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辺境の老騎士 作者:支援BIS

第7章 迷宮への挑戦

136/184

第1話 新たなる旅

 1

 シンカイ軍の本隊が引き上げていったあと、バルドは死者やけが人を急いで馬に乗せ、本隊のあとを追って北上した。
 今回ゴリオラ皇都から進軍した両国総兵力は一万二千を超えるはずだ。
 それは十以上の軍団に分けられていたが、物欲将軍率いる本隊は、その六番目を進軍していた。
 ということは、これから五つの軍団が引き上げてくる。
 その五つの軍団は、事実上ゴリオラ皇国の将兵で構成されている。
 その五つの軍団の上級指揮官たちはいまだ〈魂縛(たましば)りの呪い〉にかけられているかもしれず、そうでないとしてもどんな命令や基準のもとに動いているか分からない。
 ここで明らかな皇命違反をしている騎士たちを見とがめさせてはいけない、とバルドは判断したのだ。
 谷を抜けたところで森陰に隠れ、侵攻軍が引き上げていくのを見守った。
 五千ないし六千の兵力というものは、あきれるほどの人数だった。

 永遠に続くかと思われた侵攻軍の引き上げが終わったあと、しばらくして騎士の一団が駆けてきた。
 鋭気が違う。
 先ほどの軍団は、とまどいと気抜けをあらわにした、まとまりのない行軍だった。
 今度の一団は、緊張感に満ち、強い闘気を放っていた。
 その軍装を見て、バルドははっとした。
 パルザム軍だ。
 王直轄軍である。
 しかも、あれは。
 あの先頭から三番目を行く白銀の騎士は。
 シャンティリオンだ。

 バルドはユエイタンに乗って木陰から飛び出し、手を大きく振ってシャンティリオンに合図した。

「バルド殿!」

 シャンティリオンは全軍に停止を命じ、側近二人とバルドのもとに馬を寄せた。
 側近のうち一人はツァーガリー・キキエリトだった。
 アーゴライド家の騎士であり、シャンティリオンの側近だ。
 コルポス砦救援の際に同行し、バルドの指揮下で戦った有能な騎士である。

「バルド殿。
 いったいここで何を。
 オーバスの砦を取り囲みかけていたシンカイ、ゴリオラ連合軍が引き上げていったのですが、そのことで何かご存じですか」

 すでにバルドはパルザムの軍籍を離れており、シャンティリオンの上司ではないというのに、口調は相変わらず丁寧で、そこには敬意が感じられた。
 だがシャンティリオンの目は、油断なく周囲を見回している。
 物陰に隠れていた一団がゴリオラの騎士たちであることも、当然シャンティリオンは気付いているだろう。
 死んだりけがをしたその様子から、激しい戦闘の直後であることも明らかだ。
 バルドは、事実を告げた。

  ここにおる二十二人の勇士で、ルグルゴア・ゲスカス将軍に決闘を挑み、倒したのじゃ。
  ルグルゴア将軍は間違いなく死んだ。
  やつらはその遺骸を引いて引き上げていったのじゃ。

 側近二人の目は、大きく見開かれた。
 一万二千の軍に守られた主将を、わずか二十二人で討ったというのだから、これはまったく信じがたい言い分である。
 しかし、シャンティリオンの反応は、まったく違った。

「さすがバルド殿!
 私もその戦いに参加したかった。
 しかしすると侵攻軍は、どこかで態勢を立て直して再び進撃を開始するのでしょうか」

 それは分からん、とバルドは答えた。
 ただやつらからはまったく鋭気が消えていたので、このままシンカイにまで引き返してもわしは不思議に思わん、と付け加えた。

「なるほど。
 とにかくこれは重要な情報です。
 砦に帰って報告し、今後の対応を協議する必要があります。
 王都にも報告を入れなければなりません。
 われわれはいったん砦に引き返します。
 バルド殿。
 できれば同行していただいて、詳しいお話をお聞きしたいのですが」

 バルドは快く承知した。
 ただし、負傷者の手当と死者の手厚い弔いを、シャンティリオンに頼んだ。
 これは少し難しい問題である。
 なにしろゴリオラは今まさにパルザムに侵攻しようとしてきた相手なのだ。
 だがシャンティリオンの答えはまことに明快なものだった。

「もちろんです。
 ルグルゴア将軍を倒した勇士たちには、最高の待遇をお約束します。
 われらは敵同士ではなく、味方同士です」

 シャンティリオンは、バルドとその横に立つアーフラバーンを見ながら、はっきりとした口調でそう言った。
 そういえばシャンティリオンはアーフラバーンの義兄なのだった。
 こうしてバルドたちはいったんオーバス砦に向かうことになった。
 ただし、ジョグ・ウォードは、

「じじい。
 俺は帰る。
 じゃあな」

 と言い捨てて、コリン・クルザーを連れて去った。
 相当な痛手を受けているはずなのだが、そんなことはみじんも感じさせないふてぶてしい態度であった。





 2

 バルドはオーバス砦に入り、まずはけが人を治療に回した。
 そのあと、砦の一室にこもった。
 パルザム側からは幹部騎士十名ばかりが詰めかけている。
 まずはバルドたちの動向を説明した。
 説明役にあたったのはアーフラバーンである。
 その気高い志を聞き、また、ルグルゴア将軍との死闘の様子を聞いてからは、パルザムの騎士たちの態度は目に見えて敬意を含んだものとなった。
 次にパルザム側の動向が説明された。
 説明役にあたったのはナッツ・カジュネルである。
 騎士ナッツはコルポス砦救援にツァーガリー・キキエリトとともに同行したアーゴライド家の騎士であり、事務処理能力が極めて高く、また魔槍を振るって勇猛果敢な戦いをする男である。
 バルドとは、コルポス砦以来の付き合いだが、ロードヴァン城の防衛戦のときも、第一次諸国戦争のおりも、バルドはこの男を借り受けて副官とした。
 つまりバルドにとってはまことに気心の知れた相手なのである。
 ナッツが語ったのは、次のようなことであった。

