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辺境の老騎士 作者:支援BIS

第6章 フューザリオン

134/184

第10話 血戦



 1

 なぜドレンシータが率いた部下が二十騎だったのか、実際に崖に来て分かった。
 まずここに登ってくる道は、ひどく狭く急で曲がりくねっており、とうてい大軍では通れない。
 そして何より、崖の上にはやっと二十騎が乗れるだけの広さしかないのだ。
 今ここにいるのはバルドと二十騎の突撃隊と、ジュルチャガとコリン・クルザーとクインタだ。

 このときを迎えるまで、ジュルチャガが誘導してくれた。
 一万を優に超える大軍であるから、行軍速度は遅い。
 また、当然ながらその一万以上の軍は一つに固まって移動するわけではなく、いくつかの集団に別れて移動している。
 その中で物欲将軍の位置を見極め、パダイ谷に到着する日時を正確に予測できたのだから、ジュルチャガの探索能力は驚異的である。
 おかげでバルドたちは当日の朝まで山中でゆったりと待機することができた。
 二十一人という少人数なので、目立つことなく野営できた。
 食事もゆったり取り、全員の体調はすこぶるよい。
 今朝から一団は静かに移動して、今はドレンシータの崖の上に潜んでいる。

 もうシンカイ軍の先頭はだいぶ前に通り過ぎた。
 ジュルチャガは地面に耳をつけて、じっと様子をうかがっている。
 物欲将軍の騎乗する獣は独特の足音なので、聞き分けるのはたやすいのだという。

「今だよ、旦那」

 ジュルチャガの言葉でバルドはユエイタンに乗り、すくっと立ち上がり崖っぷちに寄った。
 一瞬くらっとするが、くわっと目を見開き、大声を発した。
 バルドの左右には二十騎がずらりと並んだ。

 やあやあ、そこに行くはルグルゴア・ゲスカス卿か。
 われはフューザリオンの騎士バルド・ローエン。
 いちべつ以来なり。
 あのときの決着をつけんと、仲間とともに参じた。
 いざ、勝負!

 距離もあるし多少風も吹いているから、言葉はまともに聞こえていないかもしれない。
 だがここは、はっきり姿を見せて決闘を挑むことが大事なのだ。
 下を行く軍勢はバルドたちに気付いた。
 物欲将軍は最初から崖の上を見ていた。
 気付いていたのかもしれない。

 さて。
 ここで物欲将軍がどう出るか。
 決闘に応じるか。
 全軍をもって、この決死隊を押しつぶそうとするか。
 軍に攻撃指令が出たとしても、こちらのやることは同じだ。
 ドレンシータの崖を駆け下り、物欲将軍を倒す。
 いちどきにそう大勢が攻撃できる場所ではない。
 それでも物欲将軍と軍勢を同時に相手取ったのでは、勝ち目はいよいよ低いといわざるを得ない。
 さあ、ルグルゴア・ゲスカス。
 どう出る。

 果たして、物欲将軍は全軍を停止させ、自分の前後を広く空けるよう身ぶりで指示を出した。
 バルドは、ほっと安堵の息を吐いた。
 これで第二の関門も越えた。
 第一の関門は、敵に気付かれないまま物欲将軍に近づき、決闘を申し込むことだった。
 第二の関門は、相手がそれを受け入れてくれることだった。
 第一の関門さえ越えられれば、第二の関門もたぶん越えられると、予想はしていた。
 シンカイでは、軍の先頭に立って敵を打ち砕く者こそが将たり得る。
 物欲将軍の統率力は、その神話的な強さにあるといってよい。
 だがその神話には、傷がついた。
 第一次諸国戦争の折に、バルドたち七人に敗れ去ることによって。
 だから再びバルドが仲間を率いて決闘を挑めば、物欲将軍はそれを受けるだろうと思っていた。

 いや、そうではない。
 そういう杓子定規な話ではないのだ。
 バルドの挑戦を、ルグルゴアはきっと受ける。
 そんな確信に近いものがバルドにはあった。
 なぜと尋ねられても言葉では答えられない。
 だが物欲将軍は自分を待っている。
 そうバルドは確信していた。

  ゆけっ!

 バルドの掛け声で、二十一騎は猿も滑り落ちるという崖を一気に駆け下りた。
 物欲将軍が巨大剣を抜いて大きく振りかぶり。
 ぶうんと振って光の津波を巻き起こした。
 横に広がる隊列に向けて、衝撃波が押し寄せた。
 これは耐えるしかない。
 すさまじい暴風に殴り付けられながらも、駆け下りる勢いでそれに対抗し、バルドはなおも駆け下った。
 何人かが転倒したようだ。

 駆け下りたバルドは、しかし直接物欲将軍に攻撃はしなかった。
 勢いを殺して馬を停止させ、下馬した。
 ほかの騎士たちも同じようにした。
 これも打ち合わせの通りである。
 馬に乗ったままでは、物欲将軍の攻撃はかわせないからだ。
 物欲将軍とは三十歩以上距離を置いている。
 物欲将軍も乗っている獣から降りた。

 二十人は二手に分かれて、降りてきた側の斜面と反対側の斜面から、物欲将軍を挟み込むように立った。
 転倒した騎士たちも斜面の下まで降りてきた。
 味方が隊列を調えるあいだ、バルドはあらためて物欲将軍を見た。
 そしてそこにまったく予想していなかったものを見て、肌に(あわ)が立った。
 物欲将軍は、左右の手に一本ずつ巨大剣を持っていたのである。

