35
チケット発売の土曜日は休日で家にいたので、真由は気楽に構えて発売開始時刻ちょうどくらいにチケットサイトにアクセスしようとしたら、思いがけないほどJAMANIAのページにつながらなかった。「嘘っ」と思わず口に出しながら何度も何度も更新ボタンをクリックするがエラーが返ってきてしまう。「うわ、取れへんかったらどうしよう」と冷や汗かきかきひとりごちながら、ひたすらアクセスを試みる。十分後にようやくつながり、まずは四人全員が参加する神戸の予約手続きをした。無事に完了の画面が表示されほっとしつつ、再度JAMANIAのページに入ろうとしたが、これもなかなかつながらない。なんとか無事に大阪のチケット二人分も完了の画面を見ることができるとすぐに美樹たちへ宛ててメールを書いた。「かなりサイトが混雑してたので席は期待しないで。彼らも売れてきた」と書き添えた。間違いなくデビュー以来もっとも入手困難なチケットだった。神戸も大阪も指定席のホールだから、小さなライブハウスより定員はずっと多いはずだ。それでも手続きまで十五分以上かかったことを思うと、今後小さなライブハウスでやるときなど無事にチケットは取れるんだろうか、と心配せずにはいられない。
有薗にも無事にチケットが取れたこと、大阪と神戸の二度行くことを知らせた。今年は東京のミニライブと合わせて三度もJAMANIAに会える素敵な年だ、と思うままに正直に書いてみたら早速その日の夜遅く、有薗から電話があった。まずは深夜であることを詫び、気遣う言葉を発するもののその声は明るい。「チケット今日が発売だったんだね。メール見て、嬉しくってさあ」と真由の参戦報告を心から喜んでいるのには、真由の方がいささか驚いてしまった。JAMANIAの底抜けに楽しいライブを待ちわびているのは自分の方なのに、この人は自分ごときが客席に加わることを本当に楽しみにしてくれているのだと思うとなんとも温かい気持ちがこみあげるし、同時にファンの期待を満足させるステージに自信があるのだろうと推測すると嬉しくもある。「ソノさん、絶対JAMANIA人気出てきてますよ。今日なかなかチケットサイトにつながらなかったから焦りました」「そうなのかな、確かにアルバムは結構売れてるらしいけど、よくわからない」「意外に本人は自覚ないものなんですか?でもやっぱりCD売れてるんですね。ほんと今までより格段にチケット取りづらくって。たぶんすごく後ろの方の席です。音楽が聴ければいいんですけどね」「・・・それだけ率直に『音楽が聴ければいい』と断言されるのも妙な気分だな」微妙に声のトーンが落ちて、有薗の苦笑いがありありと脳裏に描かれた。「もちろんステージに近いほうが嬉しいんですよ。断然気分盛り上がりますよ!」真由が力をこめてそう言うのには有薗はふふっと小さく笑って答えた。「神戸と言えばね、真由さんに話したいことがあったんだ。うちのメンバー、真由さんのこと覚えてたよ」「え?」「こないだ神戸が話題になってね、そしたら神戸って言えばお前入院したなーって話になってさ。太田が『あのときの先生、俺よりでかかった』って」「嘘・・・」真由は絶句した。有薗が救急搬送されてきたとき、メンバーとは控え室で少し話しただけだ。そもそもあのときは患者がSONOだということも気づいていないから、後に控え室にいたのがメンバーだったと判明したくらいで、真由にはメンバーの判別はついていない。まして誰も自分のことなど覚えていないと思い込んでいた。まさか記憶の端くれとはいえ、JAMANIAのメンバーの内に自分の思い出があるとは思いがけない事実だった。嬉しいような恥ずかしいようなとにかく照れくさい思いがした。「ほかのメンバーも『そう言えば女の先生だった』とか。『綺麗だった』って言ってた奴もいた」「綺麗は嘘でしょ」「ほんとほんと」「人は嘘をつくとき、言葉を繰り返すものです」「本当だって。僕は別に否定も肯定もしてないよ」否定も肯定もしなかったとはこれまた正直な男だ、とそっと胸のうちで笑った。「じゃあソノさん、高遠先生は覚えてますか?」「もちろん。お世話になったもの」「私、高遠先生と不倫してて、温泉旅行まで行った仲らしいですよ」「ええ?」「この前ね、エライ人に呼び出されて説教されたんです。