 ジュールラント王が毒の短剣で刺されて倒れて以来、パルザム王宮は機能不全に陥った。
 業を煮やした上軍正将シーデルモントは、謹慎状態だったシャンティリオンを強引に中軍正将の座に戻し、配下中軍正副軍八百とともにオーバスの砦に向かわせた。
 シャンティリオンは火のような猛攻をみせ、オーバスの砦を奪還した。
 このことにより、ライドを通して王都に入る緑炎石が確保されたのであり、シャンティリオンの評価を大いに押し上げた。

 いっぽうシーデルモントは王軍上下軍千六百を率いてグリスモ城を攻めた。
 シンカイはここにわずかな兵士しか配置しておらず、城はすぐに落ちた。
 次にシーデルモントはカッセを包囲した。
 これは一種の賭けだった。
 もしもファーゴとエジテからシンカイの兵が駆けつければ、パルザム王軍は身動きが取れないまますりつぶされてしまう。
 が、集めた情報から、シンカイは大軍をどこかに移動させておりパルザム国内には多くの兵力は残していない、とシーデルモントは予測した。
 そしてそれは正しかった。
 カッセは堅城であり、攻めるのは難しい。
 だが、その住民たちは長くパルザムの民としてパルザム王に親しんでいる。
 そのパルザム王の執政官とその家族を残虐なやり方で殺したシンカイ軍に、住民は恨みを抱いていた。
 果たして一週間目に自然発生的に暴動が発生し、城門は中から開かれた。
 シーデルモントはただちに軍を城内に進め、シンカイの官僚や兵士を捕らえ、カッセの街を解放した。
 こうなると現金なもので、近隣諸侯が応援に駆けつけた。
 シーデルモントは彼らにカッセの防衛を任せると、王軍を率いて王都に帰還した。

 幸いにもジュールラント王は、医学博識ゼノスピネンの献身的な治療により、危機を脱していた。
 ジュールラント王は、アーゴライド公爵を呼び出して、こう告げた。

 この戦役が終わるまで、第一側妃の犯した罪への断罪は保留する。
 手柄を立て、罪のつぐないをせよ。

 アーゴライド公爵はこの言葉に奮起し、老躯を押してみずから立ち、一族を挙げてファーゴの奪還に向かった。
 これと呼応してジュールラントは、シーデルモントに命じてエジテを攻めさせた。
 王家直轄軍正軍正副八百と、諸侯軍千二百を与えて。
 そしてひと月にわたる攻撃で敵を消耗させ、二都市を奪い返したのである。

 ジュールラントは必死でシンカイ軍本隊のゆくえを探した。
 そうしたところ、シンカイ軍本隊とゴリオラ皇国の合同軍がパルザム目指して攻め降りてくるという情報が入った。
 シャンティリオン率いる中軍がオーバスで敵を食い止め、その間に消耗著しい王軍と諸侯軍の再編を急ぐことになった。
 シャンティリオンのこもるオーバスの砦目指して、シンカイ、ゴリオラ連合軍はやって来た。
 すさまじい大軍で。
 身も凍るような思いをしながらその進軍を見守っていたところ、オーバス砦の直前で止まり、引き返して行った。
 いったい何事がと、シャンティリオンは部下を率いて様子を見に来たのであった。

 パルザム国内の動きはおよそつかめたので、けが人をシャンティリオンに預けて、バルドはロードヴァン城に戻った。
 それに先だって、シャンティリオンは死んだ勇士たちの葬儀を執り行った。
 キリーとガッサラの死はシャンティリオンにとっても痛恨事だったようだ。
 最高の待遇を約束するというシャンティリオンの言葉は守られた。
 臨戦下の、しかも辺鄙な砦で行うにはあまりにも立派な葬儀だった。
 また、けが人たちにも手厚い看護が加えられ、良質の食事が出された。
 片足を失った騎士ヤンセンは一時高熱を出して危篤状態に陥ったが、無事回復し、バルドと別れの酒を酌み交わした。

 ロードヴァン城に帰ったバルドは、じっと様子を見守った。
 オーバスの砦よりもここのほうがゴリオラ皇都の情報が入りやすい。
 また、皇都で変事が起きてもただちに影響しない程度には距離がある。
 シンカイ軍は、これからどういう動きをするのか。
 ゴリオラ皇王は、どう出るのか。
 これを見過ごすわけにはいかなかった。
 ジュルチャガはフューザリオンに帰らせた。

 ロードヴァン城で待機するあいだ、バルドはジュールラントとバリ・トードに手紙を書いた。
 何しろバルドは、パルザムからゴリオラに向かう一行から突然離れ、行方をくらましてしまったのだ。
 心配しているだろう。
 時間はあったから、たっぷりとフューザリオンのことを伝えた。
 安心してほしいという気持ちが働いたのか、フューザリオンの発展具合や将来の可能性について、少々大げさに書いてしまったかもしれない。

 皇都の封鎖は解かれたようで、次々と伝令が来て皇都の様子を伝えた。
 なんとシンカイ軍は、あっさりとゴリオラ皇都を捨てて引き上げたという。
 ゴリオラの元老院は、驚くべき発表をした。
 四月二十六日、シンカイ軍が皇都に攻め入り皇宮を陥落させた際、皇王は死んだ、というのだ。
 すなわちその後皇王の名で発せられた詔勅は、すべてシンカイ軍の強制のもと文官が捏造したものであり、一切無効であるというものである。
 皇太子カンティエルロイの廃位廃嫡も無効とされ、ただちにカンティエルロイが皇王の座に就いた。
 新皇王は、三人の大臣及び軍令官を、勅書及び軍令書捏造の罪で死刑に処すると発表した。
 また、シンカイのルグルゴア将軍を討ってゴリオラをくびきから解放した二十二人の騎士の名を公表し、その栄誉をたたえた。

