ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  透明の向こう側 作者:
78
 中突堤からハーバーランドは歩いてもすぐである。いざ遊園地に着いても、さほど観覧車が大きくないからか、なんだかかわいいなと有薗は形容した。ゴンドラからは見事なまでに神戸港が見渡せた。クルーズ船をはじめ停泊しているもの、海上を白いしぶきを上げながら走っているものが小さなボートも合わせて何隻も見える。港町神戸という言葉がとても似つかわしいにぎやかな海の往来だ。
「いいね、非日常的で。子どものころ観覧車好きだったな」と海にひたすら見とれながら有薗が言えば「のんびりするね」と真由もそっと微笑んで応える。多くの言葉は交わさず、眼下に広がる海を眺めてゆったりと大きな回転に身を任せているだけで十分満ち足りた気持ちになる。ところがその心地よい沈黙を真由が小さく「あっ!」と声をあげて破った。「私、男の人と二人きりで観覧車なんて初めてだ」「そうなの?今までデートで遊園地行かなかった?」「間違いない」「記念すべき第一号が僕なんかで良かったのかな」「第一号であり、最終回だったりして」「そんなこともないでしょ。真由さんならきっと良い人が現れるよ」何気ない有薗の言葉が真由の胸にぐさりと刺さった。真由自身にも、その程度の会話がなぜそんなに痛くこたえたのかよくわからない。真由の戸惑いには毛頭気づかない有薗は観覧車から見えるジェットコースターを指して「次はあれ乗ろう」とにこにこと提案した。「得意じゃないんでしょ?」「いいよ、付き合うよ。頑張る」「じゃあお言葉に甘えて、頑張ってもらおうかな」久しぶりにコースターでスリルを味わう。その期待で先ほどの訳の判らぬ胸の痛みとこみあげる焦燥は払拭され、真由は嬉しそうにニッと笑ってみせた。そうしてジェットコースターに乗ってみると得意じゃないと言っていたとおり、有薗は何度か「ひっ」と小さく声をあげた。降りると真由がけらけらと笑って「ソノさん怖がってたね。引きつった声が聞こえたよ」とからかった。「なんで君はそんなに冷静に周りを見ていられるんだ」「ちょろいもんだね。こんなのお子ちゃま向けだよ。海が見えるぜって感じで景色を楽しんでた。余裕余裕」とふふんと得意げに笑いながらも「ありがとう」と真由は礼を言わずにはおれなかった。ストレスなんてないよ、とは応えたものの、有薗が真由の気分転換のために苦手な乗り物に付き合ってくれたことは痛いほどよくわかり、そしてそれが予想以上の成功を収めたことを感じて彼に感謝した。有薗もまた、真由の「ありがとう」にそれだけの気持ちがこめられているであろうことをなんとなく理解し、ほっとした笑顔を見せた。有薗が一を言わずとも十を理解してしまう人間なのだと真由はその微笑から悟り、またもこの男に対して畏れに近いものを感じてしまう。少ない言葉でも疎通できる心地よさは自分のすべてが見抜かれる恐怖へのリスクと同等でもある。真由には、それでもつい心地よさに浸ろうとしてしまう自分の弱さもまた、怖かった。真由の中で彼に対し、怖れと甘えとが相克している。
 そのままハーバーランド内のカフェで飽かず海を眺めながらのんびりとコーヒーを飲み、周辺の店を冷やかして歩き、再び中突堤へ出ると赤いポートタワーの全貌を見上げ、さらに東へ歩いて神戸の中華街、南京町へ入った。南京街の店で真由が真剣に水晶の龍の置物を見て悩んでいると有薗が「そんな物が欲しいの?」と自分も隣に並んで置物を手に取って眺めてみた。「ずっと探してるんやけどね、これっていうのに出会えなくて」「なんで龍なの?」「なんでってなんとなく好きやから。うーん、これもいいけどもう少し青みがかった色がいいなあ」そんなことを言いながら真由はあれこれ龍を取っては微妙な色合いを見て真剣に比べている。有薗は小さな置物ひとつに真剣そのものにきゅっと眉間にしわを寄せている彼女をおもしろそうに眺めながら「変わった趣味だね。僕にはよくわからないな」と首を傾げた。「神社でやる骨董市も行ってるし、知り合いの骨董屋にも頼んでるんやけど」「骨董屋さんの知り合いがいるの?」