私と高遠先生が同じ日に休んだのは、一緒に温泉旅行に行ったからだろう、身を慎め、って感じで」「それ本気で?」「本気だから参るんですよ。こってり無実の罪で説教ですよ。へこむより笑えましたけど」「いろんな人がいるもんだね。真由さんが不倫するような人にはとても見えないけど」「それはどうかな。私はそんな堅い人間じゃないです」さらっと何気なく真由は真実を答えたが、有薗は聞き流したようだった。ああ、この人は私という人間を誤解している。私はそんな善良な人間じゃないのに。真由は自分だけが知る自分の本性が悲しかった。所詮作り物の自分をしか他人には見せられないのだ。「でもね、不倫どころか、高遠先生は結婚記念日で奥様と旅行してたんですよ。高遠先生が気の毒なくらい。本人も笑ってましたけど」「すごいな、真由さんて人の誕生日とか記念日とか覚えるタイプ?」「覚えません。たまたま高遠先生の結婚記念日と自分の誕生日が一緒だから強烈に覚えてしまっただけで」「え、誕生日だったの?いつ?」「四日。十九になりました」「・・・未成年かよ」「永遠の十九歳です」「そう、じゃあちょっと遅れちゃったけど、誕生日おめでとう」「あ、ありがとうございます。そういうつもりで言ったんじゃないんですけど」「まあそう言わずに。「教えてくれてたらちゃんと誕生日にお祝い言ったのにな」「ソノさんのお誕生日は?」「十二月二十六日。去年真由さんがクリスマスプレゼントくれたでしょ、あれ誕生日も近かったし結構嬉しかったんだな、実は。あの帽子、評判良くってね。年末にカウントダウンライブしたときとか春先まで気に入って何度も被ってたんだよ」「そっか、良かった。それぞれ趣味もあるし身に着ける物とか形に残る物って人に贈らないんですけど、あのときはたまたまあの帽子見かけて一目ぼれしたんです。ソノさん似合いそう!って。あんなもの押し付けちゃってどうやったんかなーって心配だったんですけど、気に入っていただけたんなら良かったです」「そうだ、ツアーのセットリスト」「ストップ!言わないで。絶対言わないで」「違う違う、もしご要望があれば参考に、と思って」「じゃあデビューから今までの曲全部」「それ無理」「JAMANIAがデビュー曲からすべて演奏します!なんてライブあったらたぶん私熱狂しすぎて失神します」「いや、その前に俺らがぶっ倒れるから。絶対無理だから」「ソノさん、あんまりご飯食べないでしょう?すごく細身で心配になります。ライブに向けて体力つけてくださいね」「体力ねえ。メンバーの中にはランニングを毎朝欠かさないストイックなのがいるけどね。僕は無理だな」「ランニング野郎はずばりKOUさんでしょう?」「当たり。何、医者の目?」「ファンの目です。ちなみに清水さんはムキムキ鍛えてるタイプ」「すごい、それも当たり」「本当に?適当に言ってるだけですよ」「そうなの?でも本当に当たってるよ」「あ、今友達からメール来ました。大阪と神戸のライブ一緒に行く友達です。二日もライブに行けると思うとそれだけで興奮して鼻血が出そう、ですって」「そんなに期待されると緊張するな」「おやすみって書いてある・・・、うあ、もうこんな時間!私いっぱい喋っちゃってごめんなさい」時刻は深夜の一時を過ぎていた。「僕の方こそ遅くに電話しちゃってごめん。あ、ごめんじゃなくて、色々楽しい話をありがとう。ライブも予約してくれてありがとう」「八月、楽しみにしてます」「うん、目一杯頑張るからはじけて。おやすみ」「おやすみなさい」
今朝、アクセスできない状況に焦りながらチケットを取ったアーティストとたった今「おやすみ」の挨拶を交わしたのかと思うと言い知れぬ感慨が真由を包んだ。不思議な気分だった。間違いなく有薗はJAMANIAのベーシストSONOだし、だからこそいち早くツアー情報を真由にもたらすことができる人物なのだが、それ以上に真由にとっては親しみの持てるひとりの男であった。親しく電話で話し、ほっと寛いで職場でのくだらぬ笑い話に興じる。いつの間にか彼にそんなに親しみを抱いていることも、彼がそれを受け止めてくれていることもなんとも不思議なのだ。
**ランキング参加中**
NEWVELに投票
ブログにて更新情報を掲載しています。
不透明人間
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。