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辺境の老騎士 作者:支援BIS

第5章 諸国戦争

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第10話 ヒルプリマルチェ(前編)

前話「山岳戦(後編)」第8節に若干の加筆があります。



 1

 三十日間でカッセの近くまで軍を進め、南東のゴルト平原に陣を敷いた。
 シンカイ軍は道中さんざんに削られている。
 途中の諸侯に対し、敵が王都に攻めて来るときは足止めだけでよいが、カッセに逃げ帰るときには削れ、と王命が出ていたからである。
 シンカイ軍は、二つの城と四つの(とりで)に兵を込めていたが、いずれもほとんど歩兵であった。
 これを見捨てずに連れて帰ろうとしたのは立派であるが、そのため退却行は厳しいものになった。
 兵糧の多くを捨てて逃げなければならなかったから、なおさらである。
 小刻みに戦闘を繰り返しながらも、こちらと同じ三十日でカッセにたどりついたのには感心させられた。

 連合軍の布陣は、やはりパルザム王軍を主体としたものである。
 騎馬隊四百、槍隊四百、装甲歩兵隊四百、弓隊四百の編成は変わらない。
 死傷した将兵は予備の者と入れ替えたからである。
 ゴリオラ軍は、負傷者を王都に残してきたことから、騎士と従騎士合わせて百二十、従卒百と少し減っている。
 諸侯の軍は騎士と従騎士を合わせて三百八十と大幅に増加している。
 その二倍程度の従卒が随伴している。
 これは北部や西部の諸侯が新たに参加したためである。
 ここはさじ加減の難しいところである。
 新たな領土を切り取れる戦ではないから、参集した諸侯への褒賞は王家の自腹に近い。
 だから勝ちを見込めるほどの人数が集まってほしい半面、あまりたくさんの騎士が集まりすぎるのも困るのである。
 今回集まった人数は、ほぼ重臣たちのもくろみ通りか、それよりやや多い程度であるらしい。
 勢いのあるとき、人は集まりやすいものなのである。

 物見から、物欲将軍がカッセの街を出たと報告があった。
 カッセを攻めるのはいくつかの理由で避けたかったので、バルドはこの報告に安堵の息をはいた。
 続いて、敵の兵力が騎馬八百と歩兵千という報告が来た。
 思ったより多い。
 これは厄介かもしれない。
 その戦力で攻められたら、物欲将軍を狩るための仕掛けがうまく維持できない可能性がある。

「腹が減った。
 何かないか」

 ジョグの言葉に、コリン・クルザーが慌てて食べ物を探すが、見つからないようだ。
 それはそうだろう。
 さっき最後の堅焼きパンをジョグに渡したところなのだから。
 ジュルチャガが何かをジョグに渡した。

「おっ。
 牛肉の燻製か。
 こりゃ、いい。
 ジュルチャガ。
 お前、気が利くな。
 俺の所に来ないか」

 ジョグ・ウォードは食べ物をくれる相手の名前は覚えるのだ。
 そういえば、あの件はどうなったのだろう。
 ジョグは、カムラーが勤め先を探していることを知ると、うちに来いと熱烈な勧誘を始めたのだ。
 俺の給料の半分をやるから、と。
 ジョグの給料がいくらだか知らないが、ガイネリア国第五騎士団団長にして、第五から第八騎士団までの指揮権を持つ筆頭将軍だ。
 相当のものだろう。
 バルドはジョグに、カムラーは承諾したのか、と訊いた。
 とたんにジョグは不機嫌を絵に描いたような顔になった。

「ふられたよ。
 じじい。
 あんたはいっつもそうだ。
 俺のほれたやつは、いっつもあんたがかっさらっていく。
 俺が本気になった女は、みんなあんたに取られちまった。
 ふざけるんじゃねえ」

