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辺境の老騎士 作者:支援BIS

序章 旅立ち

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最終話 手紙

 



 1

 バルドは、今日も大オーヴァのほとりに来ている。
 革鎧も着けず、帽子もかぶっていない。
 傍らにはスタボロスがいる。
 休みなく吹く冷たい風が、長く伸びた髪やひげをなぶる。
 バルドは、コエンデラの城での出来事を思い出していた。

  どうしてわしは、あれほど激しく怒ったのか。

 もともと、カルドスを殺すつもりはなかった。
 それは、乗り込む前に、よくよく自分に言い聞かせていた。
 今カルドスを殺せば、せっかく生まれた平和が壊れる。
 血で血を洗う戦に発展し、民が苦しむ。
 テルシアも相当の被害を受け、魔獣の蹂躙を許すことにもなる。

 その結果、コエンデラは大きく力を落とすだろうし、分裂し、やがては消滅していくかもしれない。
 だがコエンデラに罪の報いを受けさせることよりも、人々の安寧のほうが大切である。

 弱みを握った状態でカルドスに大領主を続けさせたほうが、平穏を保てる。
 むろん、ウェンデルラント王がカルドスとコエンデラに懲罰を与えるなら、それに何の異存もないが。
 コエンデラがパルザム王国に反抗したとしても、テルシアが巻き込まれないだけの算段はつけてある。

 カルドスは、ウェンデルラント王がアイドラ姫との子を呼び寄せようとしているのは感傷であり、血筋からいって王位継承権など与えられない、と考えていた。
 だが、それは違う。

 ウェンデルラント王は現在四十九歳だが、ジュールラン以外に子はない。
 王権の安定には後継者が確定することが必要であり、実のところ、次期王の選定をする元老院会議では、ウェンデルラント王子に子がないことが問題とされた。
 そのとき、ある元老が、こう発言した。
 ウェンデルラント王子は、過去に内々ながら正式の婚儀をして妻を(めと)っており、現在二十八歳になる男の御子がある。
 しかもその御子は、初代王にそっくりの指印(ゆびいん)の持ち主である。
 そしてその指印の現物を見せたのである。
 これがウェンデルラントの王指名を大きく後押しした。
 だから、非公式のことではあるが、ジュールランは元老院において、すでに王位継承者の有力候補とみなされているのである。

 母親が辺境出身だから低くみられる、というのも正しくない。
 意外なことに、大障壁の切れ目を守る役割は、初代王が莫逆(ばくぎやく)の友に命じたとパルザム王国では伝えられているらしい。
 身を挺して魔獣の侵攻を防ぎ続けるテルシア家の姫であると聞いて、重臣たちは感銘を受けていたようだという。
 テルシア家が爵位を持っていないことも逆に好都合で、侯爵相当の家柄とみなす、という了解がすでに元老院でできている。
 ウェンデルラント王とアイドラ姫の結婚は、ウェンデルラント王子が辺境から帰国した際、学問の師であり親友である僧侶に諮って、きちんと手続きを取った。
 花嫁不在のままではあるが、誓いの儀式も行ったのである。
 力業といえば力業であるが、有資格者三人が立会人として署名し、書類は(まご)かたない正式のものであるという。
 ただし政治的状況から秘密にされた。
 この説明が証拠とともに示され、元老院は、ウェンデルラント王子の婚姻を追認したのである。

 バルドはこのことを、二人の結婚の手続きをしたという僧侶本人、つまりバリ・トード司祭から聞いた。
 司祭位も一時的なもので、国に帰れば枢密顧問に任じられるそうだ。

 だから、ジュールランは、カルドスが予想したよりもはるかに高い身分を得る。
 それがどれほど安定したものであるかは分からない。
 ウェンデルラント王の健康や寿命によっても未来は変わる。
 だが、当分は大丈夫だ。
 コエンデラもめったなことはできまい。

