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辺境の老騎士 作者:支援BIS

終章 終わりなき旅

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第2話 神殿からの使者

 1

 大陸暦四千二百八十七年三月三十八日、フューザリオンに二組の客が来た。
 最初の客はパルザム王国代王シャンティリオンの使いで、バルドに会うなり、コグス領主クインタ・エクトルとパルザム王国伯爵ガラム・レザラトロの息女ユナリア姫との婚儀が調ったことについて祝いを述べた。
 バルドは呆然として言葉もない。
 輿入れの馬車はすでにパルザムを出ているのだという。
 用件だけ告げると使者は食事も取らずあわただしくコグスに向かった。
 バルドに事情を説明したのは、なぜかカーラである。

「あのね、バルド様。
 あたしたちが一緒にパルザムに行ったことがあるでしょ。
 ほら、竜人の襲撃があったとき。
 バルド様は気絶してて知らないけど、竜人たちを追い返したあと、ちょっとしたことがあったの。
 クインタは柱と壁のあいだに挟まれて出られなくなった女の子を発見したの。
 逃げる方角を間違えてうろうろしているとき、竜人の攻撃で壁の一部が崩れて、柱の後ろに隠れたはいいけど、落っこちてきた壁のかけらに出口をふさがれて、出られなくなっちゃったのね。
 そこにクインタが通りかかって助けたわけ。
 で、あとでその女の子がお礼に来たのね、シャンティリオン陛下を連れて。
 いえ、あのころは陛下じゃなかったけど。
 なんとその女の子はシャンティリオン陛下の姪御様だったのね。
 行儀修業のため侍女見習いに出てたんだそうなの。
 その女の子はバルド様が寝てたひと月半のあいだ、何度もクインタを訪ねて来たわ。
 あたしたちはにやにやしながら見守ってたんだけどね。
 そのあとクインタはフューザリオンに帰っちゃったけど、迷宮の冒険が終わって、ナッツ様がパルザムに帰られるとき、クインタは手紙をことづけてたのね、ユナリア姫に」

 知らなかった。
 全然気付かなかった。
 そんな恋物語があったなどとは。

「それで終わりだと、あたしたちは思ってたんだけど。
 去年、シャンティリオン様からご使者が来たでしょ」

 来た。
 確かに来た。
 バルドの元気な姿を見に来たのだと使者は言っていたが。

「それで分かったんだけど、ユナリア様はクインタにこがれて、ほかの人の所にお嫁に行くのは絶対にいやだと言い張ってきたらしいの。
 けど辺境の村の騎士なんかに嫁に出せるような姫じゃないし。
 まあとにかく様子を見に行かせようとシャンティリオン陛下が伯爵に言ったんだって」

 そういえばあの使者はコグス街区で三日も宿泊した。
 何が気に入ったのだろうと思っていたのだ。

「そうしてみたらフューザリオンはすごい発展ぶりだし、クインタはコグス領主になってるでしょ。
 これなら伯爵家から嫁に出す名目が立つ、というので、ご使者は飛んで喜んで帰還されたのね。
 もちろん、クインタの気持ちを確認してから。
 なにしろ姫様は去年で十九。
 もう適齢期ぎりぎりだもんね。
 その後嫁入りの準備をしてたら冬になっちゃったから、今年の春が来るのを待って、輿入れということになったんでしょうね」

 そうだったのだ。
 そういうことだったのだ。
 聞けばドリアテッサもこのことは了解しているという。
 何にしてもクインタにも伴侶ができるのか。
 よかった、よかった。

 ……まてよ。
 竜人の襲撃のときじゃと?
 あれはたしか、四千二百七十八年じゃった。
 その姫は去年十九歳ということは……十一歳か!
 クインタと出会ったとき、その姫は十一歳じゃったのじゃ。
 あやつめは、十一歳の姫と恋を語り合いおったのか?