 バルドはジョグに、何を人聞きの悪いことを言う、お前はいつも女には好かれたし気に入った女は強引にものにしていたではないか、と言った。

「ああ。
 それなりの相手には不自由したこたあねえ。
 けど、いざっていうときは別だ。
 これはと思った女を口説くと、どいつもこいつも言うこたあ同じだ。
 バルド様のほうがいい、だとよ。
 こんちくしょうめ。
 この寝取りじじいが。
 いつか覚えてやがれ」

 それは寝取りとはいわんじゃろう。
 そもそもお前とわしでは世代が違うから、女を取り合うなどできはせん。
 だいいち、暮らしておる場所も違ったではないか。
 そうバルドは言い返した。

「自分で気が付いてねえだけ罪が(ふけ)えなあ。
 可哀相(かええそう)によう。
 どんだけの女を泣かしてきたのか、分かってねえのか」

 気が付けば、周り中が聞き耳を立てている。
 いかん。

「その話、詳しく」

 こら、ジュルチャガ!
 要らんことを言うな。

 と言おうと思ったそのとき。
 カーズの異変に気付いた。




 2

 カーズは愛馬サトラの上で、苦しげに背を曲げている。
 食いしばった歯のあいだから、ふっ、ふっ、と鋭い息をはいている。
 眉間と鼻筋にはしわが寄り、目は大きく見開かれ、その瞳は金色の光を発している。
 手綱を握る手と肩は激しく震え、必死に悪寒に耐えているかのような姿だ。
 いつも憎らしいほど落ち着いているカーズのこの異様な様子に、くつわを並べているシャンティリオン、ジョグ、キリー、アーフラバーンも驚いている。

 彼らは知らない。
 物欲将軍がカーズにとって何であるかを。
 どれほど憎い怨敵であるかを。
 その憎むべき敵が近づく気配に、カーズは興奮を抑えきれないのだ。
 うつむきながらもその目は前方に向けられている。
 近づきつつある、その敵に。

 来る。
 近づいて来る。
 あれは、何か。
 あの巨大な生き物は、何か。

 何度も話には聞いていた。
 カーズやシャンティリオンが嘘を語っているなどと思ったことはない。
 だが。
 だが心のどこかに。
 そんな化け物がいるわけはないという気持ちがあった。

 ゆえに今、バルドはおののいている。
 目にしているものの信じがたさに。
 肌に感じるその存在感の巨大さに。
 いつしかバルドも身を震わせ、荒い息をはいていた。

 シンカイの黒い騎馬軍団八百騎が大きく横に広がって近づいて来る。
 その中央に、遠近が狂ったかと思わせるような存在がいる。
 人の二倍の身長を持つ怪物が。
 何か見知らぬ獣に乗っている。
 その獣も巨大だ。
 毛のない大赤熊に鎧を着け、首を太い馬のそれにすげ替えて、鼻先に太い角を付けたような生き物である。
 物欲将軍は、連合軍と五百歩ほど離れた位置でシンカイ軍を止めた。
 獣から降り、一人でこちらに歩いてくる。

 バルドは、まのあたりにした物欲将軍の威容におののきながらも、心の中で、よし!と叫んだ。
 問題はいかに物欲将軍一人を引っ張り出すかだった。
 この態勢でこちらの指揮官級の騎士たちが前方に突出していれば、物欲将軍は一人で来るのではないかと考えた。
 それは半ばはブンタイ将軍から聞き出した物欲将軍の気質による。
 半ばはバルドの直感のようなものである。
 それに、カーズとバルドは、たぶん餌になる。

 物欲将軍は、二百歩ほど離れた所で止まった。
 バルドは、自軍を五百歩下げさせた。
 今前線に残っているのは、バルド、カーズ、シャンティリオン、ジョグ、キリー、アーフラバーンの六人である。
 六人の右と左には、それぞれ十台ずつ、倒した荷馬車が防壁代わりに並べてある。
 こちらの将兵が後ろに下がると、物欲将軍は再び前進してきた。

 よし!
 よし!
 よし!

