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辺境の老騎士 作者:支援BIS

第7章 迷宮への挑戦

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第7話 大障壁のかなた(後編)


 6

 四月一日が来た。
 約束通り、彼らはやって来た。
 パルザム王宮前の広場に降り立った飛竜は十騎。
 たった十騎なのだが、翼を広げて舞い降りるその量感は、騎士団一個軍団にも匹敵する。
 いや、戦闘力では一個軍団を凌駕するだろう。
 それぞれに一人ずつ竜人が乗っている。
 着地するや竜人たちは飛竜から降りた。
 先頭の竜人が、立って待ち構えるバルドたちの前に進み出る。
 ぐるりと周りを取り囲んでいる騎士団員たちには目もくれない。
 堂々たるものである。

「あれが族長の娘チチルアーチチです」

 と、タランカが小声でバルドに告げる。
 竜人のことをマヌーノの女王は、腐れトカゲ、と呼んだ。
 だが竜人の姿は必ずしも蜥蜴(ナーダ)に似ていない。
 むしろ海老(ケコアル)(イバーム)を思わせるものがある。
 鼻覆いが飛び出した形の兜を着けたかのような頭部。
 その額にあたる部分には第三の目がぼんやりとした光を放っている。
 全身は硬質な甲殻に覆われている。
 まるで甲冑をまとっているようだ。
 腕の先には三本の凶悪なかぎ爪とそれに向き合う一本の短く太い指が付いている。
 足の指も同じく三本で、かかとの側に短い一本が突き出ている。
 まるで地を噛むように湾曲しているのだが、一本一本の指はひどく強靱で長い。
 たぶん獲物をつかんで絞め殺せるような指なのだ、とバルドは思った。
 そして長大な尻尾。
 なるほどこれを見れば蜥蜴に似ているといえる。
 この尻尾が振るわれれば、鎧を着けた騎士をも吹き飛ばすのである。
 バトルハンマーなみの威力が、この尻尾にはある。
 チチルアーチチの身長は他の竜人より少し低く、バルドとほぼ等しい。
 竜人の男女の別はみても分からないが、若干他の竜人のほうが大きく、青黒い表皮の色が濃いようにも思える。
 チチルアーチチは、まっすぐタランカに向かってやって来た。

「フューザリオンのタランカ。
 約定により、迎えに来た」

 驚いたことに、チチルアーチチはタランカの顔を覚えていたようだ。
 バルドには、チチルアーチチと他の竜人の区別はなんとかつくが、他の竜人同士の見分けはつかない。
 みな同じ顔、同じ姿に見えてしまう。
 呼ばれたタランカは一歩前に進み出た。

「イステリヤのチチルアーチチ殿。
 お越しいただき、感謝する」

「フューザリオンのタランカ。
 お前の要求を族長ポポルバルポポに伝えた。
 お前とその仲間を、わがイステリヤに案内し、族長に会わせる。
 会談が終わったあとは、ここまで送り届ける。
 ただしお前の質問の何に答え、何に答えないかは、その場で族長が判断する」

「それで結構です。
 ありがとう」

 タランカは、にこりと笑った。
 人間のおなごであれば、思わず頬を染めてしまうような笑みだ。
 気のせいか、チチルアーチチが少しむっとしたようにバルドは感じた。

「それで結局何人が来るのだ」

「ここにいる四人です」

「そうか。
 行くのに一日、帰るのに一日、会談に一日だ。
 三日分の食料を持て」

 これを聞いてバルドはほっとした。
 それぞれの荷物には五日分の食料が詰まっている。
 そのほかに、最大二十日分の食料を入れた袋を用意したが、正直重いので、持って行かずにすめば、それにこしたことはない。

「五日分の食料を用意してあります。
 ただし、水は分けていただけませんか」

「分かった。
 水は与えよう。
 用意はいいようだな。
 では出発する」

 チチルアーチチの案内にしたがって、四人はそれぞれ飛竜のもとに歩いた。
 タランカはチチルアーチチ自身の飛竜に同乗するようだ。
 四人はみな厚着をしており、手には手袋を着けている。
 高いところは寒いからと、タランカが指示したのだ。
 またそれぞれ厳選した荷物を背中に負っている。
 五日分の食料を用意するというのもタランカの指示だ。
 相当の長距離を飛ぶ飛竜にとって、人間一人の重さが加わるだけでかなりの負担なのだから、荷物は極力少なくするようにとも、タランカは指示したのである。

