ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  透明の向こう側 作者:
57
 東京駅で電車を降り、そのまま直結する新丸ビルへ足を踏み入れると思いのほか人が少なくのんびりした空気が漂っていることに驚いた。オープンの様子をテレビで見たときには、あんな状態では人に押されながら一歩一歩を踏みしめるのが精一杯で、とてもじゃないが落ち着いて自分のペースで買い物なぞできん、そもそも店を見分けることも困難で視界に認識できるのは人だけじゃないのかと、好んでそんなところへ集まる人たちを酔狂な者のような目で冷たくみたものだ。先ほど丸ビルへ行こうと言い出したのはその場からとにかく動くためだけの単なる思いつきで、想像通り人が多ければ有薗にすがって人の少ない場所へすぐにでも移ればいいと思っていた。中に入ってみようともまして買い物をしようとも考えていない。それでも自分から言い出したことでもあるし、何より空いているし、大した興味があったわけでもないがこれも東京の土産話になるか、くらいの気持ちでぶらぶらと歩いていた。内装がとにかく落ち着きと華やかさを兼ね備えていて高級感に溢れている。田舎の庶民である真由にはいくらか気後れがあるが、人々は慣れた風に、思い思いに歩いたり立ち止まったりしてまるっきり平気な顔をしている。これが都会の人の無関心と不干渉か、と妙に納得する。いちいち驚いていては生きていけないのだろう、と。
 真由は有薗を待たせて一軒のショップで買い物をした。そこは神戸にも展開しているセレクトショップだから都会の洗練に押され気味の真由でもくつろいで店内を物色できた。もう一軒、イタリアのフレグランスを扱うショップで、美樹へ土産にソープを買った。もともと美樹に土産を買う予定はなかったのだが、店の前を通ったときなんとも心地よい香りがして咄嗟に「美樹が好きそう」と思い浮かんだ。香りへのこだわりが人一倍強いから、もし好みに合わなければ迷惑だろうとも思ったのだが、それ以上に素直に喜んでくれそうな気がして結局買うことにした。真由の手には東京タワーで有薗に買ってもらったタワーのミニチュアと合わせて三つの紙袋が提げられている。ノートパソコンと衣類が詰め込まれた大きなリュックに東京で浮かれて買い物した紙袋。誰が見てもおのぼりさんそのものな姿が妙に素朴でかわいいな、と有薗は大切な者を見守るように優しい笑みを浮かべた。上の階へ上がると、途中からはレストラン街になった。「ソノさん、何食べたい?イタリアン、中華、和食。なんでもあるみたいだよ」と館内ガイドのリーフレットを見ながら真由が伺いを立てるのに、有薗は若干上の空でろくな返事をせず、真由が不審そうに顔を見つめると「飯は、もうひとつの丸ビルに行こう」と言い出して手を引っ張った。新丸ビルの上層階はオフィスゾーンになっているが、丸ビルなら確か高層のレストランがあったはず、うまくいけば夜景が見られる。そう睨んだ。有薗の目論みどおり丸ビルは三十五、六階がレストラン街になっており、昼にフレンチを食べたしあっさりしたものを、と意見の一致を見た二人は江戸前寿司を謳っている寿司屋に入り、幸い空いていた窓側の席に陣取った。まだ小雨が降り続いていてせっかくの夜景はけぶっているが、かえって大小さまざまな光の輪郭があいまいに溶け合い、柔らかな広がりを見せており、ビールと寿司を注文してしまうと静かに窓外の景色にしばし眺め入った。
 ビールが運ばれてき、グラスを手にすると「じゃあ、もっかい、メリークリスマス」と有薗が言い真由が追いかけるように「誕生日おめでとう」と不器用にウインクして見せた。寒空の下歩き回っていたくせに、二人ともうまそうにごくごくっとビールを飲む。グラスを置いてにこっと笑うと有薗は「ねえ、もう一度ウインクして見せて」とねだった。「やだ、ソノさんみたいにかっこよくできないもん」と言下にあしらっても「ちょっと不器用なのもかわいいよ」と食い下がる。「いやだ。さっき笑ったもん、もうしない」「かわいいなと思って笑ったんだよ」となおもせがんだが「駄目です」ときっぱりととりつくしまもない。