 作戦は成功しつつある。
 バルドは心で快哉(かいさい)を叫んだ。
 物欲将軍は、バルドたちから五十歩ほどの位置で止まった。
 見れば見るほど、近づけば近づくほど、物欲将軍の異常さが分かる。
 これは地上にいてよい存在ではない。
 体中から強い精気があふれ、バルドたちのほうに吹き寄せてくる。
 全身を覆う革鎧は、魔獣の皮を貼り合わせたものではなかろうか。
 胸や肩には頑丈そうな金属板が埋め込まれている。
 手の指先までが手甲に覆われているが、首から上には何も着けていない。
 肌の色は白い。
 白輝石のように白い。
 そして切り傷だらけだ。
 目は赤い。
 まるで魔獣のように。
 毛髪も口ひげもあごひげも真っ白だ。
 爆発したかのように四方八方に突き出している。

「やはり生きていたのか、小僧。
 あの傷でよく助かったな。
 さすがは先祖返りだ」

 カーズをにらみながら、怪物がしゃべった。
 何人もの巨人が同時に声を出したような響きだ。
 五十歩もの距離を隔てて普通にしゃべっているのに、その声はしっかりと届いている。

 カーズはいつもの静かさを取り戻していた。
 返事もせずに、鋭い目で怪物をにらんでいる。
 代わりにバルドが言葉を発した。
 腹に力を込めた大声である。

 ルグルゴア将軍。
 なぜザルバンの王族を皆殺しにしたのじゃ。
 〈王の剣〉を倒した時点でお前の欲しがっていた魔剣を奪うこともできたはずじゃ。
 それさえ手に入ればよかったのじゃろう。

 怪物はバルドのほうを見て目を少し見開いた。

「ぐぐ。
 貴様がバルド・ローエンか。
 最後の神獣の剣の使い手。
 よりによって魔獣が進撃を始めた、その場所に居あわせるとはな。
 やつはずいぶん喜んでいたな。
 時間をかけて魔獣を作らせたかいがあったわけだ。
 いっそ貴様を殺しておくか。
 それもおもしろい。
 ぐ、ぐ、ぐ。
 なぜザルバンの王族を皆殺しにしたか、だと。
 その剣を奪ったら、やつらは最後の一人になってもわしを殺しに来る。
 根絶やしにするのでなければ、その剣は奪えない。
 それが分かっていたから、あそこにそれがあると知りながら、何百年も奪いに行く覚悟が決まらなかったのよ。
 ぐ、ぐ」

 お前のような者でも、一つの国の王族を皆殺しにするのはさすがに気がとがめるのか、とバルドは冷やかした。
 それに対する怪物の答えは、思いもよらないものだった。

「そりゃあ、そうさ。
 さすがに同族殺しは気がとがめる。
 やってみたらなんてこともなかったがな。
 ぐ、ぐ、ぐ、ぐ、ぐ」

 この怪物は自分もザルバンの王族だったと言っているのだ。
 バルドも驚いたが、カーズもわずかに目を開いている。

「その剣は、〈地を這うもの〉という名が付けられているが、実際には〈地を這うもの〉と戦ってそれを食った狼人王自身が宿っている。
 それが失われたら国は滅びるし、それさえ残っていれば滅びてもよみがえると、わしたちは教わってきた。
 実際にはそうではなかったがな。
 ぐぐ、ぐぐ、ぐ。
 いや、まだ分からんな。
 わしの作る国を滅ぼされてはたまらんからな。
 小僧は殺しておこう。
 ついでにその剣も食わせてもらおうか。
 今となってはもうどうでもいいのだがな。
 ぐぐぐ、ぐぐ、ぐぐ。
 そういえば、あのときの偽物はよく出来ていたな。
 わしがいなくなってから作ったのだな。
 まさかわしが奪いに来ると分かっていたのか。
 ぐぐ、ぐぐぐぐ」