 バルドが最も心配していたのは、ここだった。
 皇王の勅命に反した行動を取ったばかりか、ゴリオラ軍とシンカイ軍の総大将である物欲将軍を討ったのだ。
 それは皇王自身が従軍する軍に剣を向けるという行為である。
 生き残ったものは処刑され、死んだ者も家族が族滅に遭う、とバルドは覚悟していた。
 そうはならなかった。
 ならずにすんだ。
 いったい誰の考えによるものかは知らないが、ゴリオラ皇国にも人はいる、ということなのだろう。
 四月二十六日に皇王はすでに死んでいたというのは極めて大胆な嘘であるが、その一つの嘘により、あまたの命が助けられ、あまたの過ちを修正することができる。
 ただしその代わり、勅書及び軍令書捏造の罪で処刑された者たちがいる。
 従容として処刑台に赴いたとすれば、まことに見事な男たちだ。
 いずれにせよこれだけの大事なのだから、まったく犠牲を出さずに治めることはできない。
 彼らの冥福を祈らなくてはならない。

 ともあれ、二十二人の勇士の名誉は守られた。
 いや。
 正確にはパダイ谷の決戦に参加した騎士は二十二人だったが、そのうち、ゴリオラ国籍ではないバルド、ゴドン、カーズ、ジョグを除いた十八人の名誉ということになる。
 死んでいったガッサラ、オストーサ、ゼナス、キリー、シンド、ケイン、ダモン、カペー、ヴフーリン、タイタルスの十人。
 けがをしているのでシャンティリオンのもとに残したヤンセン、ミジン、ナリタスカの三人。
 そしてバルドとともにロードヴァン城に戻って来たアーフラバーン、バンツレン、エッケル、ウォルバード、キビツの五人。
 彼らの名誉は守られたのだ。
 そして家も財産も家族も。
 それどころか、英雄として恩賞にあずかれるだろう。
 このことが、バルドをひどく安心させた。
 だが、まだ分からない。
 栄誉をたたえるという発表が罠である可能性もある。

 ロードヴァン城には兵士たちへの給料が届けられた。
 近隣の街に分散して滞在していた騎士や兵士たちは、これを受け取って帰還していった。

 連合元帥(ワジド・エントランテ)バルド・ローエン卿には、叙勲と受褒のため皇都の皇宮への参内が要請された。
 その職は辞したはずなのだが、ゴリオラの理屈では違うらしい。
 三国の承認で就任した職位であるから、三国の承認を受けなければ退任できないのであり、ゴリオラは承認していない。
 ゆえに今もバルド・ローエン卿はワジド・エントランテである、というのがその理屈である。
 バルドの退任の通告はパルザムから届いていたはずなのであるが、それはなかったことにされたらしい。
 要するに、シンカイの主将を討って侵略軍を引かせたのが他国の騎士の指揮であったとは言いたくないのだ。
 バルドは皇都からの招請は謝辞し、なおもロードヴァン城にとどまり、事態の推移を見守った。





 3

 待つあいだに、いろいろなことを考えた。
 中でも繰り返しバルドの心をよぎったのは物欲将軍のことである。
 物欲将軍は、本当に世界を獲りに進撃を開始したのだろうか。
 冷静に考えると、どうもそうとも思えないふしもある。
 もちろん、止める者がなければ物欲将軍はパルザムに侵攻し、血の雨を降らせただろう。
 ゴリオラ皇国でも、死者がでなかったわけではない。
 ただ大国の都を落とすほどの戦争にしては流れた血の量が少なかったというだけのことである。
 だが。
 だが。
 考えれば考えるほど、征服して支配するための戦争であったようには思えない。
 もしかすると。
 考えていくうちに、バルドは妙なことを思いついた。

——ウルドルウとかいう竜人を殺すための進軍だったのではないか。

 ウルドルウは特別な力を持った竜人だ。
 多くの人の心を自由自在に操った。
 いわば侵略戦争の虎の子であり、ある意味物欲将軍以上にシンカイ軍にとって
重要な存在だったといえる。
 だが、本当にそうか。
 ウルドルウという竜人は、シンカイにとって何だったのか。
 シンカイ軍の強さは別に竜人によってもたらされたものではない。
 物欲将軍の指導と厳しい訓練、そして強き者がのし上がるという制度によってできたものだ。
 湧き出してくる魔獣とやらも、その強さの源となっているだろう。
 ブンタイ将軍から話を聞いた中で、竜人の特別な力を必要とする場面は、シンカイの軍制にはみあたらなかった。

 では、物欲将軍にとってウルドルウという竜人は、いったい何だったのか。
 同盟者か。
 協力者か。
 物欲将軍の命に応じて各国の人間に〈魂縛りの呪い〉をかけた有能な部下か。
 しかし一面、監視者であったかもしれない。
 利用し合うとともに、反発し合う関係であったかもしれない。
 そこは分からないことだ。
 だが、物欲将軍は言っていたではないか。

〈お前とその剣を、手に入れたいと思っているやつがいる〉
〈そいつはわしに神獣を食う力を与えてくれたんだがな〉
〈わしはそいつの邪魔がしたくなった〉

 バルドと魔剣スタボロスを欲しがっている者とは、マヌーノの女王が〈悪霊の王〉と呼んだ者のことだ。
 物欲将軍も、「悪霊の王とはうまいことをいうな」と言っていたのだから、それはまず間違いない。
 その悪霊の王が、物欲将軍に強大な力と長命を与えた。
 もともとけたはずれの武人ではあったはずだが、得られた力は通常の人間にはけっして得られないほどのものだった。
 その力と伸ばされた寿命をもって、物欲将軍はシンカイを強大な国に鍛え直した。
 そして、その詳しい内容は分からないが、物欲将軍は悪霊の王の命を受け、悪霊の王の利益のために動いた。
 それは両者の双方にとって益のある関係だった。