 バルドはけがらわしいものを見る目で、その場にはいないクインタを見つめた。
 バルドの目線の意味を察したカーラが言い訳をした。

「バルド様。
 何考えてるか分かるけど、それは違うわ。
 侍女になんか出るとね、あっという間に女の子はおとなになっちゃうの。
 もちろん気持ちのうえでだけどね」

 バルドはますます厳しい目で、幻のクインタをにらんだ。

「それにね。
 女は男よりずっと早くおとなになるのよ。
 きっかけさえあれば。
 十一歳でも本当の恋はできるわ」

 いくらなんでもそれは嘘じゃ、とバルドは思った。
 だが幼い子どものあこがれから出た若芽が、恋の大樹に育つこともあるかもしれない。
 いずれにしても今は二十歳の姫なのだから、とやかく言うこともない。
 そうは思うが幻のクインタを見るバルドの目は冷え冷えとしていた。
 それにしてもカーラは、貴族の、それも上級貴族の暮らしぶりや考え方に詳しい。
 いったいどういう育ち方をしたのだろうか、とバルドは思った。
 その答えはすぐに分かることになる。




 2

 入れ替わるようにして、二人の騎士が来た。
 それぞれ一人の従者を連れている。
 その鎧を見れば、普通の騎士ではないことが分かる。
 胸に刻まれた聖印と臙脂色のマントを見ただけでも、その正体は明らかだ。
 聖騎士、である。
 メルカノ神殿に仕える騎士たちで、高位の神官が他出するときに護衛につくほかは、ほとんどメルカノ神殿自治領から出ることはない。
 その精強さは有名で、普通の騎士二人がかりで聖騎士一人と釣り合いが取れる、といわれるほどだ。
 といってもバルドにとって聖騎士などは、おとぎ話のような存在であって、自分の目で見られる時が来るなど思いもしなかった。
 主都ザリアの総領主館を訪れた二人は、

 聖騎士ウルベト・マルタン
 聖騎士オギスハ・テラノ

 と名乗り、バルドに面会を申し出た。
 そしてバルドにあいさつをしたあと、

「われわれは、カレンエグドラ・ストートメノス様をお迎えにまいった。
 こちらではカーラ様と名乗っておられる。
 カレンエグドラ様とそのお子様をお迎えし、メルカノ神殿自治領にお連れするのが、われわれの役目である」

 と言った。
 彼らは、カーラがローエン家に嫁いだことも知っており、まずはローエン家当主たるバルドにあいさつをしたのだ。
 カレンエグドラ様にお会いして父君のご内意をお伝えしたい、という聖騎士たちの申し出のままに、バルドは聖騎士たちを客間に通し、カーラを呼ばせた。
 カーラは彼らとしばらく話をした。

 翌日の夕刻、バルドとカーズとカーラと、ジュルチャガとドリアテッサとヘリダンとタランカとクインタと、そしてキズメルトルとノアが、総領主館に集まった。
 その場でカーラは告白を始めた。




 3

 カーラの本当の名は、カレンエグドラ・ストートメノスという。
 メルカノ神殿の四人の大教主の一人、ストートメノス大教主の娘である。
 そもそもカーラがフューザリオンにやって来たのは、ヤナの腕輪を狙ってのことである。
 ヤナの腕輪はメルカノ神殿の秘宝だった。
 だがあるころから権力争いの道具にされ、それを怒った神霊がメルカノ神殿からヤナの腕輪を取り上げたといわれる。
 長らくどこにあるか分からなかったのだが、あるときマヌーノの女王のもとにあるらしいと分かった。
 何度か使者を送ったのだが、女王に会えた者はない。
 そして長い時間が過ぎた。
 現在では、ヤナの腕輪のことを思い出す者はほとんどおらず、半ば伝説扱いされているという。

 大教主はそれぞれ諸国に情報網を持っているのだが、カーラの父がふとしたことで耳に挟んだ噂がある。
 辺境の騎士バルド・ローエンなる人物が、マヌーノの女王から不思議な腕輪をもらい受けた、という噂だ。
 カーラの父は、噂の真偽を確かめ、もしもローエン卿の持つ腕輪が真にヤナの腕輪であれば、なんとしても譲り受けてくるようにと命じて、カーラを送り出した。
 ただしこれには、神殿を離れて自由に生きよ、という含みもあった。
 どす黒い陰謀の渦巻くメルカノ神殿は、どういうわけか自由奔放に育った末娘には、息苦しすぎると父は考えたのだ。

