ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  透明の向こう側 作者:
39
 神戸の会場は、開場時刻を前にすでに熱気のこもった人々が群をなしている。真由たち四人はチケットを取った真由がそれぞれにチケットを送ったので、各々席についてそこで初めて集合する。その日、真由は当直明けでそのまま仕事を続け、結局夕方になってようやく一旦自宅に帰ってスーツに着替えただけで、会場へ来た。おとといの晩からほとんど眠っていなかったが、もうまもなくJAMANIAに会えるのだと思うと体の疲れなど吹っ飛んでわくわくしてしまう。列に並び、開場とともに席につくとすでに万里子がいた。「アルバムが良かったからすごく楽しみで」はやるように家を飛び出てきたと言う。「席、全然悪くないよ。それにほぼセンターやからステージ全体見えるし。やっぱ真由は神の手だ」「たまたまやって」そんなことを言っている間に佳奈が到着し、やはりステージを見てセンターでいい席だと言った。開演ギリギリに「間に合ったー」と美樹が駆け込むなり「目いっぱい汗かくで!」とバッグからタオルを取り出して抜群の意気込みを見せた。四月に真由が東京でのライブハウスの状況を「まるでダンスホール」と評したせいか。
 場内の明かりが落ち、流れていた音楽が止まるとわあーととどろきとも取れる歓声と拍手が沸き、期待が会場を震わせ、前方の客来は早くもほとんどが立ち上がる。
 一度のMCもなく、ひたすら音楽で観客を酔わせ、誰もがこの時間が永遠に続くことを願わずにいられないほどのステージでJAMANIAは魅了した。音楽に合わせ、もはやそれ自体意思を持っているかのように体が勝手に動く。時にリズムに合わせてこぶしを高々と振り上げ、ジャンプし、ときに静かにゆらゆらと肩を揺らして耳を傾け、全身を音楽にゆだねた。ここも、気づけばダンスホールと化していた。
 メンバーたちが袖に引っ込んでステージが無人になったとき、会場は指笛の音、メンバーの名を呼ぶ声、鳴り止まぬ手拍子、そして声にならない興奮で満ちた。彼らの再登場を願う観客の気持ちが最高潮に達したのを見計らうかのように彼らは再びステージに姿を見せた。
 アンコールではまずデビュー曲で原点回帰を図り、締めくくりでSONOの曲『Rest Time』が爆発した。
「ソノさんツアー中だし体力付けなくちゃ。今日はちゃんとご飯食べましょう」と真由が有薗を伴って『feuilles』を訪れたのはその翌日である。
 席に着いて飲み物を注文すると、有薗がにこっと微笑んで口を開いた。「一年経ちました。ちょうどまた、神戸です」たったそれだけだが、一語一語を噛締めるようにゆっくりと発音する。怪我をしたショック、迷惑や心配をかけてしまった後悔、無事に復帰できた喜び、やはり自分は音楽が大好きでたまらないのだと痛烈に認識させられた期間。様々な思いがこの土地で有薗の胸に去来する。その胸の内を見透かすように、真由は黙って微笑んで見つめ返すだけで何も言葉にはしない。真由が有薗の思いを少ない言葉から汲み取るように、有薗もまた真由の微笑がそれを意味することを理解する。二人の間には言葉を費やさずとも感覚を共有し合える何かが確実に育っているのに、互いにそれがあまりに自然に起きていて気付きもせず、ただ居心地の良さを感じるばかりだ。
「神戸の素敵な夜に乾杯」と有薗がウインクすると、ゴクッと一口ビールを味わってから「そんなこと言って、どうせ昨日も打ち上げで遅くまで飲んでたんでしょう?」と少し皮肉るように真由が笑った。「遅くっていうか・・・明け方?」「飲むのはいいけど、怪我とか病気しちゃ嫌ですよ。ほかのメンバーももちろん。私は幸いメンバーの欠けたライブは見たことないけど、ソノさんのいない間、ファンはみんな心配したし寂しかったと思うもの」そう話す真由の顔からは笑顔が消え真剣そのものだった。「肝に銘じます」と大きくこっくりとうなずいて有薗が素直な返事をしてみせると「よろしい」と再び笑顔をほどかせた。
 昨夜、当直からずっと眠っていなかった真由はぐっすりと眠った。ライブの後の充実感に満たされ、心地よい体の疲れとで、とても気持ちのよい眠りだった。「大阪には当日行くから神戸に泊まります」と事前に聞かされていて、真由は迷わず彼を『feuilles』に連れて行こうと思った。あまり出歩かないからほかに料理のおいしい店をほとんど知らないこともあったが、なんとなく彼も『feuilles』を気に入るような気がした。