 バルドは、ごくりと唾を飲んだ。
 二本の剣をまともに振れるとすれば、物欲将軍の攻撃の手数は、こちらの予想したものよりはるかに多い。
 果たしてそれをかいくぐることができるのか。

 物欲将軍が剣のひらで獣の尻をたたいた。
 獣は戦場を離れて見守るシンカイ軍のほうに歩いていった。
 バルドたちも馬を遠ざけた。
 そして名乗りを上げた。

 騎士バルド・ローエン。
 騎士カーズ・ローエン。
 騎士アーフラバーン・ファファーレン。
 騎士ガッサラ・ユーディエル。
 騎士オストーサ・クリミナ。
 騎士バンツレン・ダイエ。
 騎士ゼナス・ホレイスト。
 騎士キリー・ハリファルス。
 騎士エッケル・アストー。
 騎士ウォルバード・ストアハ。
 騎士シンド・エスカリ。
 騎士ヤンセン・マリク。
 騎士ケイン・ストリクド。
 騎士ダモン・ヤクラウ。
 騎士カペー・ジフサツマ。
 騎士ミジン・エディバ。
 騎士ナリタスカ・ゴフ。
 騎士キビツ・カルサニ。
 騎士ヴフーリン・キザラ。
 騎士タイタルス・オーリア。
 騎士ジョグ・ウォード。

 名乗りながら剣を抜いた。
 ほとんどの者は幅広で肉厚の騎士剣だ。
 騎士〈味方殺し〉バンツレンは魔槍を持っている。
 ジョグ・ウォードの剣は例によってやたら大きい。
 バルドの剣は寸足らずであり、カーズとキリーの剣は細身である。
 騎士キビツの剣はさらに細身で短い。
 二十人のうち、八人もが魔剣を手にしている。

「ぐぐ。
 バルド・ローエン。
 ぐぐ、ぐぐぐぐ。
 やっと会えたな。
 お前にもう一度会えるのが楽しみでしかたがなかった」

 と話す声は、地獄の底から響くように不気味にかすれている。
 声だけではない。
 物欲将軍ルグルゴア・ゲスカスの姿は、以前とまったく変わっていた。
 巨体であることと、髪もひげも白く、爆発するように四方八方に突き出しているのは変わらない。
 だがその顔は、まるでしゃれこうべに肉を貼り付けたようで、白かった顔色は今はどす黒い。
 首から下は(よろい)に覆われているからはっきりとは見えないが、体全体がひどくやせ細って、焼け焦げたように黒い。
 斬り落とした右手の代わりに、金属の腕が取りつけられている。
 黒いごつごつした不気味な作り物の腕だ。
 だが先ほどは、その作り物の腕で確かに剣を振ってみせた。
 いったいどういう仕掛けになっているのだろうか。

 それにしても。
 もとよりルグルゴア・ゲスカスは異相である。
 だが前に会ったときは、異相なりに生命力にあふれていた。
 だが。
 だが、今のこの男は。
 全身から腐臭をあふれさせている。
 生きているというよりは、死ねないで苦しんでいるかのようにみえる。

「だが、カーズ・ローエン、だと。
 貴様が。
 ぐぐぐ。
 そうか。
 名を変えたのか。
 どうりで貴様の情報が入って来ないと思った。
 ぐぐ、ぐぐぐ」

 物欲将軍は、ぐるりと首を回して、おのれを取り囲んでいる勇士たちをにらんでみせた。

「ぐぐ。
 ぐぐ。
 よくもこれだけ殺しがいのあるやつらを集めてくれたものだ。
 バルド・ローエン。
 その手柄に免じて、とっておきの秘密を教えてやろう。
 ウルドルウは死んだよ。
 竜人の呪術師だ。
 もともと年老いて弱っていたのだがな。
 ゴリオラへの、ちと無理な行軍でなおさら弱った。
 弱った体では、あの矢の一斉射には耐えられなかった。
 だからもう魂縛(たましば)りの(のろ)いは掛けることはできん」

 ゴリオラやパルザムで多くの人の心を操り、裏切りや暗殺をさせたのは、その竜人か、とバルドは訊いた。

「ぐ、ぐ。
 そうだ。
 そうとも。
 ぐぐぐ。
 知っていたのだな、バルド・ローエン。
 まあ、あれだけ派手にやれば、気付きもするか」

 マヌーノの女王の心を縛ったのも、そのウルドルウという竜人か、とバルドは重ねて訊いた。

「いや。
 ちがうな。
 あれをやったのは別の竜人だ。
 ぐぐ。
 もう一ついいことを教えてやろう。
 ウルドルウが皇王やゴリオラの騎士に掛けた呪いは、ルグルゴア・ゲスカスの命令に従え、というものだ。
 なにぶん急いだし、数が多かったので、単純な呪いしか掛けられなかった。
 だからわしを殺せば呪いは解けたも同じだ。
 ぐぐ。
 ぐぐぐぐ。
 どうだ。
 いい知らせだろう」