 せっかくこの地に大領主領が生まれたのだ。
 つぶしてしまうこともない。
 先でよい道が開けることを、バルドは祈った。





 2

 だから、そのことはバルドが考えなくてもよい。
 それより、なぜ自分はあんなに強い怒りを感じたのか。
 それが問題だと、バルドは思った。

  結局、わしがカルドスに憎しみを、憤りを感じたのは、アイドラ姫への愛情ゆえなのか。
  今回のわしの動きは、すべて私怨に発しているのか。

 バルドは、考えて、考えて、考えた。
 そして、こう結論した。

  私怨も混じっておる。
  アイドラ姫に、テルシア家に、やつがしたことは罰せられるべきじゃ。
  少なくとも、不正は(ただ)されねばならん。
  じゃが、それだけではない。
  無辜(むこ)の力なき民が、力を濫用(らんよう)する者たちに踏みにじられるのが許せなかった。
  だから、わしは怒り、やつらと戦ったのじゃ。

  そうでなくてはならん。
  それでこそ、姫の名誉は守られる。
  姫の騎士は誓いを守り抜いたと、姫に誇っていただくことができる。

  私怨だけであったなら、きゃつを殺せばよかった。
  それ以上の復讐はない。
  怨念を抑えてやつを生かしたのは、人民のため、この地の安寧のためじゃ。
  姫の本当の願いに添うためじゃ。
  そうでなくてはならん。
  それでよろしいですな、姫。

 そのとき、川面を渡ってアイドラの歌声が聞こえたような気がした。
 この曲は、〈巡礼の騎士〉だ。
 かつて流浪の騎士からバルドが教わり、バルドがアイドラ姫に教えた、古い古い歌だ。

  ああ、姫は、わしのしたことをお喜びくださったのだ。

 と、バルドは思った。






 3

 湖のほとりの別邸で、バリ・トード司祭と密談をしたあと、バルドは、三通の手紙を書いて、一通を司祭に、二通をジュルチャガにことづけた。

 一通は、ウェンデルラント王に宛てたものである。
 事の経緯をバルドの立場から説明した。
 証拠として、印形の入っていたナイフを添えた。

 一通は、ジュールランに宛てたものである。
 事情を説明し、両手のすべての指印を取って署名し、ジュルチャガに渡すようにと書いた。

 一通は、リンツ伯に宛てたものである。
 ジュールランの指印を、辺境侯を通じてウェンデルラント王に届けることを依頼した。

 ジュルチャガは、バルドの元を去ってから一週間後にはリンツ伯の元に着いていた。
 ジュールランの手紙を持って。
 ドルバとパクラですべきことをしてのことなのだから、恐るべき速度といわねばならない。
 馬を使わなかったとは信じられないほどだ。

 バルドはコエンデラの城を出たあと、結局パクラには寄らず、リンツに来た。
 リンツに来たのはリンツ伯に馬を返すためだ。
 パクラに寄らなかったのは、これからの身の振り方を決めかねたからだ。
 だが、テルシア家には事の次第を報告しておく必要がある。
 リンツに来たら、ジュルチャガがいたので、これ幸いと伝言を頼んだ。
 初めは手紙を書こうと思ったが、右手が思うように動かなかったのだ。
 ジュルチャガは優れた記憶力の持ち主だし、すでにおおむね経緯は知っている。
 この者に委細は聞くように、とだけ書いて、あとはジュルチャガに口頭で報告を伝えた。

 バリ・トード司祭はもう王都に帰り着いて、王に報告をしているだろうか。
 新たな迎えがジュールランを訪れ、ジュールランはウェンデルラント王に会うだろう。
 それからのジュールランを待つものは、ただ名誉や地位だけではない。
 だが、ジュールランなら大丈夫だ、とバルドは思った。

 そして、思った。
 わしはこれからどうすればいいのかのう、と。

 パクラを去って旅に出た理由は、もはやなくなったといってよい。
 今なら何の問題もなく、パクラに帰れる。
 帰れるのだが。

 バルドは、懐に右手を入れようとして、顔をしかめた。
 コエンデラの城で無茶をして以来、右肩は枷でもはめられたようにこわばり、痛む。
 今でも肩より上にあげにくい。
 痛みをこらえながらアイドラからの手紙を取り出して、もう一度読んだ。
 アイドラらしく、ソイ笹の紙が使われている。
 アイドラは、臭いのきつい皮紙を嫌い、笹紙を好んだ。





 お懐かしいバルド・ローエン様

 まずはじめに、おめでとうと言わせてくださいね。
 ついにあなたは、広い世界に飛び出されたのですね。
 不思議な成り行きで、あなたはテルシア家に仕えてくださることになり、赤心と慈愛と勇猛をもって、この地の民を安んじてくださいました。
 あなたの武勇と気高さを知らぬ者はおりません。
 でも、本当のあなたさまは、檻に閉じ込めてはおけない、自由な鳥のようなおかた。
 心のどこかで、いつも高く遠い空に焦がれておいででした。

