四
「ようこそ、お出で遊ばしませ。まあ、どうぞこちらへ」
入口へ出たお亀がうろうろした。
新しい女客を奥へ招き入れようとする。
と、案内を頼んだ女は少しためらっているらしかった。
「どうやら御来客の御様子でござりますな」
「はい」
「では、重ねてまいりましょう」
引っ返そうとするらしい女を半七は内から呼びかえした。
「あの、恐れ入りますが、しばらくお控えくださいまし。ここにあなたの偽物がまいって居ります。どうか御立ち会いの上で御吟味をねがいとう存じますが……」
はじめの女はいよいよ顔色を変えた。
が、彼女はもう度胸を据えたらしく、急にニヤニヤ笑いだした。
「親分。お見それ申して相すみません。さっきからどうも唯の人でないらしいと思っていましたが、お前さんは三河町の親分さんでございましたね。もういけません。頭巾を脱ぎましょうよ」
「そんなことだろうと思った」
と、半七も笑った。
「こっそり表へまわって見ると、御大名の御屋敷のお迎えが辻カゴというのもめずらしい。奥女中の指にはバチで出来たタコがある。どうもこれじゃあ芝居にならねえ。おめえは一体どこから化けてきたんだ。偽迎えも偽上使もいいが、役者のいい割にゃあ舞台がちっとも栄えねえじゃあねえか」
「どうも恐れ入りました」
と、女は頭を少し下げた。
「この芝居はちっとむずかしかろうと思ったんですが…… まあ度胸でやってみろという気になりまして、どうにか段取りだけは付けてみたんですが、親分に逢っちゃ敵いませんねえ」
「即興芝居にしてはいい出来だったが、おいらのお眼鏡には叶わなかったな」
「こうなりゃあみんな白状してしまいます。私は深川で生まれました。おふくろは長唄の師匠をしていました」
彼女の名はお俊といった。
母は自分のあとを嗣がせるつもりだった。
で、子供のときから一生懸命に長唄を仕込んだ。
が、お俊は肩揚げの下りないうちから男狂いをはじめた。
母をさんざん泣かせた挙句に、深川の実家を飛びだした。
上州から信州越後を旅芸者で流れ渡った。
二、三年前に久し振りで江戸に帰ってきた。
が、深川の母はもう死んでいた。
それでも近所には昔の知人が残っている。
彼女はここで長唄の師匠をはじめた。
少しは弟子も集まった。
が、道楽の強い彼女はとてもおとなしくしていられなかった。
詰まらない男に引っかかり、金が欲しさに女囮もやった。
湯屋の板の間もかせいだ。
そのうち、お俊はこの近所の魚屋からふとお蝶の噂を聞き込んだ。
魚屋はお俊が懇意の家だ。
そこの娘はお亀とも心安くしている。
お蝶がときどきに怪しい使いに誘拐されてゆく。
そんな噂が自然にお俊の耳に伝わった。
彼女は、お蝶の容貌好しをかねてから知っている。
で、この怪しい使いの話を利用した。
娘をこっちの手で誘拐しようという悪い料簡を起した。
普段から自分の手先に使っている安蔵という奴に言い含めた。
二、三日前からお亀の家の近所をうろつかせて様子をうかがわせた。
屋敷からお蝶を一生奉公に抱えたいという掛け合いにきた、と知れた。
お蝶がゆうべ戻ってきたこともわかった。
彼女は安蔵を供の武士に仕立てた。
で、自分は奥女中に化けてお蝶を受け取りにきたのだった。
彼女がお蝶の前にならべた二百両はもちろんに銅脈の偽物だった。
「何しろ急仕事の偽迎えなもんですからね。ぐすぐずしていると、本物の方が乗り込んで来るかもしれない。乗物までは手がまわらない。飛んだ只今のお笑い草となってしまいましたよ」
と、お俊はさすがに何もかも思い切りよくしゃべってしまった。
「それでみんなわかった」
半七はうなずいた。
「お前もこんなことで食らい込んじゃあ嬉しくあるめえが、半七が見た以上は、まさかに御機嫌よろしゅう、ハイさようならというわけには行かねえ。気の毒だが一緒にそこまできてもらおうぜ」
「どうも仕方がありませんよ。まあ、いたわっておくんなさいまし」
が、こんな姿で引っ張って行かれるのは、乞食芝居のようで困る。
どうぞ家から浴衣を取り寄せてくれとお俊は言った。
半七も承知したが、ここではどうにもならない。
「ともかく番屋まで来な」
お俊を引っ立てて出ようとしたとき。
さっきから入口に立っていた女が入ってきた。
「この女の罪は私に免じてどうか御勘弁を願わしゅう存じます」
「しかしなあ……」
「これが表沙汰になりましては、御屋敷の名前にもかかわります。幸いにことを仕損じて誰に迷惑がかかったというでもなし」
女がしきりに頼む。
半七は無下に跳ねけ付けることも出来なくなった。
彼は女の苦しそうな事情を察した。
とうとうお俊を赦してやることになった。
「親分さん。どうもありがとうございました。いずれお礼にうかがいます」
「礼なんぞに来なくてもいい。この後あんまり手数を掛けねえようにしてくれ」
「あい分かりました」
お俊は器量を悪くしてすごすご帰って行った。
これで偽物の正体はあらわれた。
が、本物の正体はやはりわからなかった。
ただしもうこういう破目になったのだ。
なまじ包み隠しても相手の疑いを増すばかりで仕方がない。
まとまるべき相談もかえって纏まらないかもしれないと覚ったらしい。
女はお亀と半七にむかって自分の秘密を正直に打ち明けた。
彼女はお俊のような偽物でない。
たしかにある大名の江戸屋敷につとめている奥女中だった。
主人の殿様は江戸から北の方にある領地へ帰っている。
