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  透明の向こう側 作者:
17
「また来てよ、待ってるよ」とマスターに見送られて、日付がとっくに変わった深夜、二人は店を出た。「明日は仕事?」と有薗が訊くと真由は「はい」とだけ答えた。「遅くまでごめんね。ついつい長居しちゃったな」と両手をコートのポケットに突っ込みながら申し訳なさそうに真由を見た。何時間も一緒にいたわりに、そんなに多くの言葉を交わしたわけではない。恋人同士のようにただ見つめ合っていれば幸せというような二人でもない。それでも時折ポツリポツリと、演奏されている曲について真由が訊ねれば有薗が答えてやり、JAMANIAのどの曲が好きかと彼が問えば真由が真剣に悩んで悩みこんで答えを決められずに「どの曲も好きすぎて・・・」とひしと訴えて有薗を笑わせる。「そろそろ帰ろう」という言葉を、どちらも思いつきもしないで気付けば最後の客になっていた。「こんな時間は全然平気ですよ。当直から続けて普通に仕事で休む暇もないこともしょっちゅうですもん。こちらこそ、素敵なひとときでした。ありがとう」と真由はまっすぐに有薗を見つめ返しながらにっこりと微笑んだ。駅へ向かって歩きながら有薗の泊まるホテルと真由の自宅が逆方向なことを確認し合うと、どちらからともなく立ち止まり、周りの喧騒をよそに沈黙が二人を覆った。「また誘ってもいいかな?」少しためらいがちに有薗が訊ねると、真由は「あらたまってそう言われるとなんというか・・・」と言葉を濁した。しかしそれは嫌という意思表示には見えなかった。言葉のとおり、あらたまってそう言われることを無性に照れくさがっているだけに見えた。「真由さんが仕事とかで東京へ来ることは?」と質問を変えると少し考えて「さあ。学会とか研修でもあれば行くかもしれませんけど。そうはないでしょうね」としごくあっさりとした答えである。「そっか。でもたまには会いましょうよ。良かったら、メールアドレス、教えてくれないかな?」と思い切って有薗は内心の少々の緊張を隠しながら訊いてみた。「いいですけど・・・」と言ったきり真由が返事に困っているようなので有薗は「あ、無理にとは言いません」と慌ててぶんぶんと顔の前で手を振って自分の言い出したことを否定した。「いや、あの、私、すごく返信が遅かったり返事しなかったり、いい加減なんですよ。仕事が不規則なのもあるし、もともと筆不精な性格だから。だから申し訳ないなと思っただけで」と真由もまた自分の顔の前で手をぶんぶんと振って懸命に言い訳をした。「ツアー情報とか、ファンクラブより早いよ?」と言ってみると真由は「うわ、魅力的だなあ」とファンの顔になって、それからはっとしたように「それってなんかソノさんを利用してJAMANIA情報を入手するみたいでやだな」と苦笑いをこぼした。「そんなに深く考えなくても。僕の方からお願いしてるわけだし」真由はしばらく考えていたが意を決したように「そうだ」と言ってバッグの中を探り、携帯電話を取り出すとポツポツとボタンを押してしばらく操作し「ソノさんのアドレス、入れてください。それに今ここで返信しますから」とその電話を有薗に差し出した。有薗は小さくほっと顔をほころばせ「オジサンだから操作遅いよ、ちょっと待ってくださいよ」とそれを受け取り真剣な表情でボタンを押し始めた。「@はどうやって?」「このボタンです」「ああこれ」と顔を寄せ合い、手を触れ合った。一歩下がって有薗が携帯電話と格闘する様子を観察すると、ふふっと真由が笑い「今のソノさん、写真に撮っておきたい姿です。ライブとかじゃ絶対見れない貴重なオフショット。自分の記憶にパチリ♪」とカメラを構えるポーズをしておどけた。今度はそんな真由を見て有薗がふふっと笑う番だった。ひとしきり不慣れな携帯電話と取っ組み合うと有薗は画面から顔を上げ真由に携帯電話を返した。受け取ると同時に真由はさっと画面を確認し、ポチッとボタンを押して「送信しました」と言った。有薗が急いでバッグから自分の携帯電話を取り出したと同時くらいにその電話は黙ってブルブルと震え、着信のランプが光った。「こっちはパソコンのアドレス?」とメールの本文を見て有薗が自分の携帯電話の画面を指差した。そっとそれを覗き込み「そうです。どちらでも気の向いた方へどうぞ。ってなんか私エラソーですね。ごめんなさい。ソノさんとこうしてアドレス交換するなんてありえないくらいラッキーすぎて頭混乱してます」と頭を抱えて言い訳し、自分の携帯電話に視線を戻すと「ソノさん、登録しました」と画面を見せた。『ソノさん』という登録名と、電話番号とメールアドレス、そしてにっこり満足げに微笑む真由の顔がそこにあった。その笑みに嘘偽りの混じり気が一切ないことが有薗には嬉しかった。
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