 3

 話は終わったとばかり、物欲将軍は剣を抜いてバルドたちに向かって歩き始めた。
 その刃渡りはバルドの身長ほどもあるとバリ・トードは言っていた。
 何を馬鹿なと思ったが、その言葉は間違いではなかった。
 バルドの頭の中には、今の話を聞いていて生じたいくつもの疑問が渦巻いていた。
 だが、好機だ。
 あと二十歩近づいてくれれば、攻撃地点となる。
 物欲将軍の歩幅でいえば十歩である。

「ぐぐ、ぐぐ。
 ずいぶん大勢の兵を荷車に伏せているな。
 弓か?
 やってみるがいい」

 気付かれている。
 もちろん気付かれるだろうと思っていた。
 物欲将軍は異常に勘の鋭い男で、人の気配を見逃すことはない。
 兵が伏せてあることは承知の上で、怪物はなおも進む。
 殺しがいのある六人の餌に向かって。

 ここだ!

 その距離に達したとき、何の前触れもなく荷車から矢が飛び出した。
 百本の矢が。
 さしもの怪物も反応が遅れた。
 弓を引く気配も、射撃の命令もなかったからである。

 弓を引く必要などないのだ。
 隠した兵は改良クロスボウを持っており、初めから(つる)は引いてあったのだ。
 荷車の底の板は至るところで穴が開けられ、のぞき込んで矢を射ることができるようになっている。
 そして馬車の底にはララスの布が張ってある。
 近くからなら布の向こうが透けて見えるし、クロスボウの矢は抵抗もなくそれを破れる。

 百の矢が怪物に迫る。
 怪物はそれでも恐ろしい反応速度をみせて大剣を振った。
 その剣からは金色の光があふれ出て奔流となり、二十台の馬車とバルドたちをなぎ払った。
 馬車は竜巻にでもあおられたかのように吹き飛ばされた。
 バルドたちも乗った馬ごと風に吹き上げられて後ろに飛ばされた。

 だが百本の矢は風圧にも負けず、怪物を襲った。
 それは木の矢ではなく、鋼で作られた矢なのだ。
 しかも矢尻の先端部分は魔剣の素材で作られている。
 魔剣十本をつぶして得た素材で矢尻を作ったのだ。
 この矢なら物欲将軍にも通じるはずである。
 というより、これで倒せないような相手なら戦いようもない。

 バルドは風で飛ばされながらも、矢のゆくえを見守った。
 当たる、と見えた瞬間、物欲将軍が信じがたい反応をみせて後ろに下がる。
 だがさすがに逃げ切ることはできず、いくばくかの矢がその巨体を捉えた。
 風にもまれて地にたたきつけられたバルドは急いで起き上がり、くらくらと揺れる目で物欲将軍を探す。

 いた。
 およそ二十本ほどの矢を体に突き立てながら、両の足で大地を踏みしめている。
 一本の矢は右の頬骨に突き刺さっている。
 貫通していない、という事実にバルドは愕然とした。
 改良クロスボウの威力は戦慄すべきもので、重鎧を着た騎士を盾ごと貫いて一撃で絶命させる威力がある。
 それが貫通さえしていないのだから、物欲将軍の皮膚や肉や骨の硬さは魔獣以上だ。

 バルドたち六人は自分の足で走って怪物に殺到した。
 吹き飛ばされた勢いで脚を痛めた馬もいるだろうが、今はそれどころではない。
 この勝機をのがすわけにはいかないのだ。
 カーズとシャンティリオンとキリーは神速の歩法で怪物の後ろに回り込む。
 バルドとアーフラバーンとジョグは正面から怪物に迫る。
 バルドはちらと敵軍のほうを見た。
 八百の騎馬軍団は動こうとしない。
 この状況にあっても物欲将軍の勝利を微塵(みじん)も疑っていないのだ。





8月25日「ヒルプリマルチェ(後編)」(第5章最終話)に続く
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