三
寺を出て上野の方へ引き返した。
途中、半七は一人の背の高い男に出逢った。
それは松吉という手先だ。
あだ名をひょろ松と呼ばれている。
「おい、松。いい所でみつけた。実はこれからおめえの家へ寄ろうかと思っていたんだ」
「何です、何か御用ですか」
とぼけた顔で松吉は言った。
「お前まだ知らねえのか、お化け師匠の死んだのを……」
半七は呆れた。
「知りませんでした」
と、松吉はびっくりしたような顔をした。
「へえ、あの師匠が死にましたかい」
「ぼんやりするなよ。眼と鼻との間に巣を食っていながら」
と、半七が叱る。
「もう少し身にしみて御用を勤めねえといけねえぜ」
お化け師匠の死に様を聞かされた松吉は眼を丸くしていた。
「へえ、そうですかい。悪いことは出来ねえもんだね。お化け師匠とうとう憑殺されたんですよ」
「まあ、どうでもいいから俺のいうことを聞いてくれ」
半七はひょろ松に指示を出した。
近所で池鯉鮒様の御符売りの泊っているところを探せ。
たぶん、馬喰町じゃない。万年町辺りだろうと思う。
「急いでみつけてきてくれ。別に難しいことじゃあるめえ」
「ええ、どうにかこじつけてみましょう」
「しっかり頼むぜ。如才はあるめえ」
だが、御符売りが幾人いて、それがどんな奴か、洗って来くるのを忘れるなよ、と念を押す。
「ようがす、受け合いました」
ひょろ高い男のうしろ姿が山下の方へ遠くなるのを見送った。
半七は神田の家に帰った。
その日は一日暑かった。
日が暮れると、源次がこっそりたずねてきた。
「お化け師匠の検視は今朝済みまして…… 」
が、人が殺したか蛇が殺したかは確かには決まらない。
普段から評判のよくない師匠である。
所詮は蛇に祟られたとえうことに決められてしまったらしい。
「……あとの面倒な詮議はねえみたいで」
半七はただ笑って聴いていた。
「師匠の送葬はいつだ」
「あしたの明け六ツ半(午前七時)だそうです」
別にこれという親類もない。
家主や近所の者が寄り集まって始末をするでしょう。と源次は言った。
松吉の方からはその晩なんの消息もなかった。
あくる朝。
半七は師匠の送葬のよう子を伺いに妙信寺へ出かけた。
師匠の遺骸はカゴで送られた。
町内の者や弟子たちが三、四十人ほど付いてきた。
その中で源次がいやに眼を光らせている。
経師職の息子の弥三郎が蒼い顔をしている。
女中のお村の小さい姿も見えた。
半七は知らん顔をして隅に行儀よく座っていた。
読経が終わり、遺骸は更に焼き場へ送って行かれた。
会葬者が思い思いに退散する。
半七はわざと遅れて座を起った。
そうして帰りぎわに墓場の方へそっと回ってみた。
と、一人の男がきのうの墓のまえに拝んでいる。
それは経師職の息子に違いない。
半七はぞうりの足音を消し、大きい石塔のかげまで忍び耳をすませた。
弥三郎は何にもいわずに唯一心に拝んでいた。
やがて拝んでしまってひと足行きかけたとき。
後ろの石塔のかげから顔を突きだした半七と初めて眼を見合わせた。
弥三郎は少し慌てたような風だ。
急いでここを立ち去ろうとするのを半七は小声で呼び止めた。
「へえ。なんぞ御用で……」
と、弥三郎は何だかオドオドして立ち停まった。
「少し聞きたいことがあるんだ。まあ、こっちへきておくんなさい」
半七は彼を師匠の墓の前へ連れ戻した。
二人で草の上にしゃがんだ。
今朝は薄く陰っている。
まだ乾かない草の露が二人のぞうりの裏に冷々と染みた。
「お前さん御奇特に毎月この墓へお詣りに来なさるそうですね」
半七はまず何げなしに言った。
「へえ、若い師匠のとこへ、ちっとばかり稽古に行ってたもんですから」
丁寧に弥三郎は答えた。
彼は昨日の朝以来、半七の身分を大方察しているらしかった。
「くどいことはいわねえ、手短かに話を片付けるが、おまえさんは死んだ若い師匠とどうかしていたんだろうね」
弥三郎の顔色は変った。
彼は黙って俯向き、膝の下の青い葉をむしっていた。
「ねえ、正直にいってもらえねえか」
世間じゃ、お前さんと若い師匠との間を勘づいている。
が、若い師匠はあんな惨めな死に様をした。
で、ちょうどその一周忌に大師匠がまたこんなことになった。
因縁といえば不思議な因縁だ。
が、ただ不思議だとばかり言っていられない。
若い師匠のかたきで、お前さんが大師匠をどうかしたんじゃねえか。
そう、もっぱらの評判が立っている。
上の耳にも入ってきた。
「とんでもねえ……。私がどうしてそんな……」
と、弥三郎は口唇をふるわせ、慌てて打ち消そうとした。
いや、実際お前さんがしてないことは知っている、と半七は言った。
「あっしは神田の半七という御用聞きだ。世間の評判をあてにして罪科もねえ者を無暗にどうするのこうするの。そんな無慈悲なことはしたくねえ。その代りに何もかも正直にいってくれなけりゃあ困る。いいかい、わかったかね」
そこで今の一件である。
「お前さん、若い師匠と睦み合ってたんだろう。嘘はいけねえよ。この墓の中には若い師匠が入ってるんだ。その前で嘘をつかれたら義理を欠いちまうぜ」
