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三杯目のカクテルを注文するか、帰ろうかと悩んでいたところへ「あ、いたいた!」とのびやかに明るく、なのにどこか艶っぽさも含んだ大人の男の声がした。まさしく有薗であった。「ほんとに来たんだ」と半ば呆れる思いで真由が呟くと「あれ、信じてなかった?」と他意なさそうにさっぱりと笑って何の迷いもなく真由の向かいに腰をおろした。「先生は何飲みますか?」と真由のグラスが空なことに気づき「僕はビールにしよっかな。先生もどう?」と屈託なく訊ねると真由の返事もろくに聞かずに注文してしまった。二人の前にビアグラスが置かれるとさっそく顔の高さまで持ち上げると真由に向かって「東京での邂逅に乾杯」と軽く有薗がウインクし、真由も微笑しながら「有薗さんの復帰に乾杯」とビアグラスを持ち上げて、二人のグラスはそっとキスした。
灰皿に気付き、有薗は数度、真由の顔と灰皿の間で視線を往復させた。「タバコ吸うんだ?僕にはタバコ我慢しろって言ったくせに」と言うと真由は軽く笑い「私は自分がタバコを吸わないとは言っていませんよ」と茶目っ気のある笑顔で反論した。
大好きなJAMANIAのメンバーの一人と酒を飲んでいる。このことが真由には信じられなかった。自分の前にはSONOがいる。医師と患者として接していたあの数日間の方がよほど親しくものを言えた、と思った。しかし不思議と、思ったほどの緊張はなかった。
「先生」と有薗が話しかけてきたので慌てて真由は「先生は勘弁してください。渡部でも真由でもなんでも・・・呼びやすいように」と心底照れくさそうに言葉を遮った。病院の外で先生と呼ばれることはどうも落ち着かない。
「じゃあ遠慮なく、真由さん」と呼びかけるとにっこり笑って「僕のこともソノでいいですよ。今日は東京までお呼びたてしてすみませんでした。ただ、今日が僕の復帰ライブだったからどうしてもお知らせしたくて。JAMANIAなんてバンド、知ってました?」とわくわくしたような表情で訊いてきた。少し返事にためらったものの、真由は正直に答えた。「知ってるも何も、このツアーの大阪公演、行きましたよ」「えっ!」有薗が面白いほど大げさに目を見開いて驚いた。「学生時代に地元の小さなライブハウスにときどき行ってたんです。そのときにメジャーデビュー前のJAMANIAに出会って以来ファンです。デビューからのCDも全部持ってますよ」と長年のファンであることを白状すると、有薗はますます驚いた。「ほんとに?」「なんで嘘つくんですか?」「ああ、すみません。でもなんか信じられなくて。え、あ、じゃあ僕が入院してたときは気付いてたんですか?だから優しかった?」少し有薗はがっかりした風に問いかけた。不安半分、期待半分、といった表情だ。真由は自分の答えが彼を喜ばせるのかなど計算することなく、これも正直に答えた。「まったく気付いていませんでした。今日のライブで見るまで本当にわかっていませんでした。私は特定の誰かに優しくしているつもりはない、できるだけ患者さんすべてに、少しでも快適に入院生活を送ってほしいと願って行動しています。だから、良くも悪くも、ソノさんは特別ではありませんでした」うんうん、とうなずきながら有薗は真由の答えを聞いていた。そしてビールをくいっと一口飲むと、グラスをテーブルにそっと置きながら「良かった。JAMANIAのSONOだから優しいんだったら、ちょっとヘコんだかもしれないな。みんなに分け隔てなく優しい先生だから、僕は気にいったんだ。それにしても真由さんが俺らのファンだったなんてすげえ嬉しいなあ」と目を細め自分に言い聞かせるかのようにやはりうんうんとうなずきながらひとりごちた。「よく考えてみると・・・」と真由が何かを思い出すように記憶をたどりながら話し始めた。「私は大阪のライブに友人と行ったんです。ツアーの日程は、すぐ翌日が神戸だったんですよ。急に当直を交代させられて神戸のライブに行けなくなっちゃって落ち込んでたからよく覚えています。そしてその晩、ソノさんが入院。てことは、神戸のライブの後、打ち上げ中にでも転んだってことですか?」いたずらを発見された子どものような顔をして有薗は一瞬困った顔をしてから照れくさそうに笑った。「そのとおりです。ちょうど神戸がツアーの真ん中だったんですよ。んでその日は移動もなかったからそのまま神戸で『ツアーも半分まで来たぞー』って大騒ぎしてて」「なるほど。じゃあ私が仕事がなくて神戸のライブに行っていたら、ライブは満喫できたでしょうけど、医師と患者として出会うこともなかったんですね。仕事だったから出会った。そしてこうして今一緒にビールを飲むなんて夢のような時間を過ごせるわけですね」と真由は笑った。「仮にも医者である私が、怪我を喜んじゃ駄目ですけどね」と浮き立つ嬉しさににこにこしながら付け加え、有薗も同じくにこにこと聞いていた。「真由さんは僕とこうしてることを喜んでくれるんですか?」「ファンですもの、嬉しいに決まってます。普通なら、ずーっと片思いなんですよ?こんな嬉しいことってないですよ」真由がほのかに幸せそうな表情をしたのを、有薗は見逃さなかった。「嬉しいな。僕も真由さんと知り合えて良かったって思っています。『編み物が得意そう』って言われたのが痛烈に覚えてるね」というとくくっ、と思い出し笑いをし、真由はあっ、と小さく声をあげるとぷいとそっぽを向いてしまった。「真由さん、こっち向いてくださいよ。ほんとに僕はのんびりいい休暇を取れたって思ってるんですから。真由さんや高遠先生がしつこいほど無理するなって言うから、復帰だって今日まで待ったわけだし。本当はもっと前に復帰しても良かったんだけど。いい先生たちに恵まれたなって、本当、感謝してるんです。怪我で憂鬱な気分だったのに、リセットを図る時間なのだと発想の転換を教えてくれ、実際僕はとても前向きになれた。真由さんにはとても感謝しています。それに、できれば医者と患者じゃなくて、友達になりたいってあのときから思ってた」と言うと、真剣なまなざしで真由の顔を覗き込んだ。真由は少しそのまなざしのまっすぐさにたじろいだ。「真由さんの電話番号、今夜限定って藤原に聞きましたけど、延長は無理ですか?」
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