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  透明の向こう側 作者:
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 二十四日の大阪ライブの日、夕方に急患が来たため真由は病院を出るのが予定より大きく遅れ、ライブ会場に到着したのはすでに何曲目かの演奏中だった。もしかしたら入れてもらえないかもしれないと思いながらも諦めきれずに会場に行くと、係員に席まで誘導された。すでに一階の客席は総立ちである。先に来ていた美樹の額も少し汗の粒が光っている。「何曲やった?」「今四曲目」「あ、まだそんなもんか、良かった」大音響と歓声の中、コソコソと美樹と言葉を交わしながら席にバッグを置くと「よし、行くぞ」と真由も瞬時に臨戦態勢に入った。何曲目かに、トランペットの増岡がマイクを握って熱唱すると会場のあちこちから「増岡さーん」と黄色い声が飛んだ。有薗が増岡の曲を「暴挙に出た」と表現したことを思い出して真由はくすっと笑ってしまった。デビュー後のJAMANIAは詞のある曲はほとんど演じていないし、あってもドラム、ギター、キーボード、ベースの四人がコーラスして歌うから、こうしてメンバーがマイクを握って一人で歌うというのは極めて珍しい、というよりも初の試みである。メンバーが驚いたと言うだけあって確かに声は透明感があって美しい。そこで一旦演奏の手を休め、リーダーの清水がマイクを手にすると「おおさかーっ」と呼びかけるように一言声を張り上げた。音楽は躍動的ながらも全体に大人の渋みを重視した運びのこれまでのライブに比してずいぶん清水のボルテージが高い気がする。それに乗せられるように観客もとどろきに近い歓声と拍手で応える。「俺たちの初めてのホールツアーです。こんな立派なホールでやれるなんて嘘みたいだね。しかも満員。来てくれてほんとありがとう。そして、今日はなんと、ギターKOUの誕生日です。何歳かな?」「十六歳です」KOUの茶目っ気のある返事に会場はほっと脱力した軽い笑いが起こる。「だそうです。そしてサックスの伊藤は明日が誕生日なんだよね」とさらに清水が話題を振ると伊藤も「十六歳でっす」と妙にぶりっこに声色を作って応じる。客席のあちこちから「おめでとー」の声と楽しげな笑い声が起こった。JAMANIAはメンバー個人のプロフィールなどが一切公表されていないから、こうして誕生日が明かされるのはたまたまそのライブに来た者だけが知る貴重な情報といえる。とにかく音楽だけが好きだというファンにはさほどでなくとも、普通のファンならばライブの興奮に加えて喜びも大きい。ちょっとしたサプライズ演出だ。本編中に肩の力を落としたMCを挟むのも、清水以外の声を聞くのも異例のことだ。今日はなんだかJAMANIAが身近に感じるなあ、と真由も気付かずその演出にすっかりのまれている。
 その後も次々とオリジナル曲と新アルバムからの曲を中心に演奏され、ライブ活動中心の彼ららしい、貫禄ある余裕のステージを見せつけられた。つい踊り出して隣の客とぶつかってしまうほどに指定席の窮屈すら忘れ去る熱いライブで観客を最高潮に盛り上げるだけ盛り上げると、彼らはさっさと袖に引っ込んでしまった。彼らのライブはいつもそうなのだが、わっと現れてすっと消える。緩急自在に観客を操っている感じだ。当然観客はアンコールを願って会場一丸となって手拍子を姿の見えない彼らに送り続ける。そこへまたわっと現れる。「ここでメンバー紹介。キーボード太田」と清水が紹介しては、メンバーがメロディを一小節を弾いたり「ありがとう」とかなんとか短く答えるやり取りの中、有薗が「今日はこの後、俺だけもう一本、朝までライブやります。時間と体力のある人はぜひどうぞ」と話す口調は、このライブの熱狂を根底で支えているベーシストとは思えない淡々とした、まるで他人事を知らせているような無関心さで、それが有薗らしくて真由は知らず微笑んでいた。本当なら一言も喋りたくないんでしょう?演奏にだけ専念したいんでしょう?と胸の中で語りかける。そうして各自がひとことずつ喋り終えるとだだだっと二曲、ノリの良い曲でさらに観客を沸かせると口々に「ありがとー」と言いながら手を大きく振ってまたもやあっさりとステージから彼らの姿は消えた。