 こうしてカーラははるばるとフューザリオンに来た。
 来てすぐにヤナの腕輪を見た。
 なんと所有者であるバルド・ローエン卿は、隠すことなく堂々とその聖遺物を身に着けていたのだ。
 腕輪からは霊力があふれ出ていた。
 また、見覚えのある文様が刻まれていた。
 カーラはそれがヤナの腕輪に違いないと確信したのである。
 折しもローエン卿は旅に出るところであった。
 同行を申し込んだところ、案に相違してあっさり許された。

 だがその旅でカーラは驚愕した。
 ローエン卿が相手にしているものの、あまりの巨大さに。
 精霊の秘密。
 魔獣の謎。
 はるか歴史の闇の中で大陸に魔の手を伸ばしていた怪物。
 バルドはたった一人でそれらと対峙していたのだ。
 それこそが聖なる務めではないか、と思った。
 あわよくば父親の権力争いを有利にするためヤナの腕輪を持ち帰ろうと思っている自分と、なんという違いか。
 だが、そんな自分を、バルドと仲間たちは受け入れてくれた。
 受け入れてくれ、役割をくれた。
 うれしかった。
 こここそが自分の居場所であると感じるほどに。

 父のもとからは折々に秘密の使いがやって来ていた。
 カーラは、ヤナの腕輪かどうかは確認中である、と言葉をにごした。
 そして引き続きバルドのそばで探索を続けると。
 父はそれに一切異存を唱えなかった。
 フューザリオンの居心地がよいならそこに居続けるがよい、という父の意志が感じられた。
 カーズと結婚したことを伝えたあとには、祝福の手紙が来た。
 用心深い父が手紙をよこすなど、めずらしいことだ。
 実のところカーラはフューザリオンに骨を埋める決心を固めており、ヤナの腕輪のことはもう忘れることにしていた。

 その後バルドは怪物と対決し、これを倒した。
 バルドが光の雲に乗って空を飛んで帰還したときには、一同あんぐりと口を開けて迎えたものである。
 だがバルドはその詳細については一切質問することを禁じ、またこのことについて口外しないよう厳しく戒めた。
 バルドはただひと言、「悪霊の王は滅びた。魔獣はもう二度と生まれぬ」と教えてくれた。
 カーラは何が起きたのか知りたい気持ちが強かったが、聞かないほうがよいとも思った。
 それよりも、バルドが怪物と対決しこれを倒したという秘密を打ち明けてもらえる仲間でいられることがうれしかった。

 アドルカーズが生まれたことへの祝福の手紙が着いたあと、父からの連絡が途絶えた。
 そして昨日、二人の聖騎士がカーラを迎えに来た。
 そこにはこのような事情があった。

 メルカノ神殿の最高位は教王である。
 教王は文字通りの絶対権力者なのであるが、具体的に権力を行使することはほとんどない。
 教王の生活は過酷である。
 早朝と夜遅くに食事を取り、短い睡眠を取るほかは、一日のすべてを神殿の最奥部にある祭壇で過ごす。
 強大な霊力を持つ教王が、聖具の数々の助けを借りて行う秘儀は、世界の安寧のために必要不可欠なものであり、教王のこの秘儀を十全たらしむるためにこそ、メルカノ神殿は存在するといってもよいのだという。

 教王を輩出するのは四つの大教主家である。
 四つの大教主家の中で、最も霊力が強く若い男子が教王に就く。
 大教主家の当主たちは、教王を守り支え、メルカノ神殿とその領土を統治する。
 また大教主家の男子たちは、聖具の扱いに習熟し、教王の健康を維持する務めにあたる。
 中央神殿の四方には四つの〈大教主の塔〉があり、大教主かその跡継ぎかが一日のうちの一定の時間、この塔で祈りを込める。
 四つの大教主家は、時に反目し合い、時に協調しつ、これまで神殿を支えてきた。

 ところが昨年、凶事が起きた。
 ストートメノス家の長男、次男、三男と、それぞれの子どものすべてが死んだのだ。
 いったい何が起きたのかは聖騎士たちにもカーラにも分からない。
 だがそのような変事が起きることもあるのがメルカノ神殿なのだという。
 ストートメノス家の血を継ぐ者が絶えてしまえば、ストートメノス家からはもう二度と教王が出ない。
 ストートメノス家から教王は出ないとなれば、カーラの父は政治的発言力を失う。
 ストートメノス家は滅亡することになる。