 それはよいことを教えてくれたのう、とバルドは言った。
 そして、その礼には何をしたらよいかの、と続けた。

「ぐぐ。
 ぐぐぐぐ。
 やっぱりお前はいいやつだな。
 では一つ教えてくれ。
 ずっとお前の気配が消えていた。
 その神獣の剣の気配がな。
 だがついさっき崖の上に気配が現れた。
 どんな手妻を使った?」

 そう聞いてバルドのほうが驚いた。
 あれにそんな働きもあったのかと思い、ヤナの腕輪を知っておるか、と答えた。
 それは崖の上でジュルチャガに託したので、今は持っていない。

「ぐぐ。
 そうか。
 なるほど。
 わしが意識を失っているあいだに、もう一度マヌーノの女王の所に行ったのか。
 あそこにあったのだろう?
 ぐぐ。
 なるほど。
 それで分かった」

 ひどい腐臭が物欲将軍から漂ってくる。

「お前とその剣を、手に入れたいと思っているやつがいる。
 そいつはわしに神獣を食う力を与えてくれたんだがな。
 ぐぐ。
 ぐぐ。
 わしはそいつの邪魔がしたくなった。
 だから、バルド・ローエン。
 今ここで死んでくれ」

 それが戦闘開始の合図となった。




 2

 右の斜面と左の斜面の両方から騎士たちは物欲将軍に襲い掛かった。
 物欲将軍は両手の剣を振り上げ、まずバルドのいる側、つまり右側に右手の剣で光の津波を放った。
 右側の騎士たちは、姿勢を低くし足を踏みしめて耐えた。
 斜面のおかげで何とか踏みとどまれた。
 何人かが津波にさらわれたが、遠くには飛ばされていない。

 物欲将軍は左側に左手の剣で同じことをした。
 やはり何人かが飛ばされたが、ほとんどの騎士は踏みとどまった。

 右に向き直った物欲将軍は、もう一度光の津波を放とうとした。
 一度目の津波をしのいだばかりだったが、さすがに選ばれた騎士たちは、すぐに態勢を調えた。
 だが物欲将軍の動きはこちらの予想を裏切った。
 光の津波を起こしつつ、その剣先で大地をえぐったのである。
 えぐられた土くれと石は津波に運ばれ、礫弾(れきだん)となってバルドら右側の騎士を襲った。
 バルドは顔を伏せ両手で頭部を守ったが、飛礫(ひれき)に左膝と右側頭部を打たれ、よろめいた。

 物欲将軍は左側にも同じことをしたようだ。
 騎士たちははじき飛ばされたが、両翼の二人はこれをかわし、それぞれ素晴らしい速度で物欲将軍に迫った。
 また中央にいた革鎧の騎士ダモン・ヤクラウは跳び上がってこれをかわした。
 両翼の二人はカーズとキリーだ。
 物欲将軍はカーズに向けて右手の剣で津波を放った。
 よほどカーズには懐に入られたくないのだろう。
 カーズもこれはかわせず、傾斜のない位置だったので遠くに吹き飛ばされた。

 再び物欲将軍が右側に向き直ったとき、何人かの騎士はすでに十五歩ほどの距離に迫っていた。
 物欲将軍は剣先で大地をえぐり、礫弾を飛ばした。
 騎士たちは岩のつぶてを受けて傷つき、あるいは後ろに飛ばされた。
 だが、軽鎧を着けた三人の騎士が跳び上がってかわした。
 彼らが着地する地点は、一歩踏み込めば物欲将軍に攻撃が届く距離である。

 物欲将軍は左側に光弾を放った。
 ちょうど着地したところだった騎士ダモン・ヤクラウは光弾に直撃されて斜面に吹き飛ばされ、岩に頭を打ち付けて脳漿(のうしよう)を飛び散らせた。
 右に向き直った物欲将軍は、着地して土煙の中を駆け寄る三人の騎士をなぎ払った。
 騎士オストーサは頭を吹き飛ばされた。
 騎士タイタルスは胴体を直撃されて吹き飛ばされた。
 騎士バンツレンは再度跳躍して攻撃をかわした。
 巨躯がぶわりと宙に舞う。

 バンツレン・ダイエは身長が高い。
 二十人の勇士の中ではガッサラに次ぐ背の高さだ。
 ガッサラに比べればほっそりしてみえるが、猛獣のような筋肉を持っていて、二の腕は女の腰ほどの太さがある。
 浅黒い肌は精悍そのもので、銀髪を頭の後ろでくくって背になびかせている。
 大柄で筋肉質だが、鈍重ではない。
 鈍重ではないどころか、獲物を見つけて駆け寄るさまは、あたかも青豹の魔獣のごとく素早く、しなやかで、恐ろしい。
 得物は魔槍である。
 長さは長大で、太さは常人には握り込めないほど太い。
 疑いもなく、二十人の勇士の中で最も間合いの長い武器だ。
 肩と胸と腹には金属の鎧を着けているが、ほかの部分は動きをよくするためか薄い革鎧を着けているのみである。
 反応も素晴らしい。
 今も、物欲将軍の攻撃をかわして跳躍し、その着地地点めがけて繰り出された攻撃を再度かわして跳躍したのだから、その反射神経は野獣に近い。
 連続した跳躍は、わずかに物欲将軍の隙をついた。
 走り寄り飛び上がった勢いのまま、騎士バンツレンは物欲将軍の胸元に魔槍を突き込んだ。
 大木に巨大な斧を打ち込むような音がして、バンツレンの魔槍が物欲将軍の胸の中央に突き立った。

