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心の奥に生まれた火

彼の前でぴしりと礼を取る、紺色の詰襟を着た二人の男女に元婚約者を預けると、その大きな男が振り返った。

見上げるほどの身長、広い肩幅、がっちりした体つき。身にまとう制服は、彼らと同じ紺の詰襟なのに、与える印象は堂々としていて威圧感すらある。

夜色の黒に近い紺の髪をざっと後ろに撫で付けた風貌は、渋みと落ち着きがあった。エルサーナよりも年上だろうか。一瞬息が止まりそうなほどに恐ろしい三白眼と目があったけれど、不思議と怖さは感じずに、エルサーナは彼を見つめ続ける。

「大丈夫か。どこか怪我は?」

発した言葉の思わぬやさしい響きに、はっと我に返る。

「あ、あの、倒れた時にぶつけて…」

そう申告したとたん、忘れていた痛覚が回復したのか、いろいろな場所の痛みが一気に襲ってきた。『くぅっ』とのどの奥で小さく悲鳴を上げて、体を丸めたまま動けなくなってしまう。

その様子に一瞬眉をしかめて、レイドはふっと息を吐いた。

「失礼」

「っ!」

すっと両手が背中と膝の裏に入り、次の瞬間には軽々と男の腕に抱き上げられていた。

驚いたけれど、体の痛みに声も出ず、なすがまま運ばれるしかない。

明かりの灯る廊下、その一角にしつらえられたベンチまでの距離は、長いようで短かった。力強い腕と、ゆるぎない大きな温かい胸。そこに、なぜか泣きたくなるような安心感を感じて、エルサーナは力を抜いて痛む体を預けた。

そっとベンチに下ろされると、彼はそのままエルサーナの呼吸が整うまで待っていてくれる。

痛みはまだじくじくと痛覚を苛んでいたけれども、エルサーナはゆっくりと顔を上げた。その前に、男は恭しく跪いている。

「大丈夫ですか」

「はい。お騒がせして申し訳ありません」

「いや、こちらこそ驚かせて申し訳ない。私は騎士団団長、レイド・グランツと申します。王妃陛下付専属侍女のエルサーナ・ウォーロック殿とお見受けしますが、相違ありませんか」

その恐ろしげな外見を裏切る礼儀正しく、紳士的な態度に、エルサーナは目を見張る。

彼のことは、最近騎士団副団長になった弟のライトリークから、よく聞いていた。顔は知らなかったけれど、こうして会ってみると、妙に納得した気分になる。

「はい。そのとおりです」

「どちらへ行かれます」

言われて初めて、自分が華月宮へ行く途中だったことを思い出して、急に焦りが生まれる。

「私、シェルミラ様の手袋を取りに行く途中で…! 急がないと!」

こうしている場合じゃない。あわててベンチから腰を浮かす。

ところが、立ち上がった途端、痛みと震えに力が入らず、膝がかくんと抜ける。

「きゃ…」

傾いだ体を、すかさず伸びてきた太い腕が抱きとめた。しがみついても揺らぎもしないその力強さに、一瞬めまいがする。

「失礼。大丈夫ですか?」

「あ、ご、ごめんなさい、うまく力が入らなくて…。っ痛…」

密着している恥ずかしさにあわてて離れようとするが、急に動いたせいで打ちつけたわき腹がずきりと痛み、思わずうめく。レイドの手がゆっくりとエルサーナを支え、また静かに座らせた。

「無理はしないほうがいい。治療師に見てもらったらどうだ」

「でも、きっとシェルミラ様が困っておいでです。あちらに残っている皆にも迷惑がかかってしまいます」

気遣うような声に首を振り、なおも立ち上がろうとするエルサーナに、レイドはため息をつく。

強情な女だと思われているかもしれない。でも、それでもかまわなかった。今は、シェルミラが第一優先なのだし、これ以上男性の前で弱みを見せたくない気持ちもあった。

「ならば、俺が華月宮まで同行しよう。一人で歩かせるには、今のあなたは心もとない」

そう言って、レイドはそっとエルサーナに手を差し伸べた。痛みで体が自由にならない今はとてもありがたいけれど、どうしてもためらいが先に立つ。エルサーナは、まだそこまで男性を信用できていない。


どうして、助けてくれるの? もしかして、下心がありはしないかしら? また、傷つくのではないかしら?


臆病な心が邪魔をする。でも、一瞬で思い直す。弟のライトリークと話した時には、騎士団長であるレイドに対して悪態をついてはいたけれども、それは敵わない悔し紛れのせいに思えた。だから、きっと一目置いているのだろう。

そもそも、ライトは嫌いな人間や気に食わない人の話題は、一切口に出さない。


…悪い人ではないのかもしれない。


2、3度瞬きをして、その手をじっと見つめると、エルサーナはおずおずと自分のそれを重ねる。

すぐに握りこまれた手は、その無骨さに反して、柔らかくエルサーナの手を包んだ。

立ち上がり、ふらついた腰をとっさに引き寄せて支える。

密着した大きな体に、先ほど元婚約者に受けた仕打ちを思いだして一瞬びくりと体を震わせると、『すまない』とわびて、すぐに体を離す。

それから、取った手を自分の肘に導いた。

「これならいいだろうか」

礼儀正しくうかがう彼は、外見こそ恐ろしげだが、どこまでも優しく、紳士だった。


どくん、と一瞬大きく跳ねた心臓は、気のせいだろうか?

びりっ、と、一瞬心に走った疼きは、気のせいだろうか?


「歩けるか?」

「は、はい、大丈夫です。申し訳ありません」

気づかうような声とまなざし。それを向けられるとなぜか気恥ずかしい気持ちになって、落ち着かなくて困る。

まだふらつく足で、それでも出来るだけ足を速めて華月宮へ向かう。

すがった男の腕に、どうしてか絶対の安心を覚えながら。

今はただ、さっきのことを消化するのに必死で、その上、シェルミラのためにすぐにでも会場に戻らなければならない。

そのことで手一杯で、エルサーナは、心の奥に落ちた火種を消火することをすっかり忘れた。

それがあとから、自分の身を焦がすほどに炎上することなど、知りもしないで。

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