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  透明の向こう側 作者:
24
 真由はわくわくと有薗の話に耳を傾け、彼女の喜ばしい顔に有薗の舌も軽くなる。JAMANIAはメディアへの露出がほとんどなく、公式サイトなども持たず、とにかく情報のないバンドだからどんな些細な話でもすべて新鮮で驚きだった。いちいち「へえ」「うわあ」と感嘆の声を漏らし、熱心にうなずいたりきらきらした期待の目で有薗を見つめる。
「JAMANIAみたいに、音楽を聴いているだけで楽しくなって躍動感があって、ライブに行ったら時間があっという間に過ぎて、異世界に飛び込んだみたいに夢中になれるバンドって、私はほかに知らないです。わーっとなりたいときにはわーっとはしゃぐ曲、静かに落ち着きたいときにはまたそれにぴったりなしっとりした曲もあるし。すごく音楽が幅広くて、情熱的でとても力強くて・・・」真由がそう言うと有薗は照れくさそうに「そこまで誉められるのは慣れてないな、誉めすぎだよ」と笑って言葉を遮った。真由も自分の言葉の大げささに少し恥ずかしくなって苦笑してしまった。
 恥ずかしさから視線を泳がせた真由はしばらく無言でピアノの方を見つめ、有薗はじっとその横顔見つめていた。神戸でもそうだったが、この人は本当に生演奏を全身で享受するのが好きなんだなと感心する。飽くことなくステージを見つめる瞳は真剣そのものだ。
 有薗には不思議だった。真由は会うとこうして快活なのに、ときおり驚くほどの冷たさがメールや電話で発せられる。しかもそれが彼に対してではなく、彼女自身に対してのように思える。彼女にはもうひとつの醒めた顔があるような気がして、それが彼には気になった。もうひとつの顔を、その理由を知りたいというのではない。ただ気になってしかたがないのだ。できれば、入院していた頃に抱いた印象、明るくてのびやかな彼女だけを見ていたかった。彼女の明るさが、自分の不注意が招いた怪我で周りに迷惑をかけてしまった後悔や、好きな演奏ができない辛さから大いに彼を救った。それに彼女の明るさは、彼が今まで出会ったどの女性よりも軽やかでさわやかだった。女を感じさせないさっぱりした感じが心地よく彼の心に侵入してきた。
 どのくらいの時間が経ったのか、ふと気付いて有薗が訊ねた。「真由さん、サケ飲むばっかりで何も食べてないんじゃない?おなかすかない?悪酔いしない?」いたずらがばれた子どものような顔をして真由は肩をすくめてみせた。テーブルには有薗が適当に注文した料理やチーズなどのつまみが載っていたが、有薗がつまんだ以外、まったく減っていないのである。すでに酒はビールを二杯、その後はブラッディマリー、そして今はウォッカトニックと、割ってあるとはいえ強めの酒を飲んでいる。有薗自身はビールのあとウイスキーをすすっており、真由がウォッカベースのカクテルを続けて頼んだときに内心少し驚いた。それにしても何も食べていないというのは体に悪そうな気がした。「私、お酒飲むときあんまり食べ物をつままないんです」「どうして?」「どうしてって、特に理由はないけど・・・昔からです」そのとき、有薗は見逃さなかった。真由は一瞬さっと有薗から目を逸らして明らかに困った顔をした。答えを探す風に目をさまよわせた。すっと視線を有薗に戻すと「酒に強い家系なんです」と真由は笑ったが、有薗はにそれは言い訳のように思えた。何か理由があって酒を飲むときに何も食べないというスタイルになったのかな、と思った。「叔父もね、会社員だった頃は同僚に『お前と飲んでると飲みすぎる』ってよく言われたそうです。ちっとも顔色も口調も変えず淡々と飲むもんだから、同じペースで飲んでたら気付いたら飲みすぎになっちゃうんですって。叔父は母の弟だから、母方の血筋でしょうか」そう話す真由の笑顔は、まぎれもなく本物で、作り話という感じではなかった。何を隠すのかと少し疑問に思うものの、そこに悪気はなさそうで、それ以上勘ぐっても何も得るものはないと悟った有薗は少しからかうように「君も全然顔色、変わってないよ」と顔を指差し、真由は思わず恥ずかしそうに両手で自分の頬を覆った。「母方の血筋ってことはお父さんはお酒弱いの?お母さんや真由さんの方が強かったりするんだ」と有薗が笑うと真由はさらっと答えた。「父のことは何も知りません」「え?」「私が生まれてすぐに亡くなったので、記憶にもありません」真由は別に苦々しい顔でも困った様子でもなく、ごく当たり前のことを話しているという淡々とした顔をしていた。そのことがかえって有薗を驚かせた。父の記憶はありません、とこんなにあっさりと人は言えてしまうものなのだろうか。「ごめん」と言ったきり有薗が黙り込むと、真由が申し訳なさそうに顔を覗き込み「あの、気にしないで下さいね。私くらいの歳なら普通お父さんは元気ですもん、父親がいると思って話をするのは当たり前だと思います」と言い、本当に気にしないで、と真由は優しく繰り返した。
 生まれてすぐに亡くなったということは、きっと彼女は子どもの頃から父親のことを聞かれては「いない、知らない」と答えることに慣れてしまったのだと思い、つまり父親から愛されたことがないのだと思い至ると、有薗にはたまらない思いがした。
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