 やった。
 戦いの序盤で物欲将軍にダメージを与えたことは大きい。
 この一撃は勝敗を左右するものになるかもしれない、とバルドは思った。

 物欲将軍は、後ろには下がらなかった。
 それどころか、足を踏みしめ前に突進した。
 物欲将軍と騎士バンツレンの距離がせばまる。
 物欲将軍は左こぶしを握りしめ、騎士バンツレンの腹を打った。
 鎧の砕ける音がして、騎士バンツレンは、右側の騎士たちのほうに飛んでいった。
 魔槍を物欲将軍の胸に残したまま。
 前列の騎士たちはこれをかわしたが、態勢が崩れた。
 騎士バンツレンは地を削りながら転がった。
 騎士バンツレンはまったく防御態勢をとっていなかった。
 文字通り決死の攻撃だったのである。
 相当大きな痛手を受けただろう。
 もしかしたら死んだかもしれない。

 その隙にキリーが物欲将軍の右足首に魔剣で斬りつけた。
 その一撃は魔獣の革靴を斬り裂き足首に食い込んだ。
 物欲将軍がキリーに斬りつけた。
 キリーは背中を斬り裂かれたが、素早い反応で致命傷はまぬがれた。

 左側の騎士たちが態勢を立て直して斬り掛かろうとしていた。
 物欲将軍はそこに光弾を撃ち込んだ。
 騎士ケインはこれをかわしたが、態勢を崩した。
 その後ろを走っていた騎士ヤンセンは下半身を直撃され、左足を砕かれて転倒した。
 残った騎士ゼナス、騎士ナリタスカ、騎士シンド、騎士ミジン、そしてジョグが斬り込んだ。
 物欲将軍の剣が騎士ゼナスの剣をはじき飛ばして右首もとに打ち込まれ、ゼナスはたたき付けられるように地に沈んだ。
 騎士ゼナスの体につまづいて騎士ナリタスカが転倒した。
 ジョグの大剣が物欲将軍の右脇腹にたたき込まれた。
 騎士ミジンの長剣が物欲将軍の左太ももに食い込んだ。
 物欲将軍の右手の剣が騎士シンドを、左手の剣が起き上がった騎士ケインを直撃して、二人の血肉を飛び散らせた。

 物欲将軍は両手の剣で光の津波を起こした。
 その一つは、駆け戻って来ていたカーズを、もう一つは物欲将軍に肉薄していたアーフラバーンを吹き飛ばした。
 この間に、ジョグと騎士ミジンが一撃ずつを物欲将軍に入れた。
 さすがにジョグの大剣の攻撃は怪物の体を揺らしたが、物欲将軍はこれを無視してガッサラに剣を浴びせた。
 ガッサラはこれを防御したものの、剣は砕かれてしまった。 
 ガッサラの横から騎士キビツが剣を突き込むが、これは脇腹をかすめるにとどまった。
 その後ろには騎士ヴフーリンとバルドが斬り込む隙をうかがっている。

 物欲将軍は左側に向き、騎士ミジンとジョグを一度になぎ払った。
 その隙に騎士シンドが左脇腹に一撃を浴びせた。
 騎士シンドは死んでいたかと思っていたが、血まみれで起き上がり、怪物に攻撃を加えたのだ。
 だがそのあと騎士シンドは倒れ伏し、二度と起き上がらなかった。
 キリーが地をはうような位置から物欲将軍の右足首に斬り付けた。
 物欲将軍は胸に刺さったままだった魔槍を左手で抜いて、騎士カペーをはじき飛ばした。
 そして魔槍をくるりと回してキリーを刺し貫き、その体を大地に縫い止めた。

 そのとき軸足となった左足に、騎士ヴフーリンと騎士キビツが剣を突き込んだ。
 物欲将軍は後ろを見もせず右手の剣を背後に振った。
 その剣は騎士ヴフーリンを吹き飛ばした。
 至近距離だったにもかかわらず、騎士キビツは見事に飛んで来る騎士ヴフーリンの体をかわし、巻き添えをまぬがれた。

 バルドはスタボロスの名を呼びつつ古代剣を振った。
 それは向こうを向いたままの物欲将軍の右手首に命中した。
 ばりばりと雷電が飛び散り、物欲将軍は右手の剣を取り落とした。

 ジョグが奇声を上げながら大剣を打ち付けた。
 両足を痛めているためか、さしもの物欲将軍の足も動きがにぶい。
 ジョグの剣は怪物の胸元に爆発するような音を立ててぶち当てられた。
 物欲将軍は左手の剣を大きく振って、近寄った騎士たちを牽制(けんせい)した。
 そしてジョグのベルト辺りを右手でつかんで頭上に差し上げた。
 地にたたき付けて殺すつもりなのだ。

 バルドはもう一度古代剣を振って怪物の右腰を打ち据えた。
 それとほとんど同時に怪物の右足首に、ガッサラの蹴り技が炸裂(さくれつ)した。
 騎士カペーが、怪物の左足首を重量のある剣で払った。
 さしもの怪物もこの三つの攻撃を同時に受けてはたまらず、転倒した。
 転倒しながらジョグを投げたが、地にたたき付けるはずが遠くに投げ飛ばすことになった。