 だが、その関係にはゆがみがあった。
 あるいは、長い時の流れの中でゆがみが生じた。
 もしくは。
 そうだ、もしくは、悪霊の王の隠された目的に物欲将軍が気付いた。
 とにかく、最後の最後には、物欲将軍は、悪霊の王の邪魔をしたいと思うようになった。
 だから、竜人ウルドルウが死ぬようにしむけた。

 いや、いや。
 待て、待て。
 それは、おかしい。
 理に合わないではないか。
 竜人ウルドルウを殺したければ、物欲将軍は大剣を抜いてただ斬り殺せばよかった。
 竜人ウルドルウが物欲将軍に匹敵する戦闘力を持っていたとしても、物欲将軍の命に従い喜んで命を捨てる武将が大勢いるのだから、殺そうと思えば殺せたはずだ。
 わざわざ罠にかけて殺す必要などないではないか。

 待てよ。
 本当にそうか。
 もしかしたら。
 もしかしたら。
 物欲将軍にも何らかの形で〈魂縛(たましば)りの呪い〉はかけられていたのではないか。
 悪霊の王の命に逆らえないような。
 竜人ウルドルウを殺すことができず、殺させる命令が出せないような呪いが。
 そうであっても不思議はない。
 いや、むしろ悪霊の王とやらのやり口からすれば、そうしていないほうが不思議だ。

 考えてみれば、竜人ウルドルウの死んだ状況が不自然だ。
 なぜ広々した中庭などに馬車を置いたのか。
 皇太子カンティエルロイの弓部隊は向かい側の建物から矢を射たというが、なぜ矢が射込めるような場所に衛兵を置かなかったのか。
 老齢である竜人ウルドルウはゴリオラ皇都への無理な行軍で弱っていたというが、なぜそんな無理をさせたのか。
 大陸侵略戦争にとって竜人ウルドルウは、何物にも代え難い切り札であったはずなのに。
 その切り札である竜人を、まるで使いつぶしにするようなやり方ではないか。

 それに、あの言葉はどういうことだったのか。
 パダイ谷でバルドと相対したとき、物欲将軍は言った。

〈ウルドルウは死んだよ〉
〈竜人の呪術師だ〉
〈もともと年老いて弱っていたのだがな〉
〈ゴリオラへの、ちと無理な行軍でなおさら弱った〉
〈弱った体では、あの矢の一斉射には耐えられなかった〉
〈だからもう魂縛(たましば)りの(のろ)いは掛けることはできん〉

 物欲将軍はこうも言った。

〈ウルドルウが皇王やゴリオラの騎士に掛けた呪いは、ルグルゴア・ゲスカスの命令に従え、というものだ〉
〈なにぶん急いだし、数が多かったので、単純な呪いしか掛けられなかった〉
〈だからわしを殺せば呪いは解けたも同じだ〉

 なぜそんな貴重な情報を、わざわざバルドに教えたのか。
 これこそまさしく秘密にしておくべき事柄なのではないのか。
 しかも、自分を殺せば呪いが解けるなどと。
 まるで、殺せ、と言っているようではないか。

 ばかな。
 ばかな。
 もし仮に物欲将軍に、悪霊の王の狙いをくじく意図があったのだとしても、そのための方法が二度にわたる諸国戦争だったというのでは、あまりではないか。
 ザイフェルトは、ゴーズは、ガッサラは、キリーは、何のために死んだというのか。
 ほかでもない、物欲将軍の正義なき侵略のためではないか。
 竜人ウルドルウを殺させるためだというなら、ほかにいくらでもやり方があったはずではないか。

 試したのかもしれない。
 物欲将軍は、世界を相手に賭をしたのかもしれない。
 わしを倒してみよ。
 わしと竜人ウルドルウを倒してみよ。
 そう心の中で叫んでいたのかもしれない。
 物欲将軍がその賭に勝てば、世界は血の海に沈み、物欲将軍のものとなる。
 物欲将軍がその賭に負ければ、悪霊の王は竜人ウルドルウと物欲将軍という有力な手駒を失い、世界は今少しの余裕を得る。
 悪霊の王の正体を突き止め、これと戦う備えをするための時間の余裕を。

 いやいや。
 これは妄想が過ぎる。
 何ら根拠のない憶測だ。
 こんなことが諸国戦争の真実であるはずがない。
 だが、諸国戦争により物欲将軍が死んだというのは事実だ。
 竜人ウルドルウが死んだというのも、おそらく事実だ。
 そしてその二つのことが悪霊の王にとっては痛手であるということも、たぶん正しい。

 だが、ここまで考えを進めてきて、バルドは思った。
 諸国戦争の狙いが何であったにせよ、そのために物欲将軍がシンカイの将兵を犠牲にしたというのは物の道理に合わない。
 シンカイこそは、物欲将軍が生涯をかけて育て上げた国であり、その将兵は子や孫にひとしい。
 それだけの愛情を込めて育て上げたからこそ、ブンタイ将軍のような若い豪傑が命も要らぬとばかりに慕い従うのだ。
 二度にわたる諸国戦争では、シンカイの将兵も少なからず死んでいる。
 もっともっと多くの犠牲が出ていても不思議ではない状況だった。
 そのことを、どう考えたらよいのか。

 待てよ。
 そういえば、あの引き上げかたはおかしかった。
 シンカイ軍は今回パルザムに攻め入るについて、ゴリオラの大軍を同道させた。
 たしかシンカイ軍の規模は騎士千二百人だった。
 シンカイ軍は歩兵の比率が非常に少ない軍であるから、その千二百人でゴリオラの一万人の軍を監視し管理しなければならなかったはずである。
 つまり相当に分散もしていたはずなのだ。
 それにしては、あまりに静かな引き上げだった。
 不敗の将軍ルグルゴア・ゲスカスが決闘に敗れて死んだなどという、彼らにとってはまったく信じがたいはずの知らせを、あまりに平然と受け止めた。
 なぜだ。
 あの引き上げ方は、まるであらかじめ予定されていたかのようだった。

