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  透明の向こう側 作者:
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「そう言えば、私が初めてJAMANIAを見たときは、歌ってる人がいた。すごく陽気なバンドだなと思ってたら急に『AS TIME GOES BY』歌いだして、それがとにかく曲にぴったりな渋みのある声で印象的だった。すごく素敵だった」と真由は岡山のライブハウスで衝撃的にJAMANIAと出遭った日の記憶を鮮明に手繰り始めた。確かにあのとき、パーカッションを担当しながらリードボーカルをとっている男がいた。それまでの陽気な空気が一気に大人の香りを孕んだ落ち着きに一転したとき、観客の殆どはその落差に一瞬驚いたのち、受け入れ、うっとりと耳を傾けたのだった。少しハスキーがかった声だった、有薗の声を磨き上げられた黒曜石にたとえるなら、宮本のボーカルの声はすりガラスか。平滑な声にはない気持ちのいいノイズの混じった独特の質感の低音で『AS TIME GOES BY』のときにはパーカスの手は完全に止めて、まるで一人の世界に浸るかのように気持ち良さそうに歌い上げていた。
 初めて真由がJAMANIAを見たライブハウスは日頃、若手のロックやポップスのバンドをメインにステージが組まれており、数組のバンドが入れ替わり出演するフェス形式でお祭り騒ぎをしていたその日もJAMANIA以外の顔ぶれはロックだった。客ももちろんロックに身を狂わせることを期待して詰め掛けている若者が殆どだ。なのにそんなことには構わず、その日の出演者でもっとも平均年齢が高いであろう熟練の風格を持ったJAMANIAはラテンの軽快なテンポを繰り広げ、観客をすっかり乗せてしまい自分たちの空間にしてしまった。それだけでも驚きと印象を強烈に真由に植え付けたのに、そこへ突然『AS TIME GOES BY』を持って来てふんだんに大人の匂いを吹き付けて観客を魅了したかと思うとするりとステージから姿を消したのだった。そうだった、初めてのJAMANIAはあまりに異質で強烈だった・・・真由は懸命にそのときのことを思い出そうと努めたのだが、視覚による記憶が薄いのか、結局スーツの色すら思い出せなかった。ただひたすら、テンポと声と音楽が、耳に残っている。衝撃が体に残っている。
「ああ、それ、間違いなく宮本だ。あいつの一番好きな曲だった。締めだったでしょう?」と言ってふと「真由さん、デビュー前のJAMANIAって何度くらい見たの?」と突然質問を投げかけた。「三回くらい。でもボーカルがいるのを見たのはその一度だけ」「そんなに宮本の歌は印象的だった?」「うん。とても」「あの曲をライブでやってたのはごく限られた期間だし、とにかくあいつの大好きな曲だし、真由さんがそれを覚えてて、好きだと言ってくれて。きっとあいつ、喜ぶよ」そう言ったかと思うと突然きゅっと眉根を寄せて悔しそうな表情をして「『AS TIME GOES BY』を好きだった奴が、真っ先に時を刻むのをやめやがった」と言ったきり有薗は言葉を詰まらせてうつむいてしまった。
 これが、遺される者の悲しみか。
 有薗の絶望を目の当たりにして、胸が締め付けられるように苦しかった。
 心の準備もないまま、ある日突然大切な人を失う。昨日まで笑い合っていた人の笑顔が、今日はない。明日からももういない。二度とは会えぬたまらない喪失感。かつて自分も味わった。けれど自分はもうあのときの悲しみを忘れてしまったのか。いや、むしろ遺す側になろうとさえするのか。
 普通の感情のある人間ならば、大切な人を失うと何年経ってもこんなにも悲しいのか。母を亡くしたときでさえ涙ひとつこぼさなかった自分という人間は一体、感情をどこへ置いてきてしまったのか。有薗の悲しみが、そして悲しみをわからない自分の砂漠が、辛い。
 こんなに悲しみに暮れる人にかけるべき言葉を知らない。いや、かける言葉など最初からありはしないのだ。
 そう思って真由はただ黙っていた。
 ただ静かに、うなだれた頭を支えている握りこぶしに手を添えた。体温とともに伝わってくる優しさにいくらか気を持ち直した有薗は顔をあげ、その手を包み込むように握り返して微笑してみせた。この手は大切な人を失う悲しみを知っている。悲しみを慰めるのが時間でしかないことも知っている。自身早くに母を亡くし、医者として多くの死を見てきたからか。この手は限りなく優しい。有薗はそんなことを思っていた。しかし彼の微笑を見て安心するとその手は彼の指から逃れるようにするりと抜けていってしまった。
「いろんなものを乗り越えて、今のJAMANIAがあるんだね。もっと気を引き締めて聴こうと思う」「そんなに力まなくていいよ、リラックスして好きなように聞けば。実際軽い曲多いでしょ」「ときどき、レゲエっぽいのもある」「ああ、KOUがレゲエ好きなんだよ。あいつが作った曲なんじゃないかな」そう言ってくくっと有薗は思い出し笑いをした。「JAMANIAはデビューが随分遅いでしょ。JAMANIAでデビューした頃には、メンバーはみな、とっくに他のバンドやソロ活動をこなしてるプロだったんだ。何度もデビューのチャンスはあったんだけど、プロの集団なのに、JAMANIA自体はマイナーっていう状態が何年も続いててね。ひとつにはさっき話した宮本。こいつがいなくなったってのは大きい。抜群の存在感だったから、大きな柱を失ったようで確実にファンも離れたしね。今もずっとサポート務めてくれてる堀くんは宮本を知ってるから、とても彼の後任なんて自分は無理だって、ずっと口説いてるんだけど正式な加入は固辞され続けてる。でも何より大きいのはKOUの完璧主義。こいつがとにかく妥協を許さなくて、これだと自信を持てるアルバムが準備できるまではデビューできない、って頑なでさ。宮本が生きてる頃は何度も『きっと俺たち永遠にデビューできないよ』ってこぼしてたくらい。ところが伊藤が入って宮本がいなくなって、バンドの雰囲気がガラッと変わって、急に完璧主義を捨てたんだよ。ほんと急に。とにかくデビューしよう、それからどんどん俺たちの色を作っていこう、ってお前昨日までと言ってることが違うじゃねーかって散々突っ込まれても平気な顔してた。そのときKOUが作ったのがデビュー曲。もう動物みたいに本能のまま行こうぜ、だって。なんかよくわかんないけど、いろんなもんが吹っ切れたんだろうね。でも根っこから変わることはできないみたいで、結局デビューアルバム完成まではさらに二年もかかっちゃった」
 こんな話を人にしたことはないな、と話しながら有薗は自分でも不思議だった。宮本のことを追慕するのも久しぶりなら、なかなかデビューに至らなかった裏話を業界の人間以外に聞かせるなど初めてのことだ。宮本がいたJAMANIAを知っていて、彼の死を乗り越えるために死に物狂いでアルバム制作に力を注ぐ一方で狂気的なライブ活動をしていた時期を見守っていた古いファンへの心安さもあろうが、なぜだろう、真由には、自分が話したことを寸分違わず受け止めてくれそうな信頼と、気持ちよい手応えがある。だから話していて気持ちいい。そんな気がする。
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