 倒れた怪物に騎士たちが殺到する。
 怪物は倒れたままぶうんと左手の剣を振り回した。
 騎士たちが態勢を崩すなか、カーズが飛び込んで怪物が剣を握るその指を何本か切り落とした。
 怪物は左手の剣を取り落とした。
 そしてこれでもう物欲将軍の左手は剣を握れない。
 先ほど古代剣に打たれて右手の剣も取り落としていたから、今や物欲将軍は丸腰である。
 怪物は右のこぶしでカーズを打ち据え、さらに剣を振り上げていたアーフラバーンを右足で蹴り飛ばした。

 怪物の頭のほうに、ガッサラが回り込んだ。
 そして怪物の顔の中心に右こぶしをたたき込もうとした。
 だがそれよりわずかに早く、怪物の右手がガッサラの顔をがしっとつかんだ。
 手の長さが違うため、ガッサラのこぶしは怪物に届かない。
 それでもガッサラは、右足のつま先を怪物の顔面に次々に蹴り込んだ。
 鋼の打ち金を仕込んだつま先でである。
 怪物はかまわずガッサラの顔をつかむ手に力を込める。
 騎士ウォルバードとバルドは倒れた怪物に剣をたたき付けた。
 怪物が両方の足を振り回し、バルドははね飛ばされ、騎士ウォルバードは頭を蹴られて昏倒した。

 バルドが起き上がると、カーズが駆け戻って来たところだった。
 アーフラバーンも起き上がって怪物に迫っている。
 騎士カペーが、怪物がガッサラの首をつかんでいるその右手に切り付けるが、怪物はまったく手をゆるめない。
 骨が割れ肉が砕ける音がしてガッサラの頭がつぶれた。
 血と脳漿を浴びつつ、怪物は体をひねって起きた。
 巻き込まれそうになった騎士カペーがうまく体をひねってかわす。
 その右手にはいつの間にか巨大剣が握られている。
 起き上がりざまに剣を振り、光弾を飛ばした。
 カーズもアーフラバーンもこの光弾をかわした。
 が、カーズもアーフラバーンも態勢を崩した。
 怪物はカーズに光弾を撃ち込んだ。
 カーズは直撃は免れたものの、相当の痛手を受けた。

 駆け寄るアーフラバーンに向けて怪物は巨大剣を振った。
 アーフラバーンはこれをかわして、なおも怪物に接近した。
 怪物は左から右にないだ剣を、そのまま右から左に呼び戻した。
 アーフラバーンは態勢を低くしてかわそうとした。
 そのとき怪物の背中を魔槍が突いた。
 転倒していた騎士ナリタスカがキリーを刺し貫いていた槍を抜いて突き掛かったのだ。
 また、ほとんど同時に騎士キビツが怪物の左足首のすぐ上に斬り付けた。
 そのため怪物の手元が狂い、アーフラバーンは死なずにすんだが、吹き飛ばされて地にたたき付けられた。
 怪物は後ろ向きのまま右足で騎士ナリタスカを蹴り飛ばした。

 カーズが起き上がって突進の態勢を取りかけた。
 怪物は足元の岩を剣で打って砕き飛ばした。
 礫弾をしたたかに浴びたカーズは後ろに吹き飛ばされ、血を流しながら倒れた。




 3

 怪物は満身創痍である。
 両の足はずたずたで、素早い足運びも踏みしめる動作もできない。
 背中と腹も傷だらけで、どす黒い血が流れ出て下半身を浸している。
 左耳と左頬はガッサラに蹴りつぶされてぐしゃぐしゃだ。
 おそらく左目は見えていない。
 左手は何本も指を落とされ、もう剣は握れない。
 右手首は傷ついており、腰もかなり傷を負っている。

 もう少し。
 もう少しで倒せるのだ。
 だが今や突撃隊で動けるのは、バルド、騎士カペー、騎士キビツの三人だけだ。
 この戦力で倒せるか、といえば、まず無理だ。
 それでも必死に戦えば、万一の可能性をつかめるかもしれない。

 しかし、最後に残ったのが騎士カペーと騎士キビツだったとは。
 意外といえば意外だったが、二人の動きを見ていれば、ここまで無事だったのは偶然ではないと分かる。

 騎士キビツは二十人の中で最も小柄だ。
 群を抜いて小柄である。
 得物も細剣で、それも小さく細い剣である。
 ただし、魔剣だ。
 この男は、とにかく見事に攻撃をかわす。
 ここまで物欲将軍の攻撃を見切り続けてきたのだ。
 しかも味方にもまったく動きを妨げられていない。
 その身のこなしは、ジュルチャガを思わせる。
 要するに、攻撃能力を備えたジュルチャガだと思えばよい。
 その一撃一撃は軽い。
 しかし地味な攻撃を続け、少しずつ少しずつ物欲将軍の体力を削ってきた。

 一方騎士カペーはこれといった特徴のない男だ。
 戦闘の最中でも眠ったような目をしている。
 だがこの男は、タイミングをみはかる能力が並外れて優れている。
 退き、進み、攻撃を加えるその呼吸は、実によく計算されている。
 別の言い方をすれば、無駄な動きというものをしない男である。
 頼もしい男だ。