「ほかの人もみなさん神戸にいらっしゃるの?」「うん、今夜も全員神戸。前に言わなかったっけ、結構神戸はみんな好きだよ」「そう言って貰えると、神戸を愛する神戸市民としては嬉しいな」「清水は嫁さんと子どもも連れて来てる、今頃どこか家族で観光してるか、飯でも食ってるんじゃないかな」「今ならまだぎりぎり夏休みだからお子さんも来れますもんね」「そうみたいだね」「ソノさんは恋人連れてきたりしないんですか?」「そんなことしない。あいつは普通の会社員だから仕事ある」「じゃあツアー中とかってあまり会わないんだ。寂しくないもんなの」「ツアーでも東京近郊のときは僕も東京にいるし。第一そんなにべったり一緒にいたいとも思わない」言ってから有薗はしまったと思った。正直に表現しすぎたと思って「こんなこと言うと僕は冷たい奴に思われるかな」と付け加えて様子を伺ったのだが「相手も納得してるならいいでしょう。息苦しいよりずっといい」とさらりと表情も変えずに応じる真由はどうも有薗に取り繕う感じでなく、本心のようだ。「でも退院のときは病院まで迎えに来てくれてたじゃないですか。愛されてますよ」と冷やかして笑うあたりは女性の感性か。「来なくていいって言ったんだけどね。やっぱり怪我してたから心配だったんだろうね。真由さんは、女の子にしてはずいぶんドライな感じだね」「そうですか?女性でもドライな人はいくらでもいるでしょう。私はベタベタした関係は苦手です」「そうなんだ」「異常かもしれませんけどね」「異常?どうして?」「昔、ベッタリするのが好きな人と付き合ってて、会うたびに私はその人がだんだんなんと言うか・・・もう憎しみに近いくらい嫌になってしまって。例えば、その人から電話がかかってきたときに私が出なくて、後で掛けなおしたりすると『俺が話をしたいそのときに電話に出ろ』とか言うの。はあ何それ?って感じ。男友達と電話しただけで『あいつとはもう会うな』とか。うわ、束縛男!今思い出してもぞっとする。んで面倒になってある日突然、黙って引っ越した」「引越し?それはすごいな」「自分の領域にあまり他人が侵入してくるのを認められないんです。私こそ冷たい奴でしょう?」「そいつとは相性が合わなかっただけでしょう。だけど」「だけど?」「そういう自分に対して嫌悪感を抱いてなければいいなと思う」
 まただ、また真由は有薗の言葉に背筋がスッと冷える思いがした。まさに、真由はそういう自分に嫌悪感を抱いていた。目前の嫌なことから逃避する卑怯な自分、自分を好きだと思ってくれている男に何の好意も抱いていなかったどころか、憎悪に近い感情すら育てていた自分。有薗は、そういう思いを見透かしてしまう気がする。彼の目には、自分がどういう風に映っているのだろう。
「そう言う真由さんには、僕とこんな風に二人で食事するのを妬く人はいないの?」「いない、きっぱりといない。それに男の人とご飯食べてるだけで嫉妬するような狭量な人は願い下げ」想像するのもうんざりだといわんばかりに首を横に振る真由に有薗は「手厳しいな」と小さく笑った。「私は付き合ってる人が浮気しても怒らないし悔しいとも思わないもの。もちろん私も自由にさせてもらう。束縛なんてするのもされるのもまっぴら」「ずいぶん割り切った人だな」「そう言えば、一度友達の旦那さんに、ソノさんと一緒のところ目撃されてました。真由やっと彼氏できたんだねって言われて、はじめ何のことかわからなかった。よく聞いたらどうもソノさんと一緒のところを見たみたいで」「やっとって言われるくらいずっと恋人いないの?」「いない」「好きな人は?」「人を好きになるのって、ものすごくエネルギー要りません?今の私には無理です」「えーっ、僕は真由さんのこと好きだよ?僕はそんなに難しく考えなくても、ただ好きだから好き。それでいいと思うけどなあ」その刹那、真由は有薗よりもどこかもっと遠く、果てしない彼岸を見ているような焦点の定まらない目をし、そこにはたっぷりの哀しみが含まれているようだった。有薗の「好き」がごく軽い意味とわかっていても悪い気はしない。嬉しいし驚きでもある。それでも真由の中では、喜びよりも他の感情が勝った。他者を好きだと思えること、それを正直に口にできること。有薗という人間の無邪気さが途方もなくうらやましい。「ソノさんはきっと人を愛するエネルギーがいっぱいなんですね。私には、人を好きになることがとても難しい。それだけ」力ない微小、むしろ何かを諦めたような観念の表情に、彼女の言葉どおり、恋愛感情かどうかではなく、他人に好意を持つこと自体が彼女にはとても困難な作業なのだと理解せずにはいられない。彼女の口から出る言葉はいつも軽妙で、会えばその笑顔の快活さに気分が軽くなるくらいないのに、一方でこんな哀しみの顔を持つことが、有薗にはたまらなかった。今まで何十年も生きてきて何百何千もの人と会ってきたが、こんなに哀しい表情を見たことがない、隠そうとしているのに隠し切れずにあふれ出る哀しみを見たことがない。
**ランキング参加中**
NEWVELに投票
ブログにて更新情報を掲載しています。
不透明人間


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。