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  透明の向こう側 作者:
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 元日の夜、当直を終えて帰宅した真由ばったりとベッドに倒れこんだ。メリケンパークで開催されたカウントダウンイベントで事故があり、多くの急患が来て病院がてんてこ舞いになったためにいつもの当直よりもずっと疲労が激しかった。患者の殆どは軽症で簡単な処置だけで帰って行ったが、一人、なかなか意識の戻らない重傷者がいた。事故に驚いてパニックになり近くの機材に頭をぶつけたらしい。救急車に乗った頃はまだ意識があって自分で氏名を応えたこと、近くの救命センターはすでに重症患者が運ばれていたこと、当直医が脳外科専門で当日は脳外科輪番の当番だったこともあり、海岸病院へ運ばれてきた。東京でまさにカウントダウンイベントで事故発生との想定で訓練を見たばかりだが、いざとなると自分自身の力不足とこの病院の経験不足を痛感せずにはいられなかった。患者受け入れを了解するまでに時間を要したし、看護師たちは予め手術室担当が決められていたにも関わらず処置に追われていたため軽症者の治療にあたる者とこれから来る重症患者の用意へ動く者とのすみやかな業務分担ができず、手術の準備が患者到着とほぼ同時というぎりぎりで整う始末だった。ともに当直にあたっていた腹部外科を専門とする救急部医長と、脳外科医、自分よりもベテランの看護師たちスタッフに対してとっさの判断を最終的には任せ、迷わず患者を受け入れろと強く進言できない自分の未熟さが悔しかった。重傷者は脳外科医が治療に当たったが、真由もずっと経過を見守っていた。まず医長が昼前に帰り、午後になってようやく術後の患者の意識が回復、その後の経過も良さそうということで残った二人、次の当番医にすべての引継ぎをして当直を終えたのは夕方だった。何事もなければせめて雑煮代わりに食って新年を祝おうと大晦日の夜に用意していたインスタントの汁粉など当然放置され、脳外科医が「妻に叱られる」と大慌てで帰っていくのを見届けると、日直で詰めている女性の薬剤師と検査技師を医局へ呼んで三人で安っぽい汁粉をすすって束の間の休息をとった。真由はそのまま医局に残ってこの事故に関わる患者すべてのカルテから怪我の程度や患者の属性などの情報を整理し、ネットのニュース記事から事故の概要を拾ったりしていた。そして病院の対応を含め、簡単な報告書をまとめるところまでをやってようやく帰宅した。別に報告書を残す義務はなかったが、これは今後の災害対応への検討材料になると思ったからそうしたまでだ。
 しばらくベッドに横たわっていたが眠れそうにもなかったので結局起き上がり、パソコンの電源を入れておくとベランダへ出た。ふうっと煙を吐き出しながら夜の静かな海を眺めた。船の行き来もなく極めて静かであった。ふと、有薗の部屋のベランダから見た風景を思い出した。どこまでも続く地上、建物の洪水。こんな時刻にはあのコンクリートの海はどんな風に姿を変えるのだろうか。夜景が綺麗なのかな、と想像をめぐらせた。
 有薗からは新年のメールが来ていた。アルバムのタイトルが明かされていた。『message』。前回に続いて全曲オリジナル、古くからのファンにも、初めて聴く人にも伝えたいメッセージがこもっているからお楽しみに、とのことだった。真由からも、元旦に届くように指定してグリーティングカードを送ってあったが、彼はもうそれを読んだろうか。
 そんなことを思った瞬間、くっと胸が高鳴るような一種の心地よい緊張感が走った。真由は自分に驚いて思わず胸を押さえて理由を探すのだが、見つからない。彼のことを考えたから?艶っぽい声、穏やかな口調、心の深部に入り込んでくる言葉。年末にクラブで真由の支払いをいつの間にかさらりと済ませていたスマートさも心憎い。ああ、会ったことのない人種だから、心臓が驚いているんだ。かろうじてそう自分を納得させるが、同時に、自分の心の底に横たわるひんやりと冷たいものが、彼の温かさに溶けて流れ込もうとすることにも気づく。いつもその固まりは凍り付いて真由の心を底部から冷やし続ける。彼の存在はとても温かい。だからこそ自分の冷ややかさが一層際立って、自分自身が憎くなる。そこまで思い至ると、距離を置くべきだと戒める冷静な自分が現れる。しかしそれを突っぱねられない正直者がいる。
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