない?」

「は、はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

連れて行かれた元婚約者は、エルサーナとのことについて話したかもしれない。けれど、ここへ知らせた騎士はきっと、気を利かせて伏せていてくれたのだろう。侍女長も同じだ。気遣いに、感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

無事にシェルミラが会場に戻っていく姿を見届けて、侍女長はため息をつく。

「まったく、酔って城内で女性に乱暴を働くなど、嘆かわしいことだわ。モラルも品位もあったものではないわね」

「…そうですね」

一瞬息をつめて、吐き出すように返すエルサーナに、侍女長ははっとしたように眉を寄せる。

「エルサーナ、ずいぶん顔色が悪いわ。具合が悪いのではないの?」

「い、いいえ! たいしたことはありません!」

心配させたくなかったし、これ以上気を遣わせるのも申し訳ない。けれど、やはり侍女長の目はごまかせなかった。年齢相応のしわを刻んだその顔がすっと引き締まる。

「真っ青になっているわよ。一目でわかるわ。そのような顔では、シェルミラ様にも気づかれてしまいます」

「でも、まだ夜会は終わっていません!」

「具合が悪いのなら、それで皆に迷惑をかけるかもしれない。シェルミラ様にも、それこそ余計な気遣いをさせることになるでしょう。それは、エルサーナ、あなたの本意ではないのではなくて?」

かたくなに言い張るエルサーナに、侍女長は諭すように言う。さすがにその言葉には、エルサーナはうなだれるしかない。

「無理はだめよ。みんなもいるわ。ここはなんとかなります。今日は下がってお休みなさい」

「はい…、ありがとうございます」

エルサーナは迷いを残しながらも、頭を下げた。


内心、ほっとしていた。…実のところ、今も痛みで背中を脂汗が伝っている。無理をして歩き続けたエルサーナの膝の痛みは、とうに限界を超えていた。立っているだけで、痛みがつま先まで響く。少しでも体重をかけようものなら、そのまま悲鳴を上げてうずくまってしまいそうだ。正直、これ以上意地を張り通す気力は、もう残っていなかった。


それでも必死に平静を装い、礼をして部屋を辞す。ぱたりと扉を閉めて頭を上げたとたん、すっと落ちるような感覚に見舞われて、視界が暗くなった。


「あ…」


貧血だ。

…倒れる。

かくんと糸が切れたような体が崩れるのが、やけにゆっくりと感じられる。


ところが、次の瞬間、エルサーナの体は、何か大きなものに包むように支えられていた。

「まったく、あなたは。無理をするなと言ったのに…しょうのない人だ」

耳元に響く声だけが、やけに大きく聞こえる。でも、それはどこまでもやさしい。

さっきあんな態度をとったのに、そんなもの、まるでなかったかのように。

「グ、ランツ、様」

うまく動かない舌で、ようやくに呼びかければ、力強い腕がまたエルサーナを抱き上げた。躊躇ないレイドに反論する力もなく、エルサーナはその腕に身を任せるしかない。そのまま歩き出した彼の腕の中で、エルサーナは暗くなっていた視界が徐々に戻っていくのを感じていた。

厚い胸に頭を預けながら、誰かに見られたら…と思わないでもなかったが、いろいろありすぎて頭がうまく働かない。

「…どうして?」

だけど、つい口を出たのは、そんな疑問で。

「歩き方で、痛むだろうと想像はついていたからな。ずいぶん腫れているはずだ。どうせ歩けないだろう?」

あっさりと返されたそれは、エルサーナのほしい答えではなかった。

「…待っていてくださったんですか?」

重ねて問えば、レイドの唇の端がわずかに上がる。見上げる硬質なあごのラインに、心臓がどきんと跳ねた。

「動けなくなって中が騒がしくなりでもしたら、踏み込む口実にちょうどいいからな。いずれ、無理やりにでも連れて行こうとは思っていた」

まっすぐ前を見つめる顔は無表情で、その瞳の鋭さは普通の人ならば後ずさってしまいそうな迫力がある。けれど、エルサーナにはどうしてか、その目元がどこかやさしさを漂わせているような気がして、目が離せない。

「なのに、中は静かなままで、あなたはなかなか出てこない。さすがに、どうしようか迷った」

そして、レイドは腕の中のエルサーナを、慈しむように見下ろした。

その視線が熱をはらんでいるように感じたのは、気のせいだろうか? 恥ずかしくて、思わず視線をそらしてしまう。

「待っていたかと問われれば、そうだと答えるしかないな。…そうしたい気分だった」

だから、それはどうして? とは、もう聞けそうになかった。でも。

「震えていたかと思えば強がるし、泣きそうになったと思えば意地を張る。危なっかしくて、見てられん」

「…すみません」

ため息交じりの言葉に、顔が熱くなる。かわいげのなさに、あきれているのかもしれない。自分でもわかっている、男性との距離感がうまくつかめなくなっていることは。

ゆらゆらと体が揺れる。けれど、その振動はエルサーナの痛みに追い討ちをかけることなく、心地いい。男性はもうこりごりだと思っているのに、どうしてか安心して、泣きたくなる。

「案外、気が強いんだな。そんなふうには見えないが」

「ライトにも、よく言われます。頑固だって」

すねたような言葉に、くすりとかすれた笑い声が落ちてきて、胸が熱くなる。

レイドのまとう雰囲気は、静かで、穏やかで、どっしりとした落ち着きがあった。そのせいだろうか、警戒心を抱けないのは。

「信念があるからだろう。そういうのは嫌いじゃない。だが、無理は程々にな」

落ちてくる言葉が、胸にしみる。認めてくれる、わかってくれる、抑えてくれる、いたわってくれる。心の中で、『信用するな』と叫んでいる自分がいる。でも、こんな風に自分を飲み込んでしまう人は初めてで。

知らず、潤んだ瞳を、紺の制服の胸に隠してうつむいた。

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