 バルドは一歩前に進んだ。
 騎士カペーと騎士キビツは、すっと両側に移動し、三方から怪物を囲む配置をとった。
 さすがの勇士たちである。
 よい反応だ。
 時間をおけば、怪物は異常な快復力を発揮して力を取り戻すだろう。
 いずれにしても、今だ。
 今この時にしか、勝機はない。

 接近して古代剣を打ち込めば、倒せるかもしれない。
 だが。
 依然怪物は右手に剣を握っている。
 剣を握ってじっとバルドを見ている。
 わずかでもバルドが間合いに踏み込めば、怪物は剣を振ってくる。
 その剣はバルドにはかわせず、確実にバルドの命を奪う一撃となる。
 殺されるのは構わない。
 だがどうにかして古代剣をこの怪物に打ち込みたい。
 どうすれば、それはできるのか。

 そのとき。
 何かが聞こえた。
 怪物から目をそらすわけにはいかないから見ることはできないが、たぶん崖の上で誰かが何かを叫んでいる。
 降りてくる。
 誰かが崖を降りてくる。
 この〈ドレンシータの崖〉を馬で駆け下りられるほどの騎士なのだ。
 その騎士は、崖を降りきり。
 馬足をゆるめ。
 馬から下りて、バルドのすぐ後ろまで歩いてきた。
 待て。
 この足音は。
 まさか。
 この気配は。
 この気配は。

伯父御(おじご)
 遅くなり、申し訳ござらんっ。
 こやつが物欲将軍ですか。
 ずいぶん人間離れしたやつですなあ。
 が、伯父御の武勇伝がまた一つ増えると思えば、それも愉快。
 わっはっはっはっはっはっ」

 ゴドン・ザルコスだ。
 はるばるメイジア領から、ゴドン・ザルコスが駆けつけてくれたのだ。
 どうしてこの場に現れることができたのか。
 決まっている。
 むろんジュルチャガが手引きしたのだ。
 横に並んだゴドンは、バトルハンマーではなく、両手持ちの大盾を持っている。
 いつかザルコス家の武器庫で見たことのある盾だ。

「ややっ。
 そこに寝ておるのはカーズ・ローエンかっ。
 この慮外者(りよがいもの)
 伯父御に働かせて自分は休むとは何事(なにごと)っ。
 さっさと起きんか!」

 ゴドン・ザルコスの声は明るい。
 さんさんと降り注ぐ日の光のように、まぶしく暖かだ。
 その陽の気がカーズの体にも入り込んだのか。
 カーズ・ローエンは、むくりと体を起こした。
 よろけながらも立ち上がった。
 顔も体も傷だらけだ。
 だが目は力を失っていない。
 爛々(らんらん)と金色の光を放っている。

 勝てる。
 今までバルドの胸を浸していた悲壮感は消え去り、勝利の確信がみなぎった。
 ざりっ、ざりっ。
 ゴドンがバルドの前に出た。
 大盾を持ってきたのだから、その意図は明らかだ。
 攻撃は自分が防ぐと、この男はいいたいのだ。
 ならば任せよう。
 物欲将軍の攻撃が盾で防げるわけはない。
 だがゴドンなら受け止められる。
 そう信じて、この盾に命を預け、ただ反撃の用意だけをするのだ。
 心を決めて、バルドは一歩前に出た。

 騎士カペーが突進した。
 少し遅れて騎士キビツも突進した。
 バルドのほうを向いていた物欲将軍は、少し右に体をひねり、騎士カペーに一撃を浴びせた。
 騎士カペーが頭をたたき割られているあいだに、バルドとゴドンは距離を詰めた。
 怪物が剣を大きく右上に振りかぶった。
 ゴドンは足を止め、防御態勢を取った。
 バルドはその盾の後ろで身を縮めた。

 怪物の巨大剣が振り下ろされた。
 魂がつぶれるようなすさまじい激突音が響いた。
 ゴドン・ザルコスとその盾は、見事に怪物の強打を防いだ。
 激突は、怪物の両足首に激しい衝撃を与えた。
 しかもその左足首を、後ろから騎士キビツが打ち据えている。
 足と腰をぐらぐらと揺らし、怪物は態勢を崩した。

 今じゃ!

 盾の陰から飛び出たバルドは、両手で古代剣を持つと、今は亡き愛馬の名を呼びつつ、渾身の力を込めてその平らな剣先を怪物に突き込んだ。
 いや、平らではない。
 平らな剣のその先には、青緑の燐光が凝縮された剣尖が伸びている。
 その鋭くとがった剣先が怪物の胸に迫る。
 光り輝く剣先は、騎士バンツレンがつけた切れ目を食い破って、物欲将軍の体に深々と刺し込まれた。
 だがそれでも怪物は、残された右目を大きく見開きながら、剣を持った右手を振り上げた。
 バルドは古代剣の構えを崩さず、怪物の目をにらみ返した。
 巨大剣が今にも振り下ろされようとしたとき。
 赤い光が虚空を斬り裂き、怪物の右手は剣を持ったまま手首の上で斬り飛ばされた。
 カーズ・ローエンが跳躍して魔剣〈ヴァン・フルール〉を振るったのである。