が、奥方はもちろんに江戸屋敷に残されていた。
奥方には最愛の姫様があった。
容貌も気質もすぐれて美しいお方だった。
が、その美しい姫様は明けて十七という今年の春。
疱瘡神に呪われて菩提所の石の下へ送られてしまった。
あまりの嘆きに取りつめて母の奥方は物狂おしくなった。
祈祷や療治も効がなかった。
明けても暮れても姫の名を呼んだ。
どうぞ一度逢わせてくれと泣き狂う。
屋敷中の者も持て余した。
その痛ましさと浅ましさを見るに堪えかねた用人と老女が相談の末。
「姫様によく似た娘をどこからか借りてきて、仕立ててお目にかけたらば、奥方のお気も少しは鎮まろう」
ということになった。
ただしそんなことが世間にもれては御屋敷の恥じだ。
あくまで秘密にこの役目を仕遂げなければならぬという。
二、三人の人が手わけをして心当りを探してあるいた。
その頃の人は気が長い。
根よく探しているうち。
用人の一人が永代橋の茶店で図らずもお蝶を見つけだした。
年頃も顔かたちもちょうど注文通りに見えた。
彼は更に奥女中の雪野というのを連れてきて眼利きをさせた。
誰の眼にも叶った。
幸か不幸かお蝶は合格した。
いよいよその本人が見付かった。
今度は、それをどうして連れてくるかということで、屋敷内では議論が二つに分かれた。
ひとの娘を無得心に連れて来るというのは拐引同様の仕方だ。
内密にその仔細を明かしておとなしく連れてくるがよかろう。
そういう温和な意見もあった。
しかし一方は反対した。
何をいうにも相手は茶店の女どもだ。
いくら口止めをしておいても、とても不安心だ。
果たして秘密を守るかどうか。
また後日にねだりがましいことなどいいかけられても面倒だ。
すこしうしろ暗いやり方ではある。
が、いっそ不意に引っさらってくる方が無事であろう。
何事も御家の外聞にはかえられぬ。
と、そういう者もあった。
結局、後の方の説が勢力を占めた。
武士どもは、その役目をいいつけられた。
身分柄にもあるまじき拐引同様の所行をくり返した。
それほど苦心した甲斐があり、その計略はみごとに成功した。
物狂おしい奥方は、替え玉のお蝶を夜も昼もときどきのぞきにきた。
死んだ姫の魂が再びこの世に呼び戻されたものと思っているらしい。
それからは忘れたようにおとなしくなった。
ただしそれは一時のこと。
お喋の姿が幾日もみえないと、姫にあわせろといってまた狂いだした。
さりとて人の娘を際限もなく拘禁しておくことはできない。
屋敷の者もまた困った。
その矢先にまた一つの新しい問題が起った。
諸大名の奥方や子息たちは幕府への一種の人質だった。
今まで、多年江戸に住んでいることを余儀なくされていた。
それがこの年の七月から新しい布達があった。
諸大名の妻女も帰国勝手たるべしということになった。
どこの藩でも喜んだ。われ先にと逃げるように国許へ引きあげた。
もちろんこの屋敷でも奥方を領地へ送ることになった。
が、乱心同様の奥方が道中に狂いだしたらばどうするか。
それがみんなの胸に横たわる苦労の重い凝塊だった。
そこで評議がまた開かれた。
どうしてもお蝶を遠い国許まで連れて行くより他はない。
ということに、その評議の結論は帰着した。
ただし今度はほとんど永久的の問題だ。
さすがに無得心で連れだすわけには行かない。
ともかくも本人や親許にも相談の上。
一生奉公の約束で連れて行くことになった。
奥女中の雪野がその使いをうけたまわった。
それで昨日、親許へたずねてきたのだった。
いっそ最初からあからさまに事情を打ち明けていたら。
こっちもまた分別のしようがあったかもしれなかった。
が、雪野は、ひたすらに御家の外聞ということばかり考えていた。
何事も秘密ずくめで相談をまとめようと焦っていた。
こっちの疑いはいよいよ深くなった。
おまけに横合いからお俊のように偽迎いがあらわれた。
事件はますます縺れてしまった。
訳を聴いて、半七も気の毒になった。
子ゆえに狂う母の心。
その母を取り鎮めようと努めている家来どもの苦心。
それに対して、あまり強いこともいわれない破目になった。
三畳の隠れ家からお蝶はそろそろ這いだしてきた。
「これで何もかもわかった」
彼女はもらい泣きの眼を拭きながら言った。
「おっ母さん、私のような者でもお役に立つなら、どうぞそのお国へやってください」
「え。ほんとうに承知して行ってくださるか」
雪野はお蝶の手をとって押し頂かないばかりにして礼をいった。
明月は南の空へまわってきた。
庭から家のなかまで一ぱいに明るく映し込んだ。
おふくろもとうとう承知して、娘を奉公にやることに決めた。
それからまた話が進んだ。
いっそおっ母さんも一緒に行ったらどうだということになった。
江戸には近しい親戚もない。
自分もだんだんに年をとって来る。
お亀も娘のそばに行った方がいいという料簡になった。
世帯をたたんで一緒に遠いお国へ行った。
何でも御城下に一軒の家を持たせてもらい、楽隠居のようなふうで世を終った。
明治になってまもなく、その奥方も亡くなった。
で、お蝶は初めてお暇がでた。
屋敷から立派に支度をしてもらい、相当の家へ嫁いだという噂だ。
お俊という奴は江戸で食いつめて駿府へ流れ込んだらしい。
結局そこでお仕置になったと聞かされた。
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