 あのささやかな庭の小さなテーブルを、覚えておいでですね。
 あなたと、わたくしと、ジュールと。
 あなたは、森や山や魔獣のお話をしてくださいましたね。
 戦いの話を、たくさん、たくさん。
 珍しい食べ物の話なども、ちょっぴり。
 あなたにとって、(いくさ)も見知らぬ食べ物も、冒険そのものだったのですわ。
 あなたのお話は、いつでも新しいものを発見した喜びにあふれていました。
 耳にしながら、わたくしも、心の中で冒険に参加していたのですよ。
 ああ!
 本当に楽しゅうございました。
 あのひだまりの庭で話に興じる私たちは、まるで一つの家族のように見えたでしょうか。

 今こそあなたは自由です。
 翼に風を含ませて、どこまでも、どこまでも、遠い世界にお行きなさいませ。
 そして、時々でけっこうですから、どんな珍しい風景を見たか、どんなおいしい物を食べたか、お手紙で知らせてくださいましたら、これ以上の喜びはございません。

 どうか、いつまでもお元気で。

 常に変わらぬ友情をこめて
               アイドラ




  戻ってもよいが、もうテルシア家のことは心配いらん。
  どうしたものかのう。

 進むべきか。
 戻るべきか。
 バルドは空を見上げた。
 寒風に洗われる空は、どこまでも深く深く澄み切っている。
 バルドの心をそのまま映し込んだかのようだ。
 長年心に掛かってきたことが明らかになり、ゆがみは(ただ)された。
 いまいましいコエンデラの城で大暴れもした。
 かつて覚えがないほど、バルドの心は晴れ晴れとして自由だった。

  うむ。
  やはり、旅をしよう。
  パクラ領からこのリンツ領までの全部を合わせたところで、大陸東部辺境のごくわずかな部分にしかならん。
  辺境は広大で、そのうち人が住んでいる部分など、豆粒のようなものじゃ。
  その豆粒のような部分でさえ、人が一生で歩きつくせない広さがある。
  旅に出よう。
  そうじゃ。
  それにじゃ。
  わしがテルシア家に戻るということは、カルドスの目の届く場所におるということじゃ。
  人は見えるものより見えないものを恐れる。
  わしがどこからか見ている、と思う限り、やつも悪さはできん。
  旅の空で死んだとしても、それを知らなければ、やつはいつまでもわしの目を恐れるじゃろう。
  テルシア家への恩義が消えることはないが、もうよかろうて。
  自分でいうのも何じゃが、長年よう奉公した。
  余生を少しばかり気ままに過ごさせてもらっても、ばちは当たるまいよ。
  うむ。
  やはり旅に出よう。
  行ったことのない所に行き、見たことのない物を見るのじゃ。
  珍しい物、うまい物を食おう。
  そう寿命があるとは思えんが、何にも縛られず、気楽に面白おかしい旅をして、生きるがままに生き、死ぬように死のう。

 バルドは、そう心を決めて、アイドラからの手紙を小さく破り、吹く風に乗せた。
 紙片はひらひらと飛んで、大オーヴァの上を舞い踊り、やがてどこへともなく消えた。

 ここからは見えないが、オーヴァの上流はるかには霊峰フューザがそびえている。
 人が死ねばその魂はフューザに集まり、神霊の導きを受けて、神の園に昇っていくという。

  姫の魂魄(こんぱく)も、フューザにたゆとう風の中に(いま)すのかのう。
  ふむ。
  北に行くとするか。
  フューザを目指して。
  歩けば一年かかっても着かない距離と聞くが、急ぐ旅ではない。
  珍しい風景と、うまい食い物を探しながら、ぶらぶらと行けばよいわい。
  フューザに着いても生きておったら、あとのことはそのとき考えればよい。

 旅の行く先をあれこれ思い描くバルドを、横でスタボロスがうれしそうに見ていた。
 老騎士の、旅が始まる。





(序章「旅立ち」完)






















7月1日「スタボロスの死」(第1章「古代剣」第1話)に続く
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