 ゆっくりと。
 怪物は倒れた。





 4

 怪物は、もう死ぬ。
 何百年も生きたというこの化け物は、今こそその命を終えるのだ。
 怪物の目には、もう狂気の光はない。

 だが、自分たちも死ぬ。
 決闘に勝負がついた今、シンカイの将兵が襲い掛かってくる。
 谷底の隘路(あいろ)であるから、一度に大勢では来られない。
 がしかし、この急峻を駆け上がって逃げることは不可能であるから、結局は人数に押しつぶされて死ぬしかない。
 それはもとより覚悟のうえでこの場に臨んだ。

 だが不思議なことに、バルドたちへの総攻撃は始まらない。
 取り巻く将兵たちは不気味な沈黙を守っている。
 と、シンカイ軍の中から数人の騎士が馬に乗ってやってきた。
 馬を下りて物欲将軍の近くに寄り、右膝を突いて敬意を表した。
 この騎士たちはあるじの死を看取りに来たのだ。
 死にゆく物欲将軍にバルドは訊きたいことがあったので、頭の近くに歩き寄って話し掛けた。

 ルグルゴア殿。
 一つ訊きたいことがある。
 十数年前、何があったのじゃ。
 そのころから、おぬしはシンカイが世界を平らげるための準備を始めた。
 それまで何百年ものあいだ他国の領土になど目もくれなかったのにじゃ。
 それが突然、大陸を征服するなどと言い出した。
 あと、もう一つ。
 あれほど欲しがっていた魔剣〈ヴァン・フルール〉に興味をなくしたのはなぜじゃ。
 お前を手先として使っておるという悪霊の王からの指示が変わったのか。
 教えてくれ。
 ルグルゴア将軍の返事はひどくかすれた声だった。
 空気の漏れるような音を伴った弱々しい声だ。

「ぐ、ぐ。
 ヴァン・フルールを欲しがったのはわしだ。
 悪霊の王とはうまいことを言うな。
 やつはとうの昔にヴァン・フルールは試していたのだ。
 だが失敗した。
 使い手の魂をよごしてしまえば神獣の剣もよごれるということが、そのときは分かっていなかったのだな。
 だからザルバンに侵攻したのはわしの都合だ。
 ヴァン・フルールが欲しかったのだ。
 もっと大きな力と寿命を得るために。
 よごれてはいても神獣の力は絶大だ。
 それを食えば、わしはさらなる命と力を得ることができる。
 得た剣がにせ物だと気付いてからは、本物を探し、そして見つけた。
 だが、気が変わった」

 そのまま沈黙が続いたので、バルドはもう一度訊いた。

  なぜ気が変わった。
  何が起きたのじゃ。

「ぐ、ぐ。
 ぐ、ぐ、ぐ、ぐ。
 教えてやろう。
 味さ。
 味がしなくなったのだ」

 味じゃと?と、バルドは言った。

「そうだ。
 何を食べても味がしなくなった。
 だから思ったのだ。
 せめて世界でも手に入れなければ、ひきあわない、とな」

 味覚がなくなった。
 その代わり世界を征服しようと思った。
 なんという馬鹿げた理屈か。
 この男は狂っている。
 だが、もしかしたら。
 もしかしたら、こやつとわしとは存外気の合う人間同士であったかもしれん。
 そうバルドは思った。

「ぐ、ぐ。
 どうした。
 あきれて物も言えないか」

 いや。
 とバルドは言った。
 味を失うのはわしも嫌じゃのう、とても耐えられんわい、と。

「なに?
 ぐぐぐ、ぐぐぐぐ。
 そんなことを言うやつがわしのほかにもおるとはな。
 では、バルド・ローエン。
 お前なら、味をなくしたらどうした?」

 バルドはしばらく考えて答えた。
 そうじゃのう。
 誰かに代わりに食べてもらって、その喜ぶ様子を眺めるとするかのう、と。
 物欲将軍は、しばらくきょとんとして、それから笑い声を上げた。

「ぐわ、ぐわ、ぐわ。
 かっかっか、かっか。
 その手があったか。
 気付かなんだわ」

 怪物将軍は目を閉じ、ひどく安らいだ顔つきになった。

「なるほどなあ。
 わしもこの次は、それでいくことにするよ。
 だが、その前に」

 そして急に目を見開き、

「死ね!」

 と叫んでもはや手首から先のない鉄の右腕をバルドにたたき付けようとした。
 が、カーズ・ローエンが、その右腕を肩のすぐ下で斬り飛ばした。
 その断面を見ると、中は空っぽだった。
 空っぽの手がなぜ動いたのか。
 なぜ剣を持ち、振ることができたのか。
 神霊獣を食べて得た力なのか。
 アーフラバーンが怪物の顔のまん中に魔剣ネリベルを突き込んだ。
 怪物は激しくけいれんし、やがて動かなくなった。





 5

 再び沈黙が訪れた。
 バルドは死せる怪物を眺めた。
 体中の傷は、じゅくじゅくといやらしく泡立っている。
 傷口から流れ出る体液はどす黒い。
 なんというひどい匂いか。
 これはもう、人間の死にざまとはいえない。
 あり得ないほどにおぞましく醜い死にざまだ。

 何体もの神霊獣を取り込んだことで、この男は巨大化し、頑健となり、何百年という寿命を得た。
 神霊獣の力を解き放つことで、人にはあり得ない攻撃の技も身につけた。
 それは人間なら、騎士なら、誰もがうらやむ恩寵だ。
 だがその恩寵はこの男から幸せな死を奪った。