 タランカ以外の名前を聞かれなかったのは幸いだった。
 バルドはできれば名乗りたくなかったのだ。

 バルドは割り当てられた竜人のもとに進んだ。
 竜人が飛竜の足をたたいた。
 すると飛竜が首を地につくほど下げた。
 竜人が乗るように促したので、バルドは飛竜の首に乗った。
 そのバルドの後ろ側に竜人は乗った。
 そして皮のベルトを回して、バルドと自分をくくりつけた。
 万一にも飛竜から落ちないようにとの配慮だ。
 見れば他の三人も同じようにされている。
 これもチチルアーチチの指示なのだろうか。
 存外、気を遣ってくれているのかもしれない。

 チチルアーチチが右手を上げ、竜人の言葉で何かを叫んだ。
 そして手綱を振った。
 バルドを乗せた竜人も手綱を振った。
 十騎の飛竜が一度にばさりと翼を広げた。
 壮観である。
 十騎の飛竜は地を蹴り、翼をはためかせて中空に躍り出た。

 どん、と緩い衝撃がきたかと思うと、体はふわりと空に舞った。
 地を離れる瞬間、というのはこういうものなのか。
 一種異様な感慨が体に満ちた。
 思えば生まれてこのかた六十有余年、常に大地が足の下にあった。
 常に大地に支えられて生きてきた。
 今自分は、その大地から離れるという経験をしつつあるのだ。

 ぐんぐんと翼を振って飛竜は空を翔け昇る。
 見上げるようだった宮殿の尖塔が、目と同じ高さに迫った。
 バルドは下を見下ろした。
 シーデルモントが、シャンティリオンが、目を見開いてこちらを見上げている。
 二人だけではない。
 騎士たち全員がそうである。
 ふと見ればベランダの脇の部屋の窓からジュールラントがこちらを見ている。
 そのまなざしは羨望そのものだ。

 鳥が飛ぶのは当たり前だ。
 竜人が飛ぶのも当たり前である。
 だが人が飛ぶのは当たり前ではない。
 今バルドはその当たり前ではない経験をしている。
 予期していたこととはいえ、人が大空を飛ぶという出来事を目の当たりにしたとき、人は驚くしかない。
 まさに歴史始まって以来なかった体験を、バルドたちはしているのだ。

 宮殿の尖塔の倍ほどの高さに上がったとき、飛竜の群れは右に大きく旋回した。
 王都の街並みが見える。
 おお!
 おお!
 家が、人が、まるでおもちゃのようだ。
 空から見る景色とは、このようなものなのか。

 そしてさらに高く飛竜は飛び、王都全体が見渡せる高さにまで上った。
 なんということだ。
 まるで両の手のひらの上に王都をすっぽり乗せてしまえるかのようだ。
 高く飛ぶ、ということは、こういうことだったのか。
 これほど偉大で感動的な出来事だったのか。
 バルドは胸の詰まるような感銘にひたされて、涙がこぼれそうになった。
 眼下にあるのは、まったく知らなかった光景である。
 すべてを見下ろす、ということがこれほどの快感であるとは。
 ああ!
 山が。
 森が。
 遠くの街が、村が。
 高所から見下ろせば、茫漠とした山脈も、その形がはっきりと分かる。
 街や村がどのようにつながり、どのように離れているか、はっきりと分かる。

 そしてこの速度!
 ぐんぐんと飛竜は速度を上げていく。
 それに従い、眼下の風景は踊るように入れ替わってゆく。
 なんという愉快さ。
 なんという爽快さ。
 吹き寄せる風に、革鎧の兜は吹きはがされてしまったので、首の後ろにまるめた。
 顔に当たる風はたたきつけるような激しさで、髪もひげも千々に乱れて顔を打つ。
 それさえも、今のバルドには楽しくてならなかった。
 とても目は大きく開けていられないので、薄目で四方の風景を眺めるのだが、それは見飽きることのない絶景だった。