 ウインクひとつでくだらぬやりとりをしているうちに、握りの盛り合わせが運ばれてきた。有薗が口を挟む隙もないほどさっさと真由が注文してしまったので目の前に置かれて初めて有薗は少し慌てた様子でやはり自分が払うからと言ったが真由はくすりと笑うと「無粋な人ねえ」などと抜かした。その一言で有薗は反す言葉もきっかけも完全に絶たれた。「さ、頂きましょう」と真由はしごくさっぱりしている。食べ初めてしばらくすると「海老苦手なんだ」と言いにくそうにぽつっと有薗が呟いた。「小さなむき海老くらいなら大丈夫なんだけど・・・真由さん食べなよ」と言い訳しながら海老にちょんちょんとしょうゆをつけて持ち上げ、真由の口元へ持っていった。「はい、あーん」と言われて素直にあーんと口を開けるとほいっと一貫丸ごと放り込まれてしまい、真由は必死にもぐもぐとそれを飲み込んでから「うまい」とうなった。「もっと大きなさ、海老の姿のままの料理ってあるでしょ。ああいうのみんな駄目なの?」「そこから身だけ取り分けてくれたら食べるけど、自分からは食べない。海老の姿がとにかく苦手」「脚の多いのがだめなのかな」「それはあると思う」「じゃあシーフードカレーとか、そういうのにちっちゃいのが入ってるのはOKなんだ」「全然平気」「ふふっ、人には色々弱点があるもんやね」「JAMANIAのメンバーはもう付き合いが長いし、年のうち半分以上は顔合わせてるし、互いの嗜好も熟知してるからさ、海老やカニの料理が出てきたら誰かが僕のために身をむいてとりわけてくれるわけ。ピーマンの嫌いな奴のは誰かが黙って食ってやったり。ある意味あうんの呼吸だね」「仲いいんだね。兄弟みたい」「まあそうだね。オフの日にまで一緒にどこか行こうとか思わないけど、ツアー中ずーっと同じメンツでツラ合わせててもケンカもない」「これからも仲良くしててね。音楽のことで意見が衝突するのは仕方ないとしても、ケンカして解散なんて許さないから。死ぬまでJAMANIAは私たちを喜ばせて、魅了し続けて」「死ぬまで、か」何気なく発した真由の言葉に、思いがけず有薗ははっとした固い表情を浮かべて一瞬言葉を詰まらせた。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐにいつものように穏やかな微笑をたたえて「誰かがもしいなくなったらまた新たなメンバーを加えたり、変遷はあるだろうけど、最後の一人になるまで、JAMANIAはJAMANIAだよ」と嬉しい約束をしてくれた。「今までにも脱退して会社員になった人とかいるんだよね」「うん、デビュー前の初期のメンバーはほとんどが今は勤め人。そもそも僕が加入したのも、前のベーシストが仕事を優先したいって抜けたから。僕が加入した頃は十一人の大所帯で全部男だからそりゃ暑苦しかったよ。残りの半分に、最後に伊藤が加わって」とここまでの経緯はいくらか軽妙さのある語り口だったのが、一呼吸置いて真由の目を見ると、何かを決心したらしく声のトーンが落ちた。「ところが伊藤加入の直後に一人、事故死した。せっかく新しくメンバーを迎えたのに、ボーカルを取る奴がいなくなった。さてどうしようか、って考えたときに、俺たちはボーカルなんていらない、インストの音楽専門でやって行こう。もし歌詞を歌いたかったら、ギターとかドラムとか、口の使える楽器の奴がやればいいってなった。事故死した宮本は、今もメンバーの一員なんだ。CDにメンバーの名前やスタッフの名前が必ずクレジットされてるでしょう。あそこに、宮本さとしって、必ずあるんだよ」と一息に真由のまったく未知なるJAMANIAの過去を告白した。しかし有薗の口調はいくらか低いトーンになったというだけで、さほど重々しいわけではない。すでに過去のこととして割り切っている一面もある。それでも「知らなかった」と言ったきり真由はしばらく黙り込んだ。仲間の突然の死。そんな悲しく唐突なできごとを彼らはきっと力に変えて乗り越えてきたのだと思った。
**ランキング参加中**
NEWVELに投票
ブログにて更新情報を掲載しています。
不透明人間


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。