 そこでカーラが生んだアドルカーズに、カーラの父は注目した。
 注目せざるを得なかった。
 まごうかたなきストートメノス家の血を引く男子である。
 カーラの父はカーラに対して、アドルカーズを連れてストートメノス家に戻れ、と命じてきたのである。
 アドルカーズが生きてメルカノ神殿にいる限り、カーラの父は政治的権力を維持できる。
 ただの流れ騎士とのあいだにできた子であるから高い霊力など期待はできないが、ともあれストートメノス家の血を引く子であるから、多少の霊力は持っているはずであり、霊力を持った子がいることが、ストートメノス家の強みとなる。
 また将来アドルカーズが子をなせば、ストートメノス家は再び繁栄していく。
 今はその可能性にすがるしかないのである。

 これがストートメノス家のことだけであるなら、もはやローエン家に嫁いでいるカーラとその息子があえてメルカノ神殿に帰る必要はない。
 しかし聖騎士たちさえ知らない秘密を、カーラは父からひそかに聞いていた。
 メルカノ神殿には、四つの大教主家のほかに、教王の責務を妨害しようとする一派がひそかに暗躍しており、大教主家同士の反目をあおっているのだという。
 そして四つの大教主家の一つが滅亡するようなことがあれば、〈封印〉の力は弱まり、世界の滅びにつながるような事態が起きる可能性が高まるのだという。




 4

 バルドは、このように大事な問題は早急に結論を出すべきではないといい、三日後にもう一度集まるよう命じて、一同を解散させた。
 カーラには、よくよくこの問題について考えてみるようにと言った。
 二日目の夜、カーラがバルドのもとを訪れた。

「バルド様。
 カーズが。
 カーズが。
 どうしても一緒にメルカノ神殿に行ってくれないっていうの」

 半分泣きながら、カーラは苦衷を訴えた。
 カーラはメルカノ神殿に帰る道を選んだのだ。
 アドルカーズを連れて。
 そしてカーズに一緒に行ってくれるよう懇願した。
 けれどもカーズは頑として首を縦に振らなかった。
 そこでバルドに泣きついてきたのだ。

 バルドは思った。
 わしもメルカノ神殿に行こうかのう、と。
 バルドが行けば、カーズもついてくる。
 ジュルチャガと旅に出るという約束を破ることになるが、やむを得ないだろう。
 カーズとカーラとアドルカーズのためだ。
 家族は離れないほうがよい。
 一緒にいればさらに子ができるということもある。
 かわいいアドルカーズを父親のない子にしたくはない。

 ではわしもメルカノ神殿に行こう、と言いかけたバルドの目に、ふとバリ・トードの優しい笑顔が浮かんだ。
 はて。
 なぜ今バリ・トード殿の顔などが思い浮かぶのか。
 これはいったい何の知らせか。
 バルドは考えた。
 何か重要なことを見落としている気がする。
 カーズとカーラとバリ・トード。

 待てよ。
 そういえば、わしがカーズのたどってきた運命を知ったのは、バリ・トード殿の話を通してじゃった。
 バリ・トード殿が話してくれたザルバン大公国滅亡の顛末を訊いて、わしはカーズの正体に思い至ったのじゃった。
 あのとき、何が起きたのじゃったか。

 ザルバン大公国が滅亡したのは、たしか大陸暦四千二百五十一年のことじゃ。
 つまり三十六年前の出来事じゃ。
 物欲将軍が主導してシンカイ軍がザルバンに侵攻した。
 シンカイ国は、テューラ、セイオン、カリザウとあらかじめ示し合わせており、四国は同時に侵攻した。
 それから、それから。

〈どうやったのかはいまだに不明ですが、シンカイは西の通路を抜いたのです〉
〈テューラ、セイオン、カリザウもモルドス山系に突入しました〉

 そうじゃ。
 そしてザルバンは窮地に陥った。
 物欲将軍はもともとザルバンの王族だったのじゃから、西の抜け道も知っておったのじゃろう。
 それからどうしたのじゃったか。

