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時折立ち止まりながら外を眺めてゆっくりゆっくりと展望台の中を窓に沿って進む。有薗が「あの辺りが六本木」などと何かを指して教えてやっては、真由が体を寄せてその指先を追う。それにしても、まったく建物の洪水だった。にょきにょきと生えている高層ビルはただまっすぐに高いだけではなく緩やかな流線型をしていたり、同じ高さで建ち並ぶ二棟のビルは対をなしていたりと外観のこだわりも目をひく。いったいあんなところで働いたり暮らしたりしてる人たちはどんな人なんだろうか、さぞ華やかにお洒落をし、ドラマの主人公のような恋をし・・・とふと、自分とは異世界なのだ、自分は永遠にこんな大都会の住人にはなれないのだという途方もない距離感が生じた。今目の当たりにしている大都会が非現実的なら、今自分とつないでいるこの手の持ち主は何者だ。この大都会に暮らし、日本中に、もしかしたら世界中に、何万人ものファンを持つ、それこそ、永遠に接点など持ちうる筈のなかった憧れのアーティストその人ではないか。急に有薗が隣にいることが幻のように思えて不安になり、ゆっくりと顔を向けると、その視線に気付いて彼も真由を見た。真由の不安に怯えたような表情に有薗はぎょっとして「どうした?」と心配そうに声をかけた。「なんでもない。都会の街並みに気おされちゃっただけ」慌てて真由は微笑を浮かべて見せたがそれはいたってぎこちなく、なおも心配そうに彼はそっと真由の頬に手を触れ、目を覗き込んだ。「ソノさんはこんなとこに住んでるんだね」どうにかこうにか内心に突然湧いた不安とその場をとりつくろう言葉とに折り合いをつけてそう呟くと「音楽なんて志してなければ、僕にも無縁の土地だったろうね。今でもときどき、自分がこんな街にいることを不釣合いに思ってしまうことがあるよ。どこか、夢見心地なんだな」と有薗は答えて、頬にやっていた手は真由の頭を優しくなでた。有薗の言葉や仕草が、真由の不安をふわりふわりと取り払っていった。体温を感じるくらい近くにこの人は存在しているではないか。彼自身も東京に戸惑いながら。
新宿を示す案内プレートの下で真由に「都庁は?」と問われて新宿方面を探してやるのだがそれらしい建物が見つからない。仕方なくその辺りにいたスタッフに訊けば雨の日は見えないとのことだった。「えーっ、見れないの、慎太郎くん」とがっかりする真由に「都庁が見えたって慎太郎くんまでは見れないよ」と応じながら有薗はおかしかった。仮にも都知事をつかまえて慎太郎君呼ばわりはないだろう。東西南北各一か所に据えられた解説ボードの画面にも触れて、あいにくの雨のために見えないものを確認したり夜の風景を見たりもし、有薗が実際に行ったり見たりした場所については彼自身の言葉でエピソードを加えてやったりしながら展望室をゆっくりと二周し終えると「下の階に行こうか。おもしろいものがあるよ」と有薗は不敵な笑みを浮かべた。笑みの理由がわからないものの、真由は彼についてひとつ下の展望台に降りた。人だかりになっている地点を向いて「あれは?」と真由が訊ねると「行ってみてのお楽しみ」とますます有薗は不敵な笑みを浮かべる。集団の客が退くのを待って近づいてみると、そこはガラスの床になっていて、何百メートルも真下、タワーの足元がすとーんと見えるようになっていた。名物のルックダウンウィンドウだ。載ってごらん、と言われるまま、真由はとことことガラスの床に載ってみた。うわ、こりゃ高所恐怖症の人にはたまらんだろうな。それが真由の感想だった。眼下には朱色のトラスが網目のようにもつれあいながら地面まで続いている。軽くステップでも踏むようにガラスの上で真由は楽しげに下を覗き込んだりしていた。
「真由さん、それ、平気なの?」「気持ちいい」そうか、彼は自分がこれを怖がると思っておもしろがってたんだ、残念でした、と真由は心の中で舌を出して笑った。真由がガラスの上でトントンと軽く跳ねたりする間に有薗は手を離してしまい、決してガラスの床に近づこうとはしない。「あっ。ソノさん、怖いんでしょう」「平気でそんなとこに立っている君が信じられない」「馬鹿と煙はなんとやらってね」今度は真由の方がニッと不敵な笑みを浮かべたが、伸ばした真由の手が届くより察して有薗が一歩体を退く方が早かった。
展望台を降り、蝋人形館の入り口に立つと真由はしげしげと入り口の蝋人形を眺めた。肌や髪も精緻だが、瞳に見入った。よくできている。惚れ惚れするほど透明感のある美しい瞳だ。その様子を見ていた有薗は入場券を買うと「せっかく来たんだから見て行こう」と真由を促した。
「うわ、顔小さっ、足細っ」とハリウッド女優たちの美しさに驚き「毛沢東と目が合う〜」と困惑ぎみに苦笑をもらしたりして面白がっていた真由が、ある人形の前で真剣そのものの眼差しで数分、立ち止まった。熱心に解説を読み、また人形に視線を注ぎ、解説を読み、人形を食い入るように見つめる。彼の生き方や、貫いた信念に、真由なりに思うところがあるんだな、と有薗は黙ってその様子を見ていた。彼に心震わされ、これだけ真剣な眼差しをしてみせる君もきっと正義感溢れる人だ。そんなことを思いながら。
真由が立ち止まったのは杉原千畝。ナチスの迫害から多くのユダヤ人を救ったことであまりに有名だ。真由が杉原を知ったのは、遅い。最初の大学にいた頃、一般教養の授業で「ちょっと話は逸れますが」と教官が語ったのが杉原千畝のリトアニアでのユダヤ人に対するビザ発給行為だった。「このビザで脱出したユダヤ人の多くは、一旦、神戸にたどり着いたんです。神戸に学ぶ君たちには、この歴史を知っておいてほしい」と教官は締めた。その後少しでも杉原について書かれていそうな本を探しては図書館で借りて読み、少しずつ彼について知識を増やしていった。知れば知るほどに、自分の想像を絶する決死の覚悟と勇気に敬服する。自分にも、自分の信じた正義を貫く勇気があるだろうか。医師となった今も尊敬し続け、人として理想とし続ける誇り高き正義の持ち主は杉原千畝だった。命がけで貫く正義。今すぐは無理でも、いつかは自分も決して揺るがぬ正義を持ち、それに正直でありたいと決意を胸に秘めている。
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