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五月下旬のある日、真由の勤める病院で「神戸市西区で自動車の多重衝突事故発生、閉じ込め、傷病者多数」という想定で災害対応訓練が行われた。訓練は事前に幹部職員にのみ知らされており、真由たち下っ端の職員たちは本物の事故だと思って情報収集や体勢作りに走り回った。大きな事故や災害が起こったときには、院長を筆頭に災害対策本部が置かれる。災害時のマニュアルを必死に思い出しながら救急センターで患者を待機する態勢に入っていた真由は、災害時の現場指揮者である救急部長の高遠に電話がつながらなかったのでそこにいた看護師に「対策本部に行ってきます、すぐに戻ります」と告げると二階の大会議室に駆け込んだ。ここが災害対策本部である。ところが、そこには誰もいなかった。まったくの無人であった。会議テーブルに並んだ何台ものPCの画面と、会議室正面の大スクリーンには兵庫県内の病院、診療所の大半が参加してできている救急ネットワークの画面が映し出されていた。画面に災害発生を知らせるサイレンの点灯した画像と、事故についての端的な記述が映っている。それを読んで初めて真由はこれが訓練なのだと知った。事故の記述に【訓練】と但し書きがあったからだ。スクリーン横のホワイトボードにすばやく目を走らせると「13:07 西区で多重衝突事故発生 13:15 重軽傷三十名程度 13:21 閉じ込め一名、重症二名、うち一名搬送済み」とわずかに三行書かれているのみで、状況がまったくわからなかった。中央区にある自分の病院に何人の患者が搬送されてくるのか、その重症度は?災害時用の緊急車両を持っているのに、出動はしないのか?真由はあまりの危機管理の甘さに頭がくらっとするのを感じた。訓練とはいえ、初動がぬるすぎる。すぐに会議室を飛び出し、会議室に隣接する事務室に飛び込むと「隣の災害対策本部がからっぽです、誰か待機してください」と半ば怒鳴りつける勢いで言い残してまたすぐ一階の救急センターに戻った。普段、救急センターが一度に受け入れる患者は二名までである。しかし、災害時には簡易ベッドを出したり、テントを張ったりすることで多くの患者の処置に当たることになっている。救急センターではまだ訓練と気付いていないスタッフたちが簡易ベッドの用意や手術室の用意をしていた。救急ネットワークが災害モードに切替わっていたということは、たぶんこの病院だけの単独訓練ではなく神戸市内、阪神エリア、もしくは県内一斉と言ったまとまった訓練の筈だった。研修医の頃にも何度かあの画面を見た覚えがあった。
救急センターで待機する救急部医長のもとに高遠から「西区の事故は訓練です。患者搬送はありません。実際の搬送はありませんが引き続き訓練を続行してください」と連絡がきたのはしばらくしてからだった。
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