〈そのうえ、メルカノ神殿騎士団と、ガイネリア軍が参戦しました〉
〈ザルバンの敗北は必定とみて、分け前を欲しがったのでしょうな〉

 そうか!
 そうだったのじゃ。
 メルカノ神殿自治領は、ザルバン侵攻に加担した国の一つであったのじゃ。
 しかも、ということは。

 〈王の剣〉の活躍によりザルバンは一度盛り返すが、物欲将軍の進撃により抵抗は砕かれる。
 そのあと、パルザムのライド伯の機知により、ザルバンはパルザムに降伏した。
 当然物欲将軍はこの降伏を認めず、各国のあいだで協議が行われた。
 そして誓いを立てて申し合わせがなされた。

〈貴重な山々は、侵攻に参加した国のあいだで分けることになりました〉
〈ザルバンの大公一族は残らず死なねばならぬことになりました〉

 なんということじゃ。
 これではカーズはメルカノ神殿自治領には行けぬ。
 行けるわけがない。

「バルド様?
 どうしたの。
 黙り込んでしまって」

 バルドはザルバンとメルカノ神殿の関わりについてカーラに語った。
 すでにかつての旅の中でザルバン滅亡の経緯とカーズのたどった運命については話して聞かせていたから、カーラがそのことを思い出すには、わずかな示唆があればじゅうぶんだった。
 カーラは顔を真っ青に変えた。

「なんてこと。
 それじゃあ。
 それじゃあ。
 カーズは今でもメルカノ神殿のことを恨んでいるの?
 ふるさとを攻め滅ぼした国々の一つだから。
 緑炎石を奪って繁栄してきた国の一つだから。
 だからカーズはあたしについてきてくれないの?」

 そうではない。
 そんなことではないのじゃ。
 よいか。
 メルカノ神殿は、ザルバン大公家の血筋がこの世に残ってはならないという申し合わせに合意し、誓いを立てたのじゃ。

「ええ。
 でもカーズがザルバン大公家の血を引いているなんて、黙っていれば誰にも」

 カーズはあの通りの見た目じゃ。
 故事に通じた人間なら、狼人王の伝説を思い出すかもしれぬ。
 メルカノ神殿は中原でも格別に古い国。
 古いことを知っている人間、研究しておる人間は多いのではないか。

「え、ええ。
 古いことを知っている人は確かに多いけど」

 そして特殊な感覚を持った人間も多いはずじゃ。

「う。
 そ、そうよ。
 特に四つの大教主家の者たちは、普通の人間の感じ取れないことを感じ取る訓練をつんでいるわ」

 定住するとなれば、カーズの正体がいずれは明らかになる恐れがある、とは思わんか。

「で、でも。
 そんな昔の約束なんか」

 国と国が神に誓った言葉というのは、それほど軽いものではない。
 昔のこととはいえ、三十五、六年ほど前のことなのじゃから、国の歴史からすればごく最近のことといえる。
 もっとも、国と国とが交わした誓いなどというものは、都合次第で簡単に破られるものでもある。
 ただしストートメノス家の政敵は、決してそのことを見逃さないじゃろうな。

「せ、政敵、ですって」

 そうじゃ。
 おぬしの話を聞くだけでも、四つの大教主家とその眷属たちが、血みどろの権力闘争を続けていることは明らかじゃ。
 ザルバン大公家の血を引く者がストートメノス家の跡取りとなったなどと知れば、おぬしの父の政敵は舌なめずりをして笑うじゃろうて。
 暗躍しておる一派ならなおさらのことじゃ。

「そ、そんな。
 でも、シンカイ国は第二次諸国戦争に敗れて引き上げていったんだし、もうそんな昔の約束なんか、本気で気にする人はいないはずよ」

 じゃから、国と国とが神々に誓い合わせた約束というのは、それほど軽いものではないのじゃ。
 そしておぬしの父の政敵がそのことを公に持ち出せば、それは必ず取り上げられるじゃろう。
 よく考えてみよ。
 大公家の血を根絶やしにすると申し合わせたのは、緑炎石を奪い取る後ろめたさからのがれるためであり、モルドス山系の緑炎樹について正当な所有権を主張できる者を根絶やしにするためじゃ。
 そして、メルカノ神殿は、三十数年にわたり緑炎石を得て豊かさを享受し続けてきた。
 その後ろめたさゆえに、ザルバン大公家の血筋の者は生きることを許されない、という約束をメルカノ神殿の首脳部は守ろうとするのではないかのう。
 そのときには、当然カーズの子であるアドルカーズも殺される。
 そしてそのような不適当な人物を婿に迎えたおぬしの父は、絶体絶命の危機に陥ることになる。

