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十二月半ば、世間がクリスマスムード一色な頃、真由は一人ビジネスホテルと不慣れな東京の病院とを行き来する日を送っていた。高遠が二つの病院に知り合いを通じて真由の修行を願い入れ、スケジュールを調整した後、真由の勤める神戸海原病院からは院長名で依頼文も発行され、真由が思った以上に正式な形での研修となった。期間はほんの三日間であるが、病院から正式に派遣された身である以上、緊張がより増すことは避けられなかった。病院の恥になるような真似もできなければ、病院へのフィードバックもしっかりできなければならない。単純に個人的な修行に来た、と軽く考えることなどできなかった。しかし幸いにもどちらの病院も研修を担当したのが高遠と似た歳頃の幹部クラスながら、気さくな人物で真由の緊張を和らげようと努めてくれ、何かと気配りをしてくれることがありがたく身に沁みるのであった。そして何より、よそ者の真由を、容赦なく鍛えてやろうと医員の一員として扱ってくれるのが嬉しかった。三日間はあっという間に過ぎた。三日目の最終日、二つ目の病院で救急副部長の斉藤が「このデータも持って帰りなさい。欲しそうな顔してたでしょう」とCDに焼いたデータを医局の空いたデスクを借りている真由の元へ持ってきた。物欲しそうな顔だったのかと思わず真由は自分の頬をなでながら慌ててありがとうございますと立ち上がって受け取ると「君、明日も来ませんか?」と突然のオファーがあった。「前もってわかっていれば良かったんだけど、明日、災害対応訓練をするんですよ。年末に備えて院内だけの規模ですけどね。もし良ければ、それを見て行かないかな、と思って」「ぜひ拝見したいです」「じゃあ高遠先生には僕からもお願いしておくから、君からも病院に許可をもらえるか聞いてみたら?せっかく東京まで来たなら精一杯やって損はないと思う」と言って彼は救命センターへ戻った。すぐに神戸海原病院へ電話しようとしたが、斉藤が「僕からも言っておく」と言ったことを思い出し、少し時間を置いて、斉藤から高遠に話が通ってから自分もお願いしよう、と一度手にした携帯電話をバッグにしまった。バッグを取り出したついでに、と思い、近くにいた医局員に「ちょっとお昼に出てきます」と言い置くと、病院のすぐそばにある喫茶店に向かった。真由は自分の病院にいるときもそうだが、休憩らしい休憩をまとめてとることはめったにない。のんびり休憩している間に急患が運ばれてこないとも限らないからだ。しかしここも神戸海原病院同様、敷地内は完全に禁煙なので、一服して緊張をほぐすには敷地外へ出るしかない。喫茶店に入ると「日替わりとコーヒー」と注文し、空いた席に座って真っ先にタバコに火をつけた。神戸海原病院では、院内の職員食堂か医局でさっと昼食をとると、職員専用の出入り口から携帯灰皿とタバコを持ってそっと出、同じく敷地を追い出される格好で一服している職員たちと目立たないように周りに気を配りながら煙を吸い、吐く。しかし東京のこの病院で、敷地の一歩外に出ただけの場所でコソコソとタバコを吸うような真似はできなかったししたくもなかった。ふーっと煙を吐き出し、一息つく。ゆっくりと大事に一本を吸うのであった。
そのとき、バッグの中で携帯電話が震えて着信を知らせた。取り出してみると、有薗からだった。こんな日中には珍しいと思いながら出ると、何やら急き込むような声調子で「今仕事中かな、電話大丈夫?」と気遣う言葉が飛び込んでくる。お昼時はとっくに過ぎていたから店内はガラガラだが、それでも真由は声をひそめて「昼休みだから平気」と応えつつ外へ出た。「急なんだけど、今月末、二十九日にCUBE、あそこでやる知り合いのアマチュアバンドのゲストで行くんだ。と言っても僕は二曲ほど参加するだけなんだけど。今正式に決まったからそれを知らせたくて。来てみない?」との誘いは、内容もその弾むような声も、自分に真っ先に知らせてくれる事実も、何もかもが嬉しい。「二十九日なら当直じゃないから大丈夫です、ぜひ」と応じる真由の声も、さきほどのひそめた声と違ってぱっと明るさを弾けさせた。「じゃあおいでよ。と言ってもその日はバンドの奴らと飲み明かして翌日には東京帰るから、お会いできないのが残念なんだけど。アマチュアっても結構いい音出す奴らだし聴いてみてくれたら嬉しいな」「喜んで。そうだ、それならさ、今夜あたり、ソノさんとかJAMANIAの誰か、東京のライブハウスにゲスト出演とかってないですか?」「昨日なら新宿に増岡が出没してたけどな。なんで?」「今ね、実は東京にいるんです。せっかくだから東京で何かライブ行ってみようかなとふと思って」「え、東京にいるの?仕事で?」「今週はアウェーで修行の身です」「えー、声かけてくれればご馳走くらいしたのに。いつまで?」「明日まで」「じゃあ明日にはもう帰っちゃうの?」「明日はホテル取ってないから帰ると思う」「じゃあ今夜食事でもしましょうよ」なんて嬉しいことを言ってくれる人だと感動に近い衝撃を受けつつも、真由は冷静に現実を鑑みて婉曲に断った。「とても嬉しいんだけど、お約束はできないです。何時に終われるかわからない」しかし思いがけず有薗は食い下がる。「じゃあ明日帰る前とか?バタバタして落ち着かないかな」「でもまあ、そちらの方が確実かもしれない。でも慌しいのもソノさんに迷惑な気がする」「僕は気にならないよ。せっかく真由さんが東京にいるんだもの、少しくらい会っときたいな。ね、そうしよう。仕事終わったら連絡してよ」「わかりました。でもあまり期待せずにいてください、ごめんなさい」「わかった、じゃあ、修行、頑張って」「頑張ります、ありがとう」
少しでも会いたい。と言った有薗の言葉が真由の心臓にからみついた。自分は自分自身を魅力的な人間だとはとても思えない。女らしくもなければ、人間としての温かみもない。こんな自分に、有薗は優しい。その優しさが嬉しくもあり、戸惑いもあり、ある種恐ろしくもある。そんな幸せを享受して良い筈がないのだ、と。
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不透明人間
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