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逃がさない

今日のレイドは、いつにも増して強引だ、と思う。こんな風に言葉と、距離と、仕草で、エルサーナの逃げ道を塞ぐようなやり方は、5年前にはしなかった。

こちらがおびえれば、引いてくれる。怖がれば、止まってくれる。少しずつ距離を測って、慎重に自分を取り込みにかかっていたのだろうと、今ではわかる。だから、レイドは優しい人なのだと思っていた。

でも、本当は違う。彼は、手加減してくれていただけなのだ。レイドは今こそ本気になって、自分を捕まえにかかっているのだろう。

前は、何もかもから隔てるように包まれていた、と思う。

今の彼は、エルサーナの前で、「大丈夫だ」「安心しろ」と、手を引いてくれている気がした。外に目を向けさせようと、先に立って恐怖を取り除いてくれる、歩く道を示してくれている気がした。


「いつもは、どんな店に行く?」

ふと尋ねられて、エルサーナはレイドを見上げた。穏やかな瞳が、いとしげに細まる。

「気に入りの店は、増えたか?」

レイドと過ごした時には、いつものお茶の店に顔を出すくらいで、ほかには町外れの丘や物見の塔から景色を眺めたり、人ごみにまぎれて街を歩くくらいだった。

元々、一人で街を歩くことはなかったが、レイドと別れてからは、引きこもってばかりもいられないと、少しだけ勇気を出してみた。

最初は、シェルミラにお使いを頼まれ、門前の雑貨屋に行き始めた。そこに並ぶ茶器に目を引かれ、思い切って自分で買いに行くようになった。次には、茶葉が欲しくてレイドと訪れていた茶店に自分で行くようになった。そうなると、お茶に合うお菓子を自分で選びたくなってきて、テーブルを飾るクロスや装飾品、花にも興味がわいてきた。

そのうち、仕事だけでなく、今まで小間使いに頼んでいた自分の買い物も、なるべく自分でするようになった。エルサーナにとってみれば、それは大きな変化だった。

もちろん、胸を張れるようなことではないけれど。

「はい。門前の雑貨屋さんはよく行きますし、お茶の店の向かいの花屋さんもよく行きます。2年前に出来たばかりのお店なんですけど、かわいい花かごを作ってくださるんです。それと、商人街のお菓子店の新作が楽しみです」

「そうか。…引きこもってばかりいるのではないかと、心配していた」

「頼りなくて申し訳ありません…。私には、友人と呼べる人もおりませんし、街に出るようになったのも、最初はシェルミラ様のお使い物を引き取りに行くためでした。お仕事の合間に、一人で気晴らしをしていただけなのです。…あの頃から、進歩がありませんわね、私」