 会場から駅へ向かう人ごみは爽快な、初夏の夜にぴったりな笑顔でいっぱいだ。多くは真由と同じか少し上くらいの年齢層に見受けられるが、白髪交じりの初老の夫婦もいれば、中には自分で作ったのであろう「JAMANIA」とプリントしたTシャツを着た若い女性の一群もいる。美樹が発見して「あれ見て」と指差しながら「JAMANIAってアダルトなファンから、あんなギャルまで幅広いなあ」と年寄り臭いことを言うものだから「ほんとはあれが欲しいんじゃないの?」とからかうと「三千円くらいなら買ってしまうかもな」と真剣に考え込みながら呟いた。それにしても、小規模なライブを行ってきた彼らが大阪で数千人収容のホールを満員にし、揃いのTシャツを作って臨むほど熱狂的なファンを獲得していることに今更ながら驚いた。あの若い女性達はJAMANIAに対しアイドル視に近い熱の浮かされように違いない。
 急に美樹は真由が遅れてきたことを思い出して「仕事終われへんかったん?」と心配そうな口調で話題を転じた。美樹はいつも真由の仕事のハードさと不規則さを案じている。胸のうちでありがとうを言いながら「急患がね」とだけ応えてその話題はおしまいにしてしまい「私が来てへんうちに何やった?『愛』やった?」と真由は再びJAMANIAファンの顔に戻った。やったと聞いて「うわっ、あれは聴きたかった!」と全身で悔しさを表現する真由を美樹は優しく微笑んで見守ったが、ふいに子どもっぽくはしゃぐ声に変わって「そうや、忘れへんうちにメモしとこ。今日がKOUさんの誕生日で、明日が伊藤さん。ほんまは何歳なんやろうな?」と歩きながら器用に携帯電話のメモ機能に誕生日を記録している。電車に乗っても二人の興奮冷めやらず、ライブの余韻を引きずって感想を声高に述べ合っていた。「増岡さん声きれいやったな」と真由が誉めると意外にも「上手くはなかったけどな」と美樹の冷静な声が応じる。「手厳しいな」と真由は苦笑した。ただ盲目的に愛するのでなく、本当にJAMANIAの音楽を味わい、情熱を傾けているんだ、とあらためて美樹の思いの真剣さに気付かされる。「歌ってトランペット吹いて、忙しい歌やな、あれ」「ものすごい腹筋と肺活量って感じ」「夢のない言い方。これやから医者はいやや」今度は真由の冷静な分析に美樹が苦笑をこぼす。真由は電車の中で声を極力落として、隣に座る美樹にだけ聞こえるようにそっと鼻歌を歌った。「あれ久しぶりに聴いた、あれ、ふふふふんふーんふーん」「ごめん、その鼻歌じゃわからん」「タイトルが思い出されへん。でもあれ好き」「SONOさんは今頃どっかでまだライブやってはるんかな」「JAMANIAの後それに流れて行った人もいるんやろうね。ファンクラブからのメルマガでお知らせなかったん?」「なかった」「じゃあシークレットなんかな。大物っぽくなってきたな、ずいぶん」真由も有薗からどこへ出演するかまでは聞いていない。聞いたところで大阪で深夜までやるようなライブに行けるわけもないから訊ねようともしなかった。そう言えばメンバーそれぞれがゲスト出演の予定があると言っていたが、そのことすら伏せられているのだろうか。大阪のライブハウスの公演を丹念に調べていればどこかで気づくんだろうか。岡山でJAMANIAを見つけた頃の自分が懐かしく思い出された。あの頃は、一度ですっかりとりこになったJAMANIAを再び見たいと、ライブハウスやクラブで予定表を片っ端から取ってきては公演予定を漁りまくったものだ。ホールツアーを大々的に展開する一方でそんな泥臭さを感じさせる活動も昔ながらに続けるJAMANIAが好きだ、と真由は思った。いつまでもJAMANIAには小さなハコを見捨てないで欲しい。息ができないほど暑苦しい熱気が好きだ。「次は二十七日やな。ちょっとは違うセットリストで違う曲やってくれるかな」「今度こそ『愛』を聴きたい」そんなことを話しているうちに真由の降りる駅が近づいてき「急患が来ないように祈っとく」と言う美樹に「神戸の日は休みやから大丈夫」と笑顔で答えると、おやすみを交わして電車を降りた。
 それにしても有薗の『愛』を聞き逃したのは悔しかった。真由はアルバム『message』を初めて聴くとき、先入観に捉われまいとあえてブックレットを見なかった。一番驚いたのは増岡のボーカル曲だったが、心臓にダイレクトに響いて魂を震わされるようなぞくっとする思いがしたのは『愛』だった。曲に感動を覚え、作った本人から聞かされて曲の生い立ちまで知っているのに、それを聞き逃したのは有薗に失礼な気もした。神戸で演奏してくれることを信じるしかなかった。生の演奏で、きっともっと魂が揺さぶられるに違いないと期待は大きい。神戸で怪我をしたときに作ったという曲も『Rest Time』というタイトルに似つかわしくない激しさだったが、『愛』もまた情感豊かな曲だ。昔パンクのバンドをやっていたというのもうなずける。彼の愛はきっとほとばしるように激しいのだろう。自分は彼の穏やかな面しか知らないが。
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