 まともな人間なら死んでしまうような傷も、神霊獣の力は癒した。
 はらわたを斬り裂かれ、臓の腑が腐ってゆき、体中の血が濁りきっても、この男は死ねなかった。
 その痛みと苦しみは想像を絶する。
 自然のままに死のうとする肉体と、生かそうとする恩寵の力がこの男の中でせめぎあった。
 それはもう祝福というより呪いに近い。

 シンカイの騎士十数人が物欲将軍の遺体を取り囲んでいる。
 彼らは両手を胸の前で組み合わせ、両膝を地に突き、頭を垂れて遺体を拝んでいる。
 見たことのない拝礼の姿勢だが、これがシンカイの作法なのだろう。
 みればブンタイ将軍の姿もある。
 かつて捕らえて解放した将軍たちの姿がある。
 つまりここにいるのはシンカイの将たちであり、物欲将軍の弟子たちなのだろう。
 すでに彼らには少しの殺気も残っていない。

 シンカイの将兵は、物欲将軍の亡きがらを運んで去って行った。
 オーバスの砦とは反対の方角に。
 ブンタイ将軍が目であいさつしてきたので、バルドも目で別れのあいさつをした。

 彼らにとって物欲将軍とは何だったのだろう。
 バルドは狂ってしまった物欲将軍しか知らない。
 だがシンカイ国の人々にとっては、何百年ものあいだ生き続け、国を守り支え発展させた人物であり、どんな武人も及ばない武威を備えた英傑だったのだ。
 狂ったとき止める人物を持たなかったことが、物欲将軍にとって本当の悲劇だったのかもしれない。

 シンカイの将たちは、なぜ物欲将軍がバルドたちに殺されるのを、黙って見守ったのだろうか。
 その気持ちは今のバルドには分かる気がした。
 物欲将軍は、死に所を探していたのだ。
 この二十二人の勇士が相手なら、物欲将軍にふさわしい最後の戦いができる。
 その最後の戦いを、シンカイの将たちはけがしたくなかったのだ。

 だが、物欲将軍が死んだあと、彼らが引き返したのは意外だった。
 きっと(かたき)を取るため、バルドたちを皆殺しにすると思ったのに。
 もしかすると、物欲将軍に栄光ある死を与えたことへの返礼だったのだろうか。
 分からない。

 分からないといえば、シンカイ軍がこれからどうするか、分からない。
 もともと無理な戦線の広げ方だったから、縮小するのだろうか。
 態勢を調えなおし、今度こそ物欲将軍の遺志に従い、世界を平らげる戦を始めるのだろうか。
 それとも無謀な戦はやめて、もとのように閉じこもるのだろうか。
 分からない。

 ただしシンカイの将と兵については、こういうこともいえる。
 たしかに今回の遠征は無理な進め方だった。
 あまりに急であったし、あまりに多くの敵と戦いすぎた。
 どのみち、あのやり方では長期間にわたりゴリオラ皇国を支配することはできなかったろう。
 では、シンカイの将と兵が何も得なかったかといえば、そうではない。
 彼らは二度にわたる戦役で、パルザムとゴリオラという二大国と戦った。
 二大国のつわものたちと戦った。
 その経験は大きい。
 訓練では得られない経験を積んだ。
 二大国の軍の進め方や内情にもふれ、二国の力量を見定めた。
 中原諸国のほうはシンカイ国の内情をまったく知らないままであるというのに。
 そして実のところ、シンカイの将兵の消耗はそれほどではない。
 物欲将軍は、長年かけて鍛え上げたシンカイの精鋭に仕上げとなるべき卒業訓練を行ったのだともいえる。
 今後シンカイが態勢を整え直し、三たび諸国侵略の手を伸ばすとしたら、それは考えるのも恐ろしい軍団である。

 ジュルチャガが崖から降りてきて、味方の様子を調べ、手当を始めていた。
 オストーサ、カペー、ヴフーリン、タイタルス、ガッサラ、ゼナス、シンド、ケイン、ダモンの九人は死んでいた。
 バンツレン、ヤンセン、ミジン、ナリタスカ、ジョグの五人は、けがをしているが生きていた。
 ただしヤンセンは片足を失う大けがで、早く適切な手当をしなければ命に関わる。
 エッケルは、最初に岩を頭に受けて失神していたが、命に別状はなかった。
 ウォルバードも頭を蹴られたが、失神しているだけで大きなけがはなかった。
 立っているのは、アーフラバーン、バルド、カーズ、ゴドン、キビツの五人であるが、カーズはかなりの痛手を受けている。
 もっとも、この男の回復力は並外れているので、バルドは心配はしていなかった。

 キリーは重態で助けようがなかった。
 バルドが近づくと口を開いた。
 耳を寄せると、人には聞こえないような小さな声でささやいた。

「コヴリエン子爵に。
 ドリアテッサ様に。
 お、お幸せにと、お伝えくだされ」

 そして、目を閉じ、満足そうな笑い顔を浮かべて死んだ。




(第6章「フューザリオン」完)





 
2014年1月1日「新たなる旅」(第7章「迷宮への挑戦」第1話)に続く//老騎士書籍化御礼特別短編「恋心」(ドリアテッサ視点による外伝)を12月1日に公開いたします。独立した短編ですので、老騎士をお気に入りに入れてくださっていても、更新告知はありません。
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