「そ、そんな。
 そんな。
 それじゃあ」

 そうさせないために、カーズはメルカノ神殿には行かぬ。
 愛するおぬしとアドルカーズを危機に陥れないために、カーズは別離を選んだのじゃ。

 それからしばらくカーラは泣いた。
 そして涙を拭いて決然とした顔つきで部屋を出て行った。

「バルド様。
 ありがとう」

 と、言い残して。





 5

 三日後、つまり三月四十二日に再び一同が集まった。
 バルドはカーラに訊いた。
 腹は決まったか、と。

「帰ります。
 アドルカーズを連れて」

「ローエン家の名はどうなりますかな」

 と訊いたのは騎士キズメルトルだ。
 騎士キズメルトルと騎士ノアは、ハドル・ゾルアルス伯爵の子飼いであり、その忠誠はザルバン大公家に捧げられている。
 ただしザルバン大公家はザルバン公国が滅びた戦役のおり、国同士の約束によって消滅した。
 今さら大公家の名を名乗ることはできない。
 それに代わるものが、ローエン家なのである。
 すなわち狼人王の正統たるカーズ・ローエンこそ、騎士キズメルトルと騎士ノアの忠誠の対象であり、ローエン家こそ、ザルバン大公家そのものなのだ。
 アドルカーズはローエン家の跡継ぎである。
 そのアドルカーズがストートメノス家の跡継ぎとしてメルカノ大神殿に入るに際し、ローエン家はどうなるのか、とキズメルトルは訊いているのだ。

「残します。
 そこは、あたしも譲れない。
 アドルカーズは、ストートメノス家とローエン家、両方の跡継ぎになります」

 きっぱりとカーラは答えた。
 キズメルトルが確かめたかったのはその一点だけだったようで、あとは黙り込んだ。
 それはほかの一同も同じだった。
 長らくの沈黙のあと、バルドが言った。

 では、カーラとアドルカーズは実家に帰す。

 するとじっと話の成り行きを見守っていたカーズが動きをみせた。
 カーズはまず騎士ノアを指さし、その指をゆっくりと移動させてカーラを指した。
 次に騎士キズメルトルを指さし、その指で大地を指し示した。
 少しの沈黙のあと、騎士ノアはカーズに頭を垂れて膝を突き、右の拳を胸に当てて言った。

「ははっ。
 騎士ノアは一族郎党を連れ、若様のお供をいたします!」

 それに遅れて騎士キズメルトルが同じ動作をした。

「はっ。
 騎士キズメルトルは一族の者たちとこの地に残り、カーズ様にお仕えし、オルガザード家を助け支えます!」

 カーズはうなずいた。
 これによって騎士キズメルトルと騎士ノアも、カーズの動作の意味を正しく読み取れていたと確信できたのである。
 カーズはまもなくバルドについて、ジュルチャガの最後の旅に出掛けようとしている。
 そのカーズには、バルドの息子として果たさねばならない二つの仕事がある。
 一つはバルドが心を込めて成長を見守ってきたこのフューザリオンの発展を支え助けることである。
 もう一つはローエン家の跡継ぎであるアドルカーズを立派に成人させることである。
 その二つの仕事を、カーズは直臣たる二騎士に託したのだ。

 出発は五月一日と決められた。
 最低限それだけの日数がないと引き継ぎができないというキズメルトルの意見に従ったのだ。
 騎士ノアが就いていた第二街区領主の後任は、キズメルトルの次男騎士ハンガトルが就き、三男トリガトルが補佐に付くことになった。
 ノアの長男騎士ダリが就いていた第六街区領主の後任は、嫌がる騎士バンツレンを説得して就いてもらうこととし、騎士セトが補佐についた。
 いずれはセトが領主となる。

 聖騎士二人は、出発が五月一日である聞いて、一瞬眉をひそめた。
 もっと速やかに出発したかったのだろう。
 だが、言葉に出しては何もいわず、ただうなずいた。




7月7日「はなむけ」に続く
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