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  透明の向こう側 作者:
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「この料理、おもしろいね」有薗は『feuilles』の料理をそう評した。「でしょう?」「イタリアンでもないよね、何だろこれ?」「シェフは一応フレンチを目指してるらしい。でもそういうくくりに収まりきらない」「うん、フレンチって感じでもないな。完全にはみ出してる」「だいたい二、三か月ごとくらいのペースで新しいコースが出るんですけどね、毎回驚かされる。いつ来ても新鮮。それにね、素材がこのあたりのもの、たとえば今食べてる淡路鶏とか、さっきの前菜の明石のタコとか、そういうものが使われてて、ハーブなんかもみんなシェフの自家菜園なの。そういうこだわりがなんとなく嬉しい」と真由は嬉々としてこの店のよさを語り、有薗はいちいちうなずきながら誠実に耳を傾けてやった。「うん、本当に新鮮って形容がぴったりだな。おいしい」「良かった。ソノさんなんてきっと口が肥えてるから合わなかったらどうしようかなって心配してた」とほっと胸をなでおろす仕草と安心して頬を緩める表情はどうやら本気で彼の反応を心配していたらしい。「おいしいよ。それに僕は別に口が肥えるほどいいもの食べてないよ」「だって芸能人ってすごく高いお店とか行き慣れてるでしょう?」「だから僕はそんな大物じゃないって。芸能人なんて言われるのこっぱずかしいな、よしてよ」「JAMANIAはすごいなって昨日改めて思ったけどなあ」「どうして?」「ライブに行くたび、ますます魅力的になる。こんなに楽しいことはないってその時は思うのに、次行ったらもっと楽しくなる。そして次がますます楽しみになる。ああ、素敵な循環」「ほんとに?すげえ嬉しいな」「本当に素敵な時間をありがとう。本当に昨日は幸せだった。特にね、アンコールで最後の最後にソノさんの『Rest Time』がきたでしょ、あれ嬉しかった。最後にドカンって気分が爆発した」「実はね、昨日の神戸は、このツアーのセットリストとちょっと構成変えてあったんだ。本当はあの曲はもっと初めの方でやるんだけど、神戸がきっかけでできた曲だから、特別に最後に持ってきた。気分が爆発してくれたなら大成功だね、嬉しいな」「あーっ!」「え、何?」「明日大阪行くのに!セットリストは絶対教えないでって言ってたのに」「あ、ごめん」「あ、私こそごめんなさい。でも嬉しいな、神戸で思いついた曲を、特別に神戸で思いをこめて演奏してもらう。すごく嬉しいな」真由は言葉どおりとても嬉しそうににこにこしている。「そんなに喜んでもらえると僕も嬉しい」つられるように有薗もにっこり笑う。「こうして、ソノさんの口からそういう裏話を聞けちゃうのもまた嬉しい」と有薗をはっきり見つめて、にこーっと微笑んでみせる。まったく無邪気な笑顔に有薗の舌もつい滑らかになる。「どうして僕のあの曲が神戸とまつわるのか、それが理解できるのは真由さんだけだもの」「それってすごい。すごいです。もう感動もの」両手で頬を包み込んでも、感動が押さえきれずに溢れてしまう、そんな高揚感が真由の表情と声からひしと有薗に伝わった。「なんであの曲を書いたのかは誰にも言ってないから」「えっ、そうなの?」「そうだよ」「<塔oーは?」「どうしてこの曲ができたとかいちいち説明なんかしないよ。ただ『曲ができた』って。だから昨日、曲順変えたいって言ったときは誰にも反対されなくてほっとした」「何か、聞いてはいけない重大なことを聞いてしまった気が」真由が目を見開いて妙に姿勢を正してかしこまると「そんなに大げさに考えないでよ」と有薗はそっと手を伸ばして彼女の頭をなでて余計な緊張を取り払った。この人には素直すぎるほど豊かな感情表現が似合う。彼女の正直な思いが心地いい手応えでアーティストとしても人としても刺激になる。だから余計なことは考えなくていい。
 デザートのマンゴープリンも「これはいける。うまい」と有薗はぺろりと食べきった。「思い切って連れてきて良かった」と真由は満足げに微笑んだ。「店の雰囲気もいいよね。静かだけど、窮屈じゃあなくてくつろげる。初めて来たのにすごく落ち着く」有薗がこの店と、この時間をくつろげると表現したことがますます真由を嬉しくさせた。長旅の道中にある人に、つかの間でも安らぎの時間をもてなすことに一役買えたならそれは真由の喜びでもある。
