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「先に出てて。私が支払うから」と有薗は背中を押されて強制的に店を追い出される格好になった。自分は数百円のおもちゃをプレゼントしただけなのに、ずいぶん豪勢な返礼だ。真由が「ごちそうさま」と店員に言いながら店を出てくると、さすがに申し訳なくて「いくらだったの?ほんと、払うから、せめて半分」と提案したが、却下された。「これはお礼だもの。昨日からお世話になったし、それに会うときはいつもソノさんが支払っちゃうじゃない。だから、これまでのお礼もこめて。ね?」「僕がいつも君を勝手に誘ってるんだよ、お礼なんて」「しつこいなあ。じゃあ、百円頂戴」「え?」「百円。それで割り勘ってことにしましょう」有薗はぷっと噴き出し「君もなかなか聞かん坊だな。わかったよ」と財布を取り出して百円玉一枚をつまむと、真由の手に乗せた。受け取る手を包み込むように両手でぎゅっと握り締めた。「次からは、東京に来るならきっと知らせてよ。『戦メリ』練習しとくから」と真剣な申し出には、真由はゆったりと微笑して応えた。
東京駅の改札付近で真由は土産物や丸ビルで買い物した紙袋を有薗に預け、リュックのサイドポケットから新幹線のチケットを取り出すと、再び紙袋を彼の手から受け取った。そのとき、土産物の袋は自分の手へ受け取ったものの、丸ビルで買った紙袋の一つが有薗の手に残った。おやと思う間もなくそのまま真由はすたすたと改札へ行き、シュッと改札を通ってしまった。そこで振り返って「誕生日おめでとう。そしてメリークリスマス。昨日、今日と素敵な時間を本当にありがとう」と笑顔で手を振るとくるりと振り返って人ごみにまぎれてしまった。
ということは、丸ビルの中で彼女が買い物をしていたこれは、自分への物ということか。ようやく、彼女の罠に気付いた。さきほどの寿司はあくまで礼で、さりげなく自分の手に残されたこれは、プレゼントというわけだ。「小憎らしいやつ」胸の内で有薗は呟いた。
真由が去ってもしばらく有薗は改札前に立って彼女の消えた方向を見つめ続けた。
もっと話をしよう。もっと笑顔を見せて。
一緒にいることの居心地の良さにしばし有薗は全身を覆われた。
駅構内、列車案内の電光掲示板に挟まれたアナログ時計が九時を指したのを見届けると、真由が無事に新幹線に乗ったであろうことを確信してようやくその場を離れることにした。
バッグから携帯電話を取り出すと、すでに今夜の約束の相手から何度も着信があった。真由といる間はずっとマナーモードで放置していたのだ。特別留守番電話にメッセージを残したりはしていないらしい。最初の着信が七時前だから、二時間も無視していたかといくらか申し訳なさも感じながら折り返しかけると「やっとつかまった。何してたの?」と有薗の声を聞いて嬉しさをこらえきれないような調子である。連絡もせずに遅くなったことを詫び、今東京駅にいるのだと言うとその声はがっかりと落ちた。「晩ご飯作ったけど、もしかしてもう食べた?」「ごめん」「そうか。じゃあ今日はもう来ないかな」「いや、今から行く」「じゃあ待ってる」
有薗は赤羽に向かった。空席はなく、ずっと立ちっぱなしで赤羽までの二十分ちょっとを考え事をしながら窓外の景色を見るともなしに見ていた。今日、東京タワーで「記録にも記憶にも残りたくない」と言った真由の言葉があまりに印象的だった。なんと寂しくも激しい言葉だろうか。何が彼女をそんな風に思いつめさせているのだろう。「尻の軽い女だと軽蔑してくれ」と言った醒めた横顔も思い出していた。ほかならぬこの俺自身が間違いなく好意でもって抱いた女性を、軽蔑などするものか。不思議と、自分に恋人がいることを承知で身を任せた真由を、有薗はちっとも不快とも淫らとも思わなかった。自分自身特定の相手がいながら他とも交渉を結ぶ人間だからなのか、元々感情が希薄なのか、有薗は相手に貞節を求めない。だが真由が自分たちの関係そのものをゲームと形容したことは受け入れ難い。ゲームと呼ぶには度を越した存在感があると思うのは自分の一方的な思い込みなのか。仲間の死を思い出してふと過去の苦しみにせつなく身を引き絞られたとき、黙って手を添えてくれた優しさと対照的に、真由は自分自身に対して冷酷なまでに自虐的な印象が拭えない。今年の初め、掌で解ける雪のはかなさに彼女を重ねてしまったことを思い出した。我ながら、ずいぶんくだらないことまで覚えているものだと感心した。そうだ、あのときのはかなさだ。彼女は仕事も一所懸命だ。それは今回東京で研修を受けていた事実からも容易に想像がつく。実際、有薗が入院していたとき、彼女は元気一杯明るく振舞って有薗ほか患者たちの気分をやわらげ、ひたむきなくらい頑張っていた。なのに、自分自身に対して、一所懸命じゃないのだ。自分が生きることに対しては無関心なのだ。そんな気がする。
赤羽に着くと、歩き慣れた道をすいすいとゆき、目的のマンションにたどり着いた。オートロックのエントランスで部屋番号をプッシュし、画面に自分の顔を映す。「いらっしゃい」とインターホンから声がすると同時にロックが外れてロビーへの自動ドアが開く。エレベーターで四階へ上がり、玄関のインターホンを押すと返事もなくドアが開き、待ちきれなかったという風にタケシが有薗の首に巻きついてきた。「おかえり」「うん」何度も繰り返された光景だが、有薗は決して「ただいま」と言うことはない。どんなに足しげく通い、気心の知れた恋人の部屋であろうとも、そこは自分の家ではないからだ。そういう底冷えのするような割きりが、有薗の中にはある。タケシは気付いているのかいないのか。「晩ご飯、いらないんだよね。明日のお昼にでも食べる?」「そうしようか。連絡もなしに遅くなってごめんな」「それはいいけど。ビールくらいは飲む?」「うん、もらおうかな」いそいそとキッチンで支度するタケシを置いてダイニングのソファに腰を降ろした有薗は迷わずテーブルの上にあったリモコンを手にし、プチッとテレビの電源を切ってしまった。「疲れてる?」ビールとグラスとつまみを盆に載せて運んできたタケシはそれをテーブルに置くと、心配そうな顔で有薗の顔を覗き込んだ。さっき有薗がテレビを消した瞬間、なぜだかわからないがタケシの体に戦慄のように何か冷たいものが走った。すぐそばにいる自分などまったく目にも入っていないかのように果てしなく遠くにいるような有薗の孤独感。何年も付き合ってきて初めて見る一面だ、と思う一方で、思い過ごしだ、ただ少し彼は疲れている、と否定する。彼はいつもテレビの音を嫌うじゃないか。消し忘れた自分が悪いんだろう、と必死に否定する。有薗に孤独など、味わわせない、と。「人の多いところにいたから、ちょっと疲れたのかな」と応える様子はいつもどおり穏やかな人だったが、それでもタケシは気遣い「良かったら先に風呂に入る?お湯張ってあるよ」と気分転換をさりげなく勧めた。「そうしよう」と言って立ち上がると、慣れた家のこと、迷わず有薗は浴室へ姿を消した。
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