 だとすれば、そうなのだ。
 物欲将軍は、自分が決闘を挑まれ、敗れて死ぬこともある、と予期していたのだ。
 そしてその場合の行動をあらかじめ命令してあったのだ。
 いやいや。
 そんなばかなことが。
 しかし、そうでも考えないと、あの引き上げは説明がつかない。
 そのあとゴリオラから犠牲も混乱も出さずにシンカイの全軍が引き上げてしまったことの説明がつかない。

 そうか。
 もしかすると。
 物欲将軍は、シンカイの新しい未来のためには、自分自身と竜人ウルドルウが邪魔だと思ったのではないか。
 自分自身と竜人ウルドルウが滅びることによって、シンカイに新しい可能性が開けると思ったのではないか。
 そうだとすれば。
 来るべきシンカイの未来のために、物欲将軍は備えをしていたはずだ。
 未来に向けた遺言を残していたはずだ。
 やがてその遺言に従い、シンカイ国は勃興してくる。
 あの恐るべき将軍たちに率いられて。
 いつの日のことか。
 どんな形でのことなのか。
 それは分からない。
 だが、その日はいつか来る。
 その時こそ、彼らは今回の戦争で得た経験を存分に生かすだろう。
 バルドはそう確信した。




 4

 九月の末に、前皇王の葬儀が行われた。
 皇王その人は本当に死ぬことになったのか、それともひっそり皇宮の奥で余生を送るのか、それは知らない。
 この席にはパルザムも招かれ、王族と重臣が参列した。
 ゴリオラとパルザムの友誼は壊れずに済んだのである。
 侯爵位を継いだアーフラバーンもこれに出席した。

 これに先立って、うれしい知らせが届けられた。
 正妃シェルネリアがジュールラント王の子を出産したというのである。
 男の子である。
 その名を聞いて、バルドはのけぞった。
 バルドラント・シーガルス。
 それがジュールラントとシェルネリアの長男の名であった。
 ゴリオラ皇国からも祝いの使者が派遣され、返礼の使者が差し向けられた。
 この場合、交換された贈り物は、宝剣、翠玉など物品にとどまらない。
 優秀な技術者、芸術家などの人的資源も交換されている。
 バルドラントは生まれながらにして両国の友好の架け橋であったといえる。
 ロードヴァン城を経由しての貿易も、以前より盛んになった。

 十月に、新皇王の即位式が行われた。
 バルドには繰り返し皇都への招請があったが、まだ信用できないとばかりに、バルドはじっとロードヴァン城から様子を見守った。
 二十人の騎士にはそれぞれ恩賞が下賜され、アーフラバーンは元老院の議席を与えられた。

 いっぽう、パルザムでも戦後処理は進んでいた。
 幸いにも鎮西侯マードス・アルケイオスは生き延びたので、エジテの領主に戻された。
 ファーゴはやはり王領に戻されたが、戦功のあった何人かの諸侯に徴税権が分け与えられ、当分のあいだ王家直轄軍下軍が常駐することになった。
 近々鎮西騎士団が新たに編成され、グリスモ城を本拠地として西域全体ににらみをきかせる予定であるという。

 カッセについては、バドオール子爵家で騎士修業をしていたザイフェルトの遺児ティグエルトが騎士に任じられて侯爵位を継ぎ、執政官に任じられることになった。年を越えて二十歳になってから着任する予定だという。
 この知らせはバルドを大いに喜ばせ、安堵あんどさせた。
 もともとボーエン侯爵を継ぎカッセ執政官に任じられていたザイフェルトの長男は、実子ではなく奥方の連れ子だった。
 事情があって、ティグエルトはその母親とともにザイフェルトの盟友であるバドオール子爵のもとに預けられていたのである。
 バルドはティグエルトと面識がある。
 辺境競武会のおりにティグは親友ロンガとともに、バルドとカーズの従者につけられていたからである。
 それに先だってトライでザイフェルトと再会した夜、バルドはティグエルトをバドオール子爵家に預けた事情については聞いていた。
 バルドは、ふと思いついてロードヴァン城滞在中のジュールラントに事情を話し、ティグエルトを引き合わせておいたのである。
 図らずもその配慮が、ザイフェルトの実子であるティグエルトがカッセ執政官の地位と侯爵の身分、そして何よりボーエン家を継ぐことにつながったようだ。
 おそらく親友ロンガは家臣としてティグエルトを支えてくれるだろう。

 第一側妃は死罪となすべきところ、アーゴライド家の功績に免じて許され、アーゴライド家で死ぬまで幽閉されることになった。
 と同時に、シャンティリオンに王位継承権が与えられた。

 この様子なら大丈夫かと見極めがつき、そろそろ辺境に帰ろうとするころ、ひょっこりとロードヴァン城にバルドを訪ねて来た騎士がいる。
 〈味方殺し〉バンツレン・ダイエ。
 物欲将軍と対決した二十二人の騎士の一人で、魔槍を操る歴戦の勇士だ。

「やあ、バルド殿。
 どうも近頃のゴリオラ皇国はおもしろくない。
 あんたに付いていくことにした」

 この騎士は変わり者で、決まったあるじを持たず、自分の家や部下も持たない。
 知り合いの騎士の屋敷に寄宿して、おもしろい戦があると聞けば出ていって戦うのだ。
 従者さえなく身一つで、バルドに付いていきたいという。
 まあ、おぬし一人の食いぶちぐらいは何とかなるじゃろうと、バルドはこの男をフューザリオンの客将に迎えた。