 コースの間はビールを飲んでいたが、デザートの後、有薗はジントニック、真由はシーブリーズを飲んでいた。「やっぱりウォッカ好きなんだね」と有薗にからかわれて真由はあれ?という風に有薗を見た。やっぱり好き、と言われるほど自分はこの人の前で酒を飲んだろうか。確かに自分はウォッカが好きで、カクテルもウォッカベースのものを好むが、それにしてもこの人は冷静によくものを見ている人だな、と感心すると同時に一瞬警戒に似た気持ちが湧いた。この人は、自分を見破るかもしれない。直感的にそんな感じがした。「ほんとは料理の間もビールじゃ物足りなかったんじゃない?」「ここはお料理がおいしいから、強いお酒を一緒に飲んでその味を忘れちゃうのはもったいないもの」「真由さんは強いから大丈夫でしょう?」「強いって・・・私だって酔うことありますよ」「そうかな、だって見たことないもん。何度かお酒ご一緒したけど、いっつも全然変わらない」「あんまり言わないで。かわいげのない自分の肝臓が憎くなる。母にもいつも『女の子なんだから調子に乗ってガバガバ飲まないで人前ではほどほどでやめなさい』ってよく怒られました」「ました?」「ああ、もう何年も前に亡くなったから。今ではそういう小言も懐かしいかな」「お父さんもいないんでしょ。兄弟は?」「ひとりっこ。天涯孤独ってやつ?心配かけてばかりで何も孝行できなかった親不孝者です」父親がいないと言ったときもそうだが、母親も兄弟もいないと言う彼女は本当に答え方がさらっとしている。どう考えても両親ともに亡くすには若すぎる筈なのに、失ったものを取り戻せないことを冷静に受け止めきっている。
 だから彼女は人に優しいのだ。
 よくわからないが唐突に有薗の中にそんな結論が出た。
「今立派なお医者さんになってたくさんの人を救ってる。ちゃんとお母さんはわかってくれてるよ」自分の中の唐突な結論と、自分が信じた真由の優しさを総合的に判断して、決してなぐさめではなく本心で有薗はそう言った。「立派だなんて。私なんてまだまだ」と真由はひらひらと手を振ってその言葉を否定したが「僕だって君にどれだけ救われたことか」とさらに有薗は本心を言葉にした。本当はもっと言葉を尽くしてやりたいのに。入院していた頃の僕にどれだけ君の優しさが温かかったか、今の僕がどんなに君を好きか言葉にしたいのに、僕はそれを表現しうるだけの言葉を知らない。そうじゃない、どんなに言葉を尽くしても伝えきれないくらいに僕は・・・有薗の心の中で真由に伝えたい思いがぐるぐると渦巻くが、ついに彼はそれ以上の言葉をつむぐことができなかった。
「確かにね、自分が早くに母を亡くしたから余計頑張れるってところはあります。大切な人を失う悲しさはよくわかってるから」「自分がなんだか恥ずかしくなっちゃうよ。真由さんよりずっと年上なのに、未だに音楽なんてやっててちゃんと食っていけるのかってずっと心配かけ通しだし、いつまでたっても結婚もしないし」「結婚しろって言われるの?」「うるさいくらい。僕の実家なんてものすごい田舎だから、まさか男連れて帰って『恋人です』って紹介できない。パニックに陥るだろうね」「全然気付いてないのかな」「たぶんね」「メンバーは?」「さあ、どうなんだろうね。何も言われたことはないけど。と言うかさ、真由さんは僕のこと本気でゲイだと思ってるの、気持ち悪いとか思わない?」「別に気持ち悪くなんかないしショックでもない。退院の時には恋人が来る、って言ってて、彼がいたから『ああ、そうなんだな』って単純に思った」「ずいぶん素直な人だな。もっと驚くかと思ってわざと『恋人が来る』なんて言ってみたんだけど」「え、そうなの?」自分の反応を試されていたのだと初めて知って真由はぷっとふくれて軽く睨んで見せたが、すぐに「期待に沿えず申し訳ない、残念でした」と笑った。
「こんばんは。今日の料理はどうでしたか?」シェフがにこにこと真由たちのテーブルに挨拶に来ると二人は一旦話を打ち切って顔を上げた。「私本当はタコ苦手なんですけど、思いきって食べてみて良かった、おいしかったです」「タコ苦手だったんですか?渡部さんは苦手なもの多いなあ。でも好きになれそうなら頑張ってみてくださいよ。デザートのプリンもね、他のお客さんのは生クリームでトッピングしてるのに、渡部さんのはあえてしなかったんですよ」「あ、そうなんだ。それはどうもありがとう。プリンすごく口当たり良くって、まさに舌の上でとろける感じ。お持ち帰りしたいくらいです」「嬉しいな、実はあのプリン結構好評なんでね、定番メニューにしようかなと思ってるんです」「きっと人気出ますよ」
 やりとりをにこにこと眺めていた有薗が「真由さん、名前も苦手なものもちゃんと覚えられるくらいここの常連なんだね」と言うと「でもいつも同じ友達と来る。人を連れてきたのは初めてです」と答えたものだから「光栄だな」とますます有薗の相好は崩れる一方だ。
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