と、半七は墓を指して脅す。
花立ての花も今日はもう萎れている。
桔梗も女郎花も乾いた葉を垂れていた。
じっとそれを見つめているうち、弥三郎のまつ毛はいつか潤んできた。
「親分。なにもかも正直に申し上げます。実はおととしの夏頃から師匠のところへ毎晩稽古にいくうちに、若い師匠と……。けれども、親分」
ついに弥三郎は白状した。
「正直のところ、一度も悪いことはした覚えはありません。師匠はあの通りの病身で、私もこの通り気が弱い。大師匠の眼を忍んでは、ただ打ち解け話をするぐらいで……」
それでもたった一度。
去年の春だった。
若い師匠と一緒にここに墓参りにきたことがある、と弥三郎は言う。
そのときに師匠は「どうしても家にいられない。どこへか連れて行っておくれ」と言った。
今思えば、いっそそのときに思い切ってどうかすればよかった。
が、弥三郎には両親と、弟や妹もいた。
それを打ち捨てて駆け落ちをするわけには行かない。
ともかくも師匠をなだめて無事に帰した。
それからまもなくして師匠はどっと寝付くようになった。
そして、とうとう死んでしまった。
それを考えると、弥三郎は気が咎めてならない。
何だか師匠を見殺しにしたような気がする。
明けても暮れてもそのことばかり考える。
毎月、詫び代わりに墓参りに欠かさずに来るようになった。
「唯それだけのことです。今度の大師匠のことには何もかかり合いはありません。大師匠が蛇に殺されたと聞いたとき、私は思わずぞっとしました……何しろ、ちょうど若い師匠の一周忌というんですから」
半七が想像した通りだった。
若い師匠と若い経師職には、こうした悲しい恋物語が潜んでいた。
彼の懺悔に偽りはない。
そのことは若い男の眼から意気地なく流れる涙の色を見ても頷かれた。
「若い師匠が死んで。お前さんはもう師匠の家へはちっとも出入りをしなかったかね」
「へえ」
と、弥三郎は口ごもるように言った。
「隠しちゃあいけねえ。大事な話だ。え、本当に出入りをしなかったのか」
「それが実におかしいんです」
「どうおかしいんだ。まっすぐに言いねえ」
半七はにらんだ。
弥三郎は何かしきりにもじもじしていた。
が、とうとう思い切ってこんなことを白状した。
若い師匠が死んでひと月ばかり経った頃。
歌女寿が経師職の店へぶらりときた。
で、店で仕事をしている弥三郎を表へ呼びだした。
「娘の三十五日の配り物や何かについて少し相談したいことがあるのさ。今夜ちょいと家へきておくれ」
その晩出てゆくと、配り物の話はつけたりだった。
「弥三郎、自分の家の婿になっておくれでないかい」
師匠は、そう突然言いだした。
頼りにしていた娘に別れて何分寂しくてならない。
お前さんを見込んで頼む、どうぞ養子になってくれ、とも言った。
思いも付かない話でもある。
第一、自分は惣領の跡取りだ。
弥三郎はもちろんに断って帰った。
しかし師匠の方でなかなか諦めない。
その後ろも執念ぶかく付きまとってきた。
何かと理由をつけては無理に彼を呼びだそうとした。
一度は途中でつかまった。
否応なしに湯島辺のある茶屋へ引っ張って行かれた。
そこで下戸の弥三郎は、次々に酒を強いられた。
歌女寿の方もだんだんに酔いがまわってきた。
「婿におなりよ…… 亭主におなんなさいよ……」
と訳のわからないようなことを媚かしい素振りで言いだした。
小心な弥三郎は震えるほど驚き、一生懸命に振り切って逃げ帰った。
「その茶屋へ引っ張られて行ったのは何日頃だね」
と、半七は笑いながら聞いた。
「今年の正月です」
それから三月にも浅草で出くわしたらしい。
「その時も無理にどこかへ引っ張られようとしたのを、やっと振り切ったんです」
それから五月の末にも誘われた。
日が暮れてから近所の湯からの帰り。
そこでばったり出会った。
弥三郎が男湯から出ると、師匠もちょうど女湯から出てきた。
すると、相談があるからぜひ寄ってくれという。
今度は逃げることもできない。
「とうとう師匠の家まで一緒に行きました」
格子をがらりと明けて入ると、長火鉢の前に一人の男が座っていた。
師匠よりは七、八歳も若い、四十ぐらいの色のあさ黒い男だった。
その男の顔を見て、師匠はひどくびっくりしたらしい。
しばらく黙って突っ立っていた。
「何しろ、客のきているのは勿怪の幸いでした。それを機に私は早々帰って来ました」
「ふうむ。そんなことがあったのか」
と、半七は腹のなかでにっこり笑った。
「一体その男は何者だか、おまえさんはちっとも知らねえか」
「知りません。女中のお村さんの話では、何でも師匠とケンカをして帰ったそうです」
それ以上のことは弥三郎もまったく知らないらしい。
半七もここで切り上げて彼と別れた。
「今日のことは、誰にも当分沙汰なしにしておいてくんねえよ」
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