「うん、元ヤクザ」真由の口からごく当たり前のように発せられた言葉に驚いて有薗は思わず冗談でも言っているのかと真由の目を覗き込んだ。真由はちらっと龍から目を離してその視線を受け止めたが「学生時代に付き合ってた。今も仲良し」とさらに驚きの事実をさらりと言ってのけた。「どうやってそんな人と知り合ったの?」「私がバイトしてたコンビニによく買い物に来てた。たぶん今までで一番好きになった人」「今は違うの?」「恋愛感情はまったくない」「元恋人と仲良くできる人なんだ」ヤクザと付き合っていたことも相当驚きだが、別れた男と今も親交があるというのもなんだか不思議で、真由という人間の掴みどころのなさを有薗は漠と感じた。「どうかな、その人くらいやで、別れてからも仲いいの。仲良しっても電話で話すくらいで会うのは年に一、二回程度。奴は結婚したし。ソノさんは別れたらそれっきり?」「そうだなあ、別れても友達っていう例はないな」「ふーん、ソノさんはなんとなく、後腐れなくお友達関係になれそうな人の気がする」「僕がそうでも相手がそうじゃなきゃどうしようもない」「そりゃそうか」狭い南京街は中華街特有のムッとするような濃い臭いがたちこめ、人がひしめいていた。その上真由がふいっと龍を求めて路地や店に入ってしまうので、何軒目かの店を出たとき、有薗は「方向転換は自由にしていいから置いて行かないで」と真由の手を取った。東京に住む有薗の方が人ごみはよほど慣れていようという真由に、神戸は不案内なのだからと有薗は握る手に力をこめる。南京街の中の小さな公園にさしかかったとき、おそらく軽く百名は越すであろう長蛇の列を指して、あれが豚まん発祥として有名な店だと説明しながらも「確かにおいしかったけど、あんなに並んでまで買う気が知れない」と順番を待つ人々を真由はあからさまにさげすんだ。「食べたことあるってことは並んだんじゃないの?」と突っ込まれると平気な顔で「そのときは全然行列じゃなかった。開店直後でまだ空いてたの」と経緯を説明し、さらに「よく行列のできるラーメン屋とかあるでしょ、ああいうの理解できない」と言葉を付け足すあたり、流行に左右されて時間と労力を使うことをよほど馬鹿げた行為とみなしているらしい。きっぱりと自分の信念があるのは真由らしいがいささかものごとをくっきりさせすぎて価値観の合わぬ人を突き放している風なのに、有薗はつい「流行に乗ってないと落ち着かない人もいるんだよ」ととりなした。「たぶん私はそういう人種とは違うんやろうね。ファッション誌も読まないしテレビも見ないから流行に疎いことには自信がある」「なんだその自信は」真由のよくわからぬ自慢に有薗は苦笑が漏れた。「看護師さんたちはおしゃれだし流行に敏感だしお金持ってるし、馬鹿にされっぱなしだよ、私」「そう?いつも綺麗にまとめてると思うけどな。今日もよく似合ってる」有薗の何の気なしの答えに、やっぱり芸能人なんて人種は普通の男よりもファッションにも目ざとく目を走らせているんだ、と真由は内心少々どきりとした。今日の自分は張り切っておめかししようとお気に入りのワンピースを引っ張り出したはいいが、気合の入りすぎを気付かれて笑われてるんじゃなかろうか不安にさえなる。それでも、似合っていると言われるとほんのり嬉しくもある。当の有薗はといえば、彼こそシンプルスタイルそのものの装いである。しかしオーソドックスなものを主体にしつつ、どこか遊び心がある。今日も淡いグリーンのボタンダウンシャツの上に生成りのジャケットを羽織っているが、襟の形が通常のテーラードでなくやや小ぶりな変型だしラペルと胸ポケットの口布には濃いブルーグリーンの切り替えがあしらわれてアクセントになっている。真由の周りでお洒落に気遣う男といえば市川だが、彼は歳相応の落ち着きで全体はごく標準的にまとめきられているから、随分印象は違う。自分のようにごてごてとめかしこんでしまうのと違い、さりげない個性が光る彼のようなセンスが羨ましいとも思った。
**ランキング参加中**
NEWVELに投票
ブログにて更新情報を掲載しています。
不透明人間