第34話
「ははは……胸、ですか」
「そうよ! 胸よ、この胸のせいで私は虐げられてるのっ」
ようやく蓮璋と面会を許された果竪は、感動の再会よりも周囲から受けた侮辱に対して泣きながら訴える。
そんな果竪に、蓮璋は思わず苦笑した。
果竪が目覚めないと聞いた時、足下が崩れていくようだった。
しかし、目の前の果竪は数日前まで眠っていたと思わせないほど、以前と同じだった。
それが嬉しくて、顔は自然と綻ぶ。
「って事で、蓮璋揉んで!」
「オレに死ねと?!」
「だってこのままじゃ馬鹿にされ続けるもの!」
だからといって、人妻が他の男に胸を揉まれるなど駄目だ、絶対に駄目だ。
しかも相手は王妃。
確実に殺される。
幾ら夫婦仲が冷え切っているとはいえ、それだけは出来ない。
「お願い蓮璋!」
果竪はうるうる視線で攻めた。
男はこういうのに弱いと明燐が言っていたから。
蓮璋しか居ないのだ。
こういう事を頼めるのは。
しかし頼まれた方は死活問題だった。
絶対に消される。
何が何でも消される。
蓮璋はそう信じて疑わなかった。
今も何故だろう?周囲でカチャカチャとお手を立てて仕事をしている女官や侍従の目付きが異常なまでに恐い。
きっと、視線で殺せるならばとっくに八つ裂きにされている筈だ。
というか、死んだ方がましというのはこういうのを言うのだろう。
蓮璋は知りたくもなかった事を知ってしまった。
「蓮璋、カモン!」
「カモンじゃないっ!」
さあ、どこからでも来て!!と言わんばかりに両腕を広げる果竪。
何か違う、何処か違う、絶対に違う。
というか、一応これは誘われているという事なのだろうか?
しかし、だ。
文字だけを、状況だけを見てみよう。
人妻である王妃が、寵姫にぞっこんな王を見限り別の男に誘いをかける――うん、これだけならば背徳感ばっちりな話ですむだろう。
だが、その王妃が実は幼児体型で、「胸揉んで下さい!」と直球でお願いする――そのどこに背徳感があるだろうか?
煽られるどころか、寧ろ全力で土下座して拒否したい。
すいません、無理です
男は何もせずとも反応すると言うが、蓮璋はそれは間違いだと大声で叫びたい。
「胸、胸、胸が大きくなりたいです! このままじゃ負けてしまいますっ」
誰に?
寵姫様にですか?
「くぅぅ! この胸が、せめて胸が大きければ!!」
どれだけ胸で侮辱されたのか?
果竪は自分の真っ平らな胸に手をあて上下に動かす。
そのまま何のひっかかりもなく上下の単調運動が行われる様に、蓮璋は掌で口元を覆い顔をそらした。
たしかに、胸を大きくしたくなるかもしれない。
そもそも、寵姫はもとより此処に居る侍女達は殆どが豊満な胸をしている。
と、これだけを言えばお前はいつも胸ばかりに目が行っているのか、変態と罵られるかもしれないが、思わず目で追ってしまいそうなほどに彼女達の胸は魅力的だった。
大きいが、バランスが悪いわけでなく、服の上からでも思わず手が伸びそうな魅惑的な揺れを発生させる。
それを思えば、揺れ?なにそれ?な果竪の此処での居心地の悪さなど簡単に予想がつく。
それに、今は寵姫の侍女長となってしまったが、昔は明燐が常に側に居たと聞く。
美乳かつ豊満な胸代表の明燐が常に側に居る――うん、俺でもやだな。
自分が女だった場合、そんな完璧な肢体を持つ相手が側に居るなんて絶対に嫌だ。
悔しさを通り越し、絶望する。
そしてそのまま飛び込む。
「果竪、よく耐えてたね」
「何を?」
キョトンとする果竪に蓮璋は涙ぐむ。
優秀で有能に加え、目を疑うような美形が多い上層部。
ここに、二十年前に追放されるまで居た果竪の凄さに、改めて蓮璋は心からの尊敬を抱いた。
そうして、どんどん違う方向でも尊敬される果竪だが、本人は全く気づかない。
「胸が大きくなりたい!」
果たして、果竪の懇願は叶えられたのか?