 やがて前方に大オーヴァが見えてきた。
 もうここまで来たのか!
 バルドは驚倒した。
 なんという速度か。
 飛竜の機動力というのは、まったく人間の想像できる範囲を超えているといわねばならない。
 左から右へと流れていくオーヴァの流れのもとをたどれば、いつのまにか霊峰フューザがおぼろげに姿を現していた。
 と、視界の端に見えたものがある。
 あれは……ロードヴァン城じゃ!
 視界の端にわずかに小さく見えるだけなのだが、それはまぎれもなくロードヴァン城である。
 ということは、飛竜はまっすぐ東に飛んでいるようにみえるが、わずかに北よりに飛んでいる、ということである。

 そう思う間もなくオーヴァ川の上空に達した。
 見渡す限り、下界は水である。
 水の上に霧がたっているのか、遠景はかすんでいる。
 はるかに見下ろすオーヴァは銀の盾のようにきらきらきらめいて静かである。
 そのオーヴァもすぐに通り越して、十騎の飛竜は大陸東部辺境に達した。
 見渡す限り山と谷が連なり、ところどころに平野がぽつんと顔を出す。
 やがて辺境としてはなかなか大きな街が前方に見えてきた。
 あれは。
 クラースクではないか!
 確かにクラースクの街だ。
 見覚えのある領主館がある。
 ということは、パクラ領よりは相当北に来ているということであり、やはりこの一団は東北方向に飛んでいるのだ。

 そして今や前方に〈大障壁〉が見えてきた。
 このまま十騎の飛竜は〈大障壁〉を越えるのだろうか。
 人間がその外側にまだ足を踏み入れたことのない未知の地に、飛竜たちは飛んでいくのだろうか。
 こうして上空から見れば、〈大障壁〉の長大さがいやがうえにも理解できる。
 見渡す限り切れ目もなく、北から南へと続くジャン王の大いなる壁。
 人と魔獣を分ける境界。
 その上を。
 今、飛び越した。

 たちまち眼下に広がるのは濃密な密林である。
 木々は太く大きくびっしりと生え連なっている。
 見渡せど、見渡せど、そこには村も町もない。
 人の痕跡のない土地、すなわち獣たちの楽園である。
 バルドは目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
 この密林の広大さは、どうか。
 なんと果てなく広がっていることか。
 そのことがうれしくてたまらなかった。
 さらにしばらく飛ぶと、巨大な山があり、一行はそこに降りた。




 7

 そそり立つ山の頂上近くに、ぽっかりと開けた地点があり、そこには美しい湖があった。
 十騎の飛竜が降り立ったのは、そのほとりである。
 チチルアーチチが何かを言ったが、バルドには聞き取れなかった。
 見れば竜人も人間も飛竜を降りている。
 ここで休憩を取るということなのだろう。
 バルドを乗せている竜人もベルトをほどいてくれた。
 飛竜から降りようとした。
 が、体がうまく動かず、頭から地に落ちかけた。
 それを誰かが支えてくれた。
 カーズだった。
 礼を言おうとして、口がうまく動かないのに気付いた。

 カーズとカーラがバルドを介抱してくれた。
 タランカが手際よく枯れ木を集めてたき火をたいた。
 スープも沸かしてくれている。
 カーラがバルドの手袋を脱がせ、もみほぐしてくれる。
 そのときになって、やっとバルドは自分が凍えているのに気付いた。
 やがてこわばっている指も口も動くようになり、意識もはっきりしてきた。
 温かいスープを飲んで、人心地がついた。
 たき火にあたり、スープを飲みながら、バルドは目の前の光景に心を奪われていた。