 いったん引き上げたシンカイ軍が今後どう出てくるか。
 また、シンカイ軍に蹂躙され、国としての体面を大きく傷つけられたゴリオラ皇国が、どう出るか。
 それはいまだ分からない。
 しかしそれを心配するのはバルドの仕事ではない。
 今回の戦争は、ともあれ無事終結し、中原には平和が戻った。
 これを見届けるのは、死んで行った勇士たちへの義務であると、バルドは考えていたのである。

 年が明け一月に入ってから、ゴドン・ザルコスがロードヴァン城にやって来た。
 ゴドンは王宮に招かれ、王からじきじきにその武徳と功績をたたえられたという。
 叙爵の沙汰を断ったところ、群臣の前で王より〈鉄壁公〉の栄称を授けられた。
 また、アーゴライド家ではゴドンを貴賓としてもてなし、その扱いは下にも置かぬ丁寧なもので、何夜にもわたって旅の話をせがまれたという。
 そして、ザイフェルトの息子ティグエルトとゴドンの姪レイリアの恋と結婚の顛末を、バルドはゴドンから聞かされたのだった。

 バルドとカーズとゴドンとバンツレンとクインタはフューザリオンに向けて旅立った。
 ゴドンのおかげで退屈することはなかった。
 バンツレンも陽気なたちで、ゴドンとはうまが合うようだ。
 槍とバトルハンマーでよく手合わせもしている。
 クインタは相変わらずカーズに指導を受けている。
 近頃急激に精悍さを加え、その剣の鋭さは騎士バンツレンも驚くほどだ。
 ゴドン、バンツレンも暇をみてはクインタに剣や騎士の心得を教えてくれる。
 クインタはそれを見事に吸収している。
 楽しみなことだ。





 5

 フューザリオンに帰り着いたバルドは、目を見張った。
 ここは、どこだ?
 それほどに発展していた。
 広がる小麦畑。
 家々。
 もう村とは呼べない。
 これは、街だ。
 新しく開拓され小麦畑や家屋ができた平野部は、エガルソシアが育たなかった場所だ。
 つまり今やフューザリオンは、エガルソシアに守られた区域からさらに広がっているのだ。

 発展にともなって、厄介事も増えていた。
 騎士ヘリダンが、腕に覚えのある者を率いて奮闘していたが、それも限界を超えていたようだ。
 バルドたちの帰還を最も喜んだのは、ヘリダンだったかもしれない。
 バルドたちは、帰り着くなりさっそく、野獣やならず者の討伐に、塩採取の護衛にと駆け回ることになった。
 騎士バンツレンも魔槍を振り回して大いに活躍した。

 いつかジュルチャガが宣言していたように、ボーバードやヤドバルギ大領主領から荷駄隊がわざわざやって来て、エガルソシアを買い付けていた。
 そしてその荷駄隊からフューザリオンの様子を伝え聞いて、貧しい者たちがこぞってフューザリオンへの移住を希望してきていた。
 フューザリオンにたどり着くのは楽ではなかったはずだ。
 だがたどり着いてみれば、それは噂通りの、いや噂以上の場所だった。
 野獣に侵されない豊かな草原があり、近くには広大な森林があり、清涼な水があふれ、そして仕事があった。
 フューザリオンとしても、人が増えれば増えるほど開墾や建築が進み、街が豊かになる。

 しかし、人が増えればもめごとも増える。
 ジュルチャガが帰り着いたときには、爆発寸前だったらしい。
 如才ない仲裁でジュルチャガは住民たちをまとめ、その不満を和らげ、〈村長〉としての存在感を高めた。

 慶事があった。
 ドリアテッサの出産である。
 四月に、男の子を産んだ。
 その子は、アフラと呼ばれている。
 が、本当の名はアフラエノクシリン・オルガザード、という。
 この名を聞いて、アーフラバーンはあきれた。

「なんという格式の高い名を付けるのだ。
 ドリー。
 お前は新しい王家でも作るつもりか」

 アーフラバーンは、ドリアテッサの子が産まれたと聞き、わずかな供連れを連れて飛んでやって来た。
 あきれた声を出しながら、ゆるみきった目つきでアフラをあやしている。
 それはそうだろう。
 アフラの名がアーフラバーンから採られていることは明らかだ。
 アーフラバーンは愛する妹が産んだこの子がかわいくて仕方がないのだ。
 この四か月後にはアーフラバーンにも長男が産まれ、ドリアンバーンと命名された。

 バルドはフューザリオンの発展具合をみて、若い騎士を何人か育てる必要がある、と感じた。
 タランカは始めから従卒であったし、クインタは二年前から修行を始めている。
 セトとヌーバは、おそらく十一歳と十歳ぐらいだ。
 バルドは、騎士ヘリダンと騎士バンツレンと相談し、セトとヌーバを従者として訓育してもらうことにした。
 そのほかに五人、住民の中からこれはと思う少年たちを選んだ。
 彼らは一年後に修行を開始する。
 中にはセトやヌーバより少し年上の少年もいるが、騎士への叙任は、まずタランカとクインタ、次にセトとヌーバ、そしてそれからその他の少年とするのが望ましいからだ。

 ゴリオラ皇国からは、褒賞を受け取るようにとの催促が何度もあった。
 叙爵については断ったのだが、恩賞は受け取らないと、あちらも都合が悪いようだ。
 ジュルチャガと話し合ったところ、

「あのね。
 おいら、欲しい物があるんだ。
 牛さ。
 ゴリオラ皇国には、すっごく肉のおいしい牛と、すっごくおいしい乳を出す牛がいるんだ。
 それを、フューザリオンで育てたい。
 ねえねえ。
 その恩賞で、牛をもらえないかなあ」