声が聞こえる
果竪が目覚めてから、それは何度も何度も萩波の中で歌うように囁いていた。
ウバエ
ウバエ
テニイレロ
声が精神を浸食する。
「ぐっ……」
暗い闇の中、玉座に座った萩波は必死に自分の中から響く声に抗う。
テニイレロ
ウバエ
アレヲ
メザメタ
メザメタ
『枷』を
「それが、『完未』である私の定め――」
そう呟いた瞬間、萩波はハッとした。
自分は何を言っているのだろう。今まで、こんな事はなかったというのに。
いつもは一方的に声が囁いていた。
それが何かと疑問に思いつつも、それは解き明かされる事なく終わる。
それだけだった筈。なのに、自分の口から出た言葉は、まるで全てが分っていると言わんばかりの――自分ではない別の誰かが呟いたようなそれだった。
声は更に歌い続ける。
『完未』
『枷』
チョウリツシ
『調律師』
『枷』は『調律師』
ホシイ
カセ
カセ
ワタシノ
いつもはそこで終わりだった。
それ以上はなかった。
なのに、思いがけない言葉に萩波はギョッとした。
『完未』デアルワタシヲ
ユイイツスクエルソンザイ
「私を……」
救える?
どういう事だ?
いや――
『完未』?
「『完未』とは何なのですか?」
萩波はこの時初めて拒絶していた声に耳を傾けた。
やつらのとは違う、ずっと昔から自分の中で囁いていた声に。
『完未』という言葉の意味を、何が何でも知りたいと思う気持ちに押されるようにして。
『完未』
それは――
「完全無欠にして、全てを惑わせる存在……」
それゆえに
「不幸になる者達の……」
ドクンと、強い鼓動が萩波を襲う。
先程と同じように、口が勝手に言葉を紡ぐ。
知っている
知っている
この名を知っている
『ごめん……ね……』
脳裏に、浮かぶ。
血に塗れた――。
彼女は笑う。
「やめ――」
『ごめんね……でも、私は――』
いらない
そんな力などいらない
それよりも私はお前自身を――
「やめろおぉぉぉぉ!」
『完未』
お前は『完未』の一人
『枷』を求めて彷徨う哀れなる存在
哀れで
哀しい生き物
なのに――
『完未』は全ての生き物達の頂点に立つ存在
なぜなら、『完未』は完全無欠
全ての面で、この世に過ぎたるほどの美貌と能力を有した者達を言う
『完未』となる者はごく僅か
だれもが『完未』を手に入れようと争う
そこに存在するだけでいいのだ
それだけで、『完未』を求める者達は争う
『完未』は世界すらも滅ぼす争いの種
それでいて、この世界を支えるもの――
お前は『完未』
呪われし『完未』の一人
お前は知っている
知らないとは言わせない
今も残る伝説
この世の者達は全て、三種類に分けられる
一つは『枷』、一つは『完未』、一つはそれ以外
その中の、『完未』
呪われた完全無欠の存在
忘れるな
お前は『枷』がいなければ生きてなどいけない
いや、『完未』達全員が『枷』なくしてはこの世にはいられない
『枷』がいない『完未』に待ち受けるのは
狂うか死
萩波の中の声は狂った様に歌い続けた
一つの伝説を――
ようやく、テーマの一つである『枷』、『完未』が出て来ました。
あ、『完未』は「かんみ」または「かみ」と読みます。
大根と王妃シリーズですが、いわばこれは『完未』と『枷』の物語なんですよね~、はい。
詳しい伝説は、もう少し本編が進んだ後で出て来ますので、その時に♪
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