 澄み切った青い湖。
 その向こうには四月だというのに頂に雪を抱いた山頂。
 湖にはその山頂がくっきりと映り込んでいる。
 青く透き通る空を、いくつもの真っ白い雲が横切っていく。
 その雲は、手を伸ばせば届きそうなほど近い。
 そして目の前の湖には、その漂う雲が余すところなく映り込んでいる。
 飛竜たちが水を飲むために湖に口をつけると、さざ波が起きる。
 そのさざ波が、映り込んだ白い山頂を揺らめかせる。
 美しい、とバルドは思った。

「大丈夫か」

 チチルアーチチが近づいてきて、バルドに言った。
 バルドは、大丈夫じゃよ、と答えた。
 それから、こう付け加えた。

  いつも見る飛竜はひどく高い所を飛んでいるのに、今日はそれほどの高さではなかった。
  わしらのために、低い所を飛んでくれたのじゃな。

「高く飛べば飛ぶほど空気は薄く、風は冷たい。
 低く飛んでも、早く飛べば飛ぶほど、風は冷たい。
 午後は長い距離を飛ぶ。
 しっかり体を温めておけ」

 バルドもすっかり食欲が回復していたので、チチルアーチチの助言にしたがった。
 つまりたっぷりと食事をして体を温めたのである。

 食事が済むと、十騎の飛竜は再び空の客となった。
 バルドたちは、それぞれ違う飛竜に乗り換えることになった。
 先ほど人間を乗せていなかった飛竜に乗り換えたのである。
 ただしタランカだけは、引き続きチチルアーチチが乗せた。

 バルドは帽子をかぶり直し、外れないようにしっかりと留めた。
 また石ころを温めて布で包み、腹に巻いた。
 飛び立った飛竜は、朝よりもさらに低く飛んだ。
 バルドたちの負担を減らすためだろう。

 しばらく飛ぶと、密林の切れ目が見えた。
 だが、その向こうにあるものは何だろう。
 きらきらと輝く、あれは。
 あれは、まるで……。
 このときバルドは、以前にザリアから言われたことを思い出した。

「バルド・ローエン。
 あんた、大障壁の向こうに何があるか知ってるかい?
 ふぇふぇふぇ。
 そうさ、そうさ。
 魔獣の棲む森が広がっている。
 じゃあ、その向こうには何があると思う?
 分からないかえ。
 そうだろうねえ。
 常識では考えもつかないさ。
 水だよ。
 塩水さ。
 人の住む地はぐるりと大障壁で囲まれ、その外側には魔獣の棲む森があり、さらにその森は塩辛い水で囲まれているのさ。
 水の上にこの大地が浮かんでいるといってもよいわえ」

 まさか!
 信じられない。
 だが、そうなのか。
 あの広大というのも愚かしい青いきらめき。
 あれがすべて水だというのか!

 だがそうであった。
 森の切れ目を通過すると果てしなく続く波打ち際があり、そこから向こうはすべて水の世界だったのだ。
 これほど大量の水がある、ということが信じられなかった。
 だがこれが世界の真の姿なのだ。
 自分たちが知らなかっただけなのだ。
 ここは魔獣も人間もいない世界だ。
 世界はこんなにも広かったのだ。

 バルドは言いようのない感激に包まれていた。
 もうこのまま命が果ててしまってもよい、とさえ思った。
 この素晴らしい眺めを見ることができた、それだけで生きてきたかいがある。
 それほどのものを、バルドは感じ取っていたのだ。

 飛べども飛べども水の世界は終わらなかった。
 どちらを向いても同じ景色だ。
 もはや水は水と思えず、大地そのものであるかのように思えた。
 それにしても、遮るものもなく、山や川もなく、均質に広がる無限の大地である。
 それはこの世ならざる光景だった。
 バルドは無理に首を伸ばして後方を見た。
 太陽神(コーラマ)が西の空で水の上を低く遠ざかっている。
 西の空も水も赤く染まって暗黒神(パタラポザ)をいざなっている。
 われわれはパタラポザの現れる方角に進んでいるのだ、とバルドは思った。
 この詩的な想像は、実のところ恐ろしいほどに正鵠を得ていたのだが、このときのバルドはそれを知るよしもなかった。




2月13日「イステリヤ(前編)」に続く
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