 と言った。
 そこでそれを伝えた。
 なんと新皇王は、百頭の牛をフューザリオンに届けた。
 正確には九十八頭である。
 百二十頭を送り出して、九十八頭が着いたのだ。
 二十一頭が(おす)で、七十七頭が(めす)である。
 半分は肉を食べる牛で、半分は乳を採る牛だ。
 これを三か月かけて東部の街から送り届けてくれた。
 あきれるほどの手間と人手と金がかかっているだろう。
 そのうえ、牛の育て方を知っている人間三人と、乳製品の作り方を知っている人間三人を、三年の期間で貸してくれた。
 この手厚いやりようには、新皇王のバルドに対する真摯な感謝が感じ取れた。
 うがった見方をするなら、〈パルザムのバルド〉ではなく〈フューザリオンのバルド〉に恩賞を与えることによって、パルザムには借りはないという体裁を整えたかったのかもしれないが。

 ジュルチャガはまた、クラースクからコルコルドゥルを取り寄せ、育て始めた。
 みるみる数が増えてゆき、コルコルドゥルの卵はフューザリオンの家々の食卓にのぼるようになった。

 そうこうしているうちに、バルドを訪ねてはるばるパルザムから六台の馬車が到着した。
 やって来たうちの一人はカムラーである。
 おんぼろの馬車に調理器具を一杯に積み込んで、フューザリオンに来た。
 おいおい、ここには貴族料理の出番はないぞ、とバルドが言うと、

「何をおっしゃる。
 新鮮で新奇な魚や鳥や獣の肉。
 そして何よりこのエガルソシアという食材。
 これを料理する機会を私から奪うおつもりか」

 と言い返し、そのまま料理人として働きだした。
 カムラーの参入により、開墾と建築は大いに進むことになった。
 なぜ料理人が来たことで開墾や建築が進むことになったかといえば、こういうわけである。
 到着して三日後、カムラーは、「中食(ちゆうじき)を作りましょう」と言い出した。
 ふつう、農繁期の農民か戦争中の騎士でもない限り、一日は朝と夕の二食である。
 だがフューザリオンの民は、草地を開墾して畑とし、エガルソシアを初めとする各種野菜を植え付けている。
 植えた野菜は次々と収穫しなければならない。
 収穫したあとにはさらに作業もある。
 石臼を手で回して小麦を挽くのはそれだけで重労働だ。
 森から木を切り出し、切り分けて、新たな家や柵を作り家財道具を作っていくのも大変な労働だ。
 彼らの健康状態をみて、カムラーは昼の食事が必要だと考えたのである。
 カムラーはパルザムの王都から三つの大鍋を持ち込んでいた。
 一つの鍋で五十人分の食事が作れる巨大さである。
 穫れ立ての野菜や騎士たちが倒した獣の肉をカムラーは実に手際よく料理した。
 この中食が始まってから、作業効率は飛躍的に上がった。
 共同作業に出たがる者が増えすぎて困ったほどである。
 この中食の習慣はフューザリオンで一般化し、昼食と呼ばれるようになる。
 食材の豊富なフューザリオンならではのことであるが、昼食の習慣が定着してからは、民の健康も大いに増進したのである。
 のちに中原の諸国から、フューザリオンの民は体格がよい、といわれるようになるゆえんである。

 また、ピネン老人とトリカ青年も一緒にやって来た。
 ピネン老人はバルドが放浪していたとき、辺境の村でノゥレ料理を振る舞ってくれたのだが、実はもともとはパルザムのゼノスピネンという名の医学博識だった。
 前王ウェンデルラントの体調不調を診るため国に呼び戻されたのだが、そのときにはもう毒のため手遅れだった。
 その後毒の短剣に刺されたジュールラントの命を救ったと聞いていたのだが、どうしたのだろうか。

「いやいや、それがあきれたものでしてな。
 侍医のやつらは、先王陛下ご不例のとき、自分たちが見つけられなかった毒をわしが見抜いたのが、よほどおもしろくなかったのでしょうな。
 ジュールラント王が毒の短剣で刺されたあとも、大丈夫だ心配ないと言い張って、わしが診るのを邪魔するのです。
 ついにはわしも腹に据えかねて、強引に診察をさせていただいたのですが、いや、危ないところでした。
 それでわしがジュールラント王のお命を救ったら、以前にも増して嫌がらせを受けましてな。
 こんな所にはおられんと思っておったのです。
 そんな折り、バリ・トード殿から、フューザリオンのことを聞きました。
 そこだと思ったのです。
 そここそ、わしが行くべき場所だと。
 この子は孫と申しておりましたが、血はつながっておらんのです。
 正式に養子に迎えました。
 一通りのことは教えてきておるのですがな。
 バルド殿。
 どうかこのフューザリオンで、わしとトリカを医者として使うてくだされ。
 土産代わりに、たっぷりの書物を持参いたしましたぞ」

 バルドに異存はなかった。
 けがをする者、病にかかる者は少なくなく、ザリア一人の手には負えない状況だったのである。

 そしてまた、剣匠ゼンダッタと弟子たち、工学識士オーロと革防具職人ニテイも一緒にやって来た。
 たくさんの道具を持参して。

「いや、どうしたもこうしたもありません。
 何人もの貴族たちが注文をよこしてくるので、魔剣の研究どころではないのです。
 どうも〈バルド・ローエン卿偉績伝〉という書物が一部に出回っておるとかで、その最新版では、先代ゼンダッタと私のことが出ているらしいのです。
 バルド大将軍の愛顧する剣匠だからというので、むやみと注文をしてくるのですな。
 中には魔剣スタボロスと同じ形の剣が欲しい、などというふざけた注文も多いのです。
 普通の剣をあんな妙な形にして、切れ味など出るわけがない。
 ところが形さえ似ていれば構わないというのですからな。
 馬鹿にするにもほどがある」