最後に自嘲的につぶやいたエルサーナに、レイドは気を引くように、絡めた指に少しだけ力を込める。

「いるだろう、友人になりそうなのが。小さくて黒い毛並みの、な」

言われて、ライトのそばにいる少女を思い出す。

いつでも明るく元気で、素直な彼女。自分にない輝きを持っているアーシェは、自分にも臆することなく話しかけ、笑ってくれる。

「そう、ですね。そうなれれば、うれしいです」

「それなら、自分でも行動してみるといい。怖がるな、大丈夫だ」

そうだ、自分も、そうやってアーシェに語りかけたことがある。

『怖がらなくていいわ、大丈夫』

おびえていたアーシェは、それでも勇気を振り絞って、自分の手の中に寄ってきてくれた。そんなアーシェになら、自分も少しだけ、勇気が出せるかもしれない。

「はい、頑張ってみます」

緊張した面持ちで小さな一歩を決意したエルサーナに、レイドは穏やかに笑った。

目的の店につき、レイドがドアを開ける。かららん、という素朴なドアベルの音に、店主が顔を上げた。

「いらっしゃいませ。ああ、ひさしぶりだね」

「ご無沙汰している。頼んだものを取りに来たんだが」

「用意出来ているよ。おや、お嬢様。いらっしゃいませ」

レイドの後ろに隠れるように立つ小柄な姿に気づいて、店主はにっこりとわらった。

「こんにちわ」

「お2人でご来店とはまたずいぶん久しぶりですね。デートですか?」

「そうだ」

否定する前に、レイドがしれっと答えてしまう。エルサーナは赤くなってうつむくしかない。

「何か召し上がっていきますか?」

その申し出に思わずレイドの顔を見上げると、心得ていると言うように小さく笑った。

「ぜひいただこう」

レイドは窓際の席にエルサーナを誘い、椅子を引いて座らせる。向かい側に自分も腰をかければ、懐かしい既視感にエルサーナは切なくなった。

「ここにこうして座るのも久しぶりだな」

「そうですね…」

五年前は、決まってここに座っていた。ふたりでお茶を飲みながらたわいもない話をして、窓から外を眺める。穏やかに過ぎていく時間は、それだけで楽しかった。

「時間は、巻き戻せないものですね」

「そうだな。戻せないなら、また始めればいいだろう」

こともなげに、レイドは言う。でも、エルサーナには、まだうなずく勇気がない。うんと言えない自分の弱さが情けない。

「お待たせいたしました」

絶妙のタイミングで、店主が声をかける。カップに注がれた薄い緑色のお茶が、二人の前に置かれた。添えられているのは、ナッツの入った素朴なケーキ。

「北のウスリム山から取り寄せた、ドーリ茶の最上級品です。わずかな甘みと、さわやかな香りがします。飲み終わった後も、口の中に香りが残りますので、それもゆっくり楽しんでください」

簡単な解説をして、店主が引き下がった。エルサーナのほうは、すでに目を輝かせてカップに釘付けになっている。レイドがカップを手に取るのに続いて、エルサーナも手を伸ばした。

淡い緑色に透き通ったお茶は、店主の言うとおり、喉を通った後にも香りが残る。

「これはいいな」

「ええ、おいしいです!」

カップを戻してふう、と一息ついたエルサーナは、咎めるようにレイドを睨んだ。

「もう、あんなに簡単にデートだなんて…」

「なんだ、違うのか?」

軽く眉を上げて問い返せば、エルサーナはとたんにうろたえる。

「え、でも、デート、ではないですよね? 私はレイド様の用事にお付き合いしていただけで…」

「口実だ。わかっているんだろう?」

レイドは余裕のある笑みを浮かべて腕を組み、エルサーナを見つめる。

「わかっているくせに、また知らないふりをするんだな。どれだけ俺を振り回したいんだ?」

「ち、違います! そんなつもりはなくて、私は…!」

実際、この外出を、エルサーナはとても楽しみにしていた。だけれど、今まで拒否していた手前、浮かれたりはしゃいだりするのも現金なように思えて恥ずかしくて、「これはレイド様の用事に付き合っているだけ」なんて心の中で自分に言い訳をしていた。

レイドが身を乗り出し、テーブルの上の小さな手に手を重ねた。ずしりとした重みが、枷に思えるくらいだ。

レイドの笑みが、獲物を狙う猛獣のように見えるのは、気のせいではないと思う。

「外に連れ出してしまえばこっちのものだ。どう言い訳しようと、これはデート以外の何物でもない。あきらめて付き合え。もっとも…逃げられると思うなよ」

「そ、それでは悪人の台詞ではないですか!」

かわいそうなくらい真っ赤になったエルサーナに、レイドは軽く笑った。それを見て、さらにエルサーナは真っ赤になる。もう、顔が熱くて頭が痛くなりそうだ。

レイドは、普段声を上げて笑うことはない。ライトにすら見せないそんな顔を見られるのは、エルサーナだけだった。それを、今でも変わらず見せてくれるくらいに、レイドは自分に気を許している。

(どうしよう、踏みとどまらなければ。今まで抑えてきたのは、何のため?)

エルサーナは、必死に自分に言い聞かせる。けれど。

レイドの空いた手がすっと伸び、指が頬を撫でた。

「俺は、覚悟しろと言ったはずだ、エル。…拒否権は、ない」

いつもより艶のある低い声で、穏やかだけれど熱のこもった瞳に射抜かれて。

頭の中を見透かされているようで怖くなって、今すぐここから逃げ出したいと、切実に思った。

そして、逃げたら逃げたでどんなことになるかと想像して。


底の見えない笑みを浮かべるレイドを見て、背筋が、震えた。

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