 シャンティリオンのやつめ、とバルドは一瞬怒りを覚えた。
 疑いもなく、その〈バルド・ローエン卿偉績伝〉とかいうたわけた書物は、シャンティリオンの手によるものである。
 それらしい噂はちらちらとは聞いていたのだが。
 先代ゼンダッタが魔剣の謎を解き明かしてくれた場には、シャンティリオンも同席していた。
 またその場でバルドは魔剣スタボロスについて、その出会いとそれ以後のことどもについて語った。
 さらにバルドが魔獣たちを魔剣スタボロスで次々に屠りさる場面も見ていた。
 その〈バルド・ローエン卿偉績伝〉とやらに、シャンティリオンは自分の見聞きしたことを書いたのだ。
 まあ、まさか神霊獣が宿る剣だという秘密までは明かしていないだろうが。
 どのみち、バルドの帯剣が特別な魔剣だということはすでに知れ渡っており、今さら隠しようもない。
 それにバルドとしても先代ゼンダッタの人となりが後世に残されるのはうれしくもある。

 などとひとしきり感慨を深めたところで、当代ゼンダッタに視線を戻した。
 来てくれたはよいが、ここでは新しい魔剣を生み出すという試みはできないだろう。
 バルドはゼンダッタに言った。
 いや、ここには鉄鉱石もないし、炉もない。
 おぬしの魔剣の研究は、ここではできんじゃろう、と。

「いえいえ。
 みたところ、鉄の出そうな山がいくつもあるではないですか。
 それにいきなり鋼の剣を打とうとは思いません。
 ここの開拓の空気にふれ、農具の手入れなどをしながら、じっくりと心身を落ち着け、新鮮な気持ちで剣を打ってみたいのです。
 私も弟子たちも、お役に立ちますぞ」

 そう言われれば、断ることはできなかった。
 オーロもニテイも、辺境で今新しい街ができつつあるという、その開拓に自らのわざで参与したいのだという。
 開拓者たちにとり、力強い味方である。
 オーロはさっそく、農具や工具の補修に力を発揮する。
 ニテイは大量の毛皮に埋もれて、住民の靴や服を作る仕事に追われることになる。

 そしてまた、クーリ司祭と孤児院の子ら十二人がやって来た。
 いずれもバルドとは顔なじみである。
 クーリ司祭とシマー司祭は、今回助祭から司祭に昇進したという。
 シマー司祭もフューザリオンに来たがったが、神殿長代理となり、神殿を不在がちなバリ・トード上級司祭を支えることになったという。
 子どもたちは、二十五歳から十六歳と、年齢幅は広い。
 いずれも読み書きができ、手に職がある者たちだ。

 彼らはみな、バルドがバリ・トードに書き送ったフューザリオンの様子を聞いて、いても立ってもいられなくなりやって来たのだという。
 護衛の手配、道中の街への紹介状もバリ・トードが工面してくれた。
 費用は王宮から出させたというから驚きだ。
 つまりこれらの人々は、ジュールラントからバルドへのはなむけでもある。
 若く鋭気あふれる彼らの参入は、何より心強いものだ。

 彼らの中には大工がいた。
 また、粉ひき職人がいた。
 さっそく水車を利用した粉ひき小屋が作られ、それまで粉ひきに取られていた多くの労力をよそに回すことができた。
 彼らの中にはパン職人もいた。
 樽職人が、ろうそく職人が、エール職人が、しっくい職人が、紐職人が、皮なめし職人が、織物職人がいた。
 中には見習いに過ぎない者もいたが、フューザリオンにとっては得難い人材である。

 こうして多忙のうちにこの年も過ぎ、年が明けた。
 バルドは六十六歳になった。
 そして三月、いよいよ旅に出発することにした。
 悪霊の王と呼ばれた存在の正体と、その狙いを探るための旅に。
 そのためには、竜人たちについて調べなくてはならない。
 また、魔獣と精霊に、今何が起きているのかも知る必要がある。
 調べたからといって何かができるのか。
 その巨大な出来事の前に、一人の老人がいったい何をできるというのか。
 それは分からない。
 しかし何か少しでもできることがあるなら、それをする。
 そのための旅だ。
 最初に、ルジュラ=ティアントの集落に行く。
 それから、ジャミーンの勇士イエミテを訪ねる。
 ゲルカストのゾイ氏族族長エングダルにも話を聞くつもりだ。
 そのあとでもう一度マヌーノの女王にも会う必要があるだろう。
 長い長い旅になる。

 初めはカーズと二人で行くつもりだった。
 が、案の定、ゴドンも同行すると言い張った。
 またゴドンは、タランカとクインタも連れていくべきだ、と言った。
 この二人は騎士としての修業の仕上げをしなくてはならない大切な時期であるから、バルドは同行させるべきでないと思った。
 だが、ゴドンは、まさにだからこそ同行させるべきだと言い張る。
 騎士ヘリダンと騎士バンツレンも同じ意見だった。
 そこでようやくバルドも二人を連れていく気になったのである。

 いざ出掛けようとすると、カーラという少女がついて来ると言い張った。
 この少女は昨年の暮れにフューザリオンにやって来た。
 どこの出身ともいわなかったが、顔つきも言葉やふるまいも、肌や手足の様子も、貴族家の出であることを示している。
 しかもフューザリオンには馬に乗ってやって来たのだ。
 剣と弓の心得もあるようだ。
 むろん実戦で鍛えられた強さは持っていないようだし、たしなみという以上ものではない。
 しかし若年の女性としては筋が良く、武具の扱いによどみがない。
 おそらく良い師のもとで武芸の手ほどきを受けたのだ。
 まだ十八歳だということなのだが、ずっと大人びてみえる。

 カーラは初めから妙だった。
 バルドに初めて会ったとき、カーラの目はバルドの腕にくぎ付けだった。
 腕に付けたヤナの腕輪に。
 素早く目線をそらしたが、この腕輪に興味があることは明らかだった。

 ふふ。
 何を狙っているのか。
 まあ、フューザリオンに残しておくより、一緒に連れていって見張ったほうがよいかもしれんな。

 そう思って、バルドは同行を許した。




1月4日